18話:兄、奪われる
「……」
俺は、真剣な面持ちをしていた。
前世と今生合わせても、これだけ真剣になったことは数少ない。我ながらそれはどうなんだと思わないでもなかったが、まあ脇に置いておくとして。
とにかく俺はいつになく真剣だった。
真剣な顔で、目の前で湯気を零す蒸し器を見ていた。
蒸し器というか、お湯を張った鍋にザルをひっかけて、その上に濡れた布巾を被せたなんちゃって蒸し器なんだが。しかしこれは、ザルを焦がしたり布巾を焦がしたりお湯を拭きこぼしてしまったりと、試行錯誤の末にようやく形にできた代物なのである。
蒸すと野菜の甘みが増すので、一緒に試行錯誤してくれた料理長のレパートリーには蒸し料理が日々追加されている。食べることが好きなスールこと妹はもちろん、当主様達にも大変好評である。俺達の賄いもだいぶおいしくなった。
これはいわゆる、漫画やアニメでよく見る現代知識チートというやつなのでは?
蒸し料理を一つの屋敷に広めただけはチートって言わないな、うん。
俺の前世が料理人とかだったらその料理スキルを生かして異世界チートストーリーが始まったかもしれないが、料理が多少できるだけの男子高校生にそんな道はない。
俺にできるのは妹のため、そして俺のために目の前の料理を完成させることだった。
「フレール」
「うおっ!?」
いきなり後ろから声をかけられ、思いきり素の声を上げてしまった。
振り返れば、そこにはやはりというかなんというか、すっかりおなじみとなったアサシンが立っていた。おなじみといっても一ヶ月ぶりくらいな気がするけど。
とりあえずお前、気配や足音を消して背後をとるのやめろ!
なんでそんな天性のアサシンなんだよ。
「いきなり声をかけられるとびっくりするんだけど!」
「ん、ああ、悪い」
おや?
わりとお決まりになっている文句を口にしたら、思いのほか素直に謝られた。
おかしいな。問答無用で正座させた時を除けば、俺が気づいていなかったのをいいことに入り口で声をかけたのにお前が気づかなかったとか言ってくるのに(いやまあ、本当に言っていたのに俺が気づかなかった可能性は普通にあるんだけど)。
雰囲気もいつもは俺様!って感じなのに、今日はなんか大人しい気がする。
「クリス様、熱でもあるの?」
「ん?いや、そんなことはないが」
「そっか。いやあ、なんかいつもより大人しい気がしたからさ」
「そこで熱の有無を確認するあたり、お前も大概無礼だな」
「適度に無礼なのがクリス様のお好みのようなので」
わざとらしく丁寧に言えば、アサシンはちょっときょとんとした後、くくっといつものように愉快そうな笑いを零した。
よかった、いつものアサシンに戻った。
知り合いの様子がいつもと違うと落ち着かないよな。俺はお兄ちゃん気質なので、そういうのが余計気になってしまうのである。
でも一時的な可能性もあるから、あれを作り終えたら話を……あっ。
「蒸し器!!」
やっべえ、アサシンに気をとられていて忘れかけていた。
慌てて顔を蒸し器に戻す。幸いそんなに意識を離していなかったので、変わった様子はない。匂いを嗅いでも焦げた感じはしていないので、ホッと息をついた。
「これはなんだ?」
そんな俺の横から、アサシンが興味深そうに蒸し器を見た。
「これは蒸し器って言うんだ」
「ムシキ」
「湯気の力を使って、食べ物に熱を通す調理法」
「湯気だけで熱が通るのか?」
「通るぞー。茹でるより食材の甘みが引き立つし、栄養も逃げにくい」
中国や日本だと結構昔から確立された調理法だった気がするんだけど、中世ヨーロッパ風の世界だと蒸すというのは一般的ではないらしい。アサシンも初めて耳にする調理法らしく、俺の説明に興味津々なご様子だった。
そういや、いいタイミングで来たなこいつ。
ちょうどアサシンも食べてもらいたいものを作っていたところだ。
「そろそろ蒸し上がるころだろうし、食べていきなよクリス様。冷やしたのが一番おいしいんだけど、アツアツのを食べるのもいいものだ」
そう言うと、湯気がかかると危ないので一歩下がらせる。
