エリザ=クロスソードは思考する
自分が最強だ、なんて思ったことはない。自分より上の人間がいるなんていくらでも知ってるし、何より師匠が五位という完全な化物だった。そうじゃなくても、私が王女だからって手加減してるだけで、普通の兵士の中にも私より強い人間なんていくらでもいた。
それでも自信はあった。私にできるのは剣を振るうことだけ。それだけはあの師匠ですら認めてくれた。あの女にはない、剣の才能。
それを知った瞬間、私がどれだけ嬉しかったか。そして同時に思った。私の才能は一体どれだけ通用するのかと。
師匠は特に力に関しておべっかを使う人間じゃない。あの七色の化物と比べるのはバカバカしいとしても、世の中で評価されるに値するだけの力はあるのかと。
だから私はお父様に冒険者になりたいと言った。力ある王が冒険者になったり、逆に力ある冒険者が王になる話はいくつか読んだことがある。何よりお父様は私に激甘だから、可愛らしく頼み込み、目の端に涙に見せかけた水でもタメていれば大概の我儘は通してくれる。ちょろい。
しかしさすがに危険なせいか、お父様は一瞬だけ師匠とアイコンタクトを交わすと、せめて三位の力はないとダメだと言ってきた。だから努力した。かわりに他の授業をサボったりはしたけど、とにかく剣に関しては努力して努力して努力した。剣を何百回振ったとか、そういう話じゃない。到達するまで成し続けた。
上段からの一撃だけで、火と雷を合わせ無理やり三位に見せたてるイカサマなのは分かってるけど、それでも成し遂げた。お父様には完全な三位とは言えないから、まだ冒険者にはさせられないと言われたが、私はもう我慢の限界だった。社交界等で出会う貴族とも手合わせし、私が王族だから遠慮してるのを差し引いても負けることはなかった。四歳年上の兵士長の息子にだって勝った。何より本気でダメなら師匠が止めるだろう。お父様は甘いけど、そのかわりに過保護だから。
私は既に何度か抜け出し、隠して買っていた初心者の装備を身に着けてお城をとび出した。もちろん目的地はギルド。やっと冒険者として活動できる。ステップを踏まないように自重しながら、私はギルドの門を開いた。
途中よく分からないおっさんに絡まれたけど、私は勝って冒険者になれた。付属物でどこかの子供も冒険者になったけど、たぶん孤児かなにかだろう。王女じゃない冒険者の私にはどうにもできないけど、一応記憶の片隅ぐらいには覚えておこう。そんなことより明日から私も冒険者だ。
そう思って踏み出した世界で、私の自信は微塵も残さず打ち砕かれた。
剣にばっかり集中しすぎて冒険者の知識が無かった。逆に私と一緒に見習いになった少年は、そういったことは用意周到だった。それだけならただ反省して終わりだったのだ。力の代わりに知識のある少年だと。
違った。圧倒的だった。戦えば三秒持たない。正確には振り下ろしを回避されるか、カウンターで始末されるか。
属性の合わない師匠に師事してるから、師匠との訓練は実践が多い。おかげで死の気配には敏感になった。だから分かる。目の前の少年には勝てないと。
許せなかった。私より強い人間がいるのは知ってる。私より知識がある人間も知ってる。別にそれはいい。それは構わない。だけどおかしいのだ。私は努力の果てに年に見合わぬ力を手に入れた。そんな私より力もあって知識もあるのに、少年の瞳には何も映っていない。力に対する渇望も、金に対する欲求も、権力に対する貪欲も。何も映っていない。生きるために生きてすらいない。生きているから生きているだけ。死んでないから生きていて、死ぬ気がないから生きている。
その目が。ここにあってここを見ていない瞳があの女と似ていて。それが今までの私の全てをあの女に否定されてる気がして。
あの日から私の戦いが始まった。酷く我儘なのは分かってる。それでも私が全身全霊をかけた振り下ろしの、さらに上にいる少年に届かせたかった。
そして数日前に全てが崩れ落ちた。届けようとしていた場所が、少年の居る場所に伸びる階段の一歩でしかないと思い知って。
レッドスコーピオン。かつて砂漠の街々を壊滅状態に追いやり、軍が出てやっと撃退できた伝説上の化物。たった一目しか見えなかったけど、その一目の記憶は未だに覚えている。
目が覚めた後に誤魔化されたけど、お付きのローレンスが怪我をしていた。彼はルプスとは違って、歳を重ねた確かな使い手だ。示し合わせたかのように私に都合がいい水属性な辺り、なんだか裏を感じないでもないけど、ギルドの中でも有名な古株。それはただ単純に強いだけじゃなくて、生き残る力があるということ。それがしばらく休養が必要なほどの大怪我を負っていた。夢や幻なんかじゃない。確かにあのレッドスコーピオンはいたに違いない。
そして全く無傷だった少年。結果がどうなったのかは分からないけど、レッドスコーピオンはいなくなっていた。水属性のローレンスだけでどうにかできるはずがない。必ずあの少年が関わっている。だというのに無傷。後衛の魔術師だからとか、そんなチャチは話じゃないはずなのよ。
遠い。どこまでも。下手をすれば師匠ほどに。
自分の力に限界は感じていないし、いつか辿り着けると信じている。だけど私の一つ下でその境地に至った少年。私がその場所に立った時、彼は一体どこまで行っているのか?
