第一話 初陣 Ⅲ
「旅人様。紅茶のお味は如何ですか?」
「初めて本格的な紅茶を飲みましたが、今までのがなんだったんだと思うほど美味しいです」
お話の誘いを受け、謁見の場所を後にして、騎士団長に連れて来られたのは、何と女王陛下の寝室だった。連れて来られて暫らくすると、女王と彼女に付き従うメイドたちが現れ、自分の注文通りお茶の用意が進められた。
手際良い彼女たちにより、気が付けば全ての用意がテーブルに完成していた。自分と女王は椅子に腰を下ろし、早速お茶会が始まるかと思ったが、女王は騎士団長とメイドたちに、彼と二人きりにして欲しいと頼んだのだ。これにはメイドたちだけでなく、自分自身も驚いた。
明らかに年下の少女と部屋に二人きりという展開は、何処となく犯罪の臭いがしてしまうし、相手は少女でも女王陛下である。メイドたちなどは、この男と女王を二人だけにして、もしものことがあったらという気持ちがあるだろう。
しかし、相変わらず表情鉄仮面の騎士団長様は、「わかりました」と言って、早々に部屋を出て行ってしまった。
それを見たメイドたちは唖然としていたが、騎士団長の対応に一応安心したのか、心配を隠せない表情を浮かべたまま、部屋を出て行ってしまった。
残されたのは女王と自分、カップに注がれた湯気の立ちのぼる紅茶と、茶菓子の数々である。内心戸惑いながらも出された紅茶を味わい、今までインスタントの味でしか知らなかった紅茶が、本格的な手順で淹れたものだと、こうも違うのだと思い知った。
紅茶のことに詳しくはないが、これはとても上品な香りが漂い、自分には勿体ないものではないのかと考えてしまう。
「なぜ、あなたの寝室でお茶会なのですか?」
「このような部屋ではご不満でしたでしょうか。旅人様とゆっくり落ち着いてお話をしたかったので、この城で私の一番落ち着く場所をと・・・・・」
「そんな!?いえ、決して不満なんか一切御座いませんっ!」
二人きりはやはり調子が狂ってしまう。いや、この少女だからこそなのか。初めて会った時からこの調子であるから、流石にそろそろ変な人だと思われていることだろう。
(そろそろどころじゃないって。最初から絶対変人と思われてるって)
あまりその事について考えると、胃に穴が開きそうなほど悩んでしまいそうなので、考えるのをやめる。
切り替えるために、話題を探すため周りを見まわすと、部屋の中は、御伽話のお姫様が使っていそうな大きなベッドの他には、特に話題になりそうな物は無い。女王にしては、至って質素で飾り気はないが、気になったところと言うと、花を活けてある花瓶が、部屋の中に幾つか置いてあることだ。
「花が好きなんですね」
「はい。花たちは私の庭園から持ってきたものです。私が育てているのですよ」
「お一人でですか。庭園がどれくらいの広さかは知らないですけど、大変なのではないですか」
「それほど広くはないので、昔は私一人で世話をしていましたが、今はメイドたちに手伝って貰いながら世話をしています」
「・・・・失礼な質問をしますが、もしかして目が見えないのではないですか」
「わかってしまいますよね。三年前から目が段々見えなくなってしまいまして、今は周りの助けなしでは何もできない有様なのです」
直感で感じたことは正しかった。彼女は盲目だ。
彼女を思えば、触れてはいけないことであるのはわかっていたが、どうしても確かめたかったのだ。
「女王陛下は-------」
「私のことは、どうぞユリーシアとお呼びください」
「・・・・・・ユリーシア陛下は今何歳になるのですか」
「十四歳になりました。旅人様のお歳は?」
「十九歳です」
「私より五歳も年上なのですか。ならもう、立派な大人の男性ですね」
立派な大人の男性などではない。立派な大人は、きっとこんな質問をしないはずだ。彼女は自分との楽しい会話を求めているはずだが、そんな会話は、お茶会が始まってから一度もしていない。彼女を楽しませる程の話がないわけでも、考えられないわけでもない。
とにかく、確かめたいことがある。
「ユリーシア陛下は・・・・・・この時間が終わったら何をするつもりですか」
「旅人様?」
「答えてください」
「・・・・・オーデル王国に降伏し、国と民を守ります」
そう言うだろうと思っていた。彼女のことをよく知っているわけではないが、彼女は優しい聖女のような存在だと感じている。いくら帝国の兵士を助けたといっても、見ず知らずの自分を信頼し、直接面会して紅茶を振舞ってくれている彼女は、余程のお人好しか、とても心の綺麗な人間としか思えない。
そんな彼女が、これから起こるであろう戦闘で、自国の人々を、危険に晒す選択肢を取るとは考えられないし、何より聞いている話通りなら、勝ち目のない戦いである。
国の主である彼女は選択を迫られている。しかし、答えはもう出てしまっているのだ。後は配下の人間に号令を出し、降伏の準備をするのみであろう。
「女王である貴女がそういう考えなのはわかる。貴女個人はどうなんですか?」
