第一話 初陣 Ⅵ
「宗一、準備が完了した」
「了解です。じゃあ行くとしますか」
全ての準備が整った。もう日も落ちている。
考えられた無茶と言える奇策に全てを賭け、騎士団長に頼んで、全兵士たちを総動員して準備に取り掛かり、今ようやく作業が完了した。兵士たちだけでは時間がかかりすぎる為、城下の街全体から、非戦闘員である国民を招集し、女王などの許可を得ないまま、準備を手伝わせた。
国民が戦争準備の手伝いに、意欲的に取り組んでくれるかは不安だったが、彼らは命じられたまま、黙々と作業に取り掛かっていた。彼らもこのまま国が滅ぼされるのを、黙って見ていることができないのか、それとも、女王陛下に忠誠を誓っている為かはわからなかったが、文句一つ垂れず、作業する国民を見ていてわかったのは、皆この国を愛しているのだということだ。
愛国心というものがあるのだろう。それを意識しているのか無意識なのか、生まれ故郷が蹂躙される様を見たくはない気持ちが、彼らを突き動かしているのだ。
ユリーシア女王の治める帝国は、国を愛する民のいる素晴らしい国だ。
「宗一。お前の名前は少し呼びにくい」
「さっきまで普通に呼んでていきなりなんですか。まあこの大陸じゃあこんな名前は不自然かもしれないですけど、一体どうしろと言うんですか」
「名前を変えよう。・・・・・・・・リックでいいな」
「ちょっとちょっとちょっと待ってくださいよ!?拒否権なしですか!強制なんですか!!」
「リック、他の人間に不信感を少しでも与えないためだ。わかるな?」
「そりゃあわかりますけど・・・・・・・・。はぁ、いきなり名前を変えろだなんて急すぎですよ。しかも速攻決まったし」
彼女が自分のことを考えて配慮してくれているのは、勿論わかってはいるが、言葉足らずというか唐突というか、それとも不器用なだけか、とにかく、この人には逆らえない気がする。
だが、彼女のこういった他者を思いやる優しさが、付き従う兵士たちの、信頼を集めているのだろう。彼女の配下は皆、忠実に従い士気も高く頼もしい。これも彼女だからこそできることなのだ。
「今から俺の名前はリック。遠いところから流れてきたただの旅人です。・・・・これでいいですか?」
「問題ない」
「これから死地に赴くっていうのに緊張感も何もないですよ。まあ、おかげで無駄に緊張してたのがほぐれました。ありがとうございます騎士団長」
さっきまで、戦いに緊張していたのを察してか知らずか、特に彼女が冗談を言ったわけではないが、会話をしていただけで緊張が少し和らいだ。
自分にとって初めての戦争。その初陣である。心の中は緊張と不安でいっぱいで、それら全てがどろどろに混ざり合い、胸の中を満たしていく感覚は、とにかく気持ち悪くて、吐き出してしまいたいものだ。
しかし、吐き出すことも逃げることも許されない。吐き出して逃げてしまえば、守りたい者を守ることができず、後に残るのは、後悔と絶望だと知っている。
同じようなことを、何度も何度も考えて苦悩している。だが、苦悩する時間はもう終った。
こんな心境の自分を察してなのか、彼女が支えになってくれているのを感じる。会ってまだ一日も経っていないのに、こんな自分に良くしてくれる彼女は、人として立派で、自身がなりたくともなれない大きな存在だと思う。
ユリーシアのためだけではなく、騎士団長である彼女のためにも戦わなければ。
そういう気持ちを抱いた。
「メシアだ」
「えっ・・・・?」
「私の名前だ。これからはそう呼べ」
「メシアと言うんですか・・・・・・」
「変か?」
「いえいえ!?・・・・・・・とても良い名前だと思います」
騎士団長メシア。そして通りすがりの旅人リック。
二人はこれから戦うべく、全軍のもとへと向かう。
千人も人間が集まるとやはり壮観で、それらが全員、武具と防具で武装しているのだから、さながら映画のようだ。目の前に映っているのは、映画ではなく現実で、それを率いるのが自分だと、未だに信じられない。
集めた全兵士は、真っ直ぐ整列し命令を待っている。命令の内容は出陣である。
その命令が下れば、彼らはそれに従い敵と戦うのだ。今彼らは、守るべきものを守るためだと、自身に言い聞かせ、この場に踏み留まっているのだろう。皆怖いのだ。
