入隊試験
王宮の門に続く通りは、いつも以上に混み合っていた。奉賛隊に応募する者が多いのだろうか。しまった、出遅れたか。ランシャはそう思ったが、それが勘違いである事はじきにわかった。門の手前までは混雑しているのに、門の向こう側は閑散としていたから。つまりは奉賛隊に参加しようとする物好きを眺める野次馬が多かっただけなのだ。
門の衛士に奉賛隊に応募したい旨を伝えると、そのまま中に通された。何らかのチェックを受けるだろうと思っていたランシャは拍子抜け。これは王様の方も奉賛隊に人が集まらない事を見越していたのかも知れない。そう考えなければ有り得ない不用心さだった。
門から入り、舗装された道を宮殿に向かって進むと、いくつかの人だかりができていた。どうやら奉賛隊に参加するつもりの者たちらしいが、みな口々に文句を言い、困惑している。受付も説明もなく、ただ待たされているだけだからだ。
人だかりは大小五つほどある。ランシャはざっとその様子を見て回り、一番小さな人だかりの前で足を止めた。そこに居たのは三人。そのうちの一人の男に近づく。ランシャより二回りは大きいだろう。腕と首がとにかく太い。そして何より、顔面の大きな斜め十字傷が他の連中を遠ざけていた。
大男はジロリとランシャを見下ろした。
「何か用か、小僧」
ドスの効いた声。しかしランシャは平然と透き通った眼を向け、小さな声でたずねた。
「奉賛隊に参加したいんだが、アンタに言えばいいのか」
男はいまにも殴りかかりそうな視線でしばらく見つめていたが、不意にこう言った。
「何でそう思った」
ランシャは答える。
「アンタたちだけが文句を言ってない。アンタたちが一番話しかけづらい。アンタたちが全部知ってるなら、この状況に辻褄が合う」
十字傷の大男は目を丸くすると、他の二人と顔を見合わせた。痩せぎすな男と小太りの男も信じられないという顔をしている。
「どうすんだ、隊長。まだガキだぜ」
痩せぎすな男がそう言うと、隊長と呼ばれた十次傷の男はため息をついた。
「ま、しょうがねえだろ。誰も連れてかないって訳にも行かんしな。キナンジ」
隊長の言葉に、小太りの男が「あいよ」と返す。
「とりあえず、ルルんとこに案内してやれ」
「了解。坊主、ついて来な」
キナンジという名らしい小太りの男は背を向けて歩き出した。どうやら宮殿の側面に回り込むようだ。一見ノロマそうに見えるのだが、足の運びは軽快。油断できないヤツだ、とランシャは思った。
「何だい、まだガキじゃないか」
衛兵の立つ戸口を二つ、キナンジの顔でくぐり抜け、広い中庭に出てすぐに出会った女の第一声がこれ。そう言う自分もランシャと二つ三つほどしか変わらないはずなのだが。
黒く長い髪を三つ編み四本に結い、後ろに回してまとめている。背はランシャと同じくらいだが、恐ろしく気の強そうな顔。薄茶色い革鎧を身に着けた姿に違和感はない。十分に着慣れているのだ。
「勝手にこんなの連れてきたら、隊長にぶっ飛ばされるよ」
「いや、違うんだルル。隊長に言われたんだよ」
キナンジは困り顔。眉を寄せるルル。
「はあ? どういう事」
「どうって言われても、試験に合格したヤツがコイツしか居なくてさ」
「それは試験のやり方が間違ってる」
「いや、オイラに言われてもなあ」
さらに困り果てるキナンジ。ルルは黒い大きな瞳をランシャに向けた。
「あんた、やめときな。死ぬよ」
しかしランシャは、その透き通る眼でルルの視線を受け止める。
「働かせてくれ。たいていの事はできる」
「だったら余所で働くといい。ここはダメだ」
「俺を雇ってくれるところなんてない。奉賛隊に入れてくれ」
「しつこいね。おまえが良くても親が泣く事になるって言ってんだよ」
「親も兄弟もない。家もない。俺が死んでも泣くヤツはいない」
その瞬間、ルルの体が横に回転したかと思うと、振り上げられた足のかかとがランシャの目の前にあった。だが引かない、避けない、目を閉じない。