才能があると言われた。剣だけが私が進めるべき場所だと思った。その才能は。その努力は。たったこの程度のものだった。どこから来たかも分からない少年が、ただ茫洋と踏みにじる程度の力だった。
いつかは辿り着けると信じ剣を振るってきた。いつかは辿り着けると剣から信じさせられてきた。今は見えない。剣の先が見えない。あの日からずっと。
だから思わず連れ出してしまった。何が言いたいのか、何がしたいのかも分からない。ただ彼と、ルプスと向き合いたかった。もしかしたら、その奥底には何かがあるのかもしれない。ただ居場所が欲しいだけの私と違って、もっと切実な何かがあるのかもしれないと。
「すみません。さすがに痛いんですけど。お願いだから腕ぐらい離してくれませんかね?」
後ろからルプスの声がして、物思いに耽っていた思考が中断される。
「ダメよ。離したら逃げるかもしれないじゃない」
「さすがに逃げませんよ。本気で逃げるつもりなら、ギルドの中で逃げてますって」
確かにそのとおりだ。さすがに今から手を離したところで、全力ダッシュで逃げるなんてのはないだろう。
頭ではそう分かってるけど、ルプスに言われると何故か素直に頷きたくなくなる。
「いいから。とりあえず来なさい」
「来なさいって、だからさっきから無理やり引っ張ってって痛い!はぁ。もう……」
言葉の途中で引っ張ると、諦めてため息をつきながらついてくる。そこがまた気に食わない。こっちが強引に何かすると、すぐに諦める。私とは衝突する価値もないと言わんばかりに。我儘だってのは分かってる。それでも思うのはやめられない。
諦めたルプスの腕を引っ張り続け、目的の場所に到達する。
「着いたわよ」
「……なぜここに?」
「ここが一番話しやすいでしょう?」
「そもそも話をする気で連れてきたんですか?」
あれ?言ってなかったかしら。まぁそんなのどうでもいいことね。
ここ数週間ですっかりなれた扉を開く。ここが今の私の寝床。いわゆる宿ってやつね。
「どうしてこの宿に?」
「幽霊が出るって噂があったのよ。だから泊まったんだけど、噂の幽霊部屋は先着があったし、いつも夜まで待ってるのに全然出てこないのよ。おかげですっかり寝不足だわ」
「あ、エリザさんがこの宿に泊まってるんですね?」
「当たり前じゃない。落ち着いて話せる場所に行ってるのに、どうして適当な宿に入るのよ?」
「いえ、至極真っ当なご意見で」
今まで見たことが無いぐらいルプスが微妙な顔してる。どうしたのかしら?納得はできるけど承服しかねるみたいな顔してるけど。
とりあえずルプスの手を引いて、何か話しかけてきてる店主に適当に手を振りながら私の部屋を目指す。
扉を開けて先にルプスを放り投げるように入れ込み、続いて私が入る。これで出口は封じた。奥に窓があるけど、さすがにいきなり二階から身投げはしないでしょう。それで死ぬ気は全くしないけど。
さて。これでゆっくりと誰の邪魔もなくルプスと話せるわ!
…………何を話すのかしら?
