第五十三話 忘却の世界 Ⅰ
第五十三話 忘却の世界
とても大きな戦争が終わり、一か月以上の月日が流れた。
ローミリア大陸で大戦争の戦端を開いたジエーデル国は、各国に敗走するだけでなく、反乱軍によって新しい国家体制が敷かれる事になり、独裁者バルザック・ギム・ハインツベントが築き上げたジエーデル国は、今や崩壊して過去のものとなった。
大陸中央を支配していたかつての栄光は失われ、南ローミリアの盟主ヴァスティナ帝国との同盟まで結び、政治面や軍事面で帝国の支配を受ける事になった。それでも人々は、未だ癒えぬ戦争の傷痕に苦しみながらも、明日への希望を胸に今日を生きている。
戦後の復興に当たっているジエーデル国内では、商人だろうが軍人だろうが関係なく、国の回復のため日夜忙しく働いている。戦争が終わった事で、自分達を恐怖と力で支配していた者達がいなくなり、人々は何者にも怯えずに生きていけるようになった。それが、国のため、そして自分達のために働く、人々の生きる気力となっているのだ。
そんな中、職務の合間にとある墓地を訪れた、一人の軍人がいる。まだ若い彼は、通りで購入した花束を墓標に添えると、寂しい表情で一言囁いた。その声は吹き抜けた風に搔き消されたが、彼の様子を眺めていたもう一人の若い軍人には、何となく察しは付いた。
「⋯⋯⋯何か御用ですか、国防長官殿」
「二人っきりの時くらい、その呼び方止めてくれるかしら? アタシが嫌がるの知ってて呼んでるでしょ?」
墓前に立つ若き軍人の名はシリウス。彼のもとにやって来た、もう一人の若い軍人の名はロイド。この二人こそ、旧ジエーデル国の体制に最初の反抗を行なった、反乱軍の指揮者である。
自国を独裁者から解放した二人は、今や新しく再編されつつある、ジエーデル国防軍の指揮者となっていた。特にロイドは、国を解放した英雄にして、亡き名将ドレビン・ルヒテンドルクの息子でもある。彼は新しいジエーデル国防軍の長官に任命され、本人は嫌々ながらも、軍の最高司令官となったのである
「勝手に人をつけてきておいて、嫌もなにもないでしょう」
「ちょっと気になって尾行したのは謝るわ。もしかして、気付いてた?」
「ええ、初めから。思いの外、貴方の尾行が下手くそだったのには驚かされました」
「うっ、うるさいわね⋯⋯。アタシは知恵を絞る以外からっきしなのよ」
恥をかいたロイドが、少し顔を赤くしてシリウスから目を背ける。そんなロイドを、揶揄うように薄く笑ったシリウスは、視線を墓標へと向けたまま口を開く。
「それで、御用件は何でしょうか?」
「せっかく独裁者に勝ったっていうのに、このところのアナタの元気がなかったから気になっただけよ」
「⋯⋯⋯」
「もしかして⋯⋯、そこにアナタの恋人が眠っているのかしら?」
ロイドの勘は当たっていた。ここで「何で分かったんですか?」などと聞こうものなら、十中八九「女の勘よ」と返してくるのがいつものロイドである。
それ程長い付き合いというわけではないが、この数か月の間に互いの性格は理解できている。ただ、ロイドがシリウスの軍人としての能力以外に興味を持ったのは、これが初めてだった。
「まさか、この前の戦争のせいで⋯⋯?」
「いいえ⋯⋯。彼女が死んだのは、ちょうど二年前のことです。軍警察の人間を狙った襲撃事件があって、それに巻き込まれ命を落としました」
「そう⋯⋯、だったの。ごめんなさいね、辛いことを思い出させて」
「気にしないでください。彼女のことは、自分の中で気持ちの整理がついてますから」
心配させまいと笑って見せたシリウスだが、表情を曇らせるロイドからは、複雑な心境を抱いているのが見て取れた。
以前シリウスの口から、故郷に結婚を誓い合った恋人がいるとロイドは聞いていた。その恋人がまさか、既にこの世を去っているとは想像もしていなかった。好奇心半分で勝手に付いて来て、恋人との大切な時間を邪魔してしまったと、後悔しているのだ。
