第五十五話 挑む者、目覚める者 Ⅷ
部屋を出たエミリオを待っていたのは、扉の傍に待機していたドラグノフだった。既にオスカー達は移動した後らしく、この場には見張りの兵以外には、エミリオとドラグノフの二人だけである。
エミリオもまたオスカー達同様に、この場を後にするべく廊下を歩いていく。そんな彼にドラグノフが続いていき、退屈そうに欠伸をしたかと思えば、持っていた酒瓶に口を付けて中身を煽る。
「⋯⋯⋯ヘルベルト達にも負けない飲んだくれだよ、君は」
「言ってくれるぜ。あの戦争中毒共と一緒にされちゃあ心外だ」
「それで、捜索隊の編成は?」
「航空隊の網はもう機能してる。エステランから西に向かう馬車を何台か捉えたらしくてな、もし野郎がエステランから脱出できたってんなら、そのどれかに乗ってるはずだ」
ドラグノフはヴァスティナ帝国国防空軍の司令官であり、空軍の全指揮権を握っている男である。彼もまたエミリオに協力し、指揮下の飛行大隊にリクトビア捜索を命じていた。
報告を聞いたエミリオは、ドラグノフの働きに満足気だった。エミリオと同じく彼もまた、リックとその仲間達ならば、反乱の渦中の中、エステラン国を脱出するくらいやってのけると、そう確信していた。だからこそ先手を打ち、エステラン国を基点にした、空からの捜索網を構築していたのである。
「ドラグノフ、君が協力してくれてとても助かるよ。感謝している」
「よせやい。俺らが手を貸してんのはお前への義理ってやつだ。言っとくが、俺達は移動や偵察くらいなら協力するが、仲間同士で殺し合いはしねぇぞ?」
「わかっているよ。君達は私の支援に徹してくれさえすれば、それで十分だ」
帝国国防空軍を指揮下に置いたエミリオは、空軍による攻撃力を投入できなくとも、大陸中央の制空権を握ったに等しい。上空から飛行隊で偵察するだけでも、その情報収集力は桁違いなのだ。
更に、エミリオが空軍を指揮下に置くという事は、仮にリック達が反乱軍討伐に動いたとしても、航空戦力の使用は封じられている事になる。これだけでも、ドラグノフ達を指揮下に置く意味は、反乱軍にとって大きな価値であった。
帝国国防空軍が保有する戦力は、戦局を大きく左右する程の破壊力を有している。その威力は先の戦争のみならず、ボーゼアスの乱でも証明されており、各国にも伝え広まっている。
エミリオ達反乱軍鎮圧に向け、帝国国防軍が組織的な反攻作戦に転じた場合、第一から第四の戦闘団が進軍してくれば、反乱軍は瞬く間に壊滅してしまう。もしそこに空軍まで加わっていれば、一つの戦闘団と空軍のみで、反乱を瞬時に鎮圧する事も可能だろう。
それだけ強力な戦力を、この時点で既に封じている分、反乱軍は戦い易い状態にある。後は、可能な限り各戦闘団に反乱を悟らせぬよう行動し、全軍の指揮権をエミリオが得れば、彼らの反乱は成功となるのだ。
では何故、空軍を指揮するドラグノフが、反乱を起こしたエミリオに従ったのか。それはエミリオが、彼らにとって最も信用に足る存在であり、望みを叶えてくれた借りがあるからだ。
ドラグノフ達は竜と共に生きる民であり、あのローミリア大戦を生き抜いた者達の末裔である。彼らを探し当て、誠意と努力を怠らず交渉を続け、同盟締結にまで運んだのはエミリオの功績であった。
また、エミリオは彼らの力を借り、将来彼らの脅威になったであろう侵略者ジエーデル国を、遂に打倒するに至った。平和を望む彼らの願いを、エミリオはヴァスティナ帝国の勝利という形で叶えたのである。
無論、ドラグノフ達にとっても、帝国国防軍の将軍であるリックや、彼の配下たるレイナやクリス達も、エミリオ同様に戦友だ。彼らの事も戦友と思うからこそ、仲間同士で殺し合うような作戦への参加は、ドラグノフが決して許さない。
