私の形を縛っていたもの。それは―――
地表に出た直後、私達を待ち受けていたのは、二つの圧縮水流の煌めきだった。
「いきなり!?」
砂の下にいれば、レッドスコーピオンの探知を回避できるのはあながち間違いではなかったのだろう。そうでなければ、向こうの独壇場っぽい地下での行動を待つ理由が無い。
感知できないかわりに、奴はずっと待っていたのだ。こちらが地上に出てくるまでずっと。
待ち伏せで放たれた二本の圧縮水流は、ハサミのように左右から同時に襲い掛かってきている。ゲームだったらジャンプして避けようとか考えるところだけど、現実でやったら間違いなく跳んだところを追尾される。しゃがんで避けるのも現実的じゃない。発想力が貧相な私は、回避する方法に行き詰まり、思わずその場で足踏みしてしまう。
そんな私とは反対に、同じく砂中から現れた中年男の行動は早かった。
中年男は地表に出て圧縮水流を見るや、勢いをそのままに全速力で圧縮水流に向かっていったのだ。
剣一本しか無いのにどうするつもりなの!?と考えた私の常識は、すぐに裏切られることになる。
中年男が構えた剣の腹を、右側から迫ってきた圧縮水流に当てる。すると剣と水流の接触部を軸に、今まで真っ直ぐ飛んでいた圧縮水流がねじ曲がり、あらぬ方向へと飛び去ってしまった。
謎現象は中年男が剣を離してからも続き、どころか左の水流も同じように弾き飛んでいく。
物理法則ガン無視。私からでは一体どんな手の動きをしたのかすら分からなかった。
「何を呆けてやがる!地上に出たら攻撃されんのは分かってただろう!!」
いつになく激しい中年男の怒号を聞いて、やっと意識が戦場に戻ってくる。
物理無視の達人技巧に興味が無いかと言えば嘘だが、そんなこと生き残った後にいくらでも聞けばいい。今は一秒油断すれば、次の一秒の生存を望めない死地に立っているのだ。何よりアレだけのことをやっておいて、ただ一度レッドスコーピオンの攻撃を弾いただけ。接近に攻撃。本当の戦いを始めるのはこれからだ。
「すみません!今行きます!」
適切な距離は分からないが、離れすぎてるよりは近いほうが中年男も私を守りやすいだろう。私はレッドスコーピオンの動向に注意しながら、圧縮水流対処のために前進した中年男に近づく。
中年男も近づいてくる私を見ると、私に合わせて速度を落としてくれた。
さっきから放ってくる圧縮水流のように、魔物の特殊個体は魔術を使ってくる。近接も十二分に出来るので判断し難いが、種別としては魔術師と言っても良い。
現在のレッドスコーピオンとの距離は十から二十メートル程。光属性剣士である中年男にとっては辛い距離で、魔術師にとっては丁度狙いやすい位置だ。
そしてこの場にいる魔術師はレッドスコーピオンだけではない。私にしても今の位置関係は丁度良く、中年男が守りやすいように近くに移動するつもりだが、攻撃しない理由にはならない。
手元に五つ程【闇弾】を形成すると、レッドスコーピオンに向けて放つ。途中まで中年男の背中に隠すように放ったのも幸を成したのか、【闇弾】は五つともレッドスコーピオンに直撃した。が。
「避ける必要も無いってことか……」
【闇弾】はレッドスコーピオンの外殻に当たると、そのまま弾かれて後方へと飛んでいった。
「【闇弾】で足りないのなら、【闇拳】で殴る!ローレンスさん!自分も接近戦をします!」
報連相を大事に、あくまで中年男の背に隠れながらレッドスコーピオンに接近する。向こうも近接戦を行うと決めたのか、身体全体を僅かにかがめ、低姿勢になってこちらを迎え撃つ体勢をとった。
「坊主!攻撃のタイミングはこっちで指示する!それと不安だからって俺に近寄りすぎるなよ。動きにくくなる」
「分かりました。攻撃への対処は任せますよ」
……最悪肉盾として使うために背中にピッタリとくっついていたのがバレたらしい。動きにくくなると言われれば、さすがに離れざるを得ない。私は多少中年男から離れると、先程まではでかくて中年男の邪魔をしそうだから出していなかった【闇拳】を展開する。右腕が無くなっているので、今回は左拳だけだ。
