いつもの日常
「それじゃ、行ってきます」
少女は玄関先で振り向いてそう呟くと、眩い朝日が差し込む街へと出かけていった。
彼女の名前はサラ・ミヤコ。
ハドイツェル王国の首都・キルヒガードの中心部にある国立大学の外国語学部に在籍する一年生だ。
彼女は遠く離れた東の国・桜花帝国人の父とハドイツェル王国人の母との間に生まれ、将来通訳になるために日々精進している。
郊外のアパートから大学までは路面電車に乗って向かう。
(んー…やっぱり徹夜は良くないなぁ…。今夜はちゃんと寝よう。)
『つぎは、国立大学前ー、国立大学前ー!』
うつらうつらとしながら今朝書き上げた翻訳レポートをしっかり抱えて電車を降りようと試みる。毎朝の日課とはいえ、なかなか慣れるものではない。
「すみませんっ、降りますっ…」
小柄な体をよじらせてどうにか人混みをかき分け、電車を降りた。
「ふぅ……」
一息ついて歩き出したところ、サラの目の前を自転車が横切った。
「おい、危ねぇぞ!!!」
「きゃっ!!!」
驚いた拍子にレポートが地面に散らばった。
「だ、大丈夫?」
心地よい低さの声がレポートを必死で拾うサラの頭上から降ってきた。そうして声の主はそのまましゃがみこんでレポート拾いを手伝い始めた。
「すみません…」
サラがそう言って声の主の方を見ると、ばっちりと目が合った。理知的そうなメガネをかけた整った顔が手を止めてこちらを見ている。サラは気まずさを隠すようにへらっと笑った。
すると、男は顔を少し赤らめて目をそらし、またレポートを拾い始めた。
全て拾い終えると二人は立ち上がった。
サラは男をしっかりと見るが、男はなかなかこちらを見てくれない。サラは礼儀正しくお辞儀をしてはにかみながら礼を言った。
「あの、ありがとうございました。とっても助かりました」
「いえ、お役に立てて良かったです。…それじゃ」
男はたったそれだけを短く言い捨てて、少し赤みがかった短髪をひるがえし、早足で歩いていってしまった。
男が人混みに紛れて見えなくなるまで見送ったサラは、しばらくしてあることに気づいた。
(……………あれ、今日の講義、あと何分だろ?)
この後彼女が走り出したのは間もなくのことだった。