こういう時は俺の言うことを素直に聞いた方が危なくないとアサシンも学習しているので(以前揚げ物をしている時に似たような注意をしたら無視して、はねた油で火傷していた。馬鹿である)、言われた通りに一歩下がった。
なんというか、なかなか言うことをきかなかった犬の躾が成功したような達成感がある。
つい満足げに鼻を鳴らしてから、火傷しないように濡れ布巾をとった。
むわっと、眼鏡キャラなら一瞬でレンズが真っ白になるような湯気が上がる。
その湯気が晴れれば、ザルの上に並んだ陶器の器が五つ、顔を覗かせた。
器には全部清潔な布巾が被せてあり、中は見えない。それでも、布越しに甘い香りが漂ってきて、否応なく心が弾んだ。
「さーっ、今回はどうかなーっ」
わくわくしながら鍋つかみで一つずつそっと手に取り、テーブルに移していく。
全部の移動が完了したところで、器の一つから布巾を外した。
布巾の下から、つるりとした黄色が現れる。軽く器を揺すれば、その黄色はふるふると、固形でありながらも柔らかいことを視覚で伝えてきた。
前世の市販品には劣るが、最初に挑戦した時のスまみれに比べるとかなり綺麗なプリンがそこにはあった。
「っしゃあ!スもほとんどない!」
思わず、隣にアサシンがいるのも忘れて盛大にガッツポーズをした。
妹がプリンを食べたいと言い出してから二週間。
蒸し器の作成から固まる分量の模索と、かつてないほどの試行錯誤を繰り返した。その過程で生まれた数々の失敗作や及第点作の中でも、今日のプリンは渾身の仕上がりである。ガッツポーズしてしまうのも仕方ないというものだ。
「……なんだ?これは」
一方のアサシンは、俺のガッツポーズにちょっとびびった後、プリンを見て首を傾げた。
「これはプリンだ。卵と牛乳を混ぜたものを固まらせたものだな」
「ほう。この黄色は卵か」
「ふっふっふっ。黄色は卵だけじゃないんだぜ」
「?」
意味深な俺の言葉に、アサシンはまた首を傾げる。
そんなアサシンをもっと驚かせるべく、俺は食器棚からスプーンを取り出した。
「まだ熱いから、ふうふうしながらちょっと食べてみてくれよ」
「……」
「ん?熱いの駄目だっけ?」
「いや……」
一瞬なんともいえない顔で俺とプリンを見比べていたアサシンだったが、やがてツッコミを放棄したみたいな顔でスプーンを受け取った。
なんか変なこと言ったか俺?
首を傾げて考えるが、該当箇所がわからない。まあいいやと気にするのやめて、他のプリンの確認を始める。他のもいい感じのできあがりで、これなら妹もかなり喜んでくれることだろう。笑顔を浮かべる妹を想像して、思わずニヤニヤしてしまった。
「……」
そんな俺の横で、アサシンは何度かスプーンの腹でプリンの表面を突く。
しばらく揺れる様を楽しんだ後、そっと先端を差し込んだ。
「ん?」
プリンをすくったスプーンを顔に近づけたところで、不思議そうに首を傾げる。その正体を確かめるかのようにスプーンを口に入れたアサシンは、俺の期待通り、驚いたように目を丸くした。
「これは…蜂蜜が入っているのか!それにレモンの香りがするな」
「そうそう。クリス様が持ってきてくれたレモンを漬けた蜂蜜で甘みをつけたんだ」
レモンはすっかり食べきったが、レモンを漬けていた蜂蜜はまだ残っている。蜂蜜だけならかなり持つので、妹のわがままでお菓子を作る時は貴重な砂糖の代わりに使っているのだ。
俺ほどではないがあいつも柑橘類は好きなので、レモンの香りがするお菓子は結構好評である。使用人の女の子達におすそ分けする時も喜ばれることが多かった。
「名づけて蜂蜜レモンプリン!クリス様のおかげで作れたから、お前にも食べてほしかったんだよなあ」
何せ保存がきかないので、来た時のお土産にとはいかない。
こいつが来てから作り始めるには手間がかかるレシピだから、こうしていいタイミングで来てくれたのには助かった。
「……」
しかし、人が感謝の気持を伝えたというのに、当のアサシンはせっせと動かしていたスプーンを止めて、苦虫を噛み潰したような顔をした。
おいこら、なんでそんな顔するんだよ。
フレールさんに失礼だろうが。
「気に入らないなら食わなくてもいいけどぉ?」
イラッとしたので、声を低くしてそんなことを言ってしまう。
