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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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堂々巡り

 毒蛇公スラの襲撃から三日が経った。間もなく次の街シルマスに到着するはずである。この三日間は特に何事も起きなかった。いや、厳密に言えば起きてはいる。大水路に沿って進む奉賛隊の前に、若い男女の二人連れが行き倒れていたのだ。キリリアからシルマスに向かう途中の姉弟だというが、途中盗賊に遭い、金と食料を奪われてしまったらしい。


「キリリアに戻る事も考えましたが、丁度真ん中辺りでもありましたし、何とかシルマスにたどり着きさえすれば、と」


 姉のクノンが恥ずかしげにそう言った。


「シルマスには親が居るので、とにかくたどり着きたい気持ちが先走ってしまいました。水さえあれば何とかなると考えたのですが、甘かった」


 弟のチオンが申し訳なさそうに続けた。


 砂漠の旅は体力を使う。汗も大量にかく。水と塩と砂糖とパンは最低限。水だけで進もうとするなど良く言って無謀、実のところ間抜けとしか言えない。砂漠の都市に暮らしていてその程度も理解していないなど有り得ない話ではあるが、それでも現実に砂漠の旅で命を落とす者は毎年何百人と居る。そうそう無知を笑ってばかりもいられない。


 隊長は何一つ怪しまなかった訳ではない。誰に狙われているかわからない旅である、迂闊に隊の頭数を増やすのはリスクが高い。だが狙われている当のリーリアが一緒に連れて行けと主張するのだ。王族の言葉を無下に扱う訳にも行かない。それにシルマスまでの短い期間、ほんの一日二日の話だ。隊長は折れた。



 ドルトに乗っていた輿は、二つともキリリアの峠道で壊れてしまった。なのでいまタルアンとリーリアは歩いている。ドルトに乗せるという案も出されたが、(くら)もなしではかえって大変である。それに年寄りのバーミュラも居るのだ、王族の二人には歩いてもらって、休憩回数を増やす方が間違いがないと思われた。


 タルアンとリーリアのすぐ後ろにはルルとナーラムが続く。少し後にはバーミュラが、ランシャとウィラットを連れて歩いている。


「しっかし、クソ暑いねまったく」


 バーミュラはブツブツと文句を言った。


「何で砂漠はこんなに暑いんだい、恨みでもあるってのかね」

「砂漠だから暑いのではありませんか」


 ウィラットの言葉にバーミュラは顔を歪める。


「おまえは本当に面白くない」

「そのようですね。よく言われます」


 魔道士はフンと鼻を鳴らすとランシャを振り返った。


「こういうときゃ笑うもんだよ」

「面白くないのに笑うのか」


 キョトンとした顔のランシャに、バーミュラはやれやれと首を振る。


「人間は愛想笑いが必要な生き物だって事さ」

「よくわからない」


 無表情に歩くランシャに、ウィラットが微笑みかける。


「君は人間が嫌いなようだね」

「悪いか」


 素っ気のない一言。しかしウィラットは気分を害した風もない。


「いや、素直なのは悪い事ではないよ。私だって正直なところ、好きではない。ただね」

「何だよ」


「嫌うのは構わないが、憎まない方がいい」

「……自分の事か」


 するとウィラットは悲しげに笑った。


「そうだね、そうかも知れない」



「何かよお」


 ランシャたちの後方で、荷物を運ぶルオールが不満げにつぶやく。


「ランシャってあんな喋るヤツだったか」


 隣を歩く赤髪のニナリが、寂しげにこう返した。


「リーヌラに居た頃より楽しいのかな」


 すると背後からクスクス笑う声。


「何だよん、二人揃ってヤキモチ焼いてんのかいん」

「ばっ、そんなんじゃねえよ! ふざけんな」


 ルオールが顔を真っ赤にして否定する。だがニナリはこうつぶやく。


「僕は……ヤキモチ焼いているかも知れない。僕が一緒に来たら、ランシャは喜んでくれると思ってた。でも、そうじゃなかった。リーヌラに居た頃より、ずっと話してくれなくなったし」


