第十一話 女王の休日 Ⅳ
「楽しい時間も、もう終わりですね」
夕焼けが街を赤く染め、空を徐々に夜の闇へと変えていく。今日もまた、夜を迎えようとしている。
二人は街を見てまわり続けた。夕方になるまで、ずっとだ。
今日一日、確かにユリーシアは久しぶりの休日を過ごした。
人々と挨拶を交わし、子供たちと遊び、多くの人々の声を聞いた。これも、女王の職務の一環という思いを持っていたが、彼女は今日を大いに楽しんだ。
愛する人々と、再びこうして直接出会う。それはとても懐かしい事であり、彼女の心に癒しを齎した。
周りには人気のない、夕陽が良く見える街の一角。
幸せな時間はもう終わる。今日という日が終わるのを、名残惜しく感じているユリーシア。
「言ったじゃないですか、今日一日は政務を忘れるって。城に戻ったら、貴女がして欲しいと思う事は何でもしますから。陛下の休日はまだ終わっていませんよ」
そう、彼の今日の目的は、大切な彼女を政務から引き離す事だ。今日一日、彼女が眠りにつくまでの間は、彼女の身体と精神を癒せるのであれば、どんな事でもするつもりでいる。
「楽しい時間はまだ続きますよ。城に戻ったらして欲しい事ありますか?」
「でしたら・・・・・・、本を読んで下さいませんか?あの絵本、戦妃リクトビアを」
絵本、戦妃リクトビア。
建国に活躍した武神。リックに与えられた名誉ある名前の女性の、その生涯を描いた絵本である。絵本はリックに与えられた。彼女の大切な宝物だ。
「それだけ・・・・・ですか?」
「いいんです。私は、貴方に読んで欲しい」
もう彼女は、あの絵本を読む事は叶わない。
何度も読み返し、大切にしてきたあの本は、彼女の宝物であると同時に、人生の目標となった。いつの日か、あの戦妃の様な強い女性となり、この国と民を守り続けるために。
「宗一郎様」
懐かしい名前であった。
参謀長リクトビア・フローレンス。それは彼の、本当の名ではない。
長門宗一郎。彼はこの世界に迷い込み、メシアからリックという名前を貰った。そしてユリーシアは、彼に願いを込めて、尊敬する女性の名前を与えた。
あの瞬間彼は、長門総一郎という男ではなくなり、ヴァスティナ帝国軍参謀長リクトビア・フローレンスという、この世界の人間となった。
「俺の本当の名前・・・・・・。俺が本当は何者であるのか、その名前を聞くと思い出します」
「私は貴方の名の上に、別の名を覆い被せました。それは、貴方という存在を書き換えたに等しい」
「恨んでませんよ。寧ろ感謝してます。メシア団長と陛下は、俺にこの世界で生きるための存在を与えてくれましたから」
「戻りたいとは、思わないのですか・・・・?」
「思いません。俺はリクトビアとして生きると決めたんです」
思わないのではない。戻りたくないだけなのだ。
彼はいつまでも、自分の心の闇を払う事ができない。
「急にどうして、こんな話を?」
「・・・・・・貴方と私の約束。約束が果たされる日は、本当に訪れるのでしょうか・・・・・・」
二人の約束。誰も知らない、二人だけの約束だ。
この約束がある限り、リックは彼女のために戦い続ける。そしてユリーシアは、彼のために女王として国を治める。お互いが全てを懸ける、たった一つの約束。
あの日、少女と交わした約束が、リックの頭の中に思い起こされる。
「不安なんですね」
「私たちの力で、あの約束を果たす事など・・・・・・」
この約束を果たすという事は、世界を塗り替えるに等しい。
約束が果たされれば、世界は変わる。それはつまり、二人の約束を果たそうとする先に、多くの困難が待ち構えているという事を指す。不安に思うのも当然だ。
だがリックは違う。たとえどんな不安を持とうとも、彼女の前では決して明かさず、どんな困難が現れようとも、打ち砕き続ける覚悟を持つ。
「約束は、必ず俺が果たして見せます。だから俺を、信じていて下さい」
彼女に向き合い、その顔を見つめる。
不安の陰を落とす表情の少女。彼はそんな少女を、優しく抱きしめた。
「貴方が・・・・・・ユリーシアが信じていてくれれば、俺は未来を生きていける。約束は、必ず果たすと誓う」
「宗一郎様・・・・・・」
華奢で儚い少女の、純潔無垢の小さな身体。
壊さないよう優しく抱いて、頭を撫でる。
「好きだ、ユリーシア」
初めて出会い、言葉を交わしたあの時から、この気持ちは変わらない。
「私もです、宗一郎様」
抱き合う二人を、夕陽が優しく照らしている。
二人の好きは、シルフィとアニッシュの好きとは違う。
それでも、心は繋がっている。
「・・・・・何だか、恥ずかしいですね」
「・・・・・そうですね」
