第五十二話 あなたを愛して⋯⋯Ⅴ
総統バルザックの死後、程なくしてヴァスティナ帝国国防軍の第一戦闘団は、目的のジエーデル国へと到着し、国内への進軍を始めた。
既にジエーデル軍の多くは戦闘を停止しており、各地で撤退もしくは降伏を進めている。ジエーデル国内に配備されていた防衛線力も、そのほとんどが武装解除を行なっていたため、第一戦闘団は一切の戦闘を行なう事なく、念願の敵国へと足を踏み入れたのである。
第一戦闘団を指揮する参謀ミュセイラ・ヴァルトハイムは、全軍に対してこちらからの交戦を禁じた。ジエーデル国を支配していたバルザックの死は、ヴァスティナ帝国側だけでなく、大陸全土に情報が広がっている。バルザックが死んだ今、最早ジエーデル軍に戦う理由は存在しないからである。
軍警察長官ハインリヒが残した、最後の命令の影響もあり、ジエーデル国内は徹底抗戦を行なわず、ヴァスティナ帝国に降伏していた。ここまでは想定より順調で、当初の目的を達成したと言ってよかった。そんなミュセイラの最大の誤算は、自分達がジエーデル国へ一番乗りを果たせず、名将の息子ロイド・ルヒテンドルクに先を越されてしまった事だった。
ロイドは表向き打倒軍警察を掲げ、英雄カンジェルマン・ムリューシュカ将軍の娘を御旗に、各地のジエーデル軍を味方に付け、ジエーデル本国へと戻ってきた。
この時既に、大義は反乱軍であるロイド側にあった。反乱軍を迎え撃つべく抵抗していた防衛部隊も、大義名分を得た彼らの勢いに負けて敗走し、本国への突破を許したのである。ミュセイラが想定していた以上の速さで、他勢力がジエーデル国へ到達してしまった事が、彼女の誤算だった。
ヴァスティナ帝国は、今後の大陸全土武力統一への足掛かりとして、ジエーデル国の占領を狙っていた。帝国国防軍が、どの国よりも早くジエーデル国を占領できれば、大陸中央最大の国家を自国の領土とし、より大きな国力を得るに至るからだ。
その狙いを初めから読んでいたロイドは、帝国国防軍よりも先にジエーデル国への到達を目指し、急ぎつつも慎重に行動していたのである。それ故にミュセイラが到着した頃には、既にロイドの反乱軍が国の半分を占領していたのだ。
一番乗りを果たしたのが、ロイド達ジエーデル軍である以上、ジエーデル国は今回の戦争を自国内で片付けた事になる。つまり、帝国国防軍が下手にジエーデル国の支配権を得ようとすれば、侵略者とされ大義を失った戦争を行なう羽目になる。それはジエーデル国だけでなく、他国をも敵に回しかねない事態であるだろう。
ミュセイラに出来るのは、ジエーデルとの停戦交渉に向けて国内をある程度占領し、戦争終結に向けた軍事活動を始める事である。戦争を終わらせたのがロイドだけの功績ではなく、ヴァスティナ帝国にもあるとして、やがて生まれる新しいジエーデル国との同盟を結ぶためだ。
幸い、各地でジエーデル軍の多くの戦力が戦闘を停止する中、国内へ到達したのは反乱軍と帝国国防軍のみである。ホーリスローネ王国やゼロリアス帝国も、まだここまで到達できてはいない。ヴァスティナ帝国側の思惑を阻む勢力は、他に存在しないのである。
ミュセイラは第一戦闘団に命じ、ジエーデル軍の武装解除や、反抗勢力の蜂起によって破壊された国内の復興支援を行なった。負傷した兵や国民には治療を施し、これ以上の武力衝突が起きぬよう、占領地域の治安維持活動も行なったのである。
最高司令官であるリック不在の中、各地で戦っている帝国国防軍が合流するまでの間、ミュセイラが第一戦闘団の実質的な指揮官だった。彼女の作戦指揮によって、第一戦闘団は強力なジエーデル軍の防衛線力を蹴散らし、ジエーデル国内への侵攻を叶えた。作戦によってリックを欠いた中でも、彼女は多くの将兵から信頼され続け、参謀としての責務を全うしていた。
現在もミュセイラは、戦闘によって破壊されたジエーデル国内の街中を、護衛の兵士と共に見回っている。近代的な建造物で造り上げられた進んだ街並みも、今は内乱の被害を受けて、その多くが破壊されてしまっている。大陸中央で最も発展した街を持つジエーデル国の光景は、戦争の傷痕を残して瓦礫と変わっていた。
ミュセイラが今いる場所は、反抗勢力の武装蜂起に対し鎮圧部隊が出動し、激しい市街戦に突入した場所であった。激しい戦闘が一日中続き、新型砲による砲撃や、大量の火炎瓶などを両軍が投入した結果、戦場となったこの地は、多くの国民を巻き込んで破壊された。
護衛の兵を引き連れて道を歩くミュセイラの瞳には、戦闘の激しさを物語る、倒壊して瓦礫となった家や、火災で灰にされた店などが映る。無事な建物はほとんどなく、発生した大火災によって何もかもが焼き尽くされていた。
