第五十話 貴方には愛を、私には銃を Ⅶ
翌日。帝国国防軍第一戦闘団は、野営陣地を引き払って移動を開始した。その進路はジエーデル国に向けたものではなく、今日までの進軍によって解放した地域に存在する、とある小国であった。
進軍計画が変更された理由は、物資の補給と重症である負傷者の治療、更には後方に援軍要請をしつつの部隊の再編成だった。この情報は直ちにジエーデル軍にも伝わり、各地に放った密偵による追加の情報収集を急いだ。
集まった情報を頼りに、ジエーデル軍は一つの結論に辿り着く。それは第一戦闘団内部にいた、最重要の排除対象が戦死した可能性である。
もし彼らの予想通りであれば、ジエーデル軍がヴァスティナ帝国に勝利できる、最大の好機と言っても過言ではないだろう。ジエーデル軍は情報の信憑性を調査し、最重要対象であるリクトビア・フローレンスが戦死したのかを確認した。
その結果、移動中の第一戦闘団内にリクトビア並びに、戦闘団指揮官セリーヌ・アングハルトの姿は確認できなかった。二人は先の戦闘時に負傷し、現在も治療中のため、兵達の前に姿を出せないというのが理由となっていた。
罠の可能性も十分考えられたが、ジエーデル軍はこの情報に賭けた。リクトビアだけでなくアングハルトも消えたとなれば、第一戦闘団どころか、帝国国防軍全体の士気が大幅に低下するだけでなく、ジエーデルへの侵攻中止も有り得る。今ここで第一戦闘団を叩けば、各前線の帝国国防軍を撤退に追い込めるだろう。
そこでジエーデル軍は、罠の可能性を考慮しつつ、移動中の第一戦闘団に再び奇襲攻撃を仕掛けた。この戦闘に於いて、ジエーデル軍はリクトビアもアングハルトの姿も確認できなかった。奇襲攻撃自体は反撃を受けて失敗したが、この戦闘の結果ジエーデル軍は、これは第一戦闘団の策略の類ではなく、二人の戦死が真実であると確信した。
戦力を結集したジエーデル軍は、有利な状況下で帝国国防軍を迎え撃つ決戦計画を中止し、直ちに主力を第一戦闘団に向けて出撃させた。
ヴァスティナ帝国に勝利するべく、小細工を止めたジエーデル軍が決戦を仕掛けようとしている。そしてこれが、大陸中央における両軍の勝敗を分ける、大きな転換点となるのだった。
ヴァスティナ帝国国防軍第二戦闘団は、作戦計画通りブラド公国に到達した。
城壁に囲まれた街の周囲には、万全の防衛態勢を敷いたジエーデル軍が展開しており、現れた第二戦闘団を待ち構えていた。街の方も頑丈な城壁を活かして防衛が強化され、一種の要塞となって第二戦闘団の攻撃に備えている。
ブラド公国陥落こそが、ジエーデル国の生命線を潰す最重要攻略目標である。第二戦闘団が任された作戦は、まさにこの戦争の勝敗を決める大任だった。作戦に参加するほとんどの兵が緊張しているが、それは攻撃側である帝国国防軍の兵士だけでなく、ジエーデル軍の兵士も同様だった。
両軍共、この戦いが敗北の許されないものであると、十分承知している。戦闘開始を両軍の兵が緊張して待っているが、第二戦闘団の中でも彼女だけは、兵を率いる将として凛と佇んでいた。
「⋯⋯⋯」
眼前に広がるジエーデル軍の陣容を眺め、得物たる十文字槍を片手に堂々とした姿を見せる少女が一人。烈火の如く燃えるような赤髪と、自らが率いる隊を象徴とした赤き軍服を身に纏う、その少女の名はレイナ・ミカヅキ。
レイナの後ろには、指揮下の精鋭の槍兵達が整然と並び立ち、「炎槍」の二つ名を持つ彼女の命令を待っている。帝国国防軍精鋭槍兵部隊「烈火騎士団」は、攻撃開始の命令を静かに待ちながら、ヴァスティナ帝国の勝利を信じていた。
何故なら、ここにいるのはヴァスティナ帝国が誇る英雄であり、帝国に勝利を約束してきた軍神であるからだ。しかも、ブラド公国攻略にはレイナだけでなく、彼女と互角に戦う最強の剣士も揃っている。これで負ける未来など、全く想像すらできないのだ。
「今日はクリスと喧嘩を始めていなくて安心したよ」
「⋯⋯⋯エミリオ」
敵軍を眺めるレイナのもとに現れたのは、参謀長のエミリオだった。第二戦闘団を率いる彼は、各部隊の攻撃準備が完了次第、ブラド公国に対する攻略作戦を開始する。その作戦開始の前に、こうして各隊の様子を見回っている途中なのだ。
「レイナ。作戦開始の前だが、落ち着いて聞いて欲しいことがある」
「何だ?」
「第一戦闘団から平文で連絡があった。敵の奇襲攻撃でリックとアングハルトが負傷し、二人共戦死したという連絡だ」
