第五十七話 侍従乱舞 Ⅰ
第五十七話 侍従乱舞
彼女は同じ夢を見る。
まだ幼かった頃、優しかった父と母の愛情を受け、大好きだった姉と過ごした幸福の日々。それは突然終わりを迎え、優しかった二人は彼女の目の前で命を絶った。そして次は、大好きだった彼女の姉さえも、彼女一人を残してこの世を去った。
彼女は忘れられない、あの失われた幸福な日々を、夢の中では思い出せる。優しくて、美しくて、愛らしかった自分の姉が、無垢な笑顔で彼女に微笑む度、夢の中で彼女は、自分の瞳を涙でいっぱいにしてしまう。
そうやって泣いてしまう度に思うのだ。どうして最愛の姉は、こんなにも早く死ななくてはならなかったのだろうと⋯⋯⋯。
誰が自分から姉を奪ったのだろう。答えを求め考えると、必ず一人の男の姿が思い浮かぶ。
いつもそうなのだ。いつも思い浮かべると、殺意と憎悪で心がぐちゃぐちゃになる。どうしても許せなくなって、泣き叫んでしまうのだ。
泣いて、叫んで、悲しんで、憎んで、吐きそうになるくらい心が苦しくなって、そして目が覚める。
「はあ⋯⋯⋯はあ⋯⋯⋯、はあ⋯⋯⋯⋯」
寝室のベッドの上で、アンジェリカは荒い呼吸を繰り返し起き上がっていた。汗で寝間着を濡らした彼女は、苦しそうに胸を掴みながら、何とか呼吸を整えると、汗で顔に張り付いた髪をかき上げる。
目が覚めてしまったアンジェリカが、月明かりの差し込む寝室を見渡す。やはり、さっきまでのが夢だったと分かり、憤る様に深く息を吐いた。
ふと、傍に人の気配を感じたアンジェリカが、ベッドの横へと視線を移す。視線を移した先には、ハンカチを持ってあたふたとしている、一人のメイドの姿があった。
「はわわわわ⋯⋯⋯。へっ、陛下、大丈夫ですか⋯⋯⋯?」
「アマリリス⋯⋯⋯?」
名を呼ばれたメイドのアマリリスは、息を整えたアンジェリカの姿に安堵して、大袈裟に胸を撫で下ろす。何故彼女がここにいるのか、それが疑問だったアンジェリカだが、アマリリスが手に持つ濡れたハンカチを見て、傍で何をしてくれていたかを察する。
「陛下の御様子を見に来たら⋯⋯⋯、急に魘されて⋯⋯⋯。それで私、起こそうかとも思ったんですけど⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯気にするな。悪い夢を見ただけだ」
「あわわわわ⋯⋯⋯、お可哀想に⋯⋯⋯。ノイチゴから眠れるお薬を貰ってきます⋯⋯⋯!」
「不要だ。お前ももう下がれ」
悪夢に魘されている間、アマリリスはアンジェリカの傍を離れず、ハンカチで彼女の汗を拭き、ずっと寄り添ってくれていた。
見た目は少女で、気弱な小動物の様なメイドだが、これでもメイド部隊の中では三番目に歳が上だという。普段からあたふたとして、頼りにならなさそうなメイドだが、誰かの苦しみに寄り添う事ができる、優しい女性なのだと分かる。
アマリリスが寝室に現れたのは、眠っているアンジェリカの様子を確認するためだ。その理由は、今彼女達がいるのはヴァスティナ帝国ではなく、以前まで敵だった国、ジエーデルの国内であるからだ。
アンジェリカが眠る間は、帝国メイド部隊が交代で見回りを行なっている。勿論、寝室の前には護衛の兵が配置されており、建物内も見張りが警戒している。それでも彼女達は、万が一の事態を想定し、アンジェリカを起こさぬよう寝室に入っては、賊の侵入がないかを確認していた。
「陛下がこんなに苦しそうなのに⋯⋯⋯、一人になんて、できないです⋯⋯⋯!」
「時々あることだ。心配するなと――――」
「ユリーシア陛下みたいに、私をおいていって欲しくない⋯⋯⋯!」
「⋯⋯⋯!」
瞳に涙を溢れさせたアマリリス。彼女の頬を涙が零れ落ちて止まらない。