 褐色の巨躯は笑顔でうなずいた。


「向こうには向こうの都合もあるんだと思うよん。でも自分の心に気づけたのなら、旅に出た値打ちがあるってもんじゃないかねん」

「お、俺さまは違うからな、全然違うからな!」


 必死になるルオールに、イルドットは声を上げて笑った。



 毒蛇公スラは目を覚ました。どこだここは。見覚えがあるような。黒い部屋。天上からぶら下がる、人間の手の形をした悪趣味なロウソク立てに、五本のロウソクが灯っている。


「お目覚めになりましたか」


 蛇の目が無表情に声の方を見る。人に似た姿。だがその顔や手は枯れ木のように干からびている。


「……ノスフェラ」

「いかにも。ここはそれがしの診療所でございます」


 魔界医ノスフェラ。ジクリフェル随一の、そして唯一の医師。魔族は普通病気になどならないし、たいていの傷は自分で治す。医師が求められるのは余程の場合である。故に医師はほとんど必要とされず、医師になろうなどと思う者も居ない。しかしだからこそ、ただ一人医師を続けられるノスフェラは特別な存在と言えた。


 スラは視線をノスフェラから自分の体に移した。


「動かない」


「それはやむを得ません。ジクリフェルに戻られたとき、スラ様の体は四つに切り分けられておりました。しかも断面は凍り付いて、細胞が破壊されていたのです。体を一つにするには、まずその氷と壊れた細胞を取り除かねばなりませんでした。その上で内臓をつなぎ神経をつなぐ大手術、いやあ、大変でございましたよ」


 自画自賛。だがそれを口にする資格はあるのだろう。体は動かないまでも、ある程度の感覚は尾の先まで伝わっている。


「いつ動く」


 その問いに、ノスフェラは首を振った。


「いましばらく、としか。スラ様の断面にあった氷は、ただの氷ではございません。ザンビエンの呪いの氷にございます」


 あのとき一瞬見えた白い刃。ならば、あれは。


「あれは、魔剣」


「いかにも。おそらくは魔剣レキンシェルの切り口。傷口がつながっただけでも驚くべきと申して良いやも知れません。スラ様の不死身性と、それがしの医術が相まって成し遂げられた奇跡。安易にそれ以上を望むべきではないかと」


「陛下には」

「勝手ながら、陛下にはすでにご報告申し上げました。快癒されるまで急がず焦らず、とのお言葉を(たまわ)っております」


 スラは目を閉じた。口惜しいが仕方ない。いまは他の賢者たちに任せるしかあるまい。だがこの恨み、晴らさずにおけようか。必ずや、いつか必ずや。



 何かが起きている。


 一日二日の話、隊長はそう思っていた。シルマスに到着するまでの日数は、その程度のはずだった。だが一日経っても二日経っても、シルマスの姿は見えない。道を間違えたとは思えない。何せ大水路から離れず、ずっと沿って歩いているのだ、間違えられる理屈がない。けれど事実として、シルマスにはたどり着けていない。これで何も起きていない訳がなかろう。