戦いで死ぬことが、会いたい人に二度と会えなくなることが、まだまだ生きたいという思いが、彼らに恐怖を与えている。辺りは日が沈み暗くなって、松明などの燃えさかる火の明るさが、彼らの表情を照らしているが、その顔からは不安と恐怖が伝わってくる。
これから、全てを賭けた大きな戦いを前に、現状の士気では勝利はありえないだろう。兵の数も大事だが、戦いをする兵の士気の良し悪しは、戦いに大きく響くものだ。これは戦争に限らず、勉強にもスポーツにも仕事にも言える、誰もがわかっていることだ。やる気がなければ何もできない。
気持ちは十分わかるが、このままではいけない。全兵士を、戦いに命を捨てるようにしなければならない。
「メシア騎士団長、俺がやります」
「いいのか?」
「はい。これは俺の責務です」
整列する全軍の前に、最前列から最後尾までを見渡せる台が立っている。その台の上に辿り着いて、全兵士を見渡す。彼らを戦いに駆り立てるためには、これからここで行なう行為に、全てがかかっている。
そしてこれは、自らの選択の責務である。今ここで、彼らに戦って死ねという命令を下すのだ。
「全員、聞いてくれ!!」
息を大きく吸って声を張り上げ、列の最後尾の兵士たちにも聞こえるよう叫ぶ。
声に反応した全ての兵士たちが、こちらへと視線を向ける。これが出陣前の最後の言葉だと、誰もがわかっているのだ。故に彼らの不安と緊張は、言葉にはできない程であるはずだ。
「この戦いはヴァスティナ帝国の存亡が懸かっている!オーデル王国に負ければこの国が滅亡することは、ここにいる全ての兵士たちがわかっているはずだ!!」
彼らはそれをさせないためにここにいる。しかし、死の恐怖が纏わり付き、体が動かない。
ならば、その恐怖を別の感情で忘れさせてしまえばいい。
「敗戦した国がどうなるか知っているか?この国に他国の人間が土足で入りこんで好き勝手に振舞うだけじゃない!金目の物も食べ物も根こそぎ奪われて、次に何が奪われると思う!!」
皆々が思い思いの想像を膨らませ始めたが、その表情はすぐに、この世の終わりを告げられたような、絶望的な表情へと変わっていった。
「想像できたか?次に奪われるのは女子供だ!!女たちはオーデルの兵士たちの慰み物にでもされて、壊れてしまうまで犯されるだろうな!子供は奴隷にされるか、それとももっと恐ろしい目に合うかもしれない。そんな光景が想像できるか!?」
兵士たちの様子が変わった。先程まで彼らを取り巻いていた空気が、殺気を帯びたものへと変わっていく。
だが、まだ足りない。
「戦わずに降伏したって同じことだ!どのみち無力な女子供に未来は無い。敗北しても降伏しても帝国の国民は全て奴らの支配下になって、自由も何も失って家畜以下の存在に落とされる!男たちは強制労働、労力にならない老人は殺される。それでいいのか!!」
そんなことを認めるわけにはいかない。当然だ。
だが、わかりきっていることを言葉にし、全員を煽ることは必要なことだ。
今彼らは、どうしようもない程の怒りと、殺意がこみ上げてきているころだ。兵士である前に人である彼らにも、家族はある。ある者は両親を、ある者は妻や子を思い、それらがオーデル王国に蹂躙される様を想像したはずだ。
それを想像できてしまえば、絶望するしかないだろう。しかしその後には、敵に対しての大きな怒りが心を侵食し、人を狂気の化け物へと変貌させる。怒りに支配された狂った人間に、怖いものなど何もない。
これを待っていた。
「女王陛下は降伏を考えていた。帝国と国民を救うためだ。その代償は自身の命だというのにだ!しかし奴らが降伏後に約束を守ると思うか?。オーデルは侵略者なんだ!!そんな約束を守るはずがない!この国は戦って勝たなければ未来はない!!」
「そうだ!!参謀の言うとおりだ!」
「女王の命を代償にするなんてことが許されるわけがない!」
「侵略者の横暴を許すな!!」
兵士たちの間で、次々と反オーデルの声が上がる。最初は数人だった怒りの声は、やがて全体に広がっていき、その声は次第に大きくなっていった。彼らがこちらの思惑通りに、怒り狂っていくのがわかる。
こうなってしまえば、後は死をも恐れず敵を殲滅するまで戦う、最凶の軍隊の誕生である。