正直な思いを声に出した二人は、言った言葉を思い出して、急に恥ずかしいという思いがこみ上がった。
お互い頬を赤くし、そっと離れる。
抱き合って感じた優しい温もりを、名残惜しいと顔に表しながら。
「俺は陛下が全てなんです。だから-------」
「いいんです、リック様。わかっていますから」
彼女は、瞼を開いた。
どんな時でも閉じていた瞼を開く。リックは彼女の瞳を初めて目にした。
宝石のような金色の瞳。この世のものとは思えない彼女の瞳は、光を失ってしまっている。光を失ったその瞳を見せ、彼女は優しく微笑んだ。
「反省します。私は、皆に心配をかけ過ぎました。もう政務で無理はしませんし、休息も取りましょう」
言葉にした通り、彼女は反省している。
抱きしめられて感じた、リックの心。愛する人間の、体温と心臓の鼓動。
もうこれ以上、彼を苦しめるわけにはいかない。自分が彼を心配するように、彼もまた自分を心配している。お互いがそれぞれ、約束のために全てを懸けていくのではない。
これからは、二人で支え合っていけばいい。
今までは、お互いを思い合うばかりに、一人で無理をし続けた。それでは駄目なのだ。
だから彼女は瞼を開いた。彼女は自分の力の代償を、誰よりもよく知っている。
未来を見る彼女の魔法は、瞼の裏側に未来を映し出す。何故か視力を失っても、映し出された未来だけは見える。彼女の知る限り、この力は、瞼を閉じていれば不意に発動する。
だから今まで、未来を見る力が帝国のためになると思い、常に瞼を閉じ続けていた。だが、もうこの力に頼って無理をする事はない。してはいけない。
どうせ制御できない力であるのだから、己の身に余る力に、頼る方が間違っていたのだ。
「私と共に、これからも歩み続けて下さいますか?」
彼の答えは、最初から決まっている。
「共に歩み続けますよ。どんな時でも、どんなところでも」
彼は騎士の真似事をした。片膝を地面につき、頭を下げる。彼女には見えていないが、リックは忠誠の証を改めて立てたのである。
忠誠の儀式。それから二十を数える程の時間が経った。
「さあ、帰りましょう。そろそろ、ウルスラたちを護衛の任から解放しなければなりませんし」
「あれ、気付いていたんですか?」
「リック様が私に護衛をつけないとは思えなかったので。恐らくどこかで気付かれないよう、メイドたちが護衛しているのだと思いました。正解だったようですね」
「鎌をかけたんですか?あちゃ~、一本取られましたよ」
幸せな時間。二人の笑顔。
物陰から二人を見守っていたメイドたちも、優しい笑みを浮かべている。
少女と手を繋ぎ、共に歩む。
目の見えない彼女を、彼が支える。そして彼の心を、彼女が支える。
手を引かれ、ゆっくりと歩みを進めるユリーシア。
すると、何の前触れもなく、闇しか映さない彼女の眼が、突然様々な色を映し出した。
「・・・・・・・!?」
「陛下?」
その場で突然、彼女は立ち止まった。
一体どうしたのかと、彼女の方を向いたリックは、震える少女の様子から、何が起きたのかをすぐに察する。
「そん・・・な・・・・っ!」
「陛下!だめだ、見ちゃいけない!!それ以上見たら、貴女が!!」
ユリーシアの魔法が発動してしまった。
未来を見通すという特殊な魔法。少女の身に、あまりにも大き過ぎるこの力は、瞼を開いていたのに発動した。ようやく彼女は気付く。この魔法は、瞼を閉じようが開こうが関係ないのだと。
自分の意志に関係なく、命を吸って魔法は発動してしまう。その命が尽きるまで、永遠に。
「陛下!!」
「っ!?」
未来を見た。残酷な未来を。
ユリーシアは体勢を崩し、その場に倒れ込みそうになる。手を握っていたリックが、地面に倒れそうになった彼女を受け止める。
「リック・・・さま・・・・・」
「しっかりして下さい、陛下!!」
見てしまった未来の代償として、その命を吸い取られてしまう。
リックの脳裏に、メシアの言葉が蘇る。
(あの方はいつ命を落としてもおかしくない。それを忘れるな)
訪れてはならない、最悪の未来。脳裏にその光景が過ぎり、冷静ではいられなくなる。
彼の名前を呼んで、彼女は意識を失った。
物陰から見守っていたメイドたちも、状況の急変を理解し、急いで二人の元へと駆け寄った。
「陛下!返事をして下さい、陛下!」
彼女の意識は失われたままだ。
どんなに呼びかけても、意識を取り戻す事はない。
「頼む、返事をしてくれ・・・・・・ユリーシア!!」
この日、ヴァスティナ帝国女王は倒れた。
表向きには病にかかったと伝えられ、帝国内と友好国に衝撃を与える事となった。
女王が倒れた話が広まり、数日が過ぎた。
帝国から少し離れた場所に建てられた、とある貴族の屋敷がある。そこには今、何人もの男たちが集まっていた。