ルルはしばらくそのままの姿勢でいた。そして難しい顔でこうつぶやく。
「よけられたはずだ」
「本気で蹴るとは思えなかった」
ランシャは言った。ルルの眼に鋭さが宿る。
「アタシを舐めてる?」
「別に死にたい訳じゃない」
足を下ろすと、今度はルルが困ったような顔を見せた。
「苦労に見合うだけの金がもらえるとは限らないよ」
「盗んだ金で飯を食うよりはマシだ」
「……難しい仕事はない。荷物を運ぶだけだ。何も起きなけりゃ、の話だけどね」
ルルはとうとう根負けした。ランシャはうなずく。
「俺はいまから働ける。何をすればいい」
「だったら奥に行って身支度から始めな。女中が服を見繕ってくれる。それが終わったら、他に連れて来られる連中がいるだろうから、その案内だ」
ルルは背後を指さす。ランシャは「わかった」と言うと、奥にある入り口へと向かった。
――血を
それは暗黒の深淵より響く声。
――血をよこせ
身を凍えさせる冷気を吸い込めば、肺腑の奥に痛みが走る。
――契約を履行せよゲンゼル、いまこそ契約を
わかっている。わかっているとも、魔獣よ。しばし待て。古の契約に従い、我が血族を貴様に捧げる。されば、さればこの帝国を繁栄せしめよ! 永遠に!
ゲンゼル王は目を開けた。体を起こせば、寝室の窓から入る陽光は強い。午睡の夢か。
「おのれザンビエン、余の眠りにまで入り込むとは」
寝室には他に誰も居ない。護衛も召使いも寝室には入れない。それはこの帝王が誰も信頼していない事の証。
その寝室の中に、不意に現れる二つの影。
「王様、王様、ご注進」
「大事な大事なご忠告」
「何用だ、役立たずども」
ゲンゼルは道化二人に苛立ちをぶつけた。しかし道化たちは平気な顔で言う。
「ダナラムの老師が気付いているよ」
「奉賛隊を襲おうと画策しているよ」
ベッドから立ち上がったゲンゼルは、一人マントを身に纏う。
「炎竜皇は」
その問いに、道化の二人は声を揃える。
「まだ動いていないよ」
さらにゲンゼルは問う。
「ならば青璧の巨人は」
再び道化は声を揃える。
「いまだタムールの山頂に磔のまま」
ゲンゼルは獰猛な笑みを浮かべた。
「つまり当面はダナラムの老いぼれだけが問題か」
胸元のボタンでマントを止め、道化に向き直る。
「連中はどこで仕掛けてくる」
道化はそれぞれ答えた。
「狙いやすいのはキリリア辺り」
「一本道の峠道」
それを聞いてゲンゼル王は二人の道化の名を呼んだ。
「ではソトン、アトン、遣いに立て」
「魔獣奉賛士とは文字通り、魔獣を奉り、謹んで賛助いたす仕事。今回であればリーリア姫様の供贄の儀をつつがなく執り行い、ザンビエンの魔力によるアルハグラへの恩恵を確たるものとする事が求められております」
魔獣奉賛士サイーの邸宅において、客間の上座に座るタルアン第七王子は、複雑な表情で口を開いた。
「供贄の儀とは、つまり、その、ザンビエンにリーリアを食べさせるという事なのか」
「はい、食べさせるという事でございます」
「もしそれでザンビエンが満足しなければ」
「はい、タルアン王子が食べられる事になります」
タルアンは思わず立ち上がった。
「いやいや、いやいやいや、ちょっと待て、何でそうなるのだ」
一方サイーは落ち着き払っている。
「ゲンゼル王のお決めになった事にございます」
「それはわかる、わかるが、そなたは良心が痛んだりせぬのか」
「いたしませぬな」
責め立てるようなタルアンの言葉に対し、当たり前のようにサイーは微笑んだ。
「タルアン王子、あなたは何故王族が存在するかご存じか」
「え、な、何故?」
「人々が王族を崇め、贅沢を許すのは、いかなる理由があっての事と理解されておられますか」
「それは、逆らった怖いから」
サイーは静かに首を振る。