「帝国の女王になったその日から、私個人の考えは存在しないのです」
「それで本当にいいんですか」
「はい。それで人々を守ることができるのなら」
十四歳の少女の口から、絶対に聞きたくなかった言葉だ。彼女は今、自己よりも他者を優先したのだ。自分の命を脅かす危険があるにもかかわらず、自分に背負わされた責任を果たそうとしている。
そんな重すぎる責任を、この少女が背負うにはまだ早すぎる。責任を背負うのは大人の役目であり、子供は大人になった時初めて、責任の意味と重さを知るものだ。
彼女はまだ子供なのだ。確かめたい、彼女と言う人間を・・・・・。
「間違ってる・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「貴女は・・・・いや、君はもっと自分を中心にするべきだ!」
「それは・・・・・」
「だってそうだろう!!君みたいな少女が背負う責任じゃない!もっと自分を中心に考えていいはずだ!誰かのためとか、くだらないこと考えるな。人間は自己中心的なもんだろ!」
全てが気に入らない。この少女に迫る運命も、少女を拘束する責任と言う鎖も、何より優しい彼女の人生が、このまま不幸で残酷なまま終わってしまうことが気に入らない。
「くそっ!こういうのはほんとに気に入らない!」
「貴方は私と自分を重ねているのですね」
「っ!?」
彼女のような境遇を経験したわけでもなんでもない。極々普通の家庭に生まれ、裕福でも貧しくもなく、普通の一般家庭で育ち、学校に行って学生をやっていた。そんな自分が何も知らないくせに、彼女に説教などできるはずはないが、今の彼女を見ていると、何も知らなかった時の自分を思い出す。
責任という言葉の意味も重さも知らなかった、昔の自分を。
「貴方は私に、自分と同じ過ちをして欲しくない」
「・・・・・・・」
「だから貴方は私の本心が聞きたいのですね」
打ち明けて欲しい。彼女を知りたい。
自分の人生と彼女の人生を重ねてはいけない。生きている世界も立場も違うのだ。わかってはいても気づかない内に重ねてしまっている。彼女は今、一番嫌いだった時の自分自身に似ていて、どうしても重ねられずにはいられないのだ。
いや、似ていると思うのは間違いだ。似ていると思いたいのだ。彼女を助けることができないのはわかっているが、それでも重ねることで、何かできるのではないかと思いたいのだ。過去の自分の過ちを、繰り返させないようにすることで、彼女と過去の自分を救いたいのだ。
最低の人間だ。
「俺は最低だ。君を助けたいと思いながら、自分を助けようとしている・・・・・。自分勝手に考えるならそれでいいはずなのに、君の前だと、それでは駄目だという気持ちになる」
「貴方の過去を私は知りません。過去に貴方が自己優先こそが正しかったのだという後悔があるのはわかります。しかし、貴方は優しすぎるのです」
「俺は優しくなんかない・・・・・・」
「優しいからこそそう思えるのですよ。だから私を放ってはおけなかったのでは?貴方がどんなに人間の本質を生きようとしても、貴方は他者を思いやることのできる、優しい方です」
全てがさらけ出されている。人に知られたくない己の弱さと、誰にも理解されなかったこの気持ち。
お世辞でも何でもなく、優しい人間だと言われたのは、初めてのように感じる。五つも歳の離れた少女に、それを感じる自分はおかしいのだろうか。彼女との出会いから、全てがおかしくなっている。
この世界に来る前は、全てのことがどうでもよく、面倒くさいものだと思っていた。生きている意味がわからなかった。生きていることを苦痛に感じていた。
だが彼女と出会って話をすると、今まで霧がかっていた気持ちが晴れていく。理解されることがとても嬉しかったのだ。
しかし、それとは別の感情が、自分を突き動かそうとしている。何もかもに押しつぶされようとしている彼女に対しての、特別な感情。助けたいという思い。
「君はなんで・・・・そんなにも・・・・」
立ち上がり、足は勝手に彼女の傍に歩み寄っていく。少女の顔を間近で覗くと、盲目であるにもかかわらず、気配を感じてか、真っ直ぐ自分の顔を見つめ返してきた。少女は怖がったりはせず、椅子に腰かけたまま微笑みを浮かべている。
何でそんなにも優しんだ。どうしてそこまで他人に優しくなれる。そう言いたかったが、言葉が出なかった。代わりに出たのは、湧き上がる感情と涙。
膝をつき、少女の小さくか細い体を抱きしめて泣いた。胸元で泣く自分の頭を彼女は撫でて、そして抱きしめ返してくれた。
「俺は・・・・俺は・・・・っ!!」
少女は何も語らず、胸元で泣く自分を抱きしめ続けた。
もう一つ特別な感情が生まれた。彼女を脅かす全てのものに対する感情。これは、抑えられない怒りだ。
泣いた。最後にこんな風に泣いたのは、いつだっただろう。もう覚えてもいないことだが、今まで溜まっていた全てが吐き出されて、まるで純真無垢な子供に戻った気分だ。まだ十九歳で、二十歳を迎えていないにもかかわらず、そう思うのはおかしいことだが。
