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魔獣奉賛士  作者: 柚緒駆
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砂漠の帝国

――だからね、ランシャ


 リン姉は笑った。


――人間を嫌いにならないで


 そう言って、死んだ。



 開いた四角い窓から差し込む光は、もう高い。ランシャは薄暗い部屋で体を起こした。また眠りすぎた。最近、ずっとこうだ。そして嫌な夢を見る。心の中でブツブツとつぶやきながら、顔を両手でゴシゴシとこすると、改めて部屋の中を見回した。その青い透き通った眼で。


 窓がやたら明るい。外はまた焼けるような暑さなのだろう。しかし、部屋の中ではさほど暑さを感じない。この袖のない安物の麻布の服で丁度良いくらいだ。


 茶色い日干しレンガの建物の内側には、気取った壁の一つもない。すべて砕け落ちてしまっている。もう放置されて長いのであろうこのアバラ家は、孤児達のねぐらになっているのだが、いまはランシャ以外誰も居ない。きっとみんなもう街に出て行った後だ。


 起こしてくれてもいいのに、とは思わない。そこまで親しい仲でもない。ただ生きるために同じ場所に集まっているだけだ。その方がお互いにイロイロと便利だから。用がなくなれば切り捨てるし、こちらも切り捨てられるだろう。それが十五年生きてきて理解したこの世の真実だ。


 ランシャは独りぼっちの薄暗い部屋で、伸びた黒髪を後ろで総髪にまとめながら、改めて自分に確認した。


 俺の味方は、俺だけだ。


 そして立ち上がると、しっかりとした足取りで外に向かった。また心の中で、こうつぶやきながら。


 リン㚴。俺は人間が大嫌いだよ。



 砂漠の帝国アルハグラの首都リーヌラには、今日も人が溢れていた。レンガ造りの街の中を縦横に水路が走り、あちこちに花木が茂る。街から一歩出れば延々と砂の海が続くとはとても思えない。すべては街の中心にある「リーンの母泉」から湧き出す大量の水のおかげである。


 もっとも、それがどんな泉なのかを知っている者はほとんど居ない。泉の上には恐れ多くもかしこくも、漠水帝ことゲンゼル王の宮殿が建ち、その姿を隠しているからだ。街の人々は王宮の水路から流れ出る水で生活をしていた。その数、百万をゆうに超える。


 さらに水路は街の外にまで延び、無数の小都市をうるおす。いまやアルハグラの版図は西のラダラ海から東の氷の山脈にまで広がり、 臣民の数は五千万、このガステリア大陸に並ぶ者なき巨大帝国であった。



 ランシャは炎天下の大通りを歩いていた。理由は二つある。一つは路地に入って他の孤児たちと顔を合わせたくなかったから、そしてもう一つは、金持ちは大通りを歩いているからだ。


 金持ちはランシャの獲物だった。無論、金持ちは一人で歩いてはいない。たいてい護衛を連れている。そう考えれば、やりやすい相手ではない。だが成功したとき、すなわちその金目の荷物を奪う事ができたとき、手に入る金額が桁外れだ。


 もちろん費用対効果などという言葉は知らない。だが経験則として、貧乏人を狙うより金持ちを狙った方が割が良いとランシャは理解していた。


 その青い透明な瞳が焦点を結ぶ。獲物だ。前後に振り分けた荷物を担いだ上半身裸の男が二人、その前にでっぷりと太った男が歩き、さらにその前に派手な服を着た大柄な男がいる。一番前は護衛だろう。二番目のデブが金を持っているはずだ。荷物持ちの二人が邪魔だが、さてどうする。


