王妃の計画
コメディ要素は皆無です。
冬の童話祭への提出作品です。
ある国に、「白雪姫」と称される容貌に優れた王女がいた。
しかし、彼女の継母である王妃は、自分こそが世界で一番美しいと信じていた。
彼女が秘蔵する魔法の鏡は、
「世界で一番美しいのはだれか」
との問いにいつも
「それは王妃様です」
と答え、王妃は満足な日々を送っていた。
白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に
「世界で一番美しい女は」
と訊ねたところ、
「それは白雪姫です」
との答えが返ってくる。
王妃は白雪姫に嫉妬し、彼女を殺す計画を立てる。
「姫!!」
「姫が死んでしまった!!」
森の中の小さな小屋で、小枝でつつくような足音が聞こえる。
足音は全部で7つ。
小屋に住む小人のものだ。
「まだ助かる!」
「何か喉に詰まらせたんだ!」
彼らの前に横たわる少女は白雪姫。
青ざめた顔で冷たい床の上に寝そべっている。
「逆さに吊るそう!吐き出すかもしれない!」
「背中を叩こう!出来ることは全てやるんだ!」
「姫、痛いかもしれないけど……ごめんよ!」
小人たちの留守をはかって何者かが白雪姫の命を狙っていることは随分前から知っていた。
初めは猟師に銃で撃たれてかけた(その猟師は白雪姫のあまりの不憫さを可哀想に思い、この森に彼女を連れてきた)。
次は物売りに腰紐で絞め殺されかけた。
その次は毒を塗られた櫛で頭を刺された。
どれも小人たちによる早期の発見と素早い手当で難を逃れた。
今回は毒を含んだらしい。
しかし、その毒も胃にまで届かず喉で止まっていてくれているようだった。
「………げほっ、ごほっ…っ」
「姫!」
「白雪姫!」
今回も小人たちの賢明な救命活動のおかげで白雪は命を手放さずに済んだようだった。
「…また…あの人なの?」
「白雪姫、本当に貴女を狙っているのは王妃なのかい?」
「ええ、間違いないわ。猟師のおじさまに聞いた時は私も疑ったけど、今日聞いた声はおばさまのものだったもの。」
「あのお方も懲りないものだな…」
「でも!今回のは姫も悪いんだぞ!」
「そうだ!いつもいつも知らない人から腰紐やら櫛やら危ない物ばかり貰って!」
「それも不審がらないなんて!」
「今回の林檎は仕方がないじゃない。誰も林檎を食べて死のうだなんて思わないわ。
それに、危ないものばかりじゃないわ。最近、猟師のおじさまに頂いた秋桜はとても綺麗で…」
「もうっ!わかった、わかったよ!物持ちがいいんだろう?何度も聞いたよ!」
白雪姫は一見普段と変わらず、小人たちと話をしているように見えた。
だが、彼女はとても疲れていた。
何度も生死の境を行き来していれば少女でなくても疲れるのは当然だろう。
「今度からは僕らがいない時に誰かが訪ねてきても出てはいけないよ。」
「もともと、白雪姫がここにいる事自体、誰も知らないはずなんだ!」
「そうだ!あの心優しい猟師がこの森に姫を連れて来てくれたから、誰も知らないはずなんだ!」
「でも、実際私を殺そうとおばさまが何度もここに来ているわ。それに、貴方たたちがいない時に猟師のおじさまが訪ねて来たらどうすればいいの?」
「…う〜ん…。」
「簡単だよ!僕らの中の誰かが必ず家に残ればいいのさ!」
「姫を殺そうとする奴なんて、片っ端から追い払ってやるよ!」
だから安心して欲しい、と、そう小人たちは笑った。
白雪は彼らのことをとても頼りにしている。
だが、それとこれとは話が違う。
いくら相手が王妃だからと言って、小人たちのような小さな存在が敵うはずもない。
白雪は不安だった。
それから何度も何度も王妃は小屋を訪ねた。
ある時は道に迷ったおばあさん。
ある時は聖書を持ったシスター。
ある時は山菜売りの婦人。
「ここに可愛らしいお嬢さんがいると聞いて来たのですが?」
「生憎、今は森の奥に花を摘みに出かけてしまって。広間に飾る花が欲しいとか。」
「…そうでしたか。それは残念ですわ。」
「姫、今日も怪しい人が来たんだ。黒いマントを羽織ったレディでね。
勿論追い払ったさ。王妃だろう?」
「ええ…。そうね、きっとそうだわ。だってこんなところ、山菜なんて売りに来なくったて充分に足りているし、イエス様だって見落としてしまうような山奥だもの。」
そうして小人たちは王妃が来る度に何かと嘘をついて白雪姫を守った。
それでも王妃は諦める事なく毎日のように白雪を訪ねた。
姫はまだ眠っている。
ついさっき川に洗濯に出かけた。
町に絹を買いに行った。
怪我をした動物の面倒を見ている。
どんな理由をつけても王妃が引き下がらない時は、小人たちが総出で追い返した。
白雪は、王妃が訪ねてくる時はいつも自室で息を潜めている。
荒々しく玄関の扉がノックされる度にビクビクと肩を震わせて怯える彼女を小人たちは可哀想に思ったが、そればかりはどうにも出来なかった。
とうとう白雪姫は王妃が来る気配がない時でも自室から出て来なくなってしまった。
「姫ー、白雪姫ー。桜が綺麗に咲いたよ。」
「パンケーキを焼いたんだ。一緒に食べよう?」
「蜂蜜もメイプルシロップもあるよ!」
「………ありがとう、小人さんたち。でも、あまり食欲がないの。また今度誘って頂戴。」
そんなある日のことである。
ドンドンドンドンドンッ!