シリウスから見れば、今のロイドは新鮮で珍しい様子だった。普段のロイドと言えば、口調や言動が特殊な点を除けば、指揮官として優秀な信頼できる人物である。その冷静で頼もしい姿は、彼が両親を失っても変わる事はなく、涙一つ、悲しむ顔すら見せなかった。
それなのに彼は今、かつて恋人を失ったシリウスのために、目の前で悲しんでくれている。周囲からは冷たい人間だと思われる事もあるが、少なくともシリウスの目の前にいる今のロイドは、確かな感情を露わにしてくれている。
「⋯⋯⋯もっと早く、この国が独裁者の支配から解放されていれば、彼女は死なずに済んだ。本当はそう思っています」
「⋯⋯⋯」
「大切な人は二度と戻らないというのに、自分は貴方と共に国を救うため戦った。この勝利で自分が得たものは、一体何だったんでしょう⋯⋯⋯」
こう考えてしまうのは、シリウスだけではないだろう。似たような境遇の人間は、きっと大勢いる。独裁者への勝利に彼らが得たものは、後悔だけかもしれない。
自嘲気味に話すシリウスを見て、悲しみを消し去ったロイドは、彼の間近まで迫って軍服の襟を掴むと、鋭い眼差しを向けて口を開いた。
「勝利したアナタが得たものは、アタシからの信頼と愛よ」
「!?」
「アナタが優秀な副官として機能してくれたから、アタシは想定以上の成果を得て戦争を終わらせられたのよ。だからアタシはずっと傍にアナタを置いておきたいと思ったし、気に入ったから好きにもなった。まっ、この前ふられちゃったけどね」
「ルヒテンドルク長官⋯⋯」
「だ・か・ら、その呼び方止めてって言ってるでしょ。あと、そろそろアナタからは名前で呼ばれたいわ」
真っ直ぐ見つめるロイドの瞳は、驚き戸惑うシリウスの姿を映し出していた。彼の反応を可愛く思ったロイドは、得意げな笑みを浮かべて言葉を続ける。
「シリウス。アタシは、優秀な人材を拒まない。だからアナタが欲しいの」
励ましの意味もあるが、これはロイドの本心である。軍人としてやってきて、ロイドが今までこれ程の信頼を向けた相手は、自国の軍にはいなかった。彼が心底優秀で信頼できると感じた相手は、いつも敵にしかいなかったのである。
だがロイドは、初めて自軍の中で信頼に足る人物を見つけ、その能力を称賛して彼を欲した。ロイドが発したこの言葉が、どれだけ希少で価値のあるものなのか、シリウスにはよく分かっている。
人をあまり信頼せず、人に自分を曝け出さない、つかみどころがない人物。そんなロイドにここまで言わせたのだから、何も得なかったとはとても言えない。シリウスがこの戦争で得たものは、これから共に戦い歩んでいく、生涯を捧げてもいいとさえ思える将であった。
「⋯⋯⋯ロイド。一緒にこの国を、そして人々を守っていこう」
微笑んで返したシリウスの言葉に、満足したように笑ったロイドだったが、直ぐに恥ずかしくなって頬を赤くしてしまう。軍服から手を離したロイドは背を向け、シリウスのもとを離れようと歩き出してしまう。
「割とアタシ好みな顔であんな爽やかな笑顔とか、殺傷力高すぎて死ねるわ⋯⋯⋯」
「もしかしてロイドって、意外と単純なんじゃ⋯⋯」
「うっさいわね! アナタがイイ男過ぎるのがいけないのよ!」
逆切れ気味にとんでもない言い訳をして、この場を立ち去ろうとするロイドの背を、迷いから解放されたシリウスの瞳が見つめ続ける。自分を救おうとしてくれた彼の背が、記憶の中に蘇る、亡き名将の背中と重なる。やはり親子なんだなと考えていると、まだ頬を赤くしたままのロイドが振り返り、怒って誤魔化すように言葉を発した。
「なに突っ立てるのよ! これから我らがお姫様のところに行かなくちゃいけないんだから、アナタも付いてきなさい!」
「はっ。何処までも御一緒致します」
