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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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魔剣と魔弓

 世界が揺れている。揺れているのはわかる。だが、それだけだ。感覚も感情も麻痺しているかの如く、恐怖も驚きも感じない。このまま死んでしまうのだろうか。


「死にはしない。どっちかって言うと、生き返ってるところだ」


 レクの声が耳元に聞こえる。


「おまえの体はいまサイーの遺産を受け入れるよう調整されて、仕上げの段階に入ってる。あとちょっとで動けるようになるぜ。もっとも動けるだけじゃ、どうって事はないんだが」


 声は笑う。それは馬鹿にしているのか、それとも自嘲か。ランシャにはよくわからなかった。



「クソがぁっ!」


 大上段から振り下ろされた剣を、ナマクラで受け止める。隊長はそのまま力で押した。いかに相手がダナラムの精鋭とは言え、腕っ節と踏んだ場数では負けていない。そして小狡こずるさでも。


 黒衣の鉄仮面は突然口から血を吐いた。隊長に押されて背後が留守になったところを、ナーラムの剣に貫かれたのだ。一対一なら手強い相手だが、二人がかりなら敵ではない。その隊長の後ろに迫る黒い気配。しかし振り返るまでもなかった。


「あらよっ!」


 小太りのキナンジが宙を舞う。身軽さでこの男の右に出る者はそう居ない。相手の頭のてっぺんに手を置いたかと思うと、そのまま体重をかけ、髪をつかんで引きずり倒す。そしてがら空きになった首筋を、ルルのナイフが切り裂いた。聖滅団がどれほどの最強部隊であろうとも、この四人を倒すのは容易ではない。


 ただし聖滅団は怯まない。殺しても殺しても、立ちすくむ者が一人もいない。おそらく事前に分担が分かれているのだろう、荷物運びや飯炊きを殺す者たちは、隣で自分の仲間が死にそうになっていても助けようとせず、黙々と対象を殺して行く。それはつまり、リーリアの抹殺を担当する者は、すでに側面から本丸に辿り着いている可能性があるという事だ。隊長は自分の博打運のなさを呪った。



 タルアンとリーリアは輿こしから抜け出しはしたものの、周囲は五、六人の黒い僧衣の鉄仮面に囲まれて身動きが取れない。ジャイブルが二人をかばうように宙に浮かぶ。その天に向けた右手に稲妻を走らせながら。


「こなたはいかづちの精霊なり! 悪意を持って近づく者はすべて転がる(むくろ)となろう!」


 しかし聖滅団は怯まない。迷わず前に出ようとする者たちは、けれど一人の男の声に足を止めた。


「待て」


 黒い僧衣に鉄仮面。その仮面の真ん中に赤い線が入っている。風の巫女に『風切』と呼ばれた男である。風切は腰の後ろに差してある二本の剣を抜き、目の前の地面に突き刺した。そしてその陰に隠れるかのようにしゃがみ込むと、小石を拾ってジャイブルに投げつける。


 ジャイブルが放つ稲妻は小石を砕きはしたが、風切には届かなかった。その眼前に突き立つ剣に吸い込まれてしまうからだ。


「雷、恐るるに足らず」


 風切の言葉に応じるように、他の黒衣の者たちも、剣を地面に突き立てしゃがみ込み、石を拾って投げつける。いかな精霊と言えど、周囲から飛来するすべての石を打ち落とすのは無理というもの。


「痛い! 痛い!」


 石は確実にリーリアの頭部を狙って飛んでくる。タルアンがかばおうとしたが、後頭部に石の直撃を受けて倒れてしまった。


「兄上!」

「あ、馬鹿」


 ジャイブルが焦ったのは当然。精霊は術者と連動するのだ。タルアンが意識を失うと同時に、雷の精霊もその姿を消し去った。


 黒い僧衣の鉄仮面たちは立ち上がり、地面から剣を抜く。そして無言でリーリアに斬りかかった。


 そのとき。


 リーリアとタルアンを乗せていた輿の後ろ、ドルトの背に載せられた地味なもう一つの輿の中から天に向けて走る、真っ白い光。それは巨大な刃となり振り下ろされる。聖滅団の二人を巻き込んで肉片とし、地面をえぐった刃は次の瞬間、空に向かって縮んで行く。


