第五十四話 崩壊の序曲 Ⅳ
ブラド公国で起こったリクトビア暗殺未遂事件の主犯は、ヴィヴィアンヌの読み通りホーリスローネ王国であった。より正確に言えば、ホーリスローネ王国軍のある一人の男が、独断で計画したものである。
その男の名は、マット・テイラー。先の戦争に於いて、指揮官を失った王国軍を纏め上げ、ジエーデル軍の猛攻を防ぎ切るだけでなく、反撃に転じて打ち破った若き有能な将である。
この功績を高く評価され、王国内でも英雄視されるようになったマットは、その若さでは異例となる大出世を遂げ、国王から将軍の地位を与えられている。将軍となったマットは現在、新たなる脅威に備え、大陸北方と中央部の境に軍を展開させていた。
表向きは、旧ジエーデル軍残党への対処と、友好国周辺の治安維持活動という名目ではあるが、真の目的がヴァスティナ帝国による大陸北方侵攻を警戒しての事であるのは、誰の目から見ても明らかであった。
ジエーデル国との戦争終結後、ホーリスローネ王国もまた戦後処理に追われる形となり、問題は山積みであった。その中で特に優先とされたのが、大陸中央部さえもその手中に収めた、ヴァスティナ帝国への今後の対策である。
将軍の地位を拝命したマットは、早速戦力の招集に取り掛かり、対ヴァスティナ帝国を想定した防衛構想を立案した。この構想を確認した紳士将軍ことギルバート・チェンバレンは、マットを現在の任地に派遣し、帝国による北方侵攻に備えさせた。
マットが集めた戦力は、王国軍内で埋もれていた有能な将や、対ジエーデル戦時に共に戦った兵士達が基本となり、現状王国軍で集められる精鋭で構成されている。自分の命令通り動く、有能で頼りになる戦力を得た彼は、何者にも束縛されず思い通りのままに、対ヴァスティナ戦への備えを着々と進めている最中だった。
そんなマットのもとに、吉報とも言える情報がもたらされたのは、事件より丁度一月前の事である。情報はグラーフ教会からのもであったが、内容は今後の対ヴァスティナ戦力を大きく左右する、極めて重要な情報だった。
情報の内容自体は、簡単には信じ難いものであったと言わざる負えない。しかし当時、大陸中央に不穏な気配ありと諜報活動で察知しており、この情報に信憑性が加えられた。その後更に、ヴァスティナ帝国と事を構えようと企む反抗勢力からも、秘かに接触が図られたのである。
情報の真意はともあれ、マットはこれを好機と考えた。反抗勢力による蜂起の成否は兎も角、この好機は確実にヴァスティナ帝国を弱体化させるからだ。そのために彼は反抗勢力に独断で協力し、ブラド公国に傭兵を差し向けたのである。
マットは未だ、ブラド公国に潜入させた傭兵部隊が、その後どうなったかを知らずにいる。傭兵部隊には可能な限りの情報収集と、あわよくばリクトビア暗殺を命じていたが、正直命令したマット自身は、彼らが任務を成功できるとは全く考えていなかった。
そんな簡単に敵国の要人を排除できるなら、自分達の様な戦力家は廃業であるし、何より面白くない。身勝手な考えを持ちながらもマットは、午後の紅茶時間を参謀達と過ごしながら、結果の報告を待っていた。
彼が今いるのは、ホーリスローネ王国と同盟関係にある、パウロブルクという名の王政国家である。大陸中央からの脅威に対抗するという名目で、パウロブルクの王族に許可を得て、マット率いる王国軍はこの国に司令部を置いている。
彼が参謀達と茶会を開いているのも、パウロブルク城の一室である。白塗りの壁に豪華な装飾が施され、歴史ある上品な家具が並ぶ、王国にも勝るとも劣らぬ見事な室内で、マットは自分が淹れた紅茶を参謀達に振る舞っていた。
「ところで将軍、その眼鏡はやはりチェンバレン将軍を真似てのことですかな?」
茶会の席に座る参謀の一人が、他の者達が切り出し辛くしていた話題に、意を決して踏み込んだ。紳士的な振る舞いを常に心掛ける、オールバックの髪型が特徴的なマットが、瞳を輝かせて子供の様な笑みを浮かべる。それはマットにとって、今日一番触れて欲しかった話題だった。
