第五十四話 崩壊の序曲 Ⅲ
ブラド公国を発ったヴィヴィアンヌが指揮する車輌部隊は、三日後、補給と休息のためにミルアイズという国に立ち寄っていた。
この国は、ブラド公国とアーレンツの間に位置する小国で、先のジエーデル国との戦争に於いては、ブラドに駐屯していたジエーデル軍の防衛拠点の一つであった。その戦争の際、ヴァスティナ帝国国防軍第二戦闘団がミルアイズを攻撃し、たった一日で攻略。以来ミルアイズはジエーデル国より解放され、ヴァスティナ帝国と同盟関係にある国家となった。
ミルアイズを治める領主へと事前に話は付いている。ヴィヴィアンヌの命令を受けた車輌部隊は、領主の命を受けた案内役の兵士達の誘導に従い、領主の屋敷へと通された。
屋敷に到着したのは、指揮官であるヴィヴィアンヌの他に、彼女旗下の親衛隊員二十人に加え、第三戦闘団の兵百五十人。そして、烈火騎士団と光龍騎士団の兵がそれぞれ三十人ずつである。
他の親衛隊員は各地の諜報活動に出払っており、両騎士団の残りの兵力は、ヴィヴィアンヌの命を受けて先行して行動し、ミルアイズより先の道中の安全確保に動いている。一見すると、護衛戦力としては数が不足しているようにも見えるが、この周囲一帯は勢力範囲化で安全も確保されているため、大兵力での護衛は必要ないと判断されたのだ。
この移動には迅速さが求められている。兵力が多ければ移動に時間も掛かかり、大兵力で目立つ分、敵に護衛対象の位置を知られる危険性も高くなる。そして何よりも、兵が増えればそれだけ、未だ秘匿状態の最重要問題が、兵達に知れる危険も上がる。万が一兵に秘密を知られれば、それが元で他国に情報が漏れる可能性もあるだろう。
様々な問題を考慮した結果が、少数精鋭による護衛を付けた移動である。それでも二百人以上の戦力となってしまったが、先の戦争に於けるアングハルト達の戦闘を踏まえ、これが最善だと判断された。
ヴィヴィアンヌは領主の屋敷を拠点と定め、護衛戦力の屋敷内外に配置して外敵を警戒した。この地での滞在は二日を予定しており、それまでに十分な休息と補給が済まされるよう手配されている。
道中指揮を続けていたヴィヴィアンヌも、屋敷の一室に通されて一息つく事ができていた。何も知らない領主の計らいで、彼女が通された一室には果実酒が用意されていたが、ヴィヴィアンヌはそれに一切手を付けず、部屋の窓から見える風景を眺めていた。
(そろそろ動く頃か)
ここまでは彼女が計画した通りである。順調に事が運べば、計画は次の段階へと進み、彼女達の前に脅威が現れる。その脅威への対応が、護衛任務に就く彼女達の役割なのである。
ヴィヴィアンヌが想像した通りであるならば、敵はホーリスローネ王国だけではない。ブラド公国を離れたこの状況を、ヴァスティナ帝国の勢力範囲内にいる敵が放っておく事など、まず有り得ないだろう。
流石のヴィヴィアンヌでも、自分達を狙う敵の規模までは正確に把握できていない。だが、帝国国防軍将軍リクトビア・フローレンスを、この機会に亡き者にせんと動いている敵が、今や味方の内に存在しているのは事実である。
(コーラル、ワルトロール、サバロ、ブラウブロワ⋯⋯⋯。反旗を翻す危険性を孕んだ国家は少なくない。これらが一斉に蜂起したとして、現状の我が軍で適切な対処は困難だ)
最悪の可能性を阻止すべく、ヴィヴィアンヌ旗下の親衛隊は、全力で諜報活動に当たっている。手遅れになる前に反乱を察知し、迅速に対応するためには、何よりも情報収集が必要不可欠なのだ。
或いは、反旗を翻す可能性がある国々に対し、先手を打って仕掛け続けるという合理的な手段もある。この方が敵に攻められるより安全に対処できるが、何の証拠もなく可能性だけで戦争を仕掛けるなど、各国の反感を招くのは火を見るよりも明らかだ。
更に言えば、先のジエーデル国との戦争による軍事物資の消耗は、まだ完全には回復していない。次なる戦争に備える中、味方同士の戦闘により、兵や武器弾薬を無駄に消耗する事は、これ以上避けたかった。