これは、自分に従う航空隊の者達に、戦友を殺させるような真似はさせないという、指揮官としてのドラグノフが負う責務だ。ドラグノフ自身も、今ではすっかり酒飲み仲間のヘルベルト達や、自分達を大切な仲間と信じ、絶対的な信頼を向けるリックとは、やはり戦いたくはない。
この反乱がどんな結果に終わるにせよ、ドラグノフは裏切り者の汚名を背負う事になるだろう。仲間同士で殺し合う事を良しとせず、汚名を背負うのも覚悟の上で、エミリオが起こした反乱に従ったのは、彼が言う義理を果たすためだ。
エミリオと共に戦うと決意したからこそ、侵略者の魔の手から、故郷の砦を守る事ができた。エミリオが創設した新兵科と新戦術によって、ローミリア大陸の歴史に名を刻むであろう偉業を、ドラグノフ達は成し遂げた。戦士たる彼らにとって、これ程の栄誉は他にない。
これだけ与えられておいて、エミリオの頼みを断るなどあり得ない。ドラグノフ達帝国国防空軍がエミリオの指揮下に入ったのは、今まで与えられるばかりだった自分達が、今度は彼の望みを叶える番だと覚悟を決めたからだ。
「しっかし、あいつが記憶を無くしちまうとはな⋯⋯⋯。どっかの糞眼鏡が空軍を扱き使うせいで忙しくて、この前言われるまで知らなかったぜ」
「秘匿のため、極一部にしか伝えていなかったから仕方がないだろう? それより、また私を糞眼鏡などと⋯⋯⋯」
「裏切りも仲間売るのも平然とやってのける野郎なんざ、糞眼鏡で十分だ。んなことよりお前、リックの奴が自分の前に立ちはだかるって、本当に信じてんのか?」
ドラグノフの問いかけに、廊下を進んでいたエミリオの足が止まる。丁度立ち止まった傍には窓があり、夕焼け色に染まった空と、赤く染まる町の光景を眺める事ができた。
立ち止まったエミリオは、少し笑って顔を窓に向ける。外の光景を眺める彼の横顔は、その問いに確信を持っていた。
「立ち塞がるのがリックとは限らない。彼のもとにはレイナとクリス、それにリリカ宰相もいるのだからね」
「けどお前、何だかんだ言ってリックが来ると思ってんだろ?」
「さあ、どうだろう。私はただ、あらゆる可能性に対策を講じているだけさ」
「ならよ、リックの奴が復活してたとするぞ。裏切ったお前に反撃しようとしてるんなら、次に奴は何をすると思うよ?」
彼らは今、リック達の状況を知り得ない。だからこれは、もしもの域を出ない話である。
故にエミリオは、ただ笑ってドラグノフの問いかけに答えて見せた。
「さあ、見当も付かないね。ただリックのことだから、私達の想像の斜め上を行って、誰にも予測できない行動をしているだろうさ」
「さあさあ大会も大詰め!! 以前トップを走るのは飛び入り参加のお嬢さんだが、それをこれまた飛び入り参加の金髪のチンピラが猛追しているぞ!!」
とある町のとある酒場の外で、並んだテーブルの上の料理に食らい付く挑戦者達と、それに熱狂している観客。司会進行役の酒場の店員が、首位争いをしている上位二名の、白熱した戦いの様子を実況している。
「我が店名物!! この激辛デカ盛り麻婆飯を先に平らげるのは、果たしてどちらになるのか!! こりゃあもう目が離せない!!!」
この酒場が年に一度行う、強者共が集まる祭典がある。それがこの大食い大会であり、今年の料理は底の深い大皿にこれでもかと盛られた、常識外れの量の麻婆と米であった。しかも、これがまた火を噴く程の激辛であり、既に半数近くの挑戦者が、唐辛子マシマシの辛さによってテーブルへと突っ伏している。
