第一話 初陣 Ⅴ
この世界に迷い込んだあの時、まだ日が昇って少し経った後だと、三人の兵士に馬に乗せて貰い、移動していた時に教えられた。そして帝国に到着したのは、それから何時間も掛かってのことである。
その後、騎士団長の取り調べと女王の謁見とお茶の時間で、かなりの時間が経って、今現在は日が沈み始めて、空があかね色に染まっている。もうじき今日は夜を迎えるのだ。
しかし、今日が終わりに近づきつつある現状で、未だオーデル王国の侵攻に、有効な考えが思い浮かんでいないのが問題である。
「オーデルの戦力はどれぐらい何ですか?」
「兵力は約二万五千人だそうだ。対して我が軍は騎士団が五百人と寄せ集めが約五百人の、合わせて千人といったところだな」
「・・・・・・・・冗談ですよね?」
隣に立って、兵士たちの戦闘準備の指揮をしている騎士団長は、勿論冗談を言う人間ではなく、表情は真剣そのもので、真面目に質問に答えてくれたのはわかる。
だが、とても勝てる見込みのない戦力差である。
騎士団長と二人で戦いの意思を確かめ合った後、現状の説明を受けながら、兵士たちに戦いの準備をするように命令して、どのような戦略で、敵を向かえ討つかを考えている最中である。
まず今わかっていることは、もう敵に国境は越えられているが、敵の進撃速度は遅いということで、これは敵が勝利を確信しており、こちらが降伏するのを待っていることと、確定している勝利のために、無理をして急速な進軍をする必要はないと考えているからだと、騎士団長は予想している。 もっとも、大軍である以上は、機動力にどうしても制限が付くというのもあるだろう。だが進撃速度が遅いと言っても、明日にはこの城まで到達するという見込みらしい。
国民は城下から避難を始めてはいるが、作業は遅れているという話で、今来られれば被害は、非戦闘員である国民にも及ぶ状況でもあると言うらしいから、進撃速度が遅いのは救いであるし、何より、こちらの準備の時間があるのはありがたい。
兵士たちの武装は、当然剣や槍に弓矢といったもので、自分の知る現代戦争に使われる、銃やミサイルなどというものは一切無い。武装に関しては敵も同じらしく、細かい質はわからないが、性能に大差があるわけではないだろう。武器の数に関しては十分な数があり、装備の無い兵士が出ることはないそうだ。
籠城なども考慮して、食糧がどれほどあるかということについては、この土地が作物が豊富に育つ、極めて豊かな土地のため、多くの備蓄があるという。だが、この豊かな土地を狙って、オーデル王国は侵略してきたのだと聞かされた。
昔のヴァスティナ帝国は大きな力を持っていて、侵略しようと狙っている他国が、迂闊に手を出せない程だったらしいが、年が経つにつれ弱体化し、現在では、全く力が無い小国に等しいものであるという。
豊かな土地であったために侵略されるとは、まさに皮肉ではあるが、この世界は力こそが基本であり、弱いものは淘汰される世界なのだと思い知る。自分の元いた世界も同じではあったと思うが、それとは比べものにもならないものだと感じるのは、目の前に戦争が迫っているからだろう。
最後に、敵の現在地は偵察をした兵士のおかげで、正確な位置を掴んでいるそうだ。
この地域のことがわからないため、細かい内容は聞かなかったが、敵軍の編成や指揮官の位置も掴んでいるらしく、情報戦では敵に有利な立ち位置にいるようだと思った。
しかし、詳しくは聞いていないが、こちらの状況は裏切り者のせいで、ある程度露見しているらしい。兵士たちの中に、国を裏切って、敵軍に情報を流している人間がいるのかと聞いたが、どうも兵士ではなく、帝国を売っているのは自国の貴族たちで、王国に取り入って、身の安全を固めようとしているらしいのだ。
幸い、これ以上の情報漏洩がないように、もう手を打った後らしく、こちらの動きが簡単に察知されてしまうことはないそうだ。敵が強大なのに、味方にも敵がいては戦いにすらならない。
敵軍の内容が簡単にわかったのは、オーデルの兵士の質が悪く、色々と穴があって、情報を集めやすかったと、偵察してきた兵士が言っていた。これは勝算の上がる話である。
後から知ったが、自分が助けた三人の兵士は、偵察し終えて撤退しようとしていたところを、哨戒中の敵に見つかり、あのような状況になっていたのだと、騎士団長から聞かされた。あの三人から事情を、こっちの知らない内に聞いていたそうだ。
まとめると、情報戦で勝っていることと、敵兵士の練度が低いというのは重要なことであり、武器と食糧が十分あるというのも良いことであるが、それでも、二万四千人分の差を、一体どうやって埋めればいいのかが、まるでわからない。これが現状のまとめだ。
「まともに戦えば我が軍は負けるが、何か策はあるのか」
「今のところは無いですね。真正面からぶつかるという選択肢は当然ないですけど」
「私は戦うことしか知らない。だからこそ、戦略は宗一に任せたいと思っている」
「戦いは素人なんですが・・・・・・」