私と中年男の二人が走り、レッドスコーピオンが待ち構える。戦闘の中で生まれた空白。それも、私達がレッドスコーピオンの射程距離に入った瞬間に終わった。
レッドスコーピオンの左のハサミが唸りをあげて中年男を襲いかかる。大きさとしてほとんどクレーン車が襲い掛かってきたようなものだ。前世であれば、鉄の棒一本しか持たない中年男を笑っていたことだろう。
しかしここは異世界で、この世界は前世とは違う異世界のルールで動いている。こちらを穿たんと放たれたハサミを、中年男が剣の腹で受け止めたかと思うと、壮絶な火花を散らしながらハサミが元の軌道から逸れた地面に突き刺さる。その位置が絶妙だった。右から左に受け流されたレッドスコーピオンのハサミの腕部分が、ちょうどレッドスコーピオンから私達を守る盾のように目の前に存在している。レッドスコーピオンは自らの腕のせいで、残った右のハサミで攻撃できなくなったのだ。
反面。一応【闇拳】は近接魔術だが、魔術は魔術。目の前に横たわる腕ぐらい迂回して攻撃できるし、確実にダメージを与えるのなら腕自体を殴ってもいい。
どちらを殴ろうか?と考えながら、しかし私は中年男の指示を待った。指示が無いと動けない、なんて言う人間はアレなのだが、普段適当に攻撃しまくって危険な目にあってる金髪ロールの姿が、すぐに攻撃させるのを躊躇わせたのだ。
結果的に言えば、それが幸を成したこととなる。
「坊主!避けろ!」
方向性は違ったものの、中年男の言葉を待っていたおかげだろう。中年男の叫び声が聞こえてきた瞬間に、私は【闇拳】で地面を叩きつける反動も合わせて、全力で右に跳んだ。直後に、つい先程まで私が居た位置をレッドスコーピオンの尻尾が突き刺さっていた。
「ハサミより長いのかよ!!」
悪態をつきながら中年男の後ろ。さっきまでよりもさらに後ろに移動する。
「あの攻撃全部どうにかできますか!?」
「無理だ!」
この役立たず!とかはさすがに言いませんよ。はい。咄嗟に思ってしまったとしてもさすがに節操が無さすぎます。
「遠距離であの外殻を抜けないか!?」
「やってみますが、自分の魔術に火力は求めないでくださいよ!」
闇魔術役に立たないなおい、と自身の能力にすら文句を言いながら、レッドスコーピオンの尻尾の範囲外に逃れる。これで届いてくる攻撃は例の水流攻撃ぐらいだが、中年男がインファイトをしている以上、向こうも簡単に放つことはできないだろう。
個人的には攻撃系の剣士がもう一人いて牽制してくれれば気が楽なのだが。悲しいことに金髪ロールを戦闘から除外したのは私だし、もしいたとしても牽制なんてせずに突っ込んで中年男の負担が増すのが目に見えている。うん、私の判断はやっぱり正しかったな。
それはともかく遠距離からの攻撃手段だ。【闇拳】は普段手から一メートル前後の位置で漂わせているが、その気になれば数十メートル以上離したところに漂わせることも出来る。弱点としては大振りすぎて軌道が読みやすくなる上、大振りだからと言って特に威力が上がらない点だ。どれだけやり方を工夫しても、魔術の最高速度は変わらない。
大振りがダメならば極端に直線を攻める。左腕を真っ直ぐレッドスコーピオンに伸ばし、その先に【闇拳】を待機させる。つまり…ロケットパンチである。
こんな状況だっていうのにちょっとテンション上がってきたぞ。まさか生身でロケットパンチを撃てる日が来ようとは。切れもしないアイアンカッターまで出してしまいたくなる。今がこんなんじゃなければ撃つ時に叫ぶぞ私。
こほん。
注意深く中年男とレッドスコーピオンの攻防を見守り、攻撃を流した後の若干の時間を利用して中年男に声をかける。
「どこを狙いますか!」
「どこでもいい!タイミングもそっちに任せる!できるだけ攻撃して向こうの気を逸らしてくれ!」
「分かりました!」
一対一での防御の達人と言えど、さすがにあのデカブツと一人でやり合い続けるのはきついらしく、声に余裕がない。
体力や集中力も原因だろうが、防御の度に火花が散ってる所を見ると、いつ剣が折れてもおかしくない。やっぱり前世のネトゲの記憶なんて当てにならないなと感じつつ、中年男が受け流した腕のおかげでレッドスコーピオンからは死角になっている場所から【闇拳】を放つ。もちろん中年男の邪魔をしないように。
