14話:兄、エンカウントする
店の中に一歩入ると、紙とインクのにおいが強く鼻をくすぐった。
「うおぉ……」
前世ででかい図書館に入っても、ここまでにおいは強くなかった気がする。初めての感覚に圧倒され、思わず声を出して感嘆した。
男のリアクションをしてしまった口をパッと押さえてから、俺は店内を進んでいく。
店は本棚がたくさんあり、棚には本がぎゅうぎゅうに詰められていた。前世で見慣れたつるつるの背表紙じゃなく、ごてごての装飾がついたようなやつだ。
図書館にあった全集を思い出しながらさらに進んでいくと、足はカウンターに辿り着いた。
「いらっしゃい」
モノクルをつけたおじいさんが、鷹揚に声をかけてくる。
俺はぺこっと頭を下げた後、ちょっと緊張しながら口を開いた。
「昔話の本が欲しいんですが」
「昔話ね……。お嬢ちゃんはどの家の使いだい?」
「ルクスリア家です」
そう言って袖口を軽く引っ張り、腕にはめてあるブレスレットを見せる。ルクスリア家の紋章があしらってあるそれは、「下手な商売をしたらルクスリア家の不興を買うぞ」といういわば脅しみたいなものだった。
おじいさんはしげしげと真贋を確かめるようにブレスレットを見た後、うん、と納得したように小さく頷いた。
「昔話って言っても種類があるが、お嬢ちゃんの主人は何をお望みだい?」
「えーっと、赤いずきんをかぶった女の子が出る話が載ったのはありますか?それか兄妹がお菓子の家を見つける話とか」
「口承メルヒェンを集めたやつか。ちょっと待ちな」
そう言うと、おじいさんは本棚に向かった。
グリム童話って名前じゃないんだな。っても、グリムさんちの兄弟が集めた昔話を編纂したのはそこまで昔じゃないはずだから当たり前っちゃ当たり前なのか。
そんなことを思っていると、おじいさんが本を二冊持ってきてくれた。
青い装丁の本が『オリエンス王国の説話』、緑のが『北のメルヒェン』とある。寒い地方に伝わっている童話とかそういうのだろうか。
「北のメルヒェン……」
なんか響きがかっこよかったので、思わず零してしまう。
すると、おじいさんは驚いたような顔で目をパチパチさせた。
「お前さん、字が読めるのかい?」
「あ、はい」
こくりと頷き、肯定する。
そうなのである。俺、というかフレールは字が読めるのだ。
日本感覚だと忘れがちだが、文字を読める人って多い方が珍しいんだよな。教えてもらう機会も暇もないから。教育というのがいかに贅沢なことだったかを、今世になって痛感していた。前世でもっと知識つけときゃよかったと思うことは多い。
ならなんでフレールが読めるのかというと、昔いた孤児院で優しい兄ちゃんに教えてもらったからだ。そこで本を読む楽しさってやつも教えてもらったので、この前のアサシンのやりとりからフレールの体が読書欲を訴えていた。
今日本屋に来たのも、そんなことを妹に伝えたからである。
まあその時の兄ちゃんって、あの執事長のことらしいんだけどね!
アサシンとのやりとりを教えた時に、「お兄ちゃん実はね」という前フリでそんなことを教えられた俺の気持ちよ。マジかよってなる。なった。
しかもスール兄と同じく、その時からフレールのこと好きだったんですってね。
マジかよ……。
だからあの時見られていたんだなと納得する一方、あれって初恋(仮定)の女の子に似た女の子を見る時に向ける視線だったのか?という疑問もある。
聞く気はないけどな!
妹からもフラグは立てるなと厳命されているし!
「お嬢ちゃん」
「は、はい」
神妙な顔で声をかけられ、思わず背筋を伸ばす。
えっ、なになに?
不安がる俺をしばらく見つめた後、おじいさんは本棚から一冊の本を取り出した。さっき出したのに比べたらページ数が薄いやつだ。『灰かぶり』というタイトルが書いてあって、危うく噴き出すところだった。
俺これの別名にすげー聞き覚えがあるんだよな。サンドリヨンって言うんだけどさ!