戦闘によって発生した火災は建造物だけなく、戦う意思を持たない国民をも巻き込んだ。逃げ惑うしかできなった大勢の民は、舞い上がった炎から逃れられず呑み込まれ、最後は灰と変えられた。この地で尋常ではない程の人間が命を落とした事は、周囲から漂い続ける、焼け焦げた強烈な死臭によって分かってしまう。
「酷い状況ですわね⋯⋯⋯」
思わず彼女が口に出してしまいたくなる程に、街の状態は深刻なものであった。
ミュセイラが到着した頃には、既に鎮火した後ではあったものの、被害は復興が難しい程に甚大であった。国内が混乱状態にあった為に、戦火に巻き込まれた人々への救助活動は、全く行われていなかった。戦闘の巻き添えや火災での焼死遺体は、未だそのままの状態であり、数えきれない程の怪我人で街は溢れかえっている。
予想していた以上の酷い状況に、ミュセイラだけでなく帝国国防軍の兵士もまた、絶望と悲しみに暮れるジエーデルの人々に、救いの手を差し伸べずにはいられなかった。その行動に打算的な考えはなく、同じ人間として、敵国の民であろうと助けたいと思っての行動だった。
ミュセイラの指示に兵達は従い、瓦礫の撤去作業や遺体の回収を始め、負傷者の手当を行ない、生き残った人々のために食事や毛布を用意した。明日を生きる気力を失った人々のため、兵士達は率先して彼女の指示を聞いて行動し、大勢の人々を助けてまわった。
バルザックが死んだ今、何れは国内の混乱が完全に落ち着いて、ミュセイラ達のいる場所にも、ジエーデル軍が編成した救援が駆け付けるだろう。しかし、ここにいる人々は今救いを求めている。この今を救うのが、自分達の役目なのだと考えて、ミュセイラは一人でも多くの人々を救おうと奮闘している。
(私達が侵攻しなくても、恐らく国内の反乱は避けられなかったはずですわ。でもジエーデルの国民は、きっとそうは思いませんわね⋯⋯⋯)
ミュセイラの瞳に映る光景は、どんな選択を自分達が行なったとしても、ジエーデルという国が必ず辿った結果である。この戦火の傷痕は、ジエーデル国が独裁という支配から解放されるための、言わば代償であった。
だが、戦火に巻き込まれた人々は、そうは思わないだろう。ジエーデル国に攻め込んできた国のせいで、愛する家族を、恋人を、友達を失い、帰る家まで奪われたと思う。帝国国防軍の救助活動を受けている人々の中には、侵略者である彼らを憎悪している者も大勢いる。
(蜂起は想像以上の激しさだったようですわね。ルヒテンドルク将軍の反乱が未然に阻止されてしまったからこそ、統率者のいない勢力が必要以上に暴れてしまった)
名将の反乱は阻止され、ヴァスティナ帝国に裏で協力していた外交官も捕らえられ、ジエーデル国内に隠れていた反抗勢力は、武装蜂起の機会を失ったはずだった。
絶望的な状況を変えたのは、ジエーデル軍の劣勢である。その状況が彼らに蜂起の機会を与え、反抗勢力の幹部であったビルという男を筆頭に、彼らは一斉に攻撃を開始した。この攻撃は見境が無く、計画性のない無差別テロに等しいものであった。結果的にこの攻撃は軍事施設だけでなく、守るべき国民の家屋にまで被害が及び、大勢の罪なき人々が死んだのである。
(私達がやろうとしていること⋯⋯⋯。きっとそれは、この悲惨な光景を生み出し続ける⋯⋯⋯)
アーレンツとの戦争後にも、ミュセイラは同じ思いを抱き苦悩した。ヴァスティナ帝国女王の命を受け、大陸全土を武力によって統一しようと前進するリックは、敵味方数え切れぬ程の犠牲を覚悟の上で、戦争を続けている。果たしてそれは、屍の山を築く程の犠牲を出しても尚、価値あるものなのだろうか。
信じると誓った男に付き従う、ミュセイラの心は揺れている。奪われた、奪った命は二度と戻らない。それを誰よりも分かっているはずの男が、破壊と殺戮の先に求めるもの。その正体を知れた時、自分が納得できる程のものなのかと考えると、震えが止まらなくなってしまう。
もしも納得できなかったら、自分達が生み出し続けた戦争と犠牲は、一体何だったのだろうか。この手を真っ赤に染め上げて、大勢の人間を殺した自分達は、混沌と破壊を愉しむただの殺戮者でしかない。
(分からない⋯⋯⋯。私は、貴方のことが分かりませんの⋯⋯⋯)
ここにはいない、自分が信じた男の姿を思い浮かべ、彼女は一人俯く。普段は乱暴で口が悪くて、彼女に対しては扱いが雑でよく口論が絶えないが、いつだって信じてくれていて、大切に想ってくれている。
そんな厄介で、優しい彼だからこそ、本当は信じ続けたい。だからこそ、彼が間違った道に進もうとしているのならば、それを正す事が役目だ。
この日ミュセイラは、ある決心を胸に、絶望に打ちひしがれたジエーデルの人々のために尽力した。だがこの時の彼女もまた、自分の選択による悲劇の結末を、未だ知らされずにいたのである。