 総髪を揺らしながら、ランシャが前に出ようとした、そのとき。


「ランシャ、起きたのかい」


 前に気を取られていたので、後ろに気付かなかった。ランシャは小さく舌打ちしながら振り返る。同じような麻の服、少し低い背に短い赤毛と無邪気な笑顔の少年。


「良かったあ、起きないんじゃないかって心配してたんだよ」

「なあ、ニナリ」


 ランシャは冷たい眼で見つめ返した。


「街中じゃ声をかけるなって言わなかったか」


 ニナリはハッと口を押さえた。


「ごめん、仕事中だった?」


 ランシャは眉を寄せながら後ろに目をやる。金持ちの四人連れは人混みの中に姿を消していた。小さくため息をつき、また歩き出す。その後ろをニナリがついてくる。


「じゃあさ、じゃあさ、今日はランシャを手伝うよ。囮とかイロイロできるよ」


 それを振り返る事なく、ランシャは歩き続ける。


「そういうのはやめろ」

「遠慮すんなよ、こう見えて結構使えるよ」


「暑苦しい、目立つ、邪魔だ。俺は一人でやりたいんだ」

「なんでだよお、仲間じゃないか」


 泣きそうな顔で追いすがるニナリを振り切るように、ランシャは足を早めた。おまえが死ぬからだよ、とは言えなかった。



 街行く人々が振り返る。肉体の線を際立たせるタイトな黒い服。腰に巻かれた黄金の鎖。しかもこの炎天下に、汗の一筋も垂らさず涼しい顔の黒髪の若い背の高い女。水路の流れをじっと見つめ、まるで魅せられたかの如く立ち尽くしていた。


 その背後に近づく、小柄な老爺。こちらは白くゆったりとした服装で、女とコントラストを描いている。


「閣下」


 老爺がささやいた。


「人目を引いておりますぞ。早々に退散いたしませんと」

「気付いたか」


 女の言葉に、老爺は首をかしげた。


「はて。水路が陣を描いて結界を張っている事ですかな」


 すると女は老爺を振り返り、小さく微笑んだ。


「その水が(にご)っている事にだよ」

「は?」


 老爺は目を丸くし、水の流れを見つめた。その目には水晶の如く清らかな流れにしか映らない。女は遠くを見つめた。その方向にそびえるのは雲の峰。


「わざわざ寄り道をした甲斐があった。われらが偉大なる陛下に良い報告ができる」


 そして後ろを振り返る。赤く輝く眼が見つめるのは、街の中心にある王宮。


「さてゲンゼル王よ、どう動く」



 首都リーヌラの中心に威容を放つ王宮の中、玉座の間の真下には大きな空間が広がっている。日の光の一切差さぬ、しかし無数の灯明が(こう)々(こう)と照らすその中に、漠水帝ゲンゼルの姿があった。供も護衛も連れずただ一人きりで。


 数えきれぬ戦の中で鍛え上げてきた巌のような肉体に、四角い岩石のようなゴツゴツとした顔。間違っても美形ではないが、その勇猛さは誰にも一目でわかる。この王が剣を構えて恐れをなさぬのは、よほどの痴れ者か、さもなくば人外の化け物に違いない。


 王の歩く足下には水路が走る。周囲八つの方向に向かって。すなわち、ここにはその中心、無限の水を吐き出す聖なる「リーンの母泉」があった。その見た目は丸いプール。ただし底は知れない、光も闇も飲み込む深淵。ゲンゼルはしばし静かな水面を見つめた後、不意にマントをひらめかせて腰をかがめると、水の流れに手を入れた。濡れた手を口元にかざし、微かなニオイを嗅ぎ取る。


「……(けが)れている」


 そしてまた、その冷たい眼を丸い深淵に向けた。


「血に渇するか、ザンビエン」


 と、そこに。何もない空間から突然二つの影が生まれた。それは奇妙な服を着て、顔に派手な模様を描いた、二人の子供の道化。踊りながら、歌うように話す。


「王様王様、ご報告」

「王様王様、一大事」


 しかしゲンゼルは表情を変えない。


「何があった」


「水の結界に触れた者がいるよ」

「水の結界に気付いた者がいるよ」


 王は道化たちをジロリとにらみつけた。


「その程度の事で、この聖泉の広間に踏み入ったというのか」


 だが道化たちは恐れをなさず、踊り続ける。


「感じるよ、ジリジリ焼ける火、大きな炎」

「危険だよ、メラメラ燃える火、魔性の炎」


 ここで初めて、ゲンゼルの顔に表情らしい表情が浮かんだ。眉を寄せ、苦悩を感じさせるような。


「炎竜皇か」


 低くつぶやき、しばし考え込む。そして顔を上げると、こうたずねた。


「風の巫女に動きはあるか」


 道化の二人は口を揃える。


「僕らの知る限り、まだ動いていない」


 ゲンゼルは重ねて問う。


青璧(せいへき)の巨人はどうしている」

「いまだタムールの山頂に(はりつけ)のまま」


 二つの声がそう答えた。


「では余は王として、いかなる道を進むべきか」


 その問いに対しては、二人の道化はこう応じた。


「先手必勝」

()いては事をし損じる」


 ゲンゼル王は笑みを浮かべた。(どう)(もう)な、凶暴な、気弱な者ならそれだけで抵抗の意思を奪われてしまうような笑みを。


「いいだろう。ならば勝手にやるまで」


 そう言うと道化たちに背を向け、こう命じた。


「大臣どもを玉座の間に集めよ。王子と姫もだ」



 西に向かう大通りを進む、背の高い黒衣の女。小柄な老爺を従えて、まっすぐに、ただまっすぐに歩いて行く。道の上はむせかえるほど人で溢れているのに、何故か前に立ちはだかる者は居ない。まるで流れる雲を切り割るタムールの頂の如く、人々は自然と女を避けていた。