男たちは全員貴族であり、ヴァスティナ帝国の重要人物である。帝国の領地をそれぞれ治め、建国当時からこの国を発展させてきた、この地方の伝統的貴族たちである。
だが今は、帝国王族を目障りに思う、帝国女王の敵対勢力である。
貴族たちが集まったこの屋敷内では、内密の話を進める食事会が行なわれていた。豪華な装飾が施された室内には、丁寧に盛り付けられた料理の置かれた、円形のテーブルがあり、その席に腰かける貴族たちの姿があった。
「例の策、実行するのは今かと思いますが?」
「確かに女王が倒れた今、これはまたと無い好機だろう」
「しかしだな、あの小娘の周りには厄介な者たちがいるぞ。これはどう排除する?」
貴族たちの企みが進んでいる。
前々から彼らは、帝国女王の排除を画策していた。表向き病で倒れたと伝えられ、城で療養している女王を、如何にして排除するのか。それが話し合われているのだ。
女王が倒れた事で帝国国内は混乱し、政治機能は低下する。政治だけではなく、帝国のあらゆる事に、女王の療養は大きな影響を与えるだろう。勿論それは、良い影響ではなく悪い影響だ。
今まで、女王を中心にまわっていた帝国国内も、柱である女王が倒れた事によって、大きな隙が生まれる。この隙に、自分たちの企みを進めてしまおうと考えているのだ。
貴族の一人が言ったように、これはまたと無い好機と言える。ここで動こうと考えるのは、間違っていない。
だが別の貴族が言ったように、帝国女王の周りには、忠誠心の高い騎士団長と参謀長、二人の配下の精鋭部隊がいる。この国の貴族たちは、独自の戦力を有しているわけではない。建国以前は戦力を所持していたが、建国で戦力の統合化が図られ、貴族たちが戦力を持つ事は無くなったのである。
そのため彼らは、帝国騎士団と軍を相手にできる程の、強力な軍事力は所持していない。精々持っているのは、自分たちを護衛する騎士たちのみ。兵力と錬度は帝国騎士団に全く及ばないため、女王を排除する策を実行した時、帝国騎士団と軍を相手にする様な事があれば、貴族たちに勝ち目はない。
「先日の戦勝の宴。あの男は利用できそうになかったのか?」
南ローミリア決戦の後催された、戦勝の宴。その宴の目的は、帝国参謀長の偵察であったと言える。
反女王の貴族たちは、帝国軍参謀長が噂通り、本当に女王へ絶対の忠誠を持つ者かどうか、それを確かめたのだ。
貴族たちの考えでは、あのような素性の分わからない男が、どうやって女王に取り入って参謀長になったかは不明だが、必ず何かしらの野心があるのだろうと、そう踏んでいた。
女王への忠誠心は偽物であり、参謀長となって機会を窺っている野心家だと考えていたのである。
だが、その予想は完全に外れてしまった。
「あれは使えない。宴の席で少し話したが、野心があるようには思えないのです。忠誠心は本物で間違いないでしょう」
この屋敷の主人であり、反女王勢力の主導者である貴族の男が答えた。
男は参謀長と世間話をしただけだ。しかし、今まで幾度となく腹の探り合いを経験し、今日の自分の権力を築き上げたこの男は、人間の野心の有無を見分ける眼を持っている。
世間話をした時、参謀長は表情こそ笑みを浮かべていたが、男はすぐに、それが見せかけだと気付いた。
内面から漏れ出ている、自分への怒りと殺意が混じった敵意。握手をして感じた若い参謀長の敵意は、反女王の考え方を持つ自分へ向けられていると、すぐに気付いたのである。
だから使えない。もしも野心ある者であれば、この機会を利用して、両者手を組むという事も出来ただろう。そうなれば、貴族が女王に、参謀長が騎士団にあたり、女王とその勢力を排除する事ができるのだ。
「例の男と騎士団長は厄介な存在だ。とは言え、策が無いわけではない」
「ほう、一体どのような策が?」
「女王を排除できればよいのです。ならば、やりようは幾らでもある」
不敵な笑みを浮かべる貴族たち。
彼らの目的は、自分たちの欲望を叶える、新たな支配者をこの地に置く事である。自分たちが全てを治める統治者になるのではなく、自分たちに甘い汁を吸わせてくれる者が、この南ローミリア地方を治めてくれれば、支配者の陰に隠れて好き勝手ができる。
簡単に言えば、これが彼らの目的である。
その目的を果たすには、自分勝手な統治を許さない、今のヴァスティナ帝国女王が邪魔な存在なのだ。
「今すぐ事を起こす必要はない。もう少し様子を見てからです。皆さん、我らの輝かしい未来はもうすぐ訪れるでしょう」
彼らの企みは、ゆっくりと確実に進んでいる。
帝国へ・・・・・・、いや、帝国女王へと背後からの魔の手が迫る。