(こんな時、貴方ならば⋯⋯⋯)
ヴィヴィアンヌの脳裏に蘇るのは、彼女が忠誠を尽くす男の後姿である。こんな時彼がいれば、皆を安心させる微笑みを浮かべ、自分達の手を取り、進むべき道へと導いてくれる。
(駄目だな、私まで弱気になっては⋯⋯⋯)
彼がいないだけで、こんなにも容易く弱気になってしまう。昔の彼女ならば、絶対にありえなかった事だ。
(閣下。どうやら私は、貴方なしでは弱い女に変わってしまった⋯⋯⋯)
しかし、不思議と悪い気持ちはしない。前より弱くなってしまった自分の事が、寧ろ好きですらある。自分を好きだなんて思えた事は、今まで一度もなかった。それなのに好きだと思えるのは、命懸けで自分を救おうとしてくれた、彼のお陰である。
だからこそ、一刻も早く戻ってきて欲しいと願うのだ。自分をか弱い女に変えてしまった、罪で深くて愛おしい男の帰りを⋯⋯⋯。
ヴィヴィアンヌの予想は的中した。彼女がミルアイズに到着したその夜、早速領主の屋敷に刺客が放たれたのである。
ブラド公国での襲撃と同様に、見張りの警戒を掻い潜って屋敷内に侵入した者達が、リクトビアの確保もしくは殺害に向け、屋敷内を探索していた。勿論これはヴィヴィアンヌが想定していた通りの動きであり、侵入者への対策は万全だった。
部下からの報告を受けたヴィヴィアンヌが、戦闘準備を整えた状態で侵入者のもとへと向かう。彼女が到着した時には既に、部下たる親衛隊員達が侵入者を片付けた後であり、敵は全員通路の床の上に倒れ伏していた。
「状況は?」
「侵入者は全部で十二人。三組に分かれて作戦行動中を発見、これを撃破致しました。我が隊の損害はありません」
「よくやった。暗殺部隊が失敗したと分かれば、次に敵は強硬手段に出る。手筈通り各隊に迎撃させろ」
「了解致しました」
床を血で染めた侵入者の死体を一瞥し、ヴィヴィアンヌは部下に命令を下す。親衛隊員は全員、事前に伝えられた計画を全て頭に叩き込んでいるため、命令の内容を聞き返す事なく直ちに行動を開始した。
命令伝達に走り去っていく隊員や、死体の処理を行なう隊員達を眺めつつ、ヴィヴィアンヌは敵の正体を思考する。死体が装備していた武器から、サバロ製の剣であると断定した彼女は、この後襲撃してくるであろう敵の正体をサバロ国と予想した。
(サバロの軍事力と我々の規模を考えると、多くて千人規模と言ったところか)
敵軍の兵力を計算によって導き出し、対処可能だとヴィヴィアンヌは判断した。当初の計画通り屋敷を拠点とし、このまま敵を迎え撃つと決めた彼女は、部隊指揮のため屋敷の外に出ようとする。
そこへ、屋敷を警備している私兵を数人連れ、ミルアイズの領主デルーザという男が彼女のもとに駆け付ける。急いで駆け付けたらしい寝間着姿のデルーザは、額に脂汗を浮かび上がらせ、肥え太った腹の贅肉を揺らしながら近付いた。
「おお、アイゼンリーゼ殿。何者かが我が屋敷に入り込んだと聞きましたぞ」
「ちょうど片付けたところだ。貴様達の出る幕はない」
「⋯⋯⋯そのようで。いやはや、流石は噂に名高い親衛隊ですな」
手際よく動く親衛隊員を眺め、彼らの高い能力をデルーザが称賛する。彼の称賛は表面上だけのものであり、内心では大して驚いていないと態度で分かる。
片付けられていく侵入者達の死体を、何の感情も抱かず眺めていたデルーザの視線が、今度はヴィヴィアンヌへと向けられる。相手を値踏みする視線が、彼女の爪先から頭までをじっくりと観察する。ねっとりとした視線で彼女を見るデルーザが、興奮のあまり思わず舌なめずりをしていた。
(不埒な下衆め⋯⋯⋯)
このデルーザという男が、特殊な性癖を持つ男である事は、ヴィヴィアンヌも承知している。欲望のままに生きるデルーザの態度と内面に、不快感を露わにした目で彼女が睨みつけるも、当の本人はそれにすら興奮を覚えている様子だった。
ただ、こんな下衆な男でも、今は利用価値がある存在だ。敵の襲撃に対する備えが万全に整えられたのも、デルーザの協力があったからこそである。利用価値がある内は、想定されているこの後の戦闘でも、その命を守らなくてはならない。