「これをやろう。お嬢ちゃんにだ。お前さんの主人に渡しちゃあいかんぞ」
「えっ?」
「主人の本だとお嬢ちゃんが読めないだろう」
えーっと。
つまりあれか?メイドなのに文字が読める俺に思うところがあって、俺が自由に読める本をくれようとしているってことなのかな、これは。
その気遣いは大変嬉しい。嬉しいけど、俺普通に読めるんだよな、買ったやつ……。
どうしようかと悩んだが、ありがたく受け取ることにした。騙しているような気がして気が引けるが、だからってどう断ればいいかもわからないし。
あとは、うん……。
根が庶民だから、もらえるものはもらっちゃおうっていうのが、はい。
「ありがとうございます」
嬉しさを全面に出しながら、本を受け取ってぺこりと頭を下げる。
そんな俺を見て、おじいさんは満足そうだった。
ありがとうおじいさん、ごめんなおじいさん。妹に言って、またここで本買わせてもらうから許してほしい。
本を包んでもらった後、いつでも来なというありがたいお言葉を背に俺は店を出た。
さて、これからどうするか。
ひやひやしながら持ち歩いていた大金は本に化けたので気が楽になったけど、本の形をした大金になっただけなのでいつまでもうろうろはしてられない。
とはいえ、久々の街だ。
義兄弟王子が来るようになったせいで、俺の外出頻度はさらに減っている。
せっかくなので市場の方に軽く顔を出したいところだけど……。
「おや」
予定を考えながらとりあえず歩いていると、声をかけられた。
特に意識もせず、くるりと声がした方を振り返る。
そこにいたのは、ラフな格好をした長髪のイケメンだった。
誰だ?
そう思って首を傾げたのも束の間、一人の人物が脳裏に浮かぶ。正体に気づいた時、思わずげっと言わなかった俺を誰か褒めてほしかった。
「貴方は確か、スール様のメイド」
そう言いながら近づいてきたのは、お城で出会ったイケメン執事長だった。
恰好も違うし、結っていた髪を下ろしていたから一目見た時は気づかなかった。変装しているわけでもないのに、少し見た目をいじるだけで印象ががらっと変わるもんだなあ、と人間の認識ってやつの不思議さを感じる。
あ、近づいてこないでいいです。
挨拶だけして去ってくれよ!
そんな俺の願いも空しく、あっという間に距離を詰められる。逃げられなくなったので(話しかけられた時点でアウトだったとか言わない)、俺は観念して執事長の方に体を向けた。
「はい、そうです。お久しぶりです、イーラ様」
「お久しぶりです」
一度名前は聞かれているはずだけど、対面状態で名乗ってフラグとやらを立てたくない。名前聞かれないといいなあと思いつつ挨拶をすれば、丁寧なお辞儀が返された。
付け焼刃の俺とは比べ物にならないパーフェクトお辞儀に内心びびる。
こう、本物って感じだ。さすがお城執事の長。
恰好はそこらへんにいる町のにーちゃんなのに……。
思わず感心していると、執事長は不躾さを感じさせない程度のマイルドな視線を俺に向けてから小さく首を傾げた。イケメンほんとどんな仕草も似合うな、くそが!
「どうしてこちらに?」
「えーっと、スール様にお使いを頼まれまして」
「なるほど。お疲れ様です」
さらっと気遣いをしてくるあたり、ほんとさすがというかなんというか。
ありがとうございますとお辞儀をすれば、にこりと微笑まれた。うっ、眩しい。
「そういうことでしたら、お屋敷まで送っていきましょうか?城下なので治安が悪いわけではないですが、やはり女性一人ですし」
「えっ、いや」
紳士的な申し出に、俺は思い切りうろたえた。
貴方と一緒にいるところを見られたら、妹に何を言われるかわかんないんですけど!
だが、そんなことを口にすればまた妹が悪役認定されそうな気がする。いや、気がするというか多分間違いないと思う。この世界の人間は一度懐疑的になるととことんだし。
「イーラ様の手を煩わせるほどでは……」
「私のことは気にしないでください」
当たり障りのない返事で断ろうとしたが、紳士的な対応をされた。
そりゃあそうだよな。自分から言い出したのに、そうですねじゃあお一人で帰ってくださいねとか言わないよな。
「直帰はせずに、市場に寄って帰ろうと思っているんですが」
「そういうことならちょうどいい。私も市場に用事があって城下にきたので」
クソが!
思わず口汚い言葉が浮かんでしまった。
ますます逃げ場が消えたじゃねえかこれ。
「余計な気遣いだったでしょうか?」
駄目押しのように、執事長が申し訳なさそうに言った。
余計な気遣いなのははいそうですって感じなんだが、そういうことを言われると罪悪感がやばい。相手がイケメンなせいで余計にそう思ってしまう。顔が良い奴は得だなほんと!
