普通の人間はこうなる。当たり前だよなぁ?
捕まえられた日から数日が経過した。
その間あったことといえば、不定期に食べさせられる食事と、これまた不定期にやってくるサディストの趣味に付き合うこと。
環境としては最悪未満最低以上。感情的には最悪だけど、身体的にはどこまでも安全が保たれている状況。味はともかく量と栄養はある日々の食。サディストの趣味も怪我が治せる範囲でしか行われない。
理由は簡単で、体を売るならできる限り良い状態を保って高く売りつけたいから。そういう意味では逆に運が良かったとも言える。誘拐の目的が誰かに対する人質だったり、変質者の趣味だったら今頃五体満足ではいられなかっただろうから。
でも精神衛生的には非常にまずい。サディストの趣味はもちろん、何もない部屋に何日も閉じ込め続けられるなんて正気の沙汰じゃない。獄中の人間だって運動の時間ぐらいあるというのに。いやまぁ前世の話だけど。
とにかく精神に悪い、なにもできない無意味な日々。しかし私にとっては決して無意味な日常じゃなかった。端的にいうと、おかげで脱出に必要な情報は大体集まった。
博打の部分が無いとは言えないけど、可能性は見えている。どちらにしても動かなければそれはそれで外部の助けを待つという博打になる。自分で選ぶ博打か、他者頼みの博打のどちらかなら、できれば自分でやる方が気持ち的に楽で良い。それに最悪失敗して再度捕まったとしても、状況は今とそう変わらない。手荒い折檻があるかもしれないけどそれはそれ。私は肉体的な損傷にはとことん強いからね。
問題は―――意識して視線を向けていなかった方角に目を向ける。そこには壁に背を預け、口を開いたまま天井を眺め続ける金髪ロールの姿があった。
完全にトんでるね。いや当たり前だよ。私みたいに魂に逃げ込んで肉体ダメージを逃れたり、周囲の状況を探って暇つぶしもできない人間が正気を保てるはずがない。まして忘れがちだけどまだ六歳。発狂して自殺しないだけ立派とすら言える。
だが例え立派だろうがなんだろうが、私からしてみれば厄介なことこの上ない。一人で脱出するのは簡単だ。私の体は戦闘強度は(この世界基準で)並程度でしかないけど、他の暑さや寒さ、睡眠や食事などに対する体勢に関しては群を抜いている。最悪フュージョンで空を飛べばどうにでもなるしね。
でも金髪ロールを置いていくのには様々な問題が発生する。可能性としては低いけど、脱出中に人質にでもされたらどうしようもなくなる。一番の問題は、国が大真面目に金髪ロールの居場所を見失っていた場合だ。
盗賊を襲撃して救出するでもなく、人身売買に介入することもしない。本当に金髪ロールは行方不明で、頑張って国が探している。そんな状態で私だけ戻ってきたら?
まぁ問題だろう。どう控えめに考えてもろくな目に合わない。国家指名手配とかはむしろ狙われてるって分かるだけマシな方?表面放置されても、いつ狙われるか分かったものじゃない。国外に逃げるのは確定として、東の少国家群は戦争が絶えないらしいし、南東のウルムナフ王国も諸事情で無理。他の国は人間蔑視の色が強い他種族国家。そもそも国外に逃亡しないといけない時点で既に嫌だ。人間の国の中じゃトップクラスの力があるイスライ国から目の敵にされるなんて、私の平和な将来像の中にあってはならないのだ。
金髪ロールは置いていけない。逃げるなら彼女も連れて行く必要がある。……んだけど、せめて自立歩行ぐらいはしてもらわないとなぁ。
盛大にため息をつきたい気分を宥めて、放心状態の金髪ロールに近づいていく。
手足は縛られてるけど、幸い口は塞がれていない。理由は私達の管理を任されているサディスト野郎が悲鳴が聞きたいから、というどうしようもないものだけど、今回に限っては都合が良い。
「エリザさん」
びくん!と逆にこっちが驚くほど体を震わせると、金髪ロールの虚ろな目がこちらに向けられ……こてりと首を傾げた。
「おにーさんだれ?」
………………いやお前が誰だよ。
待て待て待て待て。思い出そう。テレビや小説の話を鵜呑みにして知識人ぶるつもりはないけど、それでも前世の知識はこの世界で学んだことより多いはず。ええっと。そう。あれだ。幼児退行ってやつだろう。
過度なストレスをうけてうんぬんかんぬん。サニティポイントが減って不定の狂気でも可。問題は長期的か短期的かというところ?いやまずクトゥルフ脳から離れろ私。思った以上に私自身混乱しているらしい。
でも真面目な話困ったな。これじゃあまともに話もできない……話しする必要なんてあったっけ?