しまったわね。何を話すか考えるのを忘れていたわ。えーと、どうしようかしら。待たれちゃってる。
「この際拉致されたのはおいときまして、何の話があってこんなところに連れ込んだんですか?」
「ちょっと待ちなさい。今なんて言うか考えてるから」
ええーと。そうね。なんて言うのが正しいのかしら。そもそも私がルプスを呼んだ理由は、彼の強さが原因で……うん!めんどくさく考える必要何かないわ!こういうのは直球が一番よ!
「どうして貴方はそんなに強いの!」
「……あ、今のが質問で?」
「それ以外の何に聞こえたの?」
質問に質問で返してはぐらかすなんて。さすがルプスね!でも騙されないわ!
「ちゃんと答えて。どうやって貴方はその強さを手に入れたの?」
私の質問に、ルプスが思案する顔を見せる。今度こそちゃんと答えてくれる。……と思ったのに。
「何を勘違いしてるのか分からないけど、俺はそんなに強くないよ?」
まだはぐらかすつもりなのね!
ふん、でも残念ながら、既にゆするネタは持ってるのよ!
「はぐらかしても無駄よ。レッドスコーピオンと遭遇して無傷で生き残った人間が、弱いはず無いじゃない!」
「レッドスコーピオン?」
ルプスが露骨に驚いた顔を見せる。ふふん。私がこの顔をさせたと思うと、少しだけ嬉しいわね。
「どこで話を聞いたか分かりませんけど、私達が遭遇したのはただの魔物蠍ですよ。きっと光の反射で赤く見えただけでしょう」
って、まだはぐらかすの!いい加減にしなさいよ!
……っと、怒りたいところだけど今回だけは堪えるのよ私。そうよ、そうね。冷静に考えたら、自分の強さの秘訣を簡単に伝えるわけ無いわよね。それもこの年で私を超えるレベルの力を手に入れる方法。国が傾く、というか戦争が起きかねないわ。
でも私が知りたいのは強くなる方法じゃなくて、どうして強くなったのか。志とか、精神とか。そういう部分が知りたいの。強くなる方法に興味が無いわけでもないけど、明らかに戦闘スタイルが違うから参考になるかは微妙だからね。
一回真っ直ぐ突っ込んじゃったからにはもう止まれない。はぐらかそうって言うなら、できなくなるまで押し込んでやるわ!
「別に強くなる方法が知りたいわけじゃないの。強くなった理由が知りたいのよ!」
「強くなった理由?」
酷く疑わし気な表情で私を睨むように見つめてくる。なるほど、試されてるのね。
名前とかと一緒で、自らを語らぬ者に語りかけられる資格はない。いいわ、私の心意気。聞かせてやろうじゃない。
「私は仮にも剣の才能があると言われた。才能に奢らず毎日剣を振り続けた。他の全てを犠牲にして、剣だけを振り続け、やっと今の力を手に入れた。だけど貴方は私の遥か先にいる。遥か先の力を持ちながら、知恵も捨てずに持っている」
私の思いは言い切った。一つ呼吸をおいて、再度尋ねる。
「教えて。貴方は何を思ってそこまでの力を手に入れたのか」
ルプスが酷く唖然とした表情を見せる。まるで思いもしなかった真実を見せつけられたかのように。
いつもであればそんな顔をさせれたと喜ぶんだけど、今は素直に喜ぶ暇すら無い。
私が見つめる先で、困ったようにルプスが頭を掻く。
「そう言われても、私には特にこれといった理由なんてないんですけどね」
まだ!はぐらかす!!