「違いますな。人々が王族の存在を許容するのは、いざ何かが起こったとき、国と民を守るために率先して命を差し出す事を期待しているからです。命惜しさに国が滅ぶのを放置するような王族ならば不要。あなたもリーリア姫も、当たり前の事を期待されているに過ぎません」
「い、いや、だけど、私はまだ十七だ。リーリアなど十五なのだぞ。子供だ」
「はい、王族のお子様でありますな」
サイーはそう言うと、また優しく微笑んだ。
「ご心配めさりますな。ザンビエンの前にまで辿り着けば、私とて生きては帰れますまい。こんな老いさらばえた年寄りで申し訳ございませんが、お供させていただきます故、あの世への道中、賑やかに参りましょう」
サイーならば自分の味方になってくれるのではないかというタルアン王子の期待は、見事に打ち砕かれた。もう諦めるしかないのか。王子は肩を落としてサイーの邸宅を後にした。外はすっかり夜の闇。泣きそうな顔を他人に見られないのが、せめてもの幸いである。
ランシャは仕事を待っていたが、結局試験に合格したのは彼一人。しかし奉賛隊は傭兵以外に七十人必要らしい。それを残りの二日間で集めるのなら、試験を多少なりとも甘くするしかあるまい。とは言え、それはランシャの考える事ではない。隊長やルルが何とかするだろう。
それにしても、とランシャは思う。どうにも寝付けない。自分はこんなに繊細だったろうか。どこであっても、初めての場所でも構わず眠れたはずなのに。端っこの隅っこの外れであるとはいえ、曲がりなりにも王宮の中。簡易ではあるが三段ベッドもしつらえてあるし、床に直接寝ていたねぐらの生活を思えば天国であるはずなのに、何が気に入らないのかどうしても眠れない。
ランシャはベッドから起き上がった。奉賛隊が詰め込まれる予定のだだっ広い部屋の隣は物置で、制服と備品が並んでいる。そのさらに向こうに中庭がある。入り口が明るい。月が出ているのだろう。
ほのかな明りに誘われて、ランシャの足は中庭に向かった。誰かがそこに居る訳でもないのに。だがそれは間違った思い込み。誰か居る。ランシャの耳には微かにすすり泣く声が聞こえた。
ここは自分の家ではないし、誰何するのもおかしい。とは言え気になるのは間違いない。足音を殺して声の出所を探してみると、中庭の隅の闇に人の気配が。そのとき、足下の砂利が音を立てた。人影は弾けたように立ち上がる。
「誰!」
ランシャは息を呑んだ。少し背は低い。体つきもやや幼いし、結い上げた髪も長い。薄衣を肩に纏い腰に小刀を帯びた服装は出自の高貴さを表している。だが顔つき、雰囲気、何よりも月明かりの下でもハッキリとわかる、涙を浮かべた大きな眼がまさに生き写し。
「……リン姉」
そんなはずはない。死んだ人間が生き返るはずなどないのだから。赤の他人の空似である。それはわかっているのに、ランシャは動揺を隠せない。一方さっきまで泣いていた少女は、その眼に力を宿らせにらみつける。
「何者ですか。何故こんなところに居る。人を呼びますよ」
「いや、奉賛隊、なんだが」
奉賛隊という言葉を聞いた瞬間、少女は「あっ」と驚きの顔を浮かべ、悲しげに目を伏せた。
「……そうですか、ごめんなさい」
そう言って立ち去ろうとした少女の腕を、ランシャはつかみ止めた。
「何をする、放しなさい」
少し怯えながらも毅然と振る舞う少女を、しかしランシャは放さず、視線を動かしながらこうつぶやいた。
「まだ誰か居る」
「え?」
そして少女が腰に帯びていた小刀を引き抜くと、少し離れた場所に固まる闇の中に投げつけた。と思いきや、闇の中から小刀が飛んで戻って来る。それを間一髪でランシャはかわした。背後の植木に突き立つ小刀。闇の中から声がする。
「刃物、危ない」
闇が蠢き、形をなして立ち上がる。月の光に浮かび上がる、人間ほどもある巨大なコブラの姿。それが皇国ジクリフェルの四賢者が一人、毒蛇公スラである事を二人はまだ知らない。