急場しのぎではあるものの、士気は向上し、頭の中はアドレナリンが満たしているだろう。これならば、戦いを始めることができる。
「行くぞ、出撃だ!!帝国を脅かそうとする害虫共を一匹残らず根絶やしにするぞ!!」
「「「「「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉーーーー!!!!!」」」」」
人の叫びとは思えぬ、怒りと狂気に満ちた雄叫びが響き渡り、今、全軍が動き出し始めた。
それを確認してから台を下りると、メシア団長が歩み寄って来る。
「よくやった」
「よくやったですか・・・・・。兵士たちを死地に追いやることは、褒められたことじゃないですよ」
「お前がやらなければ私がやっていた。しかし、ここまで上手くはできなかっただろう」
そんなことは無いはずだ。見ず知らずの他人である自分がやるよりも、信頼厚い騎士団長の方が、彼らは命令を聞いたはずである。
だが彼らは、作戦準備の段階で、反対もしたが、自分の指示を正確にかつ意欲的に取り組んだ。団長が認めた参謀だから、という理由もあるかも知れないが、一世一代の作戦に希望をもった彼らは、自分に全てを賭けたのだ。
だからこそ、全体の前で激励の言葉を叫んでも不平不満はなく、真剣に耳を傾けていてくれていた。
そんな純情とも言える帝国の兵士たちに、死んでこいと今命令したのだ。
「女王陛下のことを話した時に聞こえた賛同の声、あれはお前の仕込みだな」
「流石ですね。場の盛り上げのために、あらかじめ何人か用意していたんです。人間っていうのは周りに流されやすいですから」
この時に何かしらを叫んで欲しいと、前もって準備しておき、その時が来たらこちらに賛同して貰い、周りの士気向上のきっかけを作るという役である。
これがあれば、迷いや不安がある人間でも、周りの空気に呑まれていき、全体の意思を一つにすることができる。
兵士たちの前で言った言葉の内容は、その半分以上が本などで読んだネタであり、根拠のないものだ。オーデル王国は侵略行為をしているわけだが、本当に国を蹂躙する巨悪なのかは不明だ。
だがしかし、そうでも言わなければ、彼らに怒りの火を灯すことはできなかっただろう。
勝利のためには、万事を期さなければならない。ユリーシアのためなら、この先どれだけの犠牲が出ようとも、何だってするという心が、狂気の道へと自分を駆り立てていくのがわかるが、その道に進んでいるかどうなのかなどは、今はどうでもいいことだ。
「やはりお前を参謀にしてよかった。お前がいなければ、私は全軍を率いてオーデル軍と正面から戦い、敗れていただろう」
「陛下は降伏するつもりでした。まさかそれでも戦うつもりだったんですか?」
「そうだ。戦うことが私の全て。そして女王陛下をお守りすることが、私の命を懸けた使命だからな」
「俺がやらなくてもメシア団長が・・・・・・・」
「お前がいたからこそ、この戦いは勝利できる。私はそう信じている」
どうしてユリーシアのために、そこまでの忠誠を示すのかはわからないが、彼女もまた同じことをしようとしていたという事実は、罪悪感のあった心に安心感を与えた。
そんなものを感じてはいけないとわかっていても、彼女の言葉にそれを感じてしまうのは、己の弱さと言える。
結局、ユリーシアのために全てを賭けると言っておきながら、そんなことを気にしてしまう自己矛盾の塊な自分は、本当にどうしようもない人間だ。
「余計なことを考えるな」
「メシア団長・・・・・」
「勝利のことだけを考えろ。でなければ何もできずに死ぬぞ」
その通りだ。今は自己反省会などやっている場合ではない。
ただ勝利のことだけを考え戦うのみだ。これから始まるのは、狩人気分の人間たちを逆に獲物にしてしまう、壮大で圧倒的な戦いなのだ。そのための手は全て尽くし、どんな犠牲も厭わないと決めた。
人をこの手で殺したことはないが、勝利のために敵は殺す。その事だけを考える。
それができなければ死ぬだけなのだ。頭の中を、これから起こる戦いのことだけを考えるように、何度も暗示をかけていく。考えるのは単純に一つだけだ。
(ユリーシア、俺は必ず勝つ。だから諦めないでいてくれ)
それから間もなくして、ヴァスティナ帝国軍は城より出撃した。