「屋敷内の安全は確保した。事前に話した通り、貴様達は部屋で大人しくしているだけでいい」
「わかっておりますとも。ではアイゼンリーゼ殿、御武運をお祈り致しますぞ」
心にもない事をと、内心ではデルーザに嫌悪感を抱きつつも、彼に見送られながらヴィヴィアンヌはこの場を後にした。
屋敷の外で戦闘が開始されたのは、ヴィヴィアンヌがデルーザのもとを後にした。その三十分後の事であった。
領主屋敷はミルアイズの東に位置しており、立ち並ぶ人々の住居を越えた先にある、広大な敷地の中心に屋敷が聳え立っている。敷地は高い柵によって囲まれているが、城壁の様な防御力を有しているわけではない。飽くまでも防犯程度の柵であるため、軍隊が現れるとあっと言う間に突破されてしまった。
ミルアイズの町を駆け抜けた兵士達が、四方向から続々と領主屋敷へと迫り、早々に柵を破壊して敷地内に雪崩れ込んだ。四方から攻撃を仕掛けた敵兵力は、合計して約五百人。これは第一陣であり、後続には更に五百の兵力が控えているため、敵戦力数はヴィヴィアンヌが予測した通りであった。
如何にヴァスティナ帝国側の戦力が、少数とはいえ精鋭かつ強力な火器で武装されていようと、夜間による奇襲攻撃なら、千人程度の戦力で撃破できると計算しての攻撃だった。仮に万の兵力を用意できたとしても、大兵力が目立って察知されれば、攻撃を仕掛ける前に逃げられる恐れもあり、これが妥当な兵数だと考えられたためである。
敵は四方から同時に奇襲を仕掛け、帝国国防軍側が迎撃に入る前に、懐に飛び込んで乱戦を仕掛ける作戦だった。大方、敵の作戦などそんなところだろうと予想は出来ていたため、屋敷を守る護衛部隊は、昼間の内に仕掛けておいた罠を作動させる。
四か所に設置された導火線に、一斉に火が付けられた。火の付いた導火線は、敷地内の芝生を奔っていき、途中で何本にも枝分かれした。導火線が迫り来る敵に到達した瞬間、芝生に埋設されていた爆薬が爆発した。
轟音が芝生ごと敵兵を吹き飛ばし、爆発に巻き込まれた敵兵の肉片が宙を舞う。四方から接近していた敵は、爆発物による罠に見事引っかかり、大量の爆薬による大爆発で多くの兵を失った。おまけに、凄まじい爆発の威力を前にして、敵の突撃の足は止まってしまう。
そこへ、夜空へ向かって照明弾が放たれ、帝国国防軍の機関銃が一斉に火を噴いた。車輌に備え付けられた重機関銃と、歩兵部隊が運用する軽機関銃が、恐怖して立ち尽くした敵兵を次々と薙ぎ倒していく。照明弾が夜の闇を明るく照らし出すお陰で、機関銃の狙いは恐ろしい程正確だった。
機関銃の掃射が敵の被害を拡大させ、混乱する敵に無反動砲による攻撃も加えられる。五百の敵兵は瞬く間に蹴散らされ、西側と東側にはそれぞれ烈火と光龍の両騎士団が、北と南は国防軍の歩兵部隊が前進を開始して、戦意を喪失して逃亡を始めた残敵の掃討に移行した。
まずは敵の第一陣を、ヴィヴィアンヌの作戦が蹴散らして見せた。彼女は予め兵に命じ、屋敷周辺に爆弾を設置させておいたのである。この爆薬は芝生を掘り起こして埋設されていたため、もし敵が昼間に攻撃を仕掛けてきていれば、掘り起こされた地面を見て、容易く罠を看破できていたかもしれない。銃火器の存在を恐れ、夜間による奇襲攻撃を仕掛けたのが、かえって仇となってしまった。
奇襲攻撃に備え、万全の態勢を敷いていたヴィヴィアンヌは、作戦通り敵の第一陣を退ける事に成功した。しかし敵はまだ第二陣が控えており、その第二陣以外にも、続々と敵がこの地に集結する事が予測されている。
後方に控える敵の動きを、偵察隊を放って調べさせていたヴィヴィアンヌは、帰還した偵察員から報告を受ける。陣頭を指揮を執る彼女のもとに入った情報は、敵戦力の正体と規模に加え、その動きに関するものであった。