エミリオの言葉を聞いた瞬間、レイナは目を見開いて驚愕し、報告した彼に振り返ろうとした。だがレイナはそこで気が付き、取り乱す事なく落ち着きを取り戻して口を開く。
「ミュセイラがそんな連絡を無線で寄こすはずがない」
「わかっているようで安心したよ。何かあったのは間違いないだろうが、これは彼女の作戦と見て間違いない」
参謀としてのミュセイラの能力の高さは、レイナやエミリオもよく分かっている。幾ら魔法石を利用した無線機での連絡とは言え、帝国国防軍程ではないがジエーデル軍の一部も、似たような無線機の類を使用している。連絡が傍受される危険があるこの状況下で、これ程の一大事を平文で送るなど有り得ないからだ。
そんな無能をミュセイラが演じるはずがない。頼れる参謀として彼女を信じているからこそ、連絡を受けたエミリオもレイナも直ぐに気が付いたのだ。
「昔の君なら、まんまと騙されてリックのもとに飛んで行っただろうね」
「馬鹿にするな」
「将として立派に成長してくれて嬉しいよ。さっきクリスにも同じ話をしたら、君と似た反応だった」
「イヴはどうだった?」
「私が言い終わる前に嘘だと気付いた。彼女⋯⋯⋯、じゃなくて彼は恐ろしく勘がいい」
それを聞いたレイナは、敵陣の方を見ながら眉間に皺を寄せ、少し不満気な顔を浮かべていた。エミリオ達に今の自分の顔を見せる事はなかったが、イヴに見抜く速さで負けて悔しかったのである。
しかし、レイナが一人悔しがっているのは、背中越しでもエミリオにはお見通しだった。序に言えば、同じ話をクリスに聞かせた時も、彼女と似たように悔しがっていたのである。
「⋯⋯⋯それで、将軍閣下とアングハルトは今?」
「彼女のことだ。敵を欺くため、何処かに二人を隠したに違いない。恐らくは我々の下に案内役を送り、二人を無事に回収させる計画だろうね」
「ならばその回収の役目、私が引き受ける。無論、案内役が到着するまでの間はブラド公国攻略に加わる」
「助かるよ。正直な話をすると、この話を聞かせたら直ぐにでも向かってしまうかと思っていた」
揶揄うようにそう話すエミリオに、馬鹿にするなと言いた気にレイナは鼻で笑って返す。確かに昔の彼女ならそうだったかもしれない、今リック達のもとに自分が向かえば、返って二人の居場所を敵に教える事態になりかねない。
無闇に二人を危険に晒すのを防ぐためには、今は動かない事が正解である。それにレイナは、リックと行動を共にしているはずのアングハルトを信じている。彼女がリックを守っているならば、二人の無事を信じて待つ事ができるのだ。
「アングハルトが護衛に付いているなら安心だ」
「ヴィヴィアンヌなら分かるが、君がそこまで信頼しているとはね」
「⋯⋯⋯わかってない」
「うん?」
微笑を浮かべたレイナがエミリオへと振り向き、少し驚いている彼の瞳を真っ直ぐ見つめる。どうしてそこまで信頼できるのか、本当に分かっていないのを確認したレイナは、誇らしげに彼の疑問に答えた。
「アングハルトが今まで倒した敵の数は、私や破廉恥剣士よりもずっと多い」
「⋯⋯⋯!」
「彼女は帝国で最も敵を屠った将だ。閣下が仰っていたが、軍隊では多くの敵を倒した存在をエースと呼ぶんだそうだ」
守りたい者の傍にいたい。片時も離れたくはない。だが自らの立場上、それが許されぬ時もある。
だからレイナは、リックの事をアングハルトに預けた。大切な彼の身を安心して預けられるのは、自分がこの世で信頼する数少ない人間だけだ。アングハルトが彼を守ってくれるならば、その身を犠牲にしてでも、必ず彼を守り抜いてくれる。
それだけ彼女は、彼をずっと愛し続けている。その想いと覚悟を、レイナは信じている。
「⋯⋯⋯どうやら私は、まだまだ君達を信じ切ることができていないようだ」
レイナから視線を外したエミリオは、彼女に背を向け立ち去っていく。離れていく彼の背中を見送るレイナは、いつも頼もしく映るその背に、今は何処か危さと不安を感じていた。
(私達には見えない敵とエミリオは戦っている。早まった真似をしなければいいが⋯⋯⋯)
エミリオの苦悩の正体は、レイナにも誰にも分からない。彼の心を理解できるのは一人だけだが、その理解者はここにはいない。
何事も起きなければいいと、そう願いながら倒すべき敵を討つ。今の彼女には、そうする事しかできなかった。