「……いえ、そんなことは」
「では、参りましょうか。荷物が増えたらお持ちしますよ」
「ありがとうございます……」
罪悪感に耐えられず白旗を上げた俺は、執事長と並び立って市場へと向かった。
「おお、フレールちゃん。今日も元気そうだね。新しい惣菜ができたんだけど……ん?そのお連れさんは?恋人?」
「違います」
「あらフレールちゃん、こんにちは。良いオレンジがあるんだけど、彼氏さんとどう?」
「違いますって」
「よおフレールちゃん、チーズはどうだい!いらない?じゃあそこの兄ちゃんは買っていくかい?ところで兄ちゃんはフレールちゃんの良い人かい?」
「違いますから!!」
市場に来るんじゃなかった。
精神が疲労困憊になるのを感じながら、俺は路地裏に逃げ込んだ。
どうして誰もかれも執事長を見るなり俺の恋人とか言うんだ!男同士だぞ!いや、今の俺は女の子なんだけどもさ!
顔面偏差値の違いでそうじゃないことに気づいてほしかったが、悲しいことに市場の皆さんの目にはフィルターがかかっているらしい。それなら兄妹に間違うのでもよくない?と思ったが、フレールにそんなものがいないのは既に知られているのでそっちの勘違いをされないのは当たり前だった。
「つ、つかれた……」
「大丈夫ですか?」
「は、はい…。イーラ様には大変ご迷惑をおかけしまして……」
市場の皆さんとのやりとりに疲れ果てた俺を、紙袋を片手に抱えた執事長が心配そうに見る。それに返事をしながら、この人こそとんだとばっちりだよなあと思った。
だって俺だよ?平凡フェイスのフレールちゃんですよ?
顔面偏差値中央値の俺と恋人に間違われるのは、イケメンにしては迷惑極まりないだろう。
なんだか悪いことをした気分になる。いや、俺は全く悪くないんだけど。
「こんな端女と恋人だなんて。不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません」
「いえ、そんな」
端女とか、よく俺にそんな語彙があったな。
言ってからそう思う。これあれか、スール(前世の記憶が戻る前)に言われたやつかな。
あいつも悪口のレパートリー多かったよなあ。喋る前ににぐぐってんのかって思うくらいに色んな言葉でねちねち言われていた。
あゝ懐かしきいじめられっ子時代。……いや別に懐かしくもねえな。
「フレールさん?」
「あっ、は、はい、ぼーっとしてました」
明後日の方向に思考が飛んだ俺を、執事長の声が引き戻した。
危ねえ、うっかり忘れかけた。
「貴方は随分と皆に好かれているのですね」
「ああ、ええ、まあ。孤児なのもあってか、可愛がってもらってます」
「……」
えっ、なんでそこで考え込むの。
あ、孤児って単語が引っかかったのか?
「それより、そろそろ帰りませんか?スール様を待たせていますし」
思い出してもらっては困るので、執事長の思考を遮るように声をかける。
執事長はジッと俺を見た後、「そうですね」と返事をした。セーフか?セーフってことにしておこう。あんまり気にすると俺の精神衛生によくない。
「人通りがあるところを歩くと貴方はまた声をかけられそうですし、この路地裏を通って帰りますか?」
「そうですね。そうしましょう」
断る理由もなかったし、むしろありがたいので頷いた。
後ろにいられると何かあった時にフォローできないということで、俺が先頭を歩くことになった。二人前後に並んで、歩き始める。
そういやここ、アサシンを見つけた路地裏だったなあ。
周囲をそれとなく眺めながら、一年と半年前のことを思い出す。
半年。半年かあ。
あいつと再会してからそんなに経ったのか。
時間の流れは早いもんだなと思っていると、不意に肩に手を置かれた。
「どうし……」
ましたか、と。
そう続くはずだった言葉は、肩に置かれた手が物理的に遮った。
そのまま近くの壁に背中を押しつけられ、体を使って抑え込まれる。
「…!?」
えっ、なになに。
なに!?
目を白黒させる俺を、口を塞いだ張本人である執事長はジッと見下ろしてくる。
今までの温和な感じが嘘みたいな冷たい目に見据えられ、ひえっと身がすくむ。まな板の上の鯉みたいになった俺を見ながら、執事長は小さく溜息をついた。
「城下の人には好かれているようですが、関係ありません」
溜息と同時に、何かが取り出される。
つられるように視線を向けた俺の胆は、いっそう縮んだ。
それは、鈍い光を放つ短剣だった。
「ここで出会えたのも運がよかった。ジャン=クリストフ様に悪影響を及ぼす貴方を、今のうちに処分しておきましょう」
なんでこうなるの!?




