謹慎世界
最近、色々なところで規制というのが増えているのは僕も知っている。
やれ差別表現だの、不適切だの、不謹慎だの……ほんの数十年、もっと言えば数年前まで普通だったものが、どんどんと消えていっている。
そうして言葉や映像を消せばいいというものでもないんじゃないかとは思いつつ、特に不具合を被らなかった僕は、実のところさして気にしていなかった。
――そんなある日のことだ。
大好きなコメディ映画がリバイバル上映されるとのことで、僕は映画館に足を運んだ。
そして驚いた。
映画からは、一切の音声が消えていた。
初めは機械の故障でもあったのかと思いきや、後で聞くと、言葉遣いが下品だとか、差別用語を含むだとか、こんな理由で笑わせようとするのは不謹慎だとか、さらには、大丈夫かどうか怪しいから自主的にやめよう、なんて理由で削っていくうち、音声がすっかりなくなってしまったということらしい。
馬鹿馬鹿しいと呆れかえった僕だが、だからどうできるわけでもない。
それから、しばらくして。
今度は恋愛映画を見に行ったという友人からさらにとんでもない話を聞いた。
なんと、音声のみならず映像すらなくなってしまったという。
その理由についていわく、『愛すること、愛されることの無い人たちにとっては不愉快であり、不謹慎だから』だそうだ。
さらに後には、何と音楽までも世の中から排斥された。
生まれついて耳の聞こえない人のことを想うと不適切な表現だから、だそうだ。
――そして、今日に至っては。
街頭モニターで、人類全体の不謹慎を正そうというメッセージが流されている。
生まれなかった、生きられなかった命に対して不謹慎であるから、生きるという行為そのものを辞めるべきである――と。
……なるほど、では。
死にたがっている命に対して不謹慎だろうから、僕は今しばらく生きるのがいいんだろう。