敵はサバロの軍で間違いなく、第一陣が壊滅したにも関わらず、敵は撤退などの素振りは見せず、その場を動かないという。更に、ミルアイズの外に潜んでいた、コーラルとワルトロールの軍隊が進軍を開始し、ミルアイズの包囲を始めたというのだ。
この時ヴィヴィアンヌは、報告した部下の前で「やはりそうきたか」と口にし、裏切者達へと向ける殺意の眼光を露わにした。自分へと向けたものでないと分かっていても、報告した兵はその余りの怒気と殺気に、心臓を抉られるような緊張と恐怖を覚えた程である。
敵の動きは、彼女の考えた通りであった。だが本音を言えば、自分の考え通りいって欲しくはなかったというのが、口には出さない彼女の本音である。何故なら、彼女の計画通り事が運ぶというのは、裏切者が反乱を起こしたという結果であるからだ。
ヴィヴィアンヌ達を襲撃しているのは、分かっているだけでも三つの国である。三国とも大きな国力を有しているわけではないが、ヴァスティナ帝国を裏切るという行為自体が、現支配体制の揺らぎの象徴となってしまう。
サバロ、コーラル、ワルトロールの反乱は、この後に始まる辛い内戦の前哨戦である。その事実を多くの兵が察しつつ、彼らはただ、己が信じるもののために戦っている。
ヴィヴィアンヌと、彼女に従う兵が信じているのは、帝国国防軍将軍リクトビア・フローレンスに他ならない。また彼を信じる事は、女王アンジェリカ・ヴァスティナへの忠誠も同義である。つまりこの先に待つ戦いは、リクトビアを信じ付き従う者と、そうでない者達との戦いになる。
三国の反乱をきっかけに、裏切りの炎は激しく燃え上がって、多くの者が反旗を翻すだろう。帝国支配の揺らぎに乗じ、裏切りの波に乗ろうとする者達を、ヴィヴィアンヌは決して許さない。
例えそれが誰による裏切りであろうと、彼女は己の銃に弾丸を込め、裏切り者を一人残らず粛清する覚悟だった。
ミルアイズでの戦闘開始から時が流れ、その後新たな衝突が発生しないまま夜が明けた。
サバロ軍の奇襲攻撃が失敗した後、あれから敵の攻撃は一切なく、ミルアイズは反抗勢力に包囲されたまま、両軍睨み合いの状態が継続している。防衛に徹しているために、帝国国防軍からの攻勢もないため、再度戦闘が始まらぬ間に、大勢のミルアイズの民が町から避難していった。
民が消え失せたミルアイズは、人気のない異様なまでの静けさに包まれ、両軍の緊張感が空気を張り詰めさせている。領主デルーザの屋敷を中心として、銃火器と爆薬で防衛線を構築している帝国国防軍は、数こそ敵に劣っているものの、戦意は高く、防衛態勢は完璧である、
但し、この防衛線も長くは持ち堪えられない。弾薬と爆薬には当然ながら限りがあり、彼らにはいつもの機甲戦力も配備されてはいなかった。敵が準備を整え、全軍で総攻撃に転じた場合、半日持つかどうかといったところである。
未だ敵が総攻撃に転じないのも、緒戦での圧倒的敗北が、彼らの決断を鈍らせているのが大きい。元々三国の軍事力はそれ程高くはなく、帝国国防軍の兵器群についても、伝わってきた話程度にしか知り得なかった。
三国を代表してサバロ軍が、その圧倒的なまでの軍事力を目の当たりにした。少数にも関わらず帝国国防軍は、サバロの奇襲攻撃から五分と経たぬ内に勝敗を決定付け、倍の兵力相手に圧勝したのである。しかも、何百人以上の死傷者を出したサバロ軍とは対照的に、帝国国防軍の損害は皆無であった。
噂以上の無双振りに、サバロを始めとした三国が戦術的有利に立ちながら、総攻撃を躊躇うのも無理はない話である。作戦を立てたヴィヴィアンヌは、これも狙いの一つであった。
現在ヴィヴィアンヌは、片手で食べられる戦闘糧食で食事を済ませつつ、部隊の指揮を継続して行っている。屋敷内に戻る事も、休息を取る事もなく、昨晩から一睡もせず敵の襲撃を警戒し、簡単に食事を済ませられるよう糧食の干し肉をかじっていた。
兵達には交代で休息を取らせるも、自身は疲れの色を見せず平然と指揮を続けている。そんな彼女の姿に、改めて兵達は帝国の番犬となった彼女に頼もしさを覚えつつ、彼女が敵でなくて本当に良かったと思っていた。