一直線にレッドスコーピオンに向かった【闇拳】は、レッドスコーピオンが腕を上げた時に、タイミング良く今まで腕があった場所を通り過ぎていく。向こうとしては死角から突如現れた攻撃となる。
偶然の助けもあり【闇拳】がレッドスコーピオンの顔面に直撃する。ビシィ!という音が離れている私にまで聞こえてくる。完全な破壊まではいかなかったものの、レッドスコーピオンの外殻に罅を入れることに成功したようだ。
代わりにレッドスコーピオンのヘイトは私に向いたらしく、罅割れた顔面と右のハサミがギラリとこちらを睨んでくる。それらには構わずに、私は次の【闇拳】を装填する。
案の定装填は間に合わずに、レッドスコーピオンが先に圧縮水流を発射してくる。
あわや圧縮水流が小柄な子供を撃ち貫こうとした直前。私とレッドスコーピオンの間に、中年男が割り込んできた。
「危ない真似を!」
「信頼ありきの連携と言ってください!」
中年男の剣が圧縮水流を弾き飛ばす。レッドスコーピオンとの直線状に来た中年男に当たらないように、わずかに角度を上げ、記憶の敵の位置を頼りに【闇拳】を発射する。
だがさすがに二度同じような手は通じないらしい。レッドスコーピオンは早々と圧縮水流を止めると、丁度顔の横にあった右ハサミを盾にして、顔面への直撃を防ぐ。
衝突。直撃した右ハサミが【闇拳】ごと大きく上に弾かれる。そのハサミを見ると、巨大な亀裂が右ハサミ全体に広がっていた。
「ダメージ確認!」
「よし、これならいけるぞ!」
それフラグじゃない?なんて言う暇もないほど早くに、次の変化は訪れた。突如としてレッドスコーピオンの足元の砂が蠢き始めたのだ。
「なんだ?また潜る気か?」
そんな中年男の言葉を裏切り、レッドスコーピオンの巨体が砂の上を滑り始めた。
「なに!?」
「A○かよ!?」
思わず前世の記憶でツッコンでしまう。いや、それにしても砂上を滑るってどういうことだよ。
レッドスコーピオンはかなりの速度で砂上を滑りながら、私達の周りを左回転に回り始める。
「坊主!一回近くに来い!」
中年男の指示に従い、一も二もなく走り寄る。
ゼロ距離まで近づくと、【闇拳】を展開し、背中合わせになって回転し続けるレッドスコーピオンを常に監視する。
「畜生。一体しかいねぇのに、複数の魔物に囲まれてる気分だ」
「あんなことになってますけど、どうするんですか?」
「基本は今までと変わらない。坊主が見てる方向から襲ってきても、すぐに反転して俺が受ける。さっきの連携が通用するのは分かったんだから、向こうが何をしてきてもペースを崩さないで攻撃するのが大切だ」
「了解です」
こちらの作戦会議を待ってくれた、わけではもちろん無いんだろうけど、私が最後の言葉を言ったタイミングでレッドスコーピオンに動きがあった。罅割れの酷い右のハサミが僅かに開き、こちらを狙ってきたのだ。
「水流来ます!」
「ちっ!確実に坊主の方を狙ってやがるぜあの蠍野郎!」
互いに体重を後ろに傾け軸を一本にし、くるりと中年男との位置を反対にする。後ろに回った私は、数歩前進してからもう一度身体を反転させる。私が振り向いた時、レッドスコーピオンが圧縮水流を放った。
「んなもん何回やったって…なんだと!?」
既に幾度か繰り返された攻防だったが、今回はいつもと様子が違う。
前まではレーザーじみた水流に一度剣を触れるだけで対処していたのに、今回はずっと剣の腹で受け続けているのだ。
「発射元が動き回るせいで水流を上手く操作できねぇのか!」
水属性の理論はよく分からないけど、とにかく移動中の射撃は一撃で逸らすことは出来ないらしい。
分からないことは分からないと割り切った私は、代わりに別の事態に気がついた。
「ローレンスさん。アイツ近づいてきてませんか?」
「なんだと?」
水流発射と回転移動を同時にこなしながら、徐々にレッドスコーピオンが私達に近づいてきている。このまま回転と接近を行えば行き着く先は……しまった!?