 風切は見上げた。真上から落下してくる黒髪の少年を。



「おいちょっと待て!」


 自分は輿の中で寝転んでいたはずだ。どうして宙を飛んでいるのだ。いや、これは猛スピードで落下しているのか。何にせよ己の意志ではない、ランシャはそう思った。しかし。


「おまえの意志だよ」


 風の音の向こうから聞こえるのはレクの声。


「まあオレっちに任せな。死なせやしないから」


 死なせないって、「誰を」だよ。ランシャがそうたずねる間もなく、足先にはもう地面が迫っていた。落ちる。衝撃を覚悟したものの、これまた羽根が落ちるかの如く、軽く音もなく両足は地面に着いた。リーリアをかばうように立つと、黒い法衣の連中が四人で周囲を取り囲む。


 どうなってるんだ、これは。驚きに声もないランシャの耳だけに聞こえるレクの声。


「考えてんじゃねえよ。いまおまえにできるのは力を抜く事だけだ。黙ってオレっちに振られていろ」


 号令があった訳でもなく、奇声を発するでもない。静かに沈黙の中で襲いかかって来る黒衣の鉄仮面たち。ランシャの右腕が勝手に動く。見れば右の手には剣が握られている。羽根のように薄い真っ白い刃の。軽い。まったく重みを感じない。それが細かく揺れたかと見えたとき、飛びかかって来た三人は無数の肉片と化した。


 残る黒衣は一人。仮面の真ん中に赤い線の入った男、風切。両手に持った二本の剣を、正面に向ける。


「魔剣のたぐいか、厄介な」


 しかしその口調には余裕さえ感じられた。ランシャの右手が微かに動く。無数の白い光が散った。風切は肩口で剣を十字に構えている。二本の剣で攻撃を受け止めたのだ。


「マジかよ!」


 レクの驚愕の声がランシャの耳に響いた、と思ったときにはすでに相手の顔はランシャの胸の辺りに。速い。そして一瞬後にはまた距離を取る。ランシャの右手は胸の前に移動していたが、服の胸元は切り裂かれ、血が滲む。


「何だこいつ、本当に人間か」


 さしものレクも当惑していた。対する黒衣の鉄仮面は、ポツリと残念そうにつぶやく。


「使いこなせぬのならば、魔剣も棒きれに同じ」

「言うねえ」


 レクの言葉は面白げにも悔しげにも聞こえた。風切は再び二本の剣を前に突き出し、足を一歩前に出す。と、風切は頭上で剣を振った。固い音と共に地面に落ちたのは、一本の矢。


「弓だと。どこから」


 風切の疑問はもっともである。奉賛隊に弓部隊は居なかった。ならば考えられるのはキリリアからの救援。しかしそれを見越してキリリア方面に五人の隊を送っている。もし五人で手に負えないほどの戦力なら、こちらに伝令が来るはずだ。それに。


 風切はまた頭上で剣を振るう。今度落ちた矢は三本。これは偶然ではない。明らかに狙い撃ちだ。弓で直接こちらを狙えるほどの距離に敵が居ると言うのか。何かおかしい。だが考えている余裕はない。風切は身をかわした。その瞬間、地面に突き立った矢は五本。もはや剣で叩き落とせる数ではない。果たして射手は何人居るのか。


 一方ランシャの体は両脚を開くと、腰を落として踏ん張った。レクが耳元で一際声を上げる。


「ちょっとしんどいけど我慢しろよ!」


 白い剣の先が地面を向く。これを好機と風切はまた風の速さで前に出た。が、三歩目を踏み出したところで跳び上がる。右足の先に氷の塊をぶら下げながら。地面が白く厚く凍結している。魔剣の力か。


 空中では攻撃をかわすことができない。これこそがレクの狙い。白い刃の先端が風切に向き、ランシャの右腕が引かれた。しかし。


「戦闘中止!!!!!!」


 声、というより爆音に近いそれが、ランシャの耳元で炸裂した。レクが体を支配していなければ気を失っていたかも知れない。レクもさすがに驚いたのか、剣の切っ先が鈍った。風切の脇腹と肩口をかすめただけで致命傷は与えられない。