「この状況で誰かを疑うんなら」


 休憩している隊から離れた砂丘の上、隊長は言った。


「まあ、クノンとチオンの二人だよな」

「どうする、追放するかい。それとも」


 ルルがうなずき、腰の短剣に手をかける。


「ええー、そんな悪いヤツらには見えないけどなあ」


 キナンジは不服そうだ。それを横目に、ナーラムはフンと鼻を鳴らす。


「おめえは美人に弱いからな」

「そ、そういうんじゃないけどよ」


 慌てるキナンジに隊長は小さく笑うと、ランシャに目を向けた。


「おまえはどう思う」


 ランシャはしばし考えると、顔を上げて答えた。


「あの二人を殺してシルマスに着けるなら、それが一番なのかも知れない。ただ」

「ただ?」


 ルルが問う。ランシャはその透明な眼をまっすぐに向けた。


「殺す事で、逆にこの状態から抜け出る方法がわからなくなる可能性もある」


 ナーラムがため息をついた。


「ああ確かに、それはあるかもしんねえな」

「魔法なら術者を殺せば終わりだよね」


 ルルはまだこだわっているようだ。しかし隊長はうなずきながらこう返した。


「そうだな、魔法ならそうなる。だが問題になるのは、これが魔法じゃなかった場合だ」

「俺たちは出口を知らない。この段階で殺すのは無茶だと思う」


 そのランシャの言葉に、ルルもようやくうなずいた。


「それはそうか。で、どうやって出口を見つけるんだ?」


 その問いに答えられる者は誰も居ない。みな困り顔で首をひねっていた。



「何だい、そりゃ」


 魔道士バーミュラは心底呆れ返った顔で隊長たちを見回す。


「ガン首揃えてそんな事で困ってたのかい。情けないガキ共だね」

「そうは言うがな、バーミュラ」


 これにはさすがに隊長もムッとした。キナンジも言い返す。


「そうだよ、婆さんだって気付いてなかったんだろ」

「気付いてないさ。私ゃ魔道士だからね。魔法は専門だがそれ以外の事は人並みにしか知らないよ」


 ランシャが見つめる。


「つまり、これは魔法じゃない」

「魔法だったらすぐ気が付いたろうね。そこまで(もう)(ろく)しちゃいない」


 バーミュラは居丈高に胸を張った。ナーラムがため息をつく。


「じゃあ、結局これは何なんだ」


 ルルが首を振った。


「いや、いまは出口を探す方が先だろ」

「出口なら見えてるはずだけどね」


 そのバーミュラの言葉に隊長たちは息を呑んだ。


「もうわかってるのか」

「わかるもへったくれもあるかい。おまえさんたちはキリリアからこっち、何を見てきた。空以外に見えたものなんて、三つしかないだろう」


 キナンジは首をひねる。


「三つ? 一つはクノンとチオンだろ。あと二つ? 他に何か見たっけか?」


 ナーラムも考え込む。


「鳥は飛んでなかったし、獣も見なかったぞ」

「……あ」


 気が付いたのはランシャ。


「砂漠と大水路か」


 バーミュラはニヤリと笑う。


「その三つの中で、怪しいかどうかは別として、現に私らを惑わせたのは何だ。何が存在したから私らは迷ってる」

「大水路だ」


 ランシャは即答した。バーミュラはうなずいた。


「わかってるじゃないか。たぶんそこに出口があるのさ」



「堂々巡りじゃあ!」

「堂々巡りじゃあ!」


 王宮の廊下で二人の道化はフォッフォッフォッフォッと笑ったが、ゲンゼル王は無視をした。


「奉賛隊は堂々巡りをしているよ」

「延々グルグル回っているよ」


「このままだと死んじゃうよね」

「このままだと飢え死んじゃうよね」


「さあ、どうする?」

「ねえ、どうする?」


「どうもせん」


 ゲンゼルはつぶやき歩き去る。これから大臣たちに小言を言わねばならない。その方が大事だとでも言わんばかりに。


「魔道士バーミュラが居るのだろう。ならば何とかするはずだ」



 キナンジは大水路の壁に乗った。それを確認して隊長は号令をかける。


「出発だ!」


 隊列はまたシルマスへ向けて歩き出した。キナンジも大水路の壁の上を同じ速度で進む。もしバーミュラの考えが正しいのなら、何かが起こるはず。


 隊長は横目でキナンジを見つめながら歩いた。特に何も起こっていないように見える。しかしナーラムが最初に気付いた。


「なあ隊長、キナンジのヤツ、ちょっと小さくなってねえか」

「小さい?」


 最初はまさかと思った隊長だったが、そう言われれば間違いない、前進すればするほどキナンジが縮んで行き、やがて見えなくなってしまった。ここか。


「全員、俺についてこい!」


 隊長は直角に曲がり、早足で歩き出した。大水路の方に向かって。その勢いではすぐに大水路にぶつかると誰もが思った。けれど、ぶつからない。進んでも進んでも、大水路は近付いてこず、等距離を保ち続けている。と思いきや、ある地点で大水路が突然遠ざかった。その壁の上にはキナンジが立っている。


「隊長! 良かったあ、やっと気付いてくれて。さっきから呼んでるのに誰もこっち見てくれないでドンドン遠くに行っちまうから、どうしようかと思ったよ」


 キナンジは喜んでいるが、隊長たちは意味がわからない。バーミュラがやってくるのを待つしかなかった。



「なるほど、これくらいは克服できるのだねん」


 そうつぶやく声があった。赤髪のニナリが振り返る。


「何か言った? イルドットさん」

「何でもないよん」


 褐色の巨躯は優しい笑顔を向けた。

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