おや?考えてみればむしろこっちの方が都合が良い?今の状態のまま黙って連れて行くだけ連れて行く?うーん?
……さすがに不定な要素が多いか。付いてきてくれるかも分からないし、突然泣かれたりしたら目も当てられない。まともな思考ができないのは、決して良い方向に働くとは限らないのだ。いや普通良い方向に働かないよな?
問題はどうやって元に戻すか。多少前世の進んだ知識があるからって、こちとら何の専門でもないただの女子高生。幼児退行した人間の戻し方なんて分かるわけがない。
こういうのって確か辛い現実から目を背けるためになるんだっけな。辛い目にあってるのは自分じゃないとしてもう一つの……これ二重人格のやつだっけか?分からん。教えて偉い先生。
畜生某知恵袋が欲しい。もちろん無理なのは分かってるけど。ええい。こうなったら場当たり対処だ。私の記憶が正しければ、サディストの趣味の最中は真っ当に悲鳴とかあげてた気がする。魂に引きこもってるからあんまり覚えてないけど。
辛い現実から逃げるためにやっているんだったら、辛い現実を目の当たりにさせればいい。自分で言ってて最低だなおい!まぁいいや。とりあえず故障した金髪ロールの修復方法一。衝撃を与えてみる。壊れたテレビかな?
手足は使えないから、上半身ごと頭を後ろに振る。幼児化金髪ロールが潤んだ瞳で不思議そうに見てくるけど、ガン無視して頭突きを敢行する。
鈍い衝突音。あっぶない。金髪ロールは闇属性だから防御は弱い。勢い間違って頭蓋骨割るところだった。ちなみに素で化物な私はほとんど痛くない。やったね。
さてさてどうなったか。頭突きの反動で後ろに反れた金髪ロールの頭が、ゆっくりと元の位置に戻る。物理的に焦点の合わない視線が徐々に治っていき、しっかりと私を捉える。
これは成功したかな?と思ったのも束の間。意思の戻った目が瞳孔と共に大きく広がり、ついで口まで大きく開かれていく。あ、やばい!これ叫ぶやつだ!?
「いっ……んん!?んむんんむ!?!??」
咄嗟。咄嗟も咄嗟。叫ばれたら監視係のサディストがやってくる。あのサディスト変態野郎に叫んでいるところなんて見られたら、確実に変態思考が加速して趣味に付き合わされる。
だから仕方なく。そう、仕方なくだ。両手足が塞がれてて、身長の高い相手の口を塞ぐにはこうするしか無かった。こう……いわゆる治療行為の一環みたいな話なのだよ。じ、人工呼吸的な。
いやたぶん傍から見たら某人型原始時代生物と、親から血が薄いと言われる何回も日に二度負ける人の対決みたいな構図なんだけどね。触れ合うとか絡み合うじゃなくて噛み付く?かぶり付く?
とにかく金髪ロールが叫ぶのを止めた気配を感じ、ゼロ距離まで接近した顔を離す。……なんか言えよ。
あーくそ土の味しかしない。金髪ロール意識は一応戻ったらしい。死ぬほど困惑した顔を見せているけど、ここ数日の中では一番良い表情をしてる。
下手になんか言われる前にこちらのペースに引きずり込んでしまおう。
「叫ぶな。外のサディスト野郎に聞かれたらどうするんだ」
「え?……あ、うん」
よし、金髪ロールがきょとんとしてる。上手く虚をつけたらしい。ずっと虚だらけだったとか言わない。さっさと本題を切り出してしまおう。
「よく聞け。今からここを脱出するからついてこい」
「え?」
私の言葉に困惑した顔を継続した金髪ロールだったが、やがて意味が分かってきたのか、その顔に恐怖の表情が浮かび上がった。
「む、無理よ」
「どうして」
「だって……手足だって縛られてるし、鉄格子で閉じ込められてるし」
良くも悪くもサディスト野郎のせいで正確が平たくなってるなこれ。
それはともかくとして。
「何を勘違いしてるのか知らないが……」
縛られた両腕に力を込める。二秒、三秒。最初のうちはびくともしなかった縄が、時間が経つにつれてギシギシと音を鳴らし始める。
「こんなもので人が縛り続けられるとでも?」
やがて限界が訪れると、両手を縛る縄はあっさりと千切れて解けた。
「…………え?」