「アイツの狙いはお前だ!移動先にはお前がいる!!」
私と同時に中年男も気がついたのだろう。水流を弾きながらも今までに増した怒鳴り声が響き渡る。
攻撃方法は尻尾か、水流を放っていない左ハサミか。接近しているということは水流攻撃は無いだろうが、どれにしても今回ばかりは中年男に頼っていられない。
展開している【闇拳】と同時に、残った左手を握りしめる。
「一撃はこっちで防ぎます」
「でもお前の属性は…」
「光属性でも攻撃が出来るように、闇属性だからと言って防御ができないわけじゃありません」
「……分かった。一撃は任せる。だからその後は俺に任せろ」
「期待してますよ」
中年男を攻撃しながら迫りくるレッドスコーピオンを視界の中央に収める。相変わらずレッドスコーピオンは砂の上を滑って動いている。
水流と剣の衝突音。蠢く砂の音。規則正しく迫ってくる敵。どこか前世の音ゲーを思わせる構成だ。特にゲーセンだと周りの音がうるさくて音楽が聞こえないから、流れてくるものだけを見て―――。
「打つ!」
その時私は、迫り来る左ハサミを完全に捉えきっていた。
私の左とレッドスコーピオンの左が衝突する。盾にしていた右ハサミと衝突した時は、弾かれたとはいえこちらが勝っていたが、今度は完全に押し負け、【闇拳】が跡形も残さずに消し飛ぶ。
物理法則としては間違っているのだが、この世界の魔術法則は攻撃と防御というのが違う値で計算される。前世の某カードゲームで攻撃値と防御値が別れているようなものだ。
だが一方的に負けたわけではない。向こうのハサミも大きく反対側に弾かれ、私自身も【闇拳】と身体をリンクしていたおかげで吹き飛ばされ、攻撃圏から逃れることができた。
元より人間から逸脱しているせいか、極度の集中で妙なゾーンに入り込んでるのか、世界がスローモーションに流れていく。ちなみに私は錐揉み回転している。地面がコンクリートじゃなかったら衝突時に死んでいたかもしれない。
ゆっくり流れていく視界で、中年男がレッドスコーピオンと向かい合っている。
回転によって私が後ろを見ている間に、背後で甲高い衝突音が聞こえた。剣と尻尾がぶつかった音だろう。右ハサミからの水流。左ハサミの直接攻撃。尻尾の攻撃。なんとかだけど、これでレッドスコーピオンの攻撃を全て捌くことができた。……その言葉に、一瞬違和感を覚える。
回転により再びレッドスコーピオンと中年男の姿が見えた。中年男は尻尾の攻撃を右から左へ受け流し、剣も同じ方向に流れている。
レッドスコーピオンの回転方向は右から左。尻尾も同じく右から攻撃し左へ。中年男の剣も右から左へ。……私が攻撃した左ハサミは右側に弾かれた!?そしてレッドスコーピオンはまだ右から左に動いている!!
違和感の正体が像を結ぶ。弾かれた直後で再び振り下ろすのは不可能だろうけど、位置を調整して移動するついでに攻撃することはできる。私達が作戦会議してる間に周り続けていたのも、速度を付けるためだったんだ!
いくら気づいても私の身体は空中を回っている。何も出来ないまま向きが反転し、無防備な身体を最後に視界に映して中年男の姿が見えなくなる。
次に見る光景は吹き飛ばされる中年男か?
