瑠璃子
美香はヌードモデルのバイトをして絵の具代を稼いでいた。
瑠璃子先輩は大学に残り、広い研究室を1人締めしている研究生で美香を専属のモデルとして雇っていた。
「美香ちゃん、ちょっと右腕を上に向けられる?」
裸になって寝転んだ美香の周りを回ったり、上から覗き込んで見たりしながら瑠璃子はポーズの注文を付けて行った。
寝ポーズは30分
座りポーズは20分
立ちポーズは5分~15分
これがかなり体力を使う作業で、モデルの時間が終わるとぐったりと疲れてしまう。
肌着を着ると少し休憩の時間にしようと瑠璃子さんが言った。
その間に瑠璃子さんの制作途中の作品を見て回る。自分の筆遣いとは違い、力強く繊細で重いメッセージが込められているようで、淡くも重量感のあるキャンバスに見入っていた。
「先輩、これ完成ですか?」
100号の巨大なキャンバスの前に止まると、そっと手を添えて聞いてみた。
「んー?完成って言うか、私はどんどん描き足しちゃうから完成ってないんだよね。」
「完成がない…」
果てがない作業のようで美香は少し目眩がした。
肉付きのいい体がたくさん絡むように連なっている。簡単に言えばそんな作品だった。
「息苦しそう…」
そうボソッと呟くと、瑠璃子にも聞こえていたらしい。
「息苦しいか…気持ちが出ちゃってるのかなぁ…」
「やっぱり先輩も息苦しくなるんですか?」
美香にとって瑠璃子は迷いのない凛とした女としか映ってなかった。
「なるよー。辞めちゃいたい時もあるし、逃げたい時もある。先生がいる今が1番いいよ。研究生になったら指導者とか居ないからね。」
「今が1番いい」美香にはそうは思えなかった。常に今は息苦しく、逃げたい場所でしかない。
「何か迷ってるの?」
「迷ってますね…4年になった今でも絵画の意味もいまいち分からなくて、分からないまま過ぎて行っちゃった気がして、何一つ掴めてないんですよ。」
「ふーん…。なんか、幼い悩みだね。」
美香の背中に冷たい汗がつたった。
自分はこれだけ苦しんでいても幼いのだろうか。
「迷ってる暇なんてないのよ、嫌がおうでもどんどん前に進められる。目の前に見える一筋を必死で捕まえて離さないようにするしかないのよ。それでもなく私達は絵画なんて世界で厳しい競走してて、教科書も何もない、文字通り周りは敵だらけで誰も助けてはくれないの。そんな甘い場所で迷ってたら、完全に置いてかれちゃうよ?」
美香はぐうの音も出すことが出来ず、ただ絵の前で黙り込んでしまった。
瑠璃子はため息を少し着くと優しい口調で
「美香ちゃんが1番何をしたいのか、何が好きなのか、何だったら夢中になれるのか、思い出せればいいわね。」
「そうですね、忘れてるだけなのかな。」
「どうだろうね…」
瑠璃子は自分にも問うようにぼんやりと呟いた。