「勘違いするなよ。別に俺だからできたんじゃない。誰にだってできるとは言わないけど、闇属性でちゃんと鍛錬を積んだ人間だったら、ただの縄ぐらいその気になれば千切れる」
何度も言うようにこの世界の住人と前世の人間を一緒にしてはいけない。縄で縛られたら手も足も出ないなんてのは、それこそこの世界じゃおとぎ話だ。真面目に人を拘束するには魔物素材の縄なんかがあるんだけど、そういった物を買うにはちゃんとした立場が必要となる。盗賊が手を出せる代物じゃない。
「で、でも……」
「今まで力を込めても解けなかった?それこそ思い違いだ。お前は剣を振る時、その貧相な筋肉だけを使って振ってるのか?違うだろ。お前が切れると思って振ってるから切れるんだ」
これまたこの世界の法則。この世界の住人は物理法則を無視した力を発揮するけど、何の間違いもなく、それらの行動は物理法則を超えているのだ。
分かりにくいかもしれないけど、決して物理的に筋繊維が前世の人間と比べて強いとか、骨が硬いとかじゃない。もしそうだとしたら日常生活ですら支障をきたすだろうが、私の見たアンド感じたところそんなことはない。魂という謎の法則をもった存在が、物理的作用を引き起こす現象。見た目は違えど、やってることは魔術とそう変わりない。
「冷静に考えろ。よく見みろ。お前が縛られてるのはただの縄だし、鉄格子だって溶接してるんじゃなくて、木と釘を使って固定してるだけ。剣が無くたってこれぐらい壊せるだろ?」
未だぼんやりとしている金髪ロールの瞳が牢屋の中を巡る。一つ、また一つと牢屋の内情が見る度に、その瞳が開かれていく。一通り見終えると、視線は最後に私へと戻った。
「……なんで?」
主語を抜いて喋るなや。
でも言いたいのは分かる。どうして今まで気づかなかったのか、だろう。
「錯覚だよ。捕まえられたと同時に、自分で自分に捕まったと思わせてしまった。捕まえられた直後や直前なら勢いで解けたかもしれないけど、あの時は怪我していて力が出せなかった。その後は殴られてそれどころじゃなかったり、懐柔されてそもそも逃げようと思う気を失わさせられた。後は単純にお前が力の使い方を剣に傾けすぎてるせい、縄を解くってのを考えなかったせいじゃないか?」
この世界で人を拘束するのはかなり難しい。前述の魔物素材の縄で縛ったって、縛られた状態で石材ぐらいなら破壊できる。鉄格子だって素手で壊せる人間はいるだろう。さらには魔術まである。使ったらバレるし詠唱も必要だけど、逆に使ってしまえば牢屋も魔物素材の縄も一発で破壊できる。だからこの世界では人を捕らえるよりも、むしろ逃げれないようにする事に重点を置く。
そういった点で言えば今回の盗賊は優秀だ。主にサディスト変態野郎のおかげだけど、一番暴れられたら困る馬車の移動中を見事に乗り切った。拠点では拠点のほぼど真ん中に閉じ込めて、意識しなくても周囲を人で固めれるようにしてる。あ、ちなみに後半のは情報収集して知った話ね。
どうしてそんなに拉致監禁について詳しいの?という質問はNG。五歳児で半ば強行軍の大移動とかしたら色々あるんだよ。
「とにかく。その邪魔な縄解いてさっさと抜け出すぞ。何なら縄は俺が解こうか?」
「でも、縄が無くなったって外には……」
「でももだってもない。駄々をこねる子供かお前は」
いや子供かこいつは。
こほん。全くほんとに良くも悪くも平たくなってるなぁ。前までの金髪ロールだったらすぐ食いついただろうに。
一つため息をつくと、できるだけ凄味が出るように金髪ロールに顔を近づける。結構活発そうな感じだからヒョロガリよりは怖めだけど、五歳児に見た目の怖さなんて頑張って作らないとでてこないのだ。
「なんで俺が今まであいつらに抵抗しなかったと思ってる」
「え、それは……どうして?」
「隠すためだよ。俺はあいつらのことを知ってるけど、あいつらは俺のことを知らない。つまり……」
適当な言葉をでっち上げて、金髪ロールを懐柔しようとしていたその時だった。
ガタン、と私達が最も聞きたくない木製の扉が開く音が響いた。