ドクン。と心臓が跳ねる。
「そんなの……」
弾かれたせいで放り出されていた左手に力を集中し、【闇弾】を形成する。
身体が反転し、中年男とレッドスコーピオンの姿が映る。幸いまだ攻撃は受けていないが、レッドスコーピオンは確実に左ハサミを直撃させるコース上を移動している。
「させるか!」
左ハサミに向かって【闇弾】を発射する。直後に回転のせいでレッドスコーピオンの姿が見えなくなる。
【闇弾】は心で当てるもの……では特に無いんだけど、見えないから当たりませんなんてやわなものじゃない。私が放った【闇弾】の位置は見えなくても分かる。あとはさっき見たハサミの位置と、【闇拳】で打ち合った時の移動スピードを参考にして……。
当たった!その確信を得た直後、足が地面に接触し、加速していた感覚が元に戻る。
空中では結局三回転ぐらいしたが、落下した後も散々だった。最初は砂と空が交互に見えるからギリギリ天地の区別がついたけど、途中からは巻き上げた砂のせいで完全に分からなくなった。
結局止まったのは何回転した後か。自分の怪我のチェックもせずに、私は砂中から不安のまま顔を出す。
「中年男!」
私が叫んだのとほぼ同時だった。ボスッ!と私以上に大きな音と大量の砂を撒き散らしながら、すぐ側に何かが落下してきた。
落下物は何回か咳き込むと、上に乗った砂ごとのっそりと起き上がる。
「た、助かったぜ坊主。音で一瞬早く気づいてなかったら、今頃肉塊になってるところだった」
「よ…」
良かった。と普通に呟きそうになって違和感を覚える。私って他人の心配をするようなやつだっけ?
……いや違う。これは重要な肉壁がいなくなるのを恐れただけだ。そうに決まってる。
「それよりさっき何か妙な言葉を聞いた気がするんだが」
「何のことですかローレンスさん。頭でも打ったんじゃないですかローレンスさん」
流れる水のようにスラスラと喋りながら、暑さとは違う汗を一筋垂らす。
っべー。マジっべー。慌ててたせいで思わず素が出て、心の中で言ってる渾名で呼んでしまった。
……思わず『素』が出て?
「はん。まぁいいさ。お前今何歳だったかね」
意外というかなんというか、中年男はあっさり流すと変な質問をしてきた。
「え?今年で六歳ですけど」
「今年で、って変な言い方するな。つまり六歳なんだろ」
未だに年が変われば年齢が上がるという習慣に慣れてないのである。あんまりツッコまないで欲しいのである。
一応日本でもこの世界と同じぐらいの文明の時は同じような数え方をしてたようなきがするけど、一月生まれと十二月生まれを一纏めにするのはどうかと思う私である。
「ははっ。そうかそうか。そんぐらいの年の子供はちょっとぐらいヤンチャな方がいい。お前はヤンチャってより単純に危ないやつだからな」
大きなお世話だ中年が。いや違うそうじゃない。
「なにゆっくり話してるんですか。あんな移動もある以上、また新しく作戦を考えないと次は死にますよ」
先程の連撃を防がれたのを警戒しているのか、レッドスコーピオンは遠巻きにこちらを観察している。とはいえいつまでこの状態が続くか分からないし、遠距離攻撃を持っているので気は抜けない。楽しく談笑してる場合じゃないのだ。
まだ地面に座っている中年男を待たずに立ち上がると、新しい【闇拳】を展開する。
「そうだな……新しい作戦がある」
中年男はやはりゆっくりと立ち上がると、体についた砂を片手ではたき落とす。
妙に落ち着き払った様子に違和感を覚えていると、次に中年男は驚くべき言葉を発した。
「坊主。お前一人で逃げろ」
そう言って、もう片方の手に握っていたものを見せてくる。
「それは……!」
中年男の手には根本から砕け折れている剣があった。
「見ての通り俺はもう戦えない」
「だ、だけど!」
「よく聞け坊主」
中年男の声はいつにないほど真面目なもので、同時に酷く澄んだ声色だった。―――いつかのじいさんのように―――