そんな、とてもではないが食べきれない量と辛さの一品を、余裕で平らげようとしているゴスロリ少女と、負けじと必死に追う世紀末スタイルの青年が一人いる。前大会優勝者やその他優勝候補達を抜き去り、いよいよ少女はラストスパートに入ろうとしていた。
「槍女!! ぜってえお前には負けえねぇからな!!」
「⋯⋯⋯!」
トップを争う挑戦者とは、勿論レイナとクリスである。いつもの喧嘩と違い、やはり大食い勝負となればレイナに分があるが、ここで彼女は自分の失敗に気付いて目を見開く。
「ああなんてことだ!? あと一歩というところで、お嬢さんの皿から米が無くなり麻婆だけになってしまった!! この激辛麻婆を米無しで平らげるのは至難の技だぞ!!」
炊き立てのご飯に麻婆という最強の組み合わせで、あまりの米の美味さにペース配分をしくじったレイナは、激辛の麻婆だけを大皿に残すのみとなってしまった。
本来、この麻婆は米で辛さを中和しつつ食べなければ、到底完食には至れない。途中水でも飲もうものなら、辛さが口の中全体に広がって撃沈する。
これを好機と見たクリスは、一気に勝負に出ようと、激辛麻婆飯をこれでもかとかき込んでいったのだが、次の瞬間レイナは、会場全体を震撼させる驚くべき行動に出た。
「⋯⋯⋯米だけでもおかわりしたいところだが、やむを得ない」
残念そうな顔を見せたかと思えば、レイナは大皿を両手で掴むと、皿に口を付けたかと思えば、盃でも煽る様に激辛麻婆を飲み始めたのである。これには挑戦者達のみならず、司会も観客も衝撃を受け、一同目が釘付けとなった。
そして程なくして、大皿に残っていた麻婆を一気に飲み干したレイナが、綺麗に完食された大皿をテーブルに置く。あまりの衝撃に観客全員静まり返っていたが、完食された大皿と、辛さを物ともせずにグラスの水を飲むレイナの姿を見て、司会と観客がほぼ同時に歓声を上げた。
「きっ、決まったあああああああああああああああっ!!! 優勝はまさかまさかの飛び入り参加!! 赤髪のドレス嬢の勝利だあああああああああっ!!!」
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」」」
司会の優勝宣言に、挑戦者のほとんどが敗北を理解し、化け物でも見るような目でレイナを恐れた。何人前かも計算できないこれでもかと盛られた麻婆飯を、終始美味そうに平らげ、激辛にもかかわらず汗一つかいていない彼女の姿は、化け物以外の何者でもないだろう。
「そして二位はこれまた飛び入り参加!! 金髪のチンピラがたった今完食したぞおおおおおおおっ!!! お約束通り、優勝したお嬢さんには賞金が贈呈されます!! 二位のチンピラさんには、我が店名物の各種香草焼き十人前を出来立てでご用意します!!」
レイナに負けたくないという意地のみで挑み、彼女に遅れながらも見事平らげたクリスだったが、彼の方はもう限界らしく、テーブルに突っ伏して動けずにいる。汗の量も相当なもので、今のクリスを物に例えるならば、水に浸して絞っていない雑巾といったところだ。
「優勝者の赤髪のドレス嬢と、二位を勝ち取った金髪のチンピラさんに盛大な拍手を!! ではここで、初参加、初優勝した彼女にお話しを聞いてみたいと思います! お嬢さん、何か一言お願いします!」
「お腹が空きました。おかわりを頂けますか?」
「流石、飛び入り参加で優勝は伊達じゃ⋯⋯⋯、うえええええええええっ!? まだ食べるんですかあああああああああっ!?」
異次元過ぎる一言に司会は目玉が跳び出しそうな程驚き、観客は全員騒然となる。レイナの化け物っぷりは皆の想像を遥かに超えており、実際にこの料理を作った酒場の料理長など、おかわりを求める彼女に空いた口が塞がらない。
因みに、優勝したレイナの本音は、「優勝賞金よりも二位の香草焼きの方が良かった」である。