シリウスは恋人の墓標に別れを告げ、逃げる様に歩いていくロイドの背中を追って行った。後にこの二人が、ジエーデル国の軍事を立て直した英雄として讃えられる、これが最初の第一歩となるのだった。
独裁者が君臨していた、ジエーデル国の支配の象徴。それが、総統府と呼ばれていた建造物である。
反乱軍に占拠されて以降、総統府の建物自体はそのまま活かされ、現在は新政府構築のための政治本部となっている。ここへ新たに君臨したのが、ロイド達が御旗として担ぎ上げた、大義の象徴たるカンジェルマン・ムリューシュカの娘だった。
召集を受けたロイドはシリウスを連れ、カンジェルマンの娘が待つ、総統府の一室に足を運んだ。ロイドが到着した部屋、かつて総統バルザックが使っていた執務室である。この部屋を彼女が選んだ理由は、単純に内装が気に入ったからだという。
あのバルザックの前ですら平気だったロイドが、少し緊張気味で扉の前に立っている。軽く深呼吸した彼は気持ちを落ち着け、彼女が待つ執務室の扉を開いた。
「鈍間め」
顔を見せたロイドに向かって、執務室の椅子に腰かけ足を組む女性が、低い声で言葉を発する。付き合いが長いお陰で分かる、ロイドが予想した通りの第一声だったため、特に怒りもせず彼は言葉を返す。
「別に待たせてないでしょうに。何の用かしら、ジーク」
ロイドがジークと呼ぶ彼女こそ、カンジェルマンの娘にしてジエーデル国の新しい象徴、ジークフリーデン・ムリューシュカである。男のように髪を短くまとめ、きりりとした顔立ちと、相手の胸を射抜くような鋭い瞳に、一瞬息を呑む。将軍であったかつての父のように、特別仕立てられた軍制服をまとうジークフリーデンの姿は、初対面ではないロイドやシリウスが、何度見ても緊張を覚えてしまう程の、まさに男装の麗人だった。
「我を大義の旗に掲げ、貴様は動乱を治めた。次は何を欲する?」
次に望む欲しいもの。ジークフリーデンに望みを問われたロイドだったが、そんなものは存在しなかった。何故なら彼は、野心などを抱き反乱を起こしたわけではなかったからだ。
では、正義に目覚めて国を救おうとしただけなのか。もしそうなら紛れもなく英雄だが、彼は正義など持ち合わせてはいなかった。
ただロイドは、親を殺された事への復讐と、自らの命と、たった一人の大切な存在のために、自国の支配者へと反逆したのである。彼は国と民を救う大義を掲げて戦ったが、それらは全て建前でしかなかった。支配者へと反逆したロイドは、私情のために戦ったに過ぎなかったのである。
「⋯⋯⋯そうね。アタシが次に望むのは、アナタがこの国をもっと良い国にして、みんなに好かれる国家元首になることくらいかしらね」
欲のない、ジークフリーデンのための望みが、自らの望みであるとロイドは言う。それを聞いた彼女は、笑う事も怒る事もなく、変わらぬ表情のままロイドを見据える。真っ直ぐ見つめられたロイドが、肩を竦めて薄く笑うと、不満気に鼻を鳴らしたジークフリーデンが口を開く。
「貴様はつまらん」
「つまらなくて結構。アナタを笑わせるために国防長官になったわけじゃないのよ」
「⋯⋯⋯望み叶えたくば、我に背く敵を屠れ。それが貴様の役目だ」
「はいはい、了解了解。旧ジエーデル軍残党を残らず片付けろってことでしょ? 言われなくてもちゃんとやるわよ」
面倒そうに大袈裟な溜め息を吐き、ジークフリーデンから命令を受けるロイド。二人の様子を見守っていたシリウスは、ロイドが彼女を保護してからの道中を思い出し、どんな立場になろうと変わらない二人のやり取りに、内心改めて驚いていた。
ロイドとジークフリーデン。実は二人は幼馴染で、互いの事は昔からよく理解している。ロイドが彼女をジークと呼ぶのは、幼馴染であるが故のものだ。ムリューシュカ家粛清の折り、唯一生存し隠れ潜んでいた彼女を見つけられたのも、彼女の事をよく知るロイドの読みのお陰だった。