「宗一。情報収集を重要に考えているお前は、戦いというものを理解している。だからこそ、状況確認のために私に色々と質問したのだろう。この軍には参謀と呼べる者がいない。その役はお前が適任だ」
宗一と言う名前を呼んで、やはり真剣な表情である彼女は、冗談ではなく本気で言っているのだとわかる。名前がわからないと不便ということもあり、彼女には宗一と呼んでもらうことになったが、早速呼ばれてみれば、無理難題である。
当然のことだが、軍隊の指揮をしたことなど、あるわけがないのにもかかわらず、彼女はやれと言ってきている。とんでもない話だ。
参謀ということは、軍の頭脳とも呼べる者であり、やはり賢い者でなければ務まらないものだと自覚しているが、生憎自身はそれに当てはまる能力ある人間ではない。
勉強は苦手で、特に理数系は全くわからず、歴史には少し自信がある程度で、参謀という大役を務める能力は無いし、何よりそれは人の上に立つことであり、大きな責任を負うということなのだ。
果たして自分は、その責任に目を背けず、背負うことができるのか。
「俺が参謀で本当にいいんですか?」
「ああ。この戦いを始めたお前だからこそだ」
そうだ。この戦いを始めたのは自分なのだ。
そして勝たなければ、全てが失われ何も残らない。
勝利のための責任を怖がることは許されず、逃げることも許されない。全てを背負って、戦う事から逃げてはいけない。覚悟を決めるのだ。
自己を中心に考えるなら、こんな責任知ったことではないだろうが、それに従わないのは、ユリーシアを守るという信念。
(そして、俺に微かに残ってる男の意地か)
たとえどんな結果になろうとも・・・・・。いや、勝利という結果しか許されない責任を背負う、覚悟を決めなければいけない。
「やります。俺が指揮を執ります」
「今から私はお前の指示で動く。作戦は任せるぞ」
「騎士団長殿の指揮のもと、一兵士として戦うつもりだったんですけどね」
「この方が役割があっている。私は最前線で戦うことしかできないからな」
他の兵士たちを率いている身で、それは本当なのかと疑いたいが、冗談を言わない彼女が言うなら間違いないと、自分に言い聞かせて無理やり納得することにする。最前線で戦う褐色肌の銀髪騎士は、戦場のアマゾネスなのだろうなと想像すると、まさに板についた姿のように思えた。
・・・・・・こんなことを考えていると、また心を読まれるかも知れないので考えを切り替える。
さて、参謀になったからには作戦を考えなくてはならない。しかも、二万五千の敵軍を打ち破る奇策が求められている、この状況でだ。
単純に、兵士の数で敵を上回るのは、戦いに勝つための基本で、質よりも最終的に数がものをいうことは、戦いの歴史が証明しており、如何に兵力で相手を圧倒するかというのは、基本かつ重要なことだ。
しかし現状、兵力を集める時間もなければ当てもない。
そうなると、こちらから攻撃をかけるのは、兵力差的に敗北しかないため、城に立て籠もり、敵が諦めるまで戦い続ける籠城策しかない。だが籠城をしたとしても、援軍が来る見込でもなければ、いずれは数で押し切られてしまう。
とある兵法書では、籠城する敵を倒すには、攻撃側は籠城側の三倍の兵力が必要だと書かれている。
ヴァスティナとオーデルの兵力差は三倍どころではないため、そもそも勝ち目はないだろうし、何より勝算ない籠城では、味方の士気も体力ももたないだろう。
となれば籠城戦に勝機はなく、博打と言えるだろう奇策をもって、打って出るしかない。
奇跡のような奇策を考えるためには、今何があって何が使えるのかを、正確に知る必要があり、作戦に使えそうなものを、残らず掻き集めなければならない。使えるものは何でも利用しなければいけないし、形振り構ってはいられないのだ。
(いっそクラスター爆弾か燃料気化爆弾でもあればいいんだけどな・・・・・・)
どっちも無いものねだりである。絵に描いた様なファンタジー世界に、自分のいた現代の戦術兵器があったなら、ファンタジーの夢も希望もぶち壊しだ。
もし現代兵器があれば、たかだか二万五千人など、一時間の内に殲滅できるだろうが、騎士団長に強力な兵器などはないのかと聞いたところ、そんなものは無いと即答されたため、兵器によって勝利を目指す作戦は諦めた。
ただ、防衛戦の際に、城内から敵軍を攻撃するために作られた、投石機が十基あることがわかった。投石機とは、木材などの弾力とてこの原理を利用し、遠くの目標に、石などを山なりに飛ばすものである。
これは簡単な構造で、組み立てと分解が容易にできる、優れものだそうだ。戦いを有利にするためにも、このような兵器があるのは嬉しいが、これだけでは、まだまだ勝利には足りない。
投石機を使えば、敵軍の真っ只中に石などを降らせて、敵軍の陣形を崩すことができるかも知れないが、それだけでは決定打に欠けるし、構造が簡単とは言っても、かなり大きい投石機であるため、運用には輸送と組み立て、そして打ち出す係りが必要であるから、多くの人員と労力が必要になる。利用したいが、運用が難しい兵器であるのは間違いない。