「よし、作戦通りレイナが優勝だ。リリカ、そっちは?」
「ふふっ、ふふふふふっ⋯⋯⋯。ちゃんと稼いでいるよ」
会場が勝負の決着に湧く中、観客に交じってレイナの優勝を見届けたリックとリリカが、如何にも怪しげな悪巧み顔で、はち切れんばかりに膨らんだ財布を見つめていた。
「残りの全財産をレイナとクリスに賭けての大勝負。飛び入り参加のあの二人は、何も知らない連中からすれば大穴もいいところだからな」
「お陰で十分過ぎる稼ぎになったね。レイナが持ち帰る優勝賞金も含めれば、もう金の心配はないよ」
「一位をレイナ、二位をクリスに賭けた奴なんて、俺達以外いなかったもんな。勝てる博打でがっつり総取りさせて貰った」
作戦はこうである。
町の酒場で毎年恒例に行なわれる大食い大会に、帝国一の食いしん坊レイナと、帝国一の負けず嫌いクリスを参加させる。相手にゴリオンでもいない限り、レイナの圧勝で試合終了は確実だ。更にクリスならば、レイナにだけは負けじと意地になって、一位は無理でも二位には食い込めると踏んでいた。
そして、こういう勝負事には、必ず誰かが賭け事を始める。リックとリリカが残りの全財産で賭けたのは、誰一人として賭けなかった大穴の二連単であった。
作戦を閃いたのはリックで、それに手を貸したのがリリカである。天下のリクトビア式戦術は、優勝賞金と準優勝の品を獲得するだけでなく、今後の軍資金を荒稼ぎするに至る、まさに一石三鳥の作戦であった。
因みに準優勝の香草焼き十人前は、彼らの今夜の晩御飯になる予定だ。尤もその晩御飯も、十人前中の八人前が、レイナの胃袋の中に消える予定である。
「こんなに上手くいくと思わなかったな。軍資金もこんだけ稼い出し、今日は宿に泊まれそうだ」
「エミリオもまさか、私達がこんな町で金稼ぎをしてるとは思うまいさ。レイナとクリスが目立って仕方ないところを除けば完璧だね」
「名前伏せてるから大丈夫だと思いたいが、あいつのことだから何処にでも目を光らせてそうだよな⋯⋯⋯。明日の朝一番で出発しよう」
「それがいいね。ところで、道中また稼ぎが必要になったらどうしようか?」
「そん時はクリスの奴にその辺の女の子口説かせて貢がせる」
「ふふっ、だから下衆だって言われるのさ」
「レイナに男口説かせて貢がせるよりはマシだろ」
「相変わらずレイナには甘いね。記憶喪失の時の綺麗なリックはどこへ行ってしまったんだい?」
「⋯⋯⋯あれはもう忘れてください」
記憶を失っていた頃の出来事もちゃんと覚えている。勿論、自分が何を言ってどんな行動をしたのかも、全部はっきりと覚えていた。純情無垢状態の自分が、彼女の前で相当甘えていた記憶も、ちゃんとはっきり忘れずに記憶しているのだ。
「あの時のリックは今と違って可愛くって、寝る前にお話しを強請った時なんか母親離れできない幼児かと疑うくらい――――」
「後で何でも言うこと聞くから誰にもばらさないでくれ。特に陛下とラフレシアさん」
「陛下は兎も角、ラフレシアに知られたくないその心は?」
「口が超軽い」
「うふふふっ⋯⋯⋯。よく分かってるじゃないか」
妖艶な笑みを浮かべるリリカの顔には、「陛下とラフレシアに絶対話そう」と書かれている。記憶が戻ってしまったが故に、また彼女に弱みを握られ揺すられるのかと、深い溜息を吐くリック。「こんなことなら、記憶が戻ってない振りでもしとくんだった」と、今更ながら内心非常に後悔していた。
斯くしてリック達一行は、たったの四人で再起を図るべく、一筋の希望の光を頼った旅を続ける。
大陸の覇権を狙い挑む者達は、絶望の闇より目覚めた狂犬を追う。裏切りと陰謀渦巻く彼らの戦いは、まだ幕が開いたばかりである。