するとアサシンは止めていた手を動かし始め、猛然とした勢いでプリンを食べ進めた。
「っ、げほ」
そしてむせた。
むせてもイケメンなんだからイケメンは本当にずるいな。いやそんなこと言っている場合じゃないわ。
「おいおい、大丈夫かよ!いきなりがっつくからだぞ!」
アサシンに近づいて丸まった背中をさするが、なかなか咳が止まらない。
さするより水だなこれは。そう判断して水場に向かおうとしたところで、ぐいっと後ろの方に引っ張られた。ずるっと足が滑りかけ、寸前で踏みとどまる。
あぶねえ、転びかけた。
「こらっ!いきなり――」
「フレール」
何をするんだと文句を言いかけるが、それを遮るようにアサシンが俺を見上げてきた。
睫毛長ぇとか、やっぱ国宝級イケメンだなとか、そんな感想が浮かぶ。つまりはイケメンに見入って呆けていたわけだが、そんな俺の腕をアサシンは再びぐいっと引っ張った。
くちびるにやわらかいものが、あたった。
「――――」
「……」
「――――――――」
「……今日は、帰る。邪魔をしたな」
「…………うん」
長い長い沈黙の後、アサシンは俺と顔も合わせずに厨房を出ていく。
それをまぬけヅラで見送った後も、俺はしばらくそこから動けなかった。
熱がとれたプリンをお盆に載せて、俺は妹の部屋に向かった。
扉を開ければ、お嬢様ムーブのために勉強をしていた妹が勢いよく立ち上がる。
「あっ、お兄ちゃん。お疲れ様!」
「おう。これ、蜂蜜レモンプリンな」
「わぁ、ほんのり蜂蜜とレモンの匂いがしておいしそう!見た目も今まで作った中だと一番うまくできたんじゃない?」
「うん」
「……お兄ちゃん?」
あきらかに様子がおかしい俺に、妹は不思議そうに首を傾げた。
ああ、可愛いな。さすがの美少女令嬢顔。さすが俺の妹。お待ちかねのプリンよりも俺の心配を優先してくれる優しいところも自慢の妹だ。
しかし、妹にさっきのことは伝えられなかった。
というより、俺が言語化したくなかった。
「妹ぉ、ベッド借りてもいい……?」
「えっ、いいけど。本当にどうしたの?」
「ちょっとキャパシティーオーバー……」
許可が降りたので、俺は遠慮なく綺麗に整えられた(というか今朝俺が整えた)ベッドの上に寝転がった。そのまま枕に顔を埋めて、うつ伏せになる。
ちゅーされた。
さっきのできごとを思い出し、枕を掴む手に力がこもる。
マジかよあいつ。俺は男なのに。いや、今の俺は女の子なんだけど。でもでも中身は男なわけで、だから男からのキスとかもう、なんともいえない生理的嫌悪感があった。
気持ち悪い。
めちゃくちゃしっかり顔を洗ったけど、まだ感触が残っている気がして駄目だった。この唇を剥ぎ取って誰かと交換してやりたい。
でも、それだけじゃなかった。
それだけじゃないので、本当に困っていた。
いやほんと、マジかよあいつ。マジかよ、俺。なんなのこれ。
頭の中で、気持ち悪さとよくわからない何かがシェイクされる。頭がめっちゃ痛い。今はこれ以上起きていたくなかった。
枕の気持ちよさも手伝って、俺の意識はどんどん睡魔に誘われていく。
寝たら何もなかったことにならねえかなあ、ならねえよなあ。
現実逃避をする俺の瞼に、あいつの顔が浮かび上がる。
めっちゃ真剣だった。
思わず男の俺も見入ってしまうくらい、真剣な顔をしていた。
さんざん目を背けてきた事実――ジャン=クリストフが俺に惚れているという事実を真正面から叩きつけるような、ガチの顔だった。
でも俺は男だし、俺が攻略ルートとやらに入ったら妹が破滅するかもしれない。
だからあいつがちゅーしてくるくらい俺のことが好きでも、俺はあいつを好きにならない。
だって男同士とか気持ち悪いし、大事な妹を破滅させるわけにはいけないだろう。俺の今生がフレールという女の子でも、そこは譲れない。譲れないのだ。
でも。
(……俺がちゃんと女の子なら、正面から向き合えたのかなあ)
意識が落ちる直前、そんなことが脳裏をよぎった。
それから三日。
ルクスリア家の息女、スール・ルクスリア付きのメイドであるフレールは熱を出して寝込み、ずっと意識が朦朧とした状態が続いた。