「砂の下でも話したが、坊主一人だったら逃げる方法があるんだろう?」
「それは……」
「これも言っただろう。詮索する気は無い」
中年男はレッドスコーピオンから隠すように折れた剣を鞘に収めた。
「大丈夫だ。逃げ出せる程度の隙は作ってやる」
貴方はどうなるんだ。問いかけようとした言葉が、また喉元で止まる。
いざとなったら仲間であろうが囮に使って逃げ出す。それが私の性格だったはずだ。今回なんて向こうから囮になると言ってくれている。どこに躊躇する点がある。
それなのに。そうだというのに……。
「……死ぬのが怖くないんですか?」
「怖いさ。本当は俺だって逃げたい」
「なら、どうして」
どうして貴方はそんなに清々しい顔をしてるんだ。
「……人ってのはな、何かを背負わねぇと生きていけない生き物なんだ」
彼は突然そんなことを言い始めた。
「どれだけ自由になろうとしても、どこかに自分の居場所を求めてしまう。そしてどんな居場所だろうが、必ずそこに居続けるためには何かを背負わなきゃいけなくなる」
言葉は中年男の独白なのだろう。だがまるでその言葉は、私に向けて言われてるようだった。
「逃げ出そうとしても、逃げ出した先で居場所を求めちまうんだ。誰に認められなくても、自分で納得できる場所を見つけて、そしてまた新しい何かを背負っちまう」
前世で既に死んでいながら、私は未だに自分がルプスであるのを認めていない。ルプスとしての責任を、じいさんの願いを捨てて、實下結菜の望みを追い続けている。
「だけどな。背負うってのは、苦しいばかりじゃないんだ。時々無性に背負ってるものを愛おしく思ったり、背負ってるものに生きがいを感じちまうんだ」
「私にも……見つかりますか。そんなものが?」
口から零れ落ちた言葉を聞いた瞬間、彼はとても、とてもとても嬉しそうに笑った。
「ははっ。悩め悩め。悩んだ先にしか良い生きがいってのは無いもんさ。なんだっていいんだ。なんだって背負えるんだ。若い頃から可能性の芽を摘むもんじゃない」
彼は口元の笑みをより一層深めて。
「俺は今なんだって背負える、未来ある若者の命を背負っている。こんなに嬉しいことはない。だから怖くたって戦える。恐れながら恐れずに死に向かって歩み寄れる!」
彼は叫んだ。勢いのままに崖を飛び降りるように、決して恐れで躊躇しないように。
「最後だ!人が積み上げてきた知恵ってもんを教えてやるよ!」
体をかがめ、地面に手をつくと彼は魔術の詠唱を始めた。
「『水よ光を孕め』『水は時に激しくうなり』『世界を無慈悲に染め上げる』」
詠唱に合わせ、地面に魔法陣が描かれていく。
「【暴水の解放】!!」
最後の魔術名を告げた瞬間、魔法陣を中心に膨大な、しかし対して威力の無い水がひたすらぶち巻かれていった。
魔法陣の中心にいた中年男はもちろん、私もびしょ濡れになる。そして……
「砂が濡れて泥に!」
「魔物にはよくあるんだよ。特に土属性の場合、生まれ育った土地だと階位以上の力を発揮するってのが」
水を滴り落としながら中年男が立ち上がる。
「これでアイツは砂の中に潜れねぇし、砂の上を滑ることもできねぇ」
水の魔術は威力より範囲を優先したおかげか、離れていたレッドスコーピオンの足元まで濡らしている。
向こうも事態に気づいたのだろう。忌々しげに地面に何度か足を突き立てると、続いてその足でこちらに歩いてきた。
「走れ坊主!走り抜いて……絶対に生きて帰りやがれ!!」
中年男の怒号が耳朶を打つ。一瞬、一度だけ振り返るのを躊躇し―――そしてやっぱり振り返った。
私は生きる。前世で長生きできなかった分。この世界で。何を犠牲にしても。何を殺すことになっても。
私はそういう人間で、そうやって生きてきた。だから走る。二度は振り返らず、ただひたすらに。
戦闘の音は私が思っていたよりも早く始まった。もしくは、気づかない内に随分と長く走っていたのか。