思わず、考えるより先に体が動いてしまう。
訓練し続け体に馴染ませた歩法すら忘れ、獣のように襲いかかり、勢いのままルプスを押し倒す。
抵抗なく押し倒されたルプスは、守るように、落ち着かせるように両手を挙げ手のひらをこちらに向ける。
「はぐらかさないで!!そんな力をただ茫洋と手に入れられるはずがない!何か無いとおかしいじゃない!」
「そ、そう言ってもな。俺ははぐらかしてなんか……」
「その気持ち悪い言葉遣いよ!それがはぐらかしてるっていうの!」
「ど、どういう……」
一度溢れた言葉は止まらない。今は関係のない話なのに、思わず普段の苛立ちが表に現れてしまう。
「まず一人称!私だったり俺だったり僕だったり自分だったり。それに丁寧語だったかと思えば、突然崩れた話し方をするし、妙に挑発的な言葉で煽ったりする!」
他の冒険者と喋るときのような繕ったものではない話し方。たぶんローレンスは気づいてるけど、ルプス自身が素で不自然すぎて見逃してしまってる違和感。
「私はバカだけど分かる。貴方は賢い。なのにそんな変な喋り方をする。まるで自分から他人を突き放すように!!」
これでも仮にも王女。言葉を扱う人間なんていくらでも見てきた。
その中でもとびっきり不自然な会話術。一人の人間に何人もの顔があるような気持ち悪い話し言葉。
「貴方は何なの!一体どれが嘘でどれが本当なの?それとも全部嘘なの!?見せてよ、教えてよ!本当の貴方の言葉で!!」
ルプスの挙げていた両手が、ペタリと力なく床に落ちる。同時に言いたいことを言い切ったせいか、薪の切れた篝火みたいに私の感情が冷めていく。
生まれでたのは不自然な沈黙。驚愕も怒りもなく。酷くどうでもよさ気でめんどくさそうな顔をしたルプスが、酷くかったるそうに喋り始めた。
「最初に言ったとおりですよ。私は強くなんかないんです」
またその言葉かと感情が再点火しそうになるけど、その前にルプスの冷めた言葉が続く。
「私はただ怖いんですよ」
「……怖い?」
それだけの力を持っておいて、未だに怖いものがあるの?
「怖いですよ。何もかもが」
私に向けていた視線が外れ、部屋の方方に向けられる。
「あの影に誰かが潜んでいないか。曲がり角から誰かが襲ってこないか。通りすがる人は攻撃してこないか。目の前で離してる人間は安全か。今から使う道具は罠じゃないか。ご飯の中に毒が含まれてないか。移動する場所に危険はないのか。突然不治の病にかからないか。起きたら明日目覚められるのか」
ルプスが体を起こす。完全に力の抜けていた私は、思わず尻餅をついてしまう。
「人との関係が深くなれば深くなるほど、深い関係の相手から殺されないか。深い関係の人が殺されないか。気になって仕方なくなってしまう」
聞いたことがある。王家や高位の貴族にとって、暗殺や謀殺なんてのは日常茶飯事。そんな中で暮らしていると、周りの誰も何も信じられなくなって、常に何かに狙われてるのではないかという強迫観念に襲われてしまう。
「だったら最初から親しい人なんていらない。人との関わりは喜びも悲しみも産むっていうなら、喜びを切り捨ててでも悲しみなんていらない」
でもこれはそんなものじゃない。死に恐怖を覚えてるのは同じだけと、目の前の人間はあまりに死が近すぎる。あまりに死が近すぎて警戒してしまう。
どうやったらこうなるのか。まるで既に何度か死んだかのように死が近い。
ああ、なるほど納得できた。何かをしたから強くなったとか、死なないために強くなったとかじゃない。こんな風になるまで生きていたら、偶然ここまで強くなってしまっただけなのだ。
そりゃあ強くなんてないだろう。強くなろうとなんてしてないだろう。この世から死の危険が無くならない限り、強くなろうとするのすら無理なんだろう。
「……認められない」
その生き様が?その生き方が?
違う。床に尻餅をついたまま、私の腕は震えていた。臆病者の狂気に触れただけで、剣に生きようと志し、剣を振るい続けた腕が震えて使い物にならなくなっていた。
「認められるわけ無いでしょう!!」
こんなのに震える自分が。こんなのを産んでしまう世界が。
体はいつも思考より先に動く。跳ね起きた私は、何も考えられないまま部屋をとび出し、勢いのまま宿をとび出した。
臆病な自分を置き去りにするように。臆病な狂気から逃げるように。
ただ思考を振り切るためだけど、体が夜の街を駆け巡る。
ルプスが思ってるほどバカでもなく、努力もしている。ただしまだ子供で、負けず嫌いな上にトラウマを抉る相手が出てきて、思わず意固地になってしまった。
つまりルプスが悪い(断定)。
わりかしあっさりコロコロされたレッスコさんですが、本来砂の雨みたいな闇属性じゃ回避できず、光属性が守り切れないほどの範囲飽和攻撃で攻撃陣壊滅。素の防御力が光属性で抜けない上に、多少ダメージを食らっても平気。足元を動かして無理矢理体勢を崩す技もあるという軍隊殺しの達人。
ただしルプスは空飛ぶし、飽和攻撃ぐらいならゴリ押すし、一撃で装甲抜いて殺してくる相性最悪な相手でした。