アンジェリカにとって最愛の姉、前女王ユリーシアの名を口にしたアマリリスは、我慢できずに泣き出した。子供のように泣き出した彼女は、アンジェリカに突然抱き付き、彼女の寝間着を強く掴んで離さない。
一体どうしたというのか、考えたアンジェリカは直ぐに思い出した。アマリリスも、ユリーシアが亡くなるまでの間、彼女の看病をしていた者の一人だ。ずっと傍についていたアマリリスもまた、ベッドの上で苦しみ魘されていたユリーシアの姿を、忘れられるはずもない。
きっとアマリリスには、さっきまでのアンジェリカが、あの時のユリーシアの姿と重なって見えたのだろう。そう思ったアンジェリカは、泣いている彼女を引き剥がす事ができず、泣き止むまでアマリリスの好きにさせた。
アマリリスの方が、アンジェリカより倍は年上であるらしい。だが今の彼女は、見た目も相俟って、アンジェリカとそう変わらない少女に見える。まるで泣き虫な妹ができたようだと思い、自然に手が動いた彼女は、アマリリスの頬を優しく撫でた。
「⋯⋯⋯ユリーシア陛下と、同じ」
「えっ⋯⋯⋯?」
「初めてユリーシア陛下の前で泣いた時も⋯⋯⋯、優しく撫でてくれた⋯⋯⋯」
アマリリスがユリーシアの名を出す度、アンジェリカの胸が痛む。しかし同時に、アマリリスがユリーシアの名を出し、彼女の事を話す度に、彼女達が自分の知らない姉の姿を知っているのだと、改めて思い知らされる。
「どうして⋯⋯⋯?」
「?」
「どうして⋯⋯⋯、姉様の前で泣いたの?」
思い返すと歳の話以外、アンジェリカはアマリリスの事を何も知らない。メイドとしては気弱でいつもおどおどしており、担当はお菓子作りである。他のメイド達曰く、女狂いのノイチゴとは違う意味で危険らしいが、どう危険なのかまでは彼女も知らない。
「⋯⋯⋯怒らないですか?」
「なぜ?」
「⋯⋯⋯怒らないなら、話せます」
「だからなぜ?」
「⋯⋯⋯話したら、絶対怒られてしまいます」
「いいから話せ。気になるだろ」
「ひいっ! わっ、わかりました⋯⋯⋯!」
脅迫したつもりはアンジェリカになかったが、アマリリスは泣くのも忘れて怯えてしまう。そんなに自分は恐いのかと、一人落ち込んでしまうアンジェリカではあったが、怯え切ったアマリリスは彼女に構わず、言われた通り恐る恐る語り始めるのだった。
「実は私⋯⋯⋯、ユリーシア陛下を殺そうとしたんです」
「!!」
その時アンジェリカは、自分が今までも見せた事のない、驚愕と怒りが入り混じった顔を露わにした。やっぱり怒ったと言わんばかりに、顔を伏せて怯え震えるアマリリスの姿に、アンジェリカは我に返る。
ユリーシアはアマリリスの手で死んだわけではない。彼女の話は未遂で済んでいるという事であり、今でもメイド部隊の一員である。ユリーシアに対する忠誠も本物であり、彼女の死を悼んで泣いてしまう程だ。
そんな彼女が一体何故と、アンジェリカの頭には疑問ばかりが浮かぶ。そんな彼女に向け、誤解を解かなければと思い、意を決して顔を上げたアマリリスが、震えながら続きを語り出す。
「殺そうとしたのはもう一人の私で⋯⋯⋯。でも今はノイチゴのお薬があるから⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯訳が分からない。まさか私も殺そうとはしないだろうな?」
「しっ、しっ、しません! ユリーシア陛下を手にかけようとしたのだって、たった一度だけです⋯⋯⋯!」
たった一度でも大問題なのだが、彼女が危険と言われている理由が、アンジェリカにも少しは理解できた。ただ、本当にこんな怯えた小動物の様なメイドが、一国の支配者を殺しかけたのか、口で聞いても簡単には信じられなかった。
