店主、行き倒れを拾う
教会の、朝を知らせる鐘が鳴る。
買い直して4年経つベッドも新品だった頃よりも寝心地の悪いものとなり、起きるたびに背中に鈍い痛みを与えてくれる。
気怠げに立ち上がってみれば、もう春になったというのに一向に暖かくならない朝の空気が体を震い上がらせる。
一先ず換気をと思ったが、寒さには勝てないので窓を開けるのを諦め、壁にかけていた広袖を羽織り、とりあえず朝飯の準備をするために1階の『仕事場』へ向かう。
冷蔵庫から卵とチーズ、ハム、マヨネーズを取り出し、棚からサンドイッチ用のパンを2枚カウンターに用意する。 卵は目玉焼きにし、それをハムとチーズとともにマヨネーズを塗ったパンに挟んでトースターで焼き上げる。
後は、食べやすいように4つ切りにするだけだ。
トースターで焼いてる間に牛乳を温め、マイカップに注いでいく。
焼きあがったサンドイッチとカップに注いだ牛乳から立ち上がる湯気が、寒さに震えるこの体を温めてくれる期待感を高めてくれる。
「・・・うん。やっぱ朝はホットミルクだな。あったまるわー。」
高まった期待感を裏切ることなく、体を温めてくれたサンドイッチと牛乳に感謝し、残った皿類を片付けていく。
しかし、自分は洗い物が苦手なのだ。
とりあえず、皿を水につけておいて開店準備の時にでも他の洗い物と一緒に洗うとしよう。
朝飯を食べ終えて腹が満たされたことに満足しつつ、一階奥の『工房』に向かう。
この工房は自分の仕事の要となる場所なのだ。
目の前に構えたどっしりと重厚感に溢れた黒い焙煎機は、自分が珈琲屋を始めた時から今までこの店を支えてくれた古株だ。
焙煎機にセットしてある魔石の容量に余裕があることを確認し、焙煎を始めるために焙煎機の電源をつけ、ゆっくりと釜の中を熱していく。
その間に買い込んだ生豆を今日使う分、分量を計り、豆の種類ごとに分けて準備しておく。
これから豆の種類に合わせて焙煎度合を変えて、コーヒー豆を仕上げていくわけだが、この辺の説明は長くなるのでまた今度だ。
俺はせっせと豆の焙煎を済ませ、煎った豆の熱を冷ますために予め電源をつけておいた扇風機の前に豆を運んでいく。
仕上がったコーヒー豆をいくつかブレンドし、瓶に詰めていく。
シングルの豆が6種類、ブレンドが3種類できたところで瓶を工房の冷蔵庫に保管していく。
これで朝一番の大仕事が終わった。後は開店までダラダラと過ごしたいところだが、焙煎をしていたら気付けば太陽もだいぶ上がっているようだ。
人通りが多くなってきたのか、朝起きた時より外が騒がしくなってきた。渋々だが開店準備をするとしよう。
2階の自室に戻り、仕事着に着替える。
白のシャツに黒のスラックス、そして黒のジレと自慢の黒い革靴を履いて、洗面台に向かう。
接客業は外見が大事なのだ。
寝癖がないことを確認し、身だしなみを整えておく。
顎に生えているヒゲも綺麗に揃え、最後に鏡の自分に向かって笑顔の確認。
うん、今日も相変わらずいい顔してるな。全然モテそうにない!
身だしなみを整えた後は外の掃除だ。
仕事場の倉庫から箒と塵取りを取り出し、店の玄関から外に出る。
眩しい日光が目を焼くように襲いかかるが、次第に慣れて視界に街並みが映っていく。
正面を見れば、古い時代からの街並みを思い起こさせる煉瓦造りの建物が連なり、馬車の交通の便が良くなるように舗装された道路に街の住民が行き交う。
お、ご近所さんの小道具屋も外に出てきたようだ。
掃除がてら、小道具屋さんに挨拶でもしておくとしよう。
「リンさん、おはようございます。」
「あら、バンクさん。おはようございます。今日もいい天気でよかったですね。」
挨拶を返してくれたこの女性はリンさん。
隣の小道具屋を営んでいる女店主だ。
短く切り揃えられた茶髪と愛くるしい顔からはリスを連想させられ、リンさん目当てで店に通う男性客は数少なくないが、残念。
彼女には旦那さんがいる。
同じくリスのような可愛らしい顔をしている旦那さんだが、ドワーフ顔負けの腕を持ち、珈琲屋の魔道具の修理も請け負ってくれている。なので足を向けて眠れないのだ。
そしてエネルギーとなっている魔石もこの店から購入している。
「そういえば、昨日隣の地区で不審者が出たそうですよ。なんでもどこの国の言葉か分からない言葉を喋っていて、変な黒い服を着ているそうなんです。まだ警備隊も捜索中だとか。」
リンさんが不安そうに顔を暗くした。
「そうなんですか、初耳ですね。それでは夜道には気をつけた方がいいかもしれませんね。早くその不審者が捕まるといいんですけどね。」
不審者なんてのは別に珍しくもないが、交易都市のこの街で全く言葉が通じないっていうのは珍しい。
どこかの国の民族が船で不法入国でもしてきたのだろうか。
今日は防犯をしっかりしておかないとなと心の奥隅で決意する。
その後もリンさんと他愛もない話をしながら店前の掃除を終わらせていく。
幾分か掃除も終わり、リンさんに別れの挨拶を告げ、店の裏に設置しているゴミ箱にゴミを捨てに行く。
しかし、俺はまだ夢でも見ているのだろうか。大通りから隠れる形でゴミ箱の側に倒れている輩がいるのだ。
それもこの世界の住人から見ると『変な』、しかし俺から見れば『懐かしい』黒い服を着た少年だった。
ゴミ箱にゴミを捨てながら、横目に少年を見ると服も所どころ破けており、髪の毛も埃まみれ。
体にも擦り傷があり、これはもう完全にただの行き倒れと判断。
「はぁ、めんどくせえなぁ。でもなぁ、しゃあねえよな。」
朝から面倒なもの見つけちまったなと思いながらも、リンさんからのフラグを回収してしまったと呑気なことを考えつつ懐かしい服を着た少年を抱え、俺は自宅に戻るのだった。