少女の胸元で泣きじゃくる大きな男の子と言う構図は、他人からすればどんな感想を抱かれるか、想像に難くない。彼女はこれでも女王陛下で、身分も何もかけ離れすぎているというのに。
恥ずかしいという気持ちと、畏れ多い気持ちが今更湧き上がってくるが、彼女の温もりから離れたいとは思わない。例えるなら、母の温もりと言うものなのか、とても心地がいいのだ。
大いに泣いた後、湧き上がる感情と、自分自身のことを、彼女に全てを打ち明けてしまった。つまり、自分が別世界の人間であるということをである。
気が付いたらこの世界に飛ばされており、スライムを見て驚き、逃げ出してしまったことや、偶然遭遇した戦闘と、知らない人間たちを倒してしまった経緯。女騎士団長に嘘が見破られる、恐怖の取り調べのことなど、この世界で遭遇した出来事全部を話したのだ。
時々相槌をいれたり、吹き出して笑ったりしながら、彼女は話を全て聞いてくれていた。こんな突拍子もない話を、彼女が信じてくれたかどうかはわからないが、他の人間には内緒にして欲しいと頼んだ。
誰も信じてくれないだろうが、感情が高ぶって、余計なことを言ってしまったと自覚したことが、その理由だ。余計なこととはつまり、不審な人間だと周りに誤解を与えかねないということである。
そして、女王陛下である少女ユリーシアに、全てを打ち明けてしまったことも後悔した。ただでさえ重い責務背負っているそこへ、秘密にして欲しい話をするなど、彼女の重荷になるに他ならない。
少女を苦しめることしかできないのが、今の自分自身だ。
「貴方はこれからどうするのですか?」
「俺は・・・・・・。出来ればずっとこうしていたい・・・・・」
「旅人様・・・・・・」
「不思議なんだ。君といると安心する。手放したくない」
だが、それは許されないことであり、彼女がずっとここに居られないのもわかっている。わかってはいても体は言う事きかず、抱きしめたまま離れようとしない。
オーデル王国が帝国を占領してしまえば、この安らぎの時は永久に訪れない。だから彼は、離れることが出来ないのである。
「私の本心」
「えっ」
「私の本心を聞いてくださいますか?」
聞かせて欲しい。ユリーシア・ヴァスティナ女王陛下ではなく、少女ユリーシアの本心を聞かせて欲しい。もっと彼女を理解したいと思う。何故なら自分は彼女に、ある特別な感情を抱き始めたからだ。
静かに頷いて、彼女が話し始めるのを待った。
「私は・・・・・・降伏したくありません」
それは本当に、苦しく絞り出した正直な思い。
抱きしめる腕を解いて、彼女と顔を合わせる。少女はまるで、痛みを堪えた様な苦しい表情をしていた。
「降伏を求める使者が先日訪れました。降伏の条件は、私と私に忠誠を誓う者達の命です」
「・・・・・・・」
「私はまだ死にたくありません。死ねない理由があります。・・・・でも、それではいけないのです」
「そんなことはない」
「いいえ。私は国を治める立場の人間です。国と人々のことを第一に考えなければいけません。そんな私が死にたくないと思っては駄目なのです」
「誰だって死にたくないさ!!それが女王だろうがなんだろうが関係ない!」
「ですが、私は・・・・・」
「教えてくれ、君はどうしたい?今だけでいい、女王であることを忘れてくれよ」
お互いの言葉と気持ちがぶつかり合って、本心は曝け出されていく。
今にも泣きだしそうな表情を浮かべている少女は、見ているこっちが悲しくなるほど辛い。歳相応に、微笑んでいるのが似合うであろう少女の、こんな顔は見たくはない。
でも、そんな彼女の本心を受け止めてあげたい。
「私は・・・・生きたいです。今死んだら・・・・・・私は」
「・・・・・・わかった」
震える彼女をそっと抱きしめる。抱きしめた少女の体は震えていて、彼女の叶わない願いが痛いほど伝わってくる。だが、彼女は泣き出すことはなかった。泣くことを堪えていた。
抱きしめて実感する少女のか弱さ。強く抱きしめれば壊れてしまいそうな、細身な体は、女の子であることを認識させる。にもかかわらず泣くことを堪えるのは、ヴァスティナ帝国女王であるが故。
弱さを他人に見せないように振る舞う姿は、少女ユリーシアの強さと、女王である証なのだ。
「君の本心はわかった」
「はい・・・・・・」
「このままじゃ駄目だな」
「えっ?」
「君の・・・いや、貴女の願いは俺が叶えます」
「旅人様?一体何を・・・・」
このまま黙っていることはできない。自分には現状を解決する手段も力も持ち合わせていないが、彼女が死ぬ運命を納得など到底できない。
この、気に入らない最低最悪の運命を変えてやらなければ気が済まない。変えることを邪魔する存在が現れようと、それが何者であろうとも、どんな手段を使ってでも排除し、自分が納得できる結末に変えてみせる。
「女王陛下。オーデル王国は俺が殲滅します」