第五十六話 薔薇は美しく Ⅺ
リック達が反乱軍打倒を決定した頃、反乱軍本隊を率いるエミリオもまた、リクトビア討伐に向けた軍の再編成を行なっていた。
ダナトイアを後にしたエミリオは、反乱軍の主力が集結している、オーデル王国とジエーデル国の国境にその身を置いている。この地に反乱軍主力が集結した理由は、彼らが狙うリクトビアの所在が、アーレンツであると判明したからだ。
そのアーレンツからも逃亡に成功し、リクトビアは再び行方を眩ませた。この結果は、自身の天幕で無線に耳を傾けるエミリオに、ミュセイラ自ら報告している。本隊を離れているミュセイラは、帝国国防軍製の無線を使い、エミリオに対しての定時連絡の中で、アーレンツに於ける戦果を伝えた。
「⋯⋯⋯そうか。鉄血部隊の合流は計算外だったね」
『申し訳ありませんですの。私が指揮を執っていながら、情けない限りですわ』
「いや、君は期待以上によくやってくれている。リックはまた行方を眩ませてしまったが、アーレンツから追い出しただけでも十分な戦果だよ」
天幕にはエミリオしかおらず、ミュセイラと二人だけの内密な通信を行なっている。リックの捕縛に失敗した件に関しては、エミリオの方から彼女を咎める事はなく、寧ろ最低限の目的を果たせただけでも良しとした。
もしあのままリックがアーレンツに潜伏し、彼の国で保護されたままだったとしたら、反乱軍鎮圧に向けた準備を進め、各地にいる帝国国防軍の部隊と連絡を取る恐れがあった。
そうしなかったとしても、アーレンツ政府が正式に彼を保護し、反乱軍と敵対するような事態になっていたら、手を拱いている間に、帝国国防軍の各隊に、反乱を気付かれる可能性もあっただろう。
ミュセイラはその事態を阻止するため、足の速い部隊でアーレンツに急行した。リックに時間を与えず、反撃を準備させない事が、最低限の目標だったのである。
主力を率いて向かっていれば、例え鉄血部隊が現れようと、リック達を逃がす事はなかっただろう。しかし、主力部隊を待ってアーレンツに向かう頃には、リックが反攻作戦を開始していたかもしれない。
ミュセイラは最良の選択をし、直ちに作戦を実行した。自分が指示しなくとも、状況に応じて適切な判断を下せる彼女の行動力を、エミリオは高く評価している。
「リックの行方は分かりそうかい?」
『捜索隊は出しているものの、まだ発見には至っていませんの』
「彼らのことだ。何処かに集結していても、また別の場所に移動して我々を撹乱するだろう」
『私もそう思いますの。ですけど、そんな足掻きも長くは持ちませんわ』
ミュセイラが言う通り、リック達の逃亡は長くは続かない。反乱軍に参加する各国軍が地上を捜索し、エミリオ旗下の空軍が空からも探している。初期段階から機能している捜索網が、確実にリック達を追い詰めているのは間違いない。
現に、この捜索網があったからこそ、リック達がアーレンツに向かった事が分かった。もっと言えば、反乱軍を指揮しているのがエミリオとミュセイラである時点で、リック達が次にどんな行動に出るのか、彼らの思考は手に取る様に分かる。
アーレンツから逃亡した彼らが、次に頼る可能性がある場所。エミリオとミュセイラは、それがジエーデル国であると予想している。反乱軍がジエーデル国の近くに集結しているのは、リック達のその行動を阻止するためである。
ジエーデル国には、ミュセイラ指揮下の帝国国防軍第一戦闘団が駐屯している。ミュセイラが反乱軍の一員であると知っても尚、その第一戦闘団を頼りに合流を図る可能性があるのだ。