 腰に揺れる黄金の鎖が陽光を弾く。きつく巻き付けているように見えないそれは、手を伸ばせばつかみ取れるかに思える。だが実際に手を伸ばす者は居ない。そんな間抜けなヤツは居ない。……いや、一人居た。


 女の斜め後ろから、人混みを縫うように駆けて来た赤髪の少年が、不意に手を伸ばしたのだ。しかし次の瞬間、少年は顔面を地面にこすりつけていた。その後頭部に足を乗せたのは、白い服を着た小柄な老爺。


「やれやれ、汚らしい盗人めが」


 少年は体を起こそうとするが、軽く乗せているだけにしか見えない老爺の足が、恐ろしく重い。巨岩が乗っているかのようにビクともしない。その周囲を人々は、何事も起こっていない、何も見ていないという顔で通り過ぎて行く。


「さて、いかがいたしましょう。とりあえずここは穏便に、両腕を切り落としますか」


 老爺に浮かぶ優しげな微笑み。けれど女は興味を向けず、遠く彼方を見つめている。


「おまえに任せよう」


 そう気のないつぶやきを口にしたとき。日差しが陰った。宙を飛ぶレンガが一つ、それは老爺をめがけて。


「くだらぬ真似を」


 軽々と片手で受け止める老爺。侮蔑の表情とため息。しかしレンガの向こうから飛びだした影がすぐ横を駆け抜けた。陽動だと。慌てた老爺が顔を向けたときにはもう、影は女の腰から黄金の鎖を奪っていた。それを追うべく老爺が一歩動くと。


「ニナリ! 走れ!」


 人混みの中に駆け込んで行く影がそう叫び、倒れていた赤髪の少年が反対方向に走り出した。


「お、おのれ」


 老爺の顔にはたちまち血が上り、悪鬼の形相が浮かぶ。


「待て、ヤブ」


 それを一瞬で鎮めたのは黒衣の女の声。


「いまはくれてやれ」

「ですが、閣下」


「それよりも、あれを見たか」

「は? と、おっしゃいますと」


 困惑する老爺を余所に、イタズラっぽい、楽しげな笑みが女の顔に浮かんだ。


晶玉(しょうぎょく)(まなこ)、まだ残っていたのだな」



 驚愕、そして沈黙。王宮の玉座の間、長い長い赤と黄色の絨毯の先にそびえる黄金の椅子に腰掛けた漠水帝ゲンゼルは、居並ぶ大臣たちを見据えてこう言った。


「二度は言わぬ。ただちに支度をせよ」

「お、お待ちくださいませ、王よ」


 財政大臣が最初に声を上げた。


「では、まことに、まことに、その」


 言い淀む財政大臣に代わって、外務大臣が続けた。


「リーリア姫を魔獣ザンビエンの生け贄にすると言われるのですか」


 国務大臣も言葉をつなぐ。


「それはあまりと言えばあまりでございます。どうか、お考え直しください」

「次に口を開いた者の首をはねる」


 ゲンゼルの言葉に、一同は再び沈黙するしかなかった。ゲンゼルは冷酷に言い放つ。


「見よ、誰も己の命は惜しいのだ。ならば理解はできよう。この帝国アルハグラの命脈は、リーンの母泉によって保たれている。そのリーンの母泉の源は、契約に基づく魔獣ザンビエンの魔力である。ならば我らが生きるためには、ザンビエンを生かさねばならぬ。最大限の敬意をもってな」


 そして王は玉座の右側に並ぶ、十一人の王子と姫に目をやった。みな真っ青な顔でうつむいている。その一番端に立つ、末っ子の姫を除いて。


「良いな、リーリア」


 小さな姫はまっすぐに父を見つめ、胸を張って答えた。


「リーリア、心得てございます」


 その眼に怯えはない。ゲンゼル王はうなずくと、玉座の間に声を轟かせた。


「魔獣奉賛士サイーを呼べ!」

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