その日も乱暴なノックが小屋に響く。
「白雪姫!白雪姫はおらぬか!」
「……白雪姫に何の用です?奥様。」
小人がそっと扉を押すと、その隙間からぬっと女の顔が覗いた。
花の詰められた籠を提げた暑い化粧の女だった。
鼻にくる香水の匂いに思わず顔を顰めてしまう。
王妃だ。
王妃は小人と目が合うと、紅い唇の両端を釣り上げて偽物の笑顔を顔面に貼り付けた。
「私は町の花売りでございます。こちらに紅のよく似合う白雪のようなお嬢様がいらっしゃると風の噂で聞きました。是非ともこの赤い薔薇の花束を差し上げたいのです。」
「はぁ、まあよくもこんな森の奥まで、たかが噂の為だけに、花売りが来れたものですね。
せっかく来ていただいたところに申し訳ないのですが、ただいま姫は体調を崩しているのです。日を改めては頂けないでしょうか。」
そう言うと王妃の顔色が変わった。
いや、分厚い化粧で顔色など知れたものではないから、まとう雰囲気が変わったとでも言おうか。
ニコニコと細められていた目は見開かれ、口元から笑みが消える。
「…日を改めたら花が萎れてしまうでしょう?今すぐに渡したいのです。」
「ならば私が代わりに貰い受け、今日中に姫へ渡すとお約束します。花瓶にでも挿しておけば、しばらくは綺麗なままでしょう?」
「それでは駄目なのだ!私は直に白雪と……っ姫と話がしたいのです…!」
「姫は誰も通すなとおっしゃった。」
「ええい、番犬め!!」
薔薇の花束が玄関に投げつけられる。
それらを蹴散らすようにして去って行った王妃をただ見つめ、小人は散らかった花を見た。
薔薇の棘には恐らく毒が塗ってあるのだろう。
異様な匂いがする。それを紛らわす為の香水だったのだろう。
やれやれという風に肩を竦めた小人はそのまま仲間を2、3人連れて白雪姫の部屋に向かった。
昼食の時間だ。
「白雪姫ー。」
「ご飯、みんなと一緒に食べようよ。」
「あの人はもう居ないよ?」
返事がない
「…あのね、白雪姫。僕らのリーダーが言っていたんだけど…。この家から引っ越すっていうのはどうだろう?」
「勿論僕らも一緒だよ!」
「うんと遠くまで行くんだ。そうすれば王妃だってそう簡単には追って来れないさ!」
やはり返事はない。
眠ってしまったのだろうか。
「姫ー?」
「開けるよ?」
ガチャーーーーーーーーーーーー
ギィーーーーーーーーーーーーーーーー
錆びついた蝶番が嫌な音を立てる。
「「姫!!!!?」」
扉の先には取り替えられることなく枯れ果てた秋桜と、脱ぎ散らかされた洋服。
そして、天井の柱で首を吊ったまま力尽きた白雪姫。
「くそっ!あの忌々しい小人どもめ!死ぬまで私を白雪に会わせない気だ!本当に白雪はあの小屋にいるのか!?鏡!鏡よ!白雪は小人の家にいるのかい!?あの家で私から隠れて一体何をしている!?」
『白雪姫は王妃が訪ねていた時、自室で首を吊っておりました。』
「なんだって!?白雪は死んだのかい!?」
王妃はしばらくの間唖然としていたが、ふつふつと自分の中に湧き上がる感情に気がついた。
「…そうかい、白雪は死んだのかい。……そうか、そうかいっ!あっはははははっははははは!!死んだ!死んだ!白雪が死んだ!!」
腹から込み上げてくるのは喜びだった。
こんなに嬉しいことはない。
地下に寝かしてある秘蔵のワインを飲み干してしまおうか。
王妃は高揚した気分のまま鏡に問うた。
「鏡よ鏡!世界で一番美しいのは誰だい!」
『それは勿論、森で小人たちと暮らす、白雪姫でございます。』
王妃の動きがピタリと止まる。
背を向けていた鏡にゆっくりと向き直り、声を潜めてもう一度問う。
「…誰だって?」
『森に小人たちと住まう、白雪姫でございます。』
「あのっ!あの娘は死んだのではないのか!世界一美しいのは私であろう!白雪が死んだんだ!前のように私が世界一に決まってる!」
『世界一美しいのは白雪姫でございます。』
「くそっくそっ!あの娘は死に顔まで美しいというのか!ならば死に顔も私が世界一美しいと示してやる!」
王妃は壁にかけたあった鏡を剥ぎ取るようにはずし、鷲掴みにしたまま問うた。