ミュセイラが裏切っても、第一戦闘団全体を掌握し、反乱軍の戦力に加えている可能性は低い。もし第一戦闘団を反乱軍の指揮下に置いているならば、アーレンツにはドライアの兵ではなく、旗下の第一戦闘団を使えばいいからだ。
しかし彼女は、アーレンツ襲撃時に第一戦闘団を使わなかった。実際には、使えなかったというのが正しい。第一戦闘団全体にも、現在発生している反乱は秘匿されているからだ。ミュセイラは、例え一部を除いたとしても、反乱に第一戦闘団が協力する事はあり得ないと、よく分かっていたのである。
これを彼らが見抜けないはずがない。第一戦闘団が反乱に加わっていないならば、彼らと合流し、反乱軍に対抗して反攻作戦に打って出られる。彼らがそう考えて行動すると予測し、移動するであろう彼らを捕えるために、エミリオはこの地に戦力を集結させたのだ。
主力を率いるエミリオは、ミュセイラが最低限の目的までは必ず達成できると想定して、リック達を次なる逃亡先に向かわせないために、先手を打ってこの地に兵を構えたのである。これでリック達がジエーデルに向かっても、その道中で捕捉し捕縛できる。もし向かわずに隠れたとしても、捜索網が彼らを追い詰めているため、発見は時間の問題である。
逃亡を続けるリック達に、もう逃げ場はなかった。ジエーデル国に向かっても、何処かに隠れても、必ず見つかってしまう。彼らの行動に王手をかけるエミリオは、予測していた通りの状況に満足するように、余裕のある声でミュセイラに語り掛ける。
「各戦闘団に勘付かれる恐れもある。なるべく早い発見を目指したいところだけど、君はこちらに合流して欲しい」
『わかっておりますの。捜索隊には指示を済ませ、既にそちらへと向かっている最中ですわ』
「常に先を読んでくれていて助かるよ。君が合流してくれれば、もし彼らが現有戦力で反攻を企てても確実に撃破できる」
『メンフィス先輩だけでも十分だと思いますが、敵がリリカ宰相なら話は別ですの。あの人なら将軍に匹敵するくらいの、大胆不敵で無茶苦茶な策を実行するかもしれませんわ』
エミリオとミュセイラにとって、今最も警戒すべき相手はリリカである。二人はまだ、リックの記憶が戻ったという事実を知らないため、最大限警戒する相手をリリカと定めていた。
リリカは基本、帝国の軍事には関わっていない内政担当だが、よく切れる頭を持っている。特に交渉の場では、リック並みの大胆不敵な策を講じて相手を圧倒し、自らが望む通りの結果を出してきた。
彼女が指揮を執る形で、レイナとクリスに加え、鉄血部隊を戦力に反攻作戦を計画しているとする。そこに、現在も行方を眩ませている、烈火及び光龍の騎士団が合流したとすれば、その戦力は決して無視できない精鋭軍団と変わる。
約六百以上の精鋭を、あのリリカが指揮するとなれば、それは危険な刃となってエミリオとミュセイラに迫るだろう。リリカこそが現在最大の危険であると、特にミュセイラがそう考えるからこそ、彼女は主力との合流を急いでいるのだ。
「君がいれば万全の構えで彼らを迎え撃てる。私は陛下の確保に専念するから、合流後は君に本隊の指揮を任せたい」
『了解ですわ。では先輩、よろしくお願いいたしますの』
ミュセイラとの通信を終えたエミリオは、不敵な笑みを浮かべながら天幕を後にする。外では大勢の兵が慌ただしく動き回り、戦いに備えて準備を急いでいる。
そして、天幕から外に出たエミリオの前には、いつでも出撃できる準備を整えた、飛行大隊隊長のドラグノフの姿があった。
「楽しそうだな、糞眼鏡」
「楽しいに決まっているよ。私が一番戦って見たかった相手と、やっと戦えるのだからね」