戦闘の音は今までの金属がぶつかり合うような音では無い。瑞々しいリンチの音。鈍器で生の肉体を叩く音。
考えるな。そう思う度に私の意思に反して、私の脳は明瞭に背後の情景を浮かび上がらせていく。
これでいいのだ。囮は囮としての役目を果たしている。私は走らなければならない。囮になっている彼のためにも。
中年男の魔術によって泥沼と化していたエリアを抜ける。直後、私のすぐ横に何かが落下してきた。思わず私は足を止め、落ちてきたソレを見てしまう。
ソレ、は両手がぐにゃぐにゃとあらぬ方向に曲がり、片足が無く、腹から内蔵が少しこぼれ出ていた。
そんな状態でもソレはまだ生きていた。ソレの技術によるものか、レッドスコーピオンが遊んでいるのか。こんな惨状を見せておいて、彼は生きているのだ。
彼の唇が必死に動く。そんな体力だって、今はほとんど無いだろうに。
―――走れ。と。
「言われなくても分かってる」
虫の息でも、生きているなら時間を稼げ。肉塊と成り果てようと肉の盾と化せ。
前に向かって。レッドスコーピオンと彼に背を向け、止まっていた足を一歩踏み出した。瞬間。耐えきれなくなった魂が言葉を発した。
―――本当に?
「…………ああ」
その一言で、加熱していた頭が一瞬にして晴れ渡る。
「そうだった」
私は。少なくとも前世の私は。
名サブキャラの死を嘆き、死ぬだろうと思いながら、戦い終わった後の約束をしたキャラが生き残るのを望み、死ぬと知っているキャラが生きているイフを考える。そんな程度の人間だったのだ。
「中年男。応急処置でいい。何をしても生き残れ」
唇も動かせないのか、中年男の眉が歪む。
「いいからやれよ!こんなつまらないところで死ぬな!お前みたいな中年に背負ってもらわなくたって、私は自分の足で立ってやれる!!」
逃げるのは得意だ。だけど戦うのは余り得意ではない。そも得意不得意以前に、逃げるのより確実性が低く、要素が複雑に絡み過ぎているのだ。
だから私はやらなかった。やろうと思いすらしなかった。変わった姿を中年男に見られるのが嫌だったというのもある。
だけど……もうどうでもいい。たとえ不確定なやり方でも、私は私を、普通の人間を取り戻したい。
ビシリ、と心のどこかから罅割れた音が聞こえる。今はここまで。いつか完全に破かないといけない時があるだろうけど、今はその時ではない。
「なに……を。やるつもり……だ?」
「喋れるんじゃん。だったら回復魔術でも唱えてろよ」
振り返り、迫り来るレッドスコーピオンを視界に捉える。滑り移動が無くても動きはかなり早く、足をダカダカ動かしながらこちらに突っ込んでくる。
「とりあえず……」
体を光が包む。魂を覆う肉が、脆弱な人間から凶悪な魔物のそれに変えていく。
「テメェは邪魔だ!!」
右手の【闇拳】ですくい上げるようにアッパーを腹に食らわせる。右が予想外だったのか、普段と地面が違うせいかは分からないが、面白いように拳が決まる。
空中で縦に一回転しながら、レッドスコーピオンが沼地に逆戻りする。
どうでもいい話だけど、私はフュージョン体での自分の声が嫌いだ。声変わり前で高い普段の声と違って、どうしても自分が男になってしまったのだと理解してしまうから。
それでも叫ぶ。感情のままに。正しいと思える激情のままに―――!
「調子に乗ってんじゃねぇぞ赤蠍!これから中年男を生かさないといけねぇんだ!今度は二度と出てこれないように埋めてやるぞ二の次イィ!!」
【闇拳】を両手分同時に出現させる。この姿では実の肉体以上に魔術が体に馴染む。
魂の荒振りに任せ、私は地面を蹴った。
大変長らくおまたせしました。本当に。
今回は人間の戦い、といった感じの戦闘を演出しております。じゃあ次回は?
……もちろん場に真っ当な人間がいなくなれば、と言った感じでございます。
一言。ルプスさんマジ怖いっす。(自分で書いておきながら)