「気が付きましたか? 実はこれ、チェンバレン将軍が御使いになっているものと全く同じものでしてね。これまで何処を探しても同じものが見つからず、将軍自身も何処で入手したものか教えて下さらなかったのですが、昨日ようやくこの国の城下で見つけたんです。これはまさに運命だと、見つけた時は胸がときめいたものですよ。思えば若りし頃のチェンバレン将軍は、パウロブルク王の要請でこの国に救援で来訪した事があると聞いていたものですから、我が国ではなく他国で入手したものである可能性を初めから考えておけば――――」
こうなる事が分かっていたから、今日ずっと誰かに聞いて欲しそうにしているマットに、この話題を出したくなかったのである。
話が止まらないマットが興奮しているものとは、彼がかけている鼻眼鏡である。これはマットが敬愛を超えて崇拝している相手、紳士将軍ギルバート・チェンバレンが身に付けているものと、全く同じ製品なのだ。
若き有能な将であり、今や王国を救った英雄の一人と讃えられている、マットの欠点。それは、度を越したギルバートへの崇拝である。ギルバートに対する彼の熱意は凄まじく、髪型や鼻眼鏡は彼を真似てのものだ。
更に、今開いているお茶会も、ギルバートの習慣を真似たものである。元々、マット本人は紅茶が苦手だったのだが、ギルバートに倣うため必死で紅茶を嗜みまくり、自らの味覚を変えたという。
こんな男だが、有能で顔が良い男だった事もあり、一年前には婚約者がいた。だが、彼の尋常ではないギルバート推しに婚約者の方が参ってしまい、婚約破棄を言い渡されてしまっている。因みに、婚約者の方は精神的に大分落ち込んでしまっているらしいが、マットの方は全く気にしていないのだから質が悪い。
これは、ここに集まる参謀達はおろか、マットを知る者達は皆常識として知っている。知ってはいるものの、話題に触れてやらねば後が怖いと思い、どうでもいい長話を覚悟で、鼻眼鏡に今気付いた振りをしたのだ。
「⋯⋯⋯ですので、私がこの国で将軍と同じ眼鏡に出会えたのは、紛れもなく運命と言わざるを得ないでしょう。やはり私と将軍の出会いも、今思えば運命だっと言える。あれは、まだ私が少々生意気な軍学校の生徒だった頃、私と将軍は――――」
一度ギルバートの話題になると、自分と彼の出会いの物語を語り始めるのが、マットの非常に困る悪い癖だ。こうなるともう、他国が国境線を越えて侵攻でも開始してくれない限り、話が中断される事はない。分かってはいても、深い溜息を吐きたくても、この場から退散したくなっても、彼らは我慢する事しかできない。
そんな彼らの逃げ出したいという願いが届いたのか、突如現れた奇跡が部屋の扉をノックした。
「⋯⋯⋯おや、誰か来たようですね。入りなさい」
「失礼致します。将軍閣下に、急ぎ御報告に参りました」
マットが入室を促した事で、許可を得て入室したのは一人の連絡係である。その連絡係は、急ぎマットの傍によると、彼にしか聞こえないよう耳打ちで報告を行なう。
「⋯⋯⋯成程、分かりました。下がっていいですよ」
「はっ」
報告を終えた連絡係を下がらせると、ギルバートの話題を中断したマットが、一人静かに思考する。報告にやって来た兵士に対し参謀達が、内心勲章を授与したいと思いながら喜んでいる事など、マットは全く気付いていなかった。
(想定通り、情報収集も暗殺も失敗。しかし、狂犬は計画通りブラドを離れたか)
失敗前提で送り出した傭兵部隊の結果と、リクトビアがブラド公国を離れたという報告が、ようやくマットのもとに届いた。報告に現れた兵が皆の前で口に出さなかったのは、この計画がマット以外では極一部の人物しか知り得ない、極秘の作戦計画だからである。
マットが崇拝する、あのギルバートにすら相談していない作戦なのだ。作戦成功の為、極力情報漏れを避けたい内容というのもあるが、もしギルバートに知れれば、必ず反対されるという理由なのが大きい。
(恐らく、反乱は既に始まっているだろう。反乱が成功しているなら、この機を逃す手はない)
マットの口元に不敵な笑みが浮かぶのを見た参謀達は、茶会の終わりと、新たな戦いを予感する。察しの良い部下達の反応に満足し、始まりを告げた戦争の舞台の幕を、マットは自らの手で開けようとしていた。
「皆さん、我々は好機を得ました。ブラド公国攻略作戦の立案に取り掛かりましょう」
冬が守り通した束の間の平和は、まるでガラス細工のように容易く砕け散る。
若き将軍マット・テイラーは、今ここにホーリスローネ王国の覇権を懸け、ヴァスティナ帝国侵略に対する先陣を切ろうとしていた。