「総員撤退!!!!!!」


 再び声が弾ける。これこそ神教国ダナラムの三老師が一人、『大口』のハリド師の声だと判明するのは後の事。地面に降り立った黒衣の影は、振り返る事なく斜面を駆け下りて行った。



「耳が痛え」

「頭割れるかと思ったぜ」


 ナーラムとキナンジは、たぶんそんなような言葉を交しているに違いない。隊長の耳はまだ完全に回復していないので、いまひとつよく聞こえないのだ。


 死屍累々、血に染まった道を走る。この分ではリーリアも助からないかと思いながら、それを口にする者は居ない。しかし列の中ほどに達したとき、黒衣の死体が転がる中に、見知った姿が立っていた。


「ランシャ、おまえ無事だったのか」


 最初に駆け寄ったのはルル。その向こうにリーリア姫とタルアン王子が倒れているのをナーラムが見つけ、口元に手を当てた。


「大丈夫だ、生きてる」


 あのデカい声で気を失ったのかも知れんな、と一安心した隊長が、次に目をやったのが、うつむいて立つランシャ。ルルとキナンジが顔をのぞき込んでいる。


「どうだ」


 隊長の言葉にルルが振り返った。


「立ったまま気絶してる」


 周囲に転がる聖滅団の死体。状況から考えて、ランシャが姫様を守ったのだろう。だが、どうやって。ランシャの右手には、ボロボロの小刀が一つ握られているだけだった。



「奉賛隊は聖滅団を退けたよ」

「サイーの遺産が仕事をしたよ」


 午後の休みを寝室で過ごすゲンゼル王の元に、二人の道化が現れそう言った。ゲンゼルは二人をにらみつける。


「キリリアからの援軍はどうした。話はついたのではなかったか」


「ああ、援軍なら出たよ。一人だけど」

「そうそう、出るには出たよ。一人だけど」


 ゲンゼルは面白くなさそうにフンと鼻を鳴らした。


「魔弓使いのウィラットか」



 かつてリーヌラにリーンの母泉が湧き出すよりも前の時代、キリリアは砂漠交易の中心地の一つであり、その繁栄は砂漠に下りた星と呼ばれたほどだった。いまはもう人々の使う水はリーヌラから引かれた水路に頼っているものの、まだオアシスの水は涸れておらず、何よりも市場の賑わいが当時の名残を伝えている。


 疲れ果てた奉賛隊は夕刻、日が沈む寸前にようやくキリリアの街に辿り着いた。死体の数が多く、埋めるのに時間がかかったのだ。今日の攻撃で奉賛隊は総数の三割以上を失った。命は助かったがもう旅を続けられないケガ人も居る。今朝方すでに帰途につかせた者を含めれば、実に五割の人数を事実上失った事になる。こんな状態で東の果ての氷の山脈まで行けるのだろうかと大半が思うのは当然と言えた。


 街の門はもう閉じられた後。しかしその扉の前に、松明を持つ下男を脇に置いて一人の偉丈夫が立っていた。鎖帷子を着込んだすらりとした長身、流れる黄金の髪、目は悲しげに沈んでいるが、息を呑むほどの美男子であるのは間違いない。その左手には真っ黒な、果たして一人で引けるのか疑いたくなるような長大な弓を持っている。


「リーヌラからの奉賛隊の方々とお見受けする」


 男の言葉に、隊長が前に出る。


「隊長のザッパだ」


「キリリア領主ビンテルが家臣、ウィラット。貴殿らを案内するよう言付かっている。これといったもてなしも出来ないが、天幕で眠るよりは幾分マシであろうとは思う」


「助かるよ。こっちはもうボロボロだ」


 ウィラットはうなずくと、扉を振り返り声を上げた。


「開門!」


 重い音を上げて門が開いて行くと、中から光が溢れてきた。街角のいたる所に灯るロウソクやランプの明かり。絶え間なく流れる音楽に、行き交う人々の数は祭かと思うほど。首都リーヌラでも夜はこれほど賑やかではない。


 呆気に取られながら奉賛隊の面々がウィラットについて行くと、屋台で酒を飲む者たちが声をかけてくる。


「いらっしゃい、旅の人」

「キリリアの良い夜を!」


 ついさっきまで生きるか死ぬかの状態だった事もうっかり忘れて、夢うつつに踊り出したい気分となった一同が、行き着いた先は。

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