兵器ではないが、重要な戦力であろう馬は期待できる。帝国騎士団の騎馬は、甲冑を全身に装備した騎士が乗っても、十分な速度と、長い時間走り続けられる体力を持っているらしい。この馬は先程見せて貰い、その大きさや体つきを確認している。
高い能力と言うだけあって、体は大きく、筋肉の付き方がしっかりとしているのが、素人の目でもわかる程で、自分が偶々見たことのある、競馬中継の馬とは何もかもが違うのを感じた。
この地域の馬の中には、他国も欲しがるという、大きく力強い種が少数生息しており、それらを、馬狩りにより捕まえて飼い慣らし、軍事利用と輸出のために、少しずつ数を増やして現在に至るらしい。
しかし、増やしているとはいえ、多くの頭数がいるわけではなく、現状使えるその馬の数は五十頭ほどで、戦局に響くほどの頭数がいるわけではない。
勿論他にも、様々な目的で使われている馬は多くいるが、この種と比べれば見劣りしてしまうものであり、重要な戦力とは言えない。
投石機と有能な騎馬を利用した奇策など、本当にあるのだろうか。
「おい、なんだこの樽は!何だって大量にこんなところにあるんだ!!」
準備に動く多くの兵士たちの喧騒の中、聞こえてきた怒鳴り声に反応して、声のした方に目を向ける。見ると、木製の樽が大量に置かれている近くで、如何にも強面の男が、周りの若い男たちを集めて怒鳴りつけているのが見えた。
「何の騒ぎだ」
「騎士団長?!いえ、このくそ忙しい時に邪魔なほど大量の樽があったもので」
「何故こんなものがあるのだ?」
「若い連中に聞いたら、なんでも、この前盗賊に襲われていた商人どもを外での訓練帰りの騎士たちが助けた時に、その礼にくれたものらしいんですよ」
「だが、この量は多過ぎだろう」
「それがその日は、たまたま他の商人どもも来てたみたいで、いらない物と交換したとかで、そいつと合わさって、ここに置かれたままになってたみたいでして」
確かに、一体何を思って、こんなにも積み上げたのかわからない程に、数えきれない樽が積み上げられていた。それらがかなりの場所をとっており、この強面の男が言うように、邪魔であるのは間違いない。
「中には何が入ってるんですか?」
「なんだお前は?見ない顔だな」
「この男は新しい参謀だ。答えてやれ」
そう聞いた男は、信じられないという驚いた表情を見せ、男の後ろにいた若い兵士たちも、皆同じような反応を示した。見ず知らずの若い男が、いきなり軍の参謀になったと言われたのだから、無理もない。
参謀になったことにも問題がある。それは、如何にして千人の兵士たちの信頼を得るかだ。しかも、短時間の間に何とかしなければならない。
作戦と指揮を任され、これから戦いに出るというのに、自軍兵士たちの信頼を勝ち得ていなければ、こちらの指示に従わない可能性が高い。如何に奇策を考えようとも、それを完璧に実行できる人間がいなければ、作戦をいくら考えても無駄であるし、戦闘においても、味方同士の命令系統が機能しなければ、それは軍隊ではなく烏合の衆になってしまう。
彼らの反応はそれを思い知らされる。しかし、今そのことを考えるのは後回しだ。
「騎士団長が言うように参謀になった者です。なので、樽の中身を教えて貰ってもいいですか?」
「・・・・・・・まあ団長が言うんだったら教えないとな」
頼みを聞いた男は樽の方へ近づき、一つ、手近な樽の蓋を開けてみせた。蓋の空いた樽の中を覗き込み、中身を確認する。
「見てみろよ。こんなにたくさん、祭りでもやるのかってんだ」
「この臭いは・・・・・・・・。なんでまたこんなとこに放置しとくんだ。これが一体何の役に立つって言う---------」
言いかけてそこでとまり、現状を思い返していく。
見て聞いて、帝国が集めた全ての戦力と、武器を思い返していく。そして、ここにある邪魔な大量の樽と、その中身を考える。
今まで何も思いつかなかった頭に、小さな閃きが奔り、それはどんどんイメージを膨らませて、現実的に可能かどうかを考えさせる。
結論が出た。
「ははっ、ははははっ・・・・・・。こいつはいい」
「どうした宗一」
「騎士団長!今から言うものを用意してください、大至急!!それと相談があります!」
周りの男たちは、突然思い立ったように喋りだした参謀に驚いた様子だったが、彼女は特に驚くこともなく、変わることない無表情。だが、一番驚いているのは閃いた自分自身。
閃いたのは敵を打ち破る奇策。成功確率の怪しい最大級の博打。
それでも、最早これしか道はないはずだ。
「ははっ、忙しくなるぞ!オーデルの奴らはこれでお終いだ!!」
希望が生まれたが不安は大きい。だが、そんなものは関係なく、今頭に浮かぶのは、叩き潰されるオーデル軍の様と、ユリーシアの願いを叶えられる喜び。
笑いが止まらない。そして気が付いた。
自分がこの状況を唯一楽しんでいる、狂った人間であるということを・・・・・・。