91億 Bの金
「近藤先輩転勤おめでとうございます」
「太田、俺の客はお前に引き継いでもらうからな」
「ありがとうございます近藤先輩」
「株の客はこれ、債券の客はこれ、投資信託はこれな」
と顧客カルテを受け取る太田君。
「わかりました。では早速自宅に行って挨拶まわりをしてきます」
「あー、しかしこの客とこの客は自宅に行く必要がないよ」
「なんでですか?」
「ここに書いてある住所にはそもそも家がないからだ」
「そんなことがあるんですか?」
「ああ、そんなことがあるんだ。これはBの金だからな。無記名債券の客だ」
先輩の証券マンが別の支店に転勤になった場合は大体仲のいい後輩にその顧客が振り分けられ引き継ぎが行われる。
内訳は95%はまともな顧客で普通に株や投資信託を売買している客だ。
先輩から注意事項を受けて引継ぎが終わると菓子折を持って家を訪れて担当が変わったことを伝える。
しかし中には前述のようにBの金(表に出せないお金)を無記名の債券などに変えて所持している客が稀にある。
この口座には全く無記名債券以外の売買はない。
ほとんどこのような客は店頭に来て売買をするのがメインである。
いちど俺は先輩の命令を無視してその顧客が登録されている住所の場所に行ったことがある。
この顧客は結構な財産を持っていて債権の合計金額は約1億円に近かった。
だから俺はそれを売らせて株を買ってもらおうと思い行くことに決めたのである。
しかし顧客ファイルに示されたその場所はなんと阪神高速道路の真下にある児童公園であった。
住所を間違ったのかと思い、周りの通行人に確認のために聞いてみたがどうやらこの場所で間違いはないらしい。
高速道路の支柱と支柱の間の空間には家はおろかそもそも人が住むような環境ではない。
そこにあるのはジャングルジムと滑り台とブランコ、ベンチだけである。
こんな場所に住所が登録されてあった。
俺はそこに行った瞬間になにか「日本の闇」を見たような気がした。
児童公園のベンチに座って持ってきた菓子折を全部食った記憶がある。