しかし考えても見ると、帝国女王を護衛するメイド部隊の面々は、メイド長ウルスラを含め、皆危険人物なのは間違いない。リンドウは常に凶器を携行し、ラフレシアは超が付く戦闘狂で、ノイチゴは大鎌を振り回すサドときて、ラベンダーは大鋏を扱う処刑執行人だ。
そんな者達ばかりなのだから、アマリリスが女王殺しを行なおうとした事も、良くはないが納得できてしまう。困惑するアンジェリカは、アマリリスが他のメイド達と同じように、狂気で危険なメイドなのだと理解する事で、一先ず彼女の話を信じる事にした。
「ううっ⋯⋯⋯、私がまだメイドになりたての頃⋯⋯⋯。ユリーシア陛下の寝室に忍び込んで、陛下を殺そうとしてしまいました。そしたら陛下が偶然目を覚まして⋯⋯⋯、その時私、急に陛下を殺せなくなって⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯」
「初めて殺すのが恐いと感じて⋯⋯⋯。私が泣いて陛下に抱き付いたら、陛下は私を撫でて、許してくれて⋯⋯⋯。そんなユリーシア陛下が、大好きだった⋯⋯⋯」
きっと、あの優しいユリーシアの心が、狂気と化したアマリリスを変えたのだ。殺そうとした理由や、彼女が何者であるのかさえ分からなかったが、それだけは確かに分かった。
優しくて、愛らしい彼女だったから、アンジェリカだってユリーシアが大好きだった。好きだったからこそ、アマリリスの気持ちは彼女の心にも伝わった。
「ユリーシア陛下のことは、絶対守ろうって誓って⋯⋯⋯。それなのに陛下は⋯⋯⋯、私たちを残して⋯⋯⋯。でも私たちには、アンジェリカ陛下がいてくれた」
「⋯⋯⋯!」
「アンジェリカ陛下は、ユリーシア陛下とよく似てます⋯⋯⋯。ユリーシア陛下のように、強くて優しいです。私も、そんな陛下が大好きです」
大好きだと言ったアマリリスの、曇りのない真っ直ぐな瞳がアンジェリカの姿を映し出す。その瞳は、かつて彼女達がユリーシアへと向けていた、生涯忠誠の誓いを立てた瞳と同じである。
アマリリスはアンジェリカに対しても、ユリーシアと変わらない忠誠を心に誓っている。それが分かった時、彼女は思うのだ。アマリリス達は、失われたユリーシアの身代わりとして、自分に依存しているだけなのではと⋯⋯⋯。
正直、依存しているのは間違いないと、アンジェリカは思う。だが、アマリリスが彼女へ向ける純粋無垢な瞳は、依存だけが忠誠の理由ではないと、信じさせてくれる。
「メイド長が言ってました。めっ、メイファちゃんは家族だって⋯⋯⋯。私達の妹なんだから、守ってあげなさいって⋯⋯⋯。アンジェリカになっても、それは変わらない」
「お前も、まだ私を家族だと思ってくれるのか⋯⋯⋯?」
「はい⋯⋯⋯! 陛下は私の、大事な可愛い妹です⋯⋯⋯!」
心から微笑んで、子供の様にアンジェリカへと懐くアマリリス。アマリリスはアンジェリカを妹だと言ったが、これではどちらが妹だか分からない。
言葉足らずの語りだったが、アマリリスのお陰で気分が楽になった。悪夢に魘され苦しんだアンジェリカだが、アマリリスの無垢な優しさと言葉が、彼女を不思議と安心させてくれる。
「⋯⋯⋯私を妹呼ばわりか。いつからそんなに偉くなった?」
「あうあうあう⋯⋯⋯! ごっ、ごめんなさい⋯⋯⋯!」
「姉を語るなら、ウルスラを見習ってもっとしっかりしろ」
「もっ、もっと厳しくなれってことですか⋯⋯⋯?」
「⋯⋯⋯待て早まるな。ウルスラが二人になっても困る。せめてリンドウくらい⋯⋯⋯、いや、スズランくらいで十分だ」
悪夢の事や、アマリリスの告白の事なども忘れ、その後少し会話を弾ませた彼女達は、気が付けば二人共眠っていた。朝を迎えるまで、アンジェリカはその日、もう悪夢に襲われる事はなかった。
翌朝、一緒に眠ってしまったアマリリスがウルスラの説教を受け、アンジェリカが他のメイド達から命の心配をされたのは、言うまでもない。