「いつぞやの猟師はどこにいる!」
「猟師!腰抜けのお人好し猟師はどこだ!」
王妃は髪や服が乱れるのも構わず林の中を猟師を探していた。
やがt見えた河原では、随分と前、白雪姫を撃ち殺せと命じたにも関わらず姫を逃してしまった猟師が、撃ち落としたのであろう鳥を二羽、抱えて立っていた。
「こっこれは王妃様。こんなところまで、一体どうなだったのです?」
猟師は王妃の突然の登場に動揺しつつも笑顔を浮かべた。
そんな猟師に王妃は噛みつかんばかりの勢いで詰め寄った。
「元はと言えば、貴様があの娘を生かしたことが原因なのだ!」
「あの娘…白雪姫のことですか?っまさか、また私めに白雪姫を殺せとおっしゃるのですか!?」
「言わぬわ!言ったところで貴様が従うなどと微塵も思っていない!それに、白雪はもう自ら首を吊って死んだのだ!」
その一言で猟師の思考は停止した。
「白雪姫が…死んだ?」
「ああそうだ!しかしまだ鏡はあの小娘が世界一美しなどと言う!あの娘は死に顔も世界一でないと気が済まぬのか!」
それは貴女も同じでは?と、いつもの猟師ならばそう言っただろうが、出来なかった。
王妃が地団駄を踏んでも金切り声をあげても関係なかった。
自分が生かしてやったあの美しい娘が死んでしまったのだ。
自ら首を吊ったと言っていたが、主な原因はどう考えても目の前の女だろう。
「猟師!私を殺せ!」
「…………え?」
いきなりの命令に反応が遅れる。
「私を殺せ!傷が付かぬよう、美しいままで!私を殺せ!私は白雪よりも美しいのだ!死に顔もあの娘より美しくて当然!」
「ならば!」
いきなりの猟師の大声に、王妃は押し黙り、近くにいた小鳥たちが一斉に飛び立った。
思っていたよりも大きな声が出たことに自分自身が驚いた。
静かになった河原には今、水の音しかしない。
怒鳴り続ける王妃を黙らせたのだ。自分にはそれが出来た。
これを言ったら殺されるかもしれない。
しかし、きっと今を逃したら言う機会はない。
今しかない。
「……ならば、白雪姫と同じ死に方を選ばれては?」
「…………なに?」
「いっいえ、白雪姫よりも美しいとじしんがおありのようだったので…。白雪姫と同じ死に方をした方が、彼女よりも美しいということを証明できるのではないかと…思いまして…。」
語尾が弱まっていく。
真っ当なことを言っているように聞こえるが、実際は人間を殺したくないが為の口実だ。
いくら白雪姫を自殺に追い込んだこの女だっても、人間を殺すというのは自分を人間でない存在にしてしまうようで躊躇われた。
「…ふむ……。それもそうだな。」
しばらく顎に手を当てて考え込んでいた王妃だったが、ぽつりとそう呟いた。
王妃の紅い唇が弧を描いた。
「猟師。赤く丈夫なロープを用意しろ。あの娘よりも美しく死ぬことが私には出来る。」
桜の花が舞い散る丘。
そこからは王妃が住んでいた屋敷が一望できる。
その丘のてっぺんには大きな桜の木が大空いっぱいに枝を伸ばしている。
木の中ほどの太い枝に、桜の花の桃色に混じって、赤色のロープがしっかりと結び付けられている。
そこから首に全体重をかけてぶら下がる死体は、まだ息絶えて時間が経っていないからか、比較的綺麗な状態だった。
その死体を見上げる人間が一人。
「か、鏡よ鏡。…世界で一番美しい……死に顔なのは誰だ?
『それは桜の木で首を吊った王妃でございます。』
「………鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰だ?」
『それは、首にロープの跡が残った白雪姫でございます。』
「彼女はどうして死ななかった?」
「共に住む小人たちの愛と努力のおかげでしょう。」
「彼女は今どこに?」
『少し離れた国の王子が白雪姫を妃にし、共に王宮で暮らしております。』
「彼女は今、幸せか?」
『仲のいい小人たちも一緒に王宮に越しましたから。
それに、王子も姫も、互いを愛しておりますから。』
それでは僕は、王妃の屋敷で頂いたこの上物のワインを、彼女の婚姻の席に持って行こうかな。