兵達がそのような事を考えているなど露知らず、ヴィヴィアンヌは干し肉をかじりながら、防衛線の見回りを続けていた。
(不味い⋯⋯⋯)
決して表には出さないのだが、慣れたはずの糧食の味に不満を抱きつつ、腹を満たすため干し肉を噛み続ける。かつては食事など、腹を満たせられれば何でもいいと思っていたのだが、以前は平気だった食べ物の味も、今は内心文句の一つも言いたくなる。
それもそのはずで、ヴァスティナ帝国での日々の食生活は、食に対する彼女の意識を変えてしまったのである。元々南ローミリアは豊かな土地に恵まれており、収穫できる農作物は栄養価も豊富で味も良い。しかも、それらを調理する料理人の腕も、各国と比べると高い水準にある。簡単に言えば、何を食べても美味いのである。
アーレンツ出身の彼女は、そもそも祖国の食文化が簡素だった事もあり、今まで雑な食生活を送ってきていた。それが、ヴァスティナ帝国で食事をするようになって以来、あまりの美味さに舌が覚醒し、それまで平気だった味の悪い食べ物を、はっきり不味いと感じる様になったのである。
因みに、自分の舌が変わってしまったという話は、恥ずかしくてリックにも言えずにいて、この事実を知るのはレイナのみだ。
(こんな粗末なものでなく、ベルトーチカが用意してくれた弁当をまた食べたいものだ⋯⋯⋯)
多忙なヴィヴィアンヌのため、彼女がブラド公国に帰還した際は、間を置かず次の任務へと発つ彼女へと、イヴが手作り弁当を用意してくれていた。イヴは料理が得意で、渡された弁当はどれも彼女を感動させた。イヴに直接言えた事はないが、ヴィヴィアンヌはこの弁当を帰還の楽しみにし、内心ではとても感謝していたのである。
こんな事ならば、ブラドから調達しておいた糧食を食べるのではなく、イヴに同行を頼んで食事を作って貰えば良かったと、今は後悔している。だがイヴは現在、ヴィヴィアンヌが指示した作戦で別行動を取っているため、それは叶わぬ願いだった。
リクトビア暗殺未遂事件の少し前から、イヴとシャランドラはブラド公国を離れ、それぞれ別の任を帯びて行動している。
イヴの場合は、反帝国の機運を秘かに煽る貴族の暗殺を親衛隊から依頼され、狙撃技術を活かしてそれを実行した。この暗殺以外にも、イヴと彼が率いる隊には、これまでも同じような暗殺任務が各所から依頼されており、今回の件はその一つに過ぎなかった。
シャランドラの場合は、オーデル王国で稼働が始まった兵器生産工場の視察である。帝国国防軍技術開発本部主任として、新しい工場の稼働状況を確認するのも、彼女にとって重要な仕事となっている。特に、新たな工場で生産される兵器の品質確認の重要性は、前線に出る兵の生死に関わるため、シャランドラはこの任に積極的であった。
別行動中の二人の内、今回の作戦にヴィヴィアンヌが参加を頼んだのは、イヴと彼の狙撃部隊である。暗殺任務を終えたばかりのイヴと連絡を取り、護衛作戦の支援を要請していたのだ。
支援の内容としては、新設された帝国国防軍第四戦闘団の戦力をイヴに指揮させ、ミルアイズへと進軍させる。ミルアイズに集まる反抗勢力を、第四戦闘団の機甲戦力を持って撃破するのがその目的である。
敵の襲撃も相手も計算通りであるならば、それを排除するための手段も当然用意されている。ヴィヴィアンヌの作戦は、この地に可能な限り反抗勢力を集結させ、まとめて撃破する事こそが真の目的なのである。
(ベルトーチカが第四戦闘団と共に合流すれば、連中を壊滅させるのに十分な火力を投入できる。ミルアイズを灰にしてでも、裏切り者共は残らず粛清してやろう)
リクトビア暗殺未遂事件を利用し、この機会に裏切り者を一斉に掃除する粛清計画。護衛対象と自分を危険に晒しながらも、早期かつ確実な処理を優先したこの計画は、今のところ順調に進行していた。
しかし、ヴィヴィアンヌの計画は思わぬ形で狂わされる。それは、イヴ率いる第四戦闘団が、到着予定を過ぎても尚、一向に姿を現さなかったからである。