にやけ顔でエミリオを揶揄うドラグノフに、エミリオはまるで子供の様な無邪気な笑みを浮かべ、眼鏡の奥で瞳を輝かせていた。
「ずっと憧れていたんだよ。救国の英雄にして、今やローミリア大陸の半分以上手中に収めた彼を、この手で倒すことをね」
「リックの記憶が戻ったのか、まだわからねぇんだろ? どこまでも信じてんだな」
「立ち塞がるのがリックなら、こんなにも胸躍ることはない。気を付けてはいるんだけど、ついつい興奮が顔に出てしまうよ」
帝国国防軍参謀本部の参謀長。それが今のエミリオの立場だが、元々彼は一軍師として帝国に仕官した。仕官した理由は、当時リックが、大軍を率いて侵攻したオーデル王国を、二度に渡り打ち破ったからである。
今彼は、一人の軍師として、二度に渡る奇跡の勝利を演出したリックと、雌雄を決する事を夢見ている。リックにとってエミリオが最大最強の敵であると同じように、エミリオにとっても、リックこそが最強の好敵手なのだ。
エミリオがヴァスティナ帝国の軍事を担当し、数々の作戦や戦術指揮のもと、帝国に勝利をもたらす事ができた最大の理由。それはリックが、エミリオの望むまま自由にさせた事だけが理由ではない。リックの発想の数々が、エミリオの軍師としての才に刺激を与え、大きな成長を促したのである。
軍師であるエミリオにとって、ある意味リックは師と呼べるような存在なのだ。当の本人にそんなつもりはなく、エミリオをよく先生と呼んでいるが、本当は彼の方が、リックをそう呼びたいほどだった。
名将ドレビン・ルヒテンドルクと、その息子ロイド・ルヒテンドルク。紳士将軍ギルバート・チェンバレン。彼らもまた、エミリオにとって超えたい存在である。だが彼ら以上に、エミリオがこの手で倒したいと思える存在は、心の師たるリックただ一人。
「愛してやまない恋人との再会に胸をときめかせるというのは、きっとこんな気持ちなのだろうね。私には恋人などいないからわからないが、君はどう思う?」
「性癖歪んでんのか、この変態糞眼鏡。どんだけあいつのこと好きなんだよ」
「それはもちろん、この世界で一番愛していると言っても過言ではないよ。愛し過ぎているからこそ、私のこの手で彼を降したいのさ」
「気持ち悪い野郎だ⋯⋯⋯。んで、俺の仕事は?」
半分本気で引くドラグノフだが、だからと言って仕事を断る事はない。エミリオに呼ばれ、ミュセイラとの通信が終わるのを待っていたドラグノフは、次なる指示をエミリオに求めやって来た。
いい加減指示を寄こせと言わんばかりに、腕を組んで眉間に皺を寄せるドラグノフに、思い出したような顔をしたエミリオが、優しく微笑んでゆっくりと口を開く。
「舞台は整えた。最後の仕事を始めてくれ」
微笑を浮かべて見せるエミリオだが、対照的にドラグノフは怒気を込めた睨みをきかせ、怒りを露わにして見せていた。
「⋯⋯⋯いいんだな?」
「ああ。徹底的にやってくれて構わない」
「任せとけ。お前も精々楽しんでこい」
「感謝するよ、ドラグノフ」
納得していたはずなのに、抑えていたはずの怒りが込み上げてきてしまう。エミリオへと背を向け、最後の仕事を果たすべく立ち去ろうとするドラグノフは、いつまでも「糞眼鏡」と吐き捨てていった。
しかし、憤るその顔と違い、立ち去っていくドラグノフの背中は、何故か泣いているように見えた。そんな彼の背を見て、エミリオは申し訳なさを含んだ表情を零す。だが直ぐに切り替え、一人空を見上げて、ここにはいない親友へと宣言する。
「さあリック、始めようじゃないか。君と私、人生最高の大勝負にしよう」
「救国の英雄」対「天才軍師」。
誰も望んでなどいなかった戦いが、決着に向けて始動する。