先の戦争にて再会を果たしたロイドとジーク。初めて二人のやり取りを目にした時、シリウスは驚愕のあまり思わず声を上げてしまった。命を助けられたはずのジークは、現れたロイドを見るや否や、いきなり彼の頬を引っ叩き、第一声が「遅過ぎる」だったのだ。
言動が暴君のようなジークに対して、ロイドはいつもの事だと言わんばかりに溜め息を吐き、「気は済んだかしら?」と言って見せるだけだった。その衝撃的な二人の関係に、初めシリウスは理解が追い付かなかった。
今も、二人が再会した時と何も変わらない。相変わらずジークは何を考えているのか分からず、ロイドだけは彼女の考えを理解し、彼女が命じるままに行動しようとしている。
ただ、今日までロイドとジークを見てきたシリウスは、最近になって少し二人の事が分かるようになった。二人の複雑な関係と、驚く程の不器用さを⋯⋯⋯。
「用は済んだかしら? アタシ達も暇じゃないんだから、つまらない用事で呼び出さないで頂戴な」
「ふん⋯⋯、よかろう。行くがいい、我が従僕よ」
来て数分も経たずに話を終え、言われた通りロイドはジークに背を向け、部屋の扉を開けて退出していった。彼女に一礼したシリウスも、ロイドの後を追って部屋を後にする。
ジークのいた執務室を出た二人は、用が済んだこの場所を出るべく、旧総統府の通路を共に歩き続けた。すると、突然立ち止まったロイドが、自分の後ろに続くシリウスへ、振り返らずに口だけを開く。
「あの子ってほんと、昔から態度デカいのよね。言葉足らないし意味分かんないし⋯⋯、あの子の下で働く文官はきっと大変よ」
「では、長官御自身があの御方の傍に仕えては如何でしょう? そうすれば誰も困りません」
「断固拒否するわ。ジークがアタシにだけ特に扱いが雑なの、アナタも分かってるでしょ。それに、アタシはアタシでやる事が山積みで、あの子の我儘に構ってられないの」
別に喧嘩しているわけでも、いがみ合っているわけでもないのだが、幼馴染の割には複雑そうな関係に見える。少なくとも傍からでは、お互い嫌い合っているようにも見えれば、冷たい関係にも見えるだろう。
ロイドはジークより歳が下で、幼い頃は彼女が姉のような存在だった。あの偉そうな言動と、ロイドだけを従僕と呼ぶのはその頃からだと、以前シリウスは聞かされている。その話を聞かされ、改めて二人を観察したからこそ、シリウスだけは二人の不器用さに気が付いた。
「そ・れ・に、助けてあげた恩も忘れて、人使いが荒いし、一人で勝手に何でも決めちゃうし⋯⋯⋯。どうせ助けられた恩なんてこれっぽっちも感じてないんでしょうけど、あの子は昔っから⋯⋯⋯⋯⋯、なに笑ってんのよ?」
「これは失礼しました。あの方の話をする時は、いつも以上にお喋りだなと思いまして」
「ねぇ、ちょっと殴ってもいいかしら? っていうか殴らせなさい」
「まあ落ち着いて下さい。長官の気持ちを察せぬような、鈍い部下ではないつもりです」
「勘が良過ぎるのは軍務の時だけにしてくれるかしら? アタシの私情にまで勘の良さを発揮しないで」
怒ったのか、それとも恥ずかしくなったのか、頬を赤くしたロイドは再びシリウスに背を向けた。これ以上顔を見られたくないロイドは、逃げる様にまた歩を進めた。そんな彼の後ろ姿を見つめ、思わずまた笑ってしまったシリウスが続いていく。
口では何と言おうと、シリウスには分かっている。本当ならジークを救い出さずとも、ロイドの能力だけで反乱を成功させる事が出来た。どんな風に扱われ様とも、彼は彼女の言葉と考えを理解し、彼女のために行動し続けている。
ロイドにとってジークは、ただの幼馴染でも、御旗に掲げた英雄の娘でもない。彼にとって何よりも大切な存在なのだ。そしてそれは、彼女にとっての彼もそうなのだろう。
勿論、こんな話を口にすれば今度こそ殴られるので、シリウスはそれ以上何も言わなかった。




