第四十八話 鴉の名 Ⅵ
グローブス配下の将の男が一人、総攻撃の命令を実行して兵を突撃させる。万の軍勢がジエーデル軍を撃破するべく駆けていき、敵の防衛線を食い破ろうとしていた。
対してジエーデル軍は、王国軍の総攻撃が始まった途端に防衛を諦め、迅速に後退を始めてしまった。この瞬間王国軍は、逃げる敵の背中目掛け追撃戦を行なう事になったが、指揮を執るこの男は妙な違和感を覚えていた。
後退自体は理解できる。迅速な動きも、敵兵が戦慣れしている証拠であり、特におかしい事ではない。最終防衛線のキーファードの町まで後退し、最後の抵抗を行なおうとしているのは分かっている。
違和感の原因は、早すぎる敵の後退である。ジエーデル軍は時間稼ぎのためにこの地で戦い、損害を覚悟した上で、町の防衛態勢準備の為に迎撃に出てきた。それなのに敵は、防衛線の一部が崩れただけで、直ちに防衛を捨てたのである。
犠牲を考慮した時間稼ぎなら、後退ではなく防衛線の補強が最優先である。だが敵は早々に防衛を諦め、損害を恐れるかの如く引いていく。まるで、追撃戦に移行した王国軍を誘っているかのようだった。
だからと言って、敵軍には町で防衛を行なう以外、勝機はないと言える状況である。仮に何かの作戦だったとしても、三万の本隊による総攻撃と、町を目指した別動隊の動きを止める事など出来るはずがない。
兵力の差を覆す強力な兵器でもあれば話は別だが、そんなものは今日までの戦いで使われてはいない。戦力の温存も考えられるが、時間稼ぎの戦略と矛盾してしまう。男は敵の後退の意図を理解できずにいたが、兎も角命令に従い兵を前進させていた。
後退する敵兵の背中を追いかける兵士達と共に、男もまた馬に跨り追撃する。勝利を確信した王国兵達は、功を焦って我先にと敵を追った。この男のように違和感を覚える兵は、他に誰もいなかったのである。
敵の背に近付くに連れ、違和感を抱く男の不安は大きくなっていく。間もなくして、男の不安は的中する事になる。ジエーデル兵が後退した先に待っていたのは、いつの間にか構築されていた大砲陣地であった。
火薬の力で鉄球を撃ち出す大砲自体は、この大陸ではそう珍しいものではない。大国であればどの国でも運用している、高価だが一般的な兵器である。ジエーデル軍もまた、これまで経験した戦争で度々使用している程だ。
問題なのは、構築されていた陣地に多くの大砲が配備され、その砲が見た事もない新式であった事である。砲の存在に気付いた時にはもう遅く、突撃を続ける王国軍目掛け、陣地に並んだ多数の小型大砲が一斉に火を噴いた。
砲撃は王国軍前衛に着弾し、轟音と共に爆発して地面ごと兵士を吹き飛ばす。砲弾の破片が周りの兵を襲い、着弾した周囲に被害を与えた。
敵軍の一斉砲撃によって前衛の足が止まる。だが敵の攻撃はこれで終わらず、素早く装填作業を終えた大砲が、再び砲撃を始めるのだった。小型大砲は数十門は並んでおり、それが絶え間なく砲撃を行ない続けるのである。これには王国軍も完全に足が止まり、激しい砲撃の爆発によって損害を拡大させていった。
騎乗していた男の目の前にも着弾し、爆風で馬の背から吹き飛ばされた。宙を舞った体が地面に叩き付けられ、強い衝撃を受けて男は一瞬呼吸ができなくなった。何とか息を整えて周りを確認すると、真っ先に目に飛び込んできたのは、胴体が二つに分かれて戦死している王国兵の屍だった。
自分達が知っている類の砲撃ではない。それを悟った次の瞬間には、男の目の前で砲撃が着弾する。瞳に飛び込んでくる爆発と閃光を最後に、男の意識はそこで途切れるのだった。
「突撃した我が軍の前衛壊滅!! 砲撃の被害は後続にも及んでいます!」
伝令からの報告を受けたグローブスは、予想外の状況に驚愕し、言葉を失って立ち尽くしていた。
総攻撃を開始した王国軍を待っていたものは、ジエーデル軍が構築していた大砲陣地である。その陣地に並んだ砲は、ジエーデル製の最新式であった。その形状、放つ砲弾と威力は、従来の砲とは全く違う。速射性能も高いため、砲弾がある限り絶え間なく撃ち込まれ続ける。
ジエーデル軍が侵攻作戦を開始した緒戦。二万の王国軍を五千のジエーデル軍が迎え撃った戦闘があった。この時ジエーデル軍は、前線に新型兵器を投入して勝利を収めた。戦いの詳細な報告はグローブスの耳にも入っていたが、報告の内容を重要視はしなかった。
謎の新兵器によって壊滅したという話だったが、大方炎属性の魔法兵部隊による一斉攻撃か何かで攻撃されただけだと思い、深く考えなかったのだ。何故なら、四倍もの戦力差を覆す程の兵器など、この大陸に存在するはずがないからである。
もしグローブスが、先の異教徒討伐の戦争に加わっていたなら、この考えには至らなかっただろう。聞いた程度でしか何があったのかを知らず、話の全てに半信半疑だったのだから⋯⋯⋯。
「しっ、信じられん⋯⋯⋯! 連中の砲弾は炸裂するのか!?」
ジエーデル軍が運用している砲は、数と速射性能を活かし、炸裂式の砲弾で弾幕を形成していた。着弾した瞬間、信管が作動して爆発するこの砲弾は、破壊力こそ小さいものの、歩兵を蹴散らすには十分な威力を有している。
こんな砲撃を絶え間なく撃ちこまれてしまっては、突撃した歩兵の足が止まってしまうのも当然だった。前に出たが最後、砲撃が雨のように降り注いで何もかもを吹き飛ばす。それでも尚、砲撃を搔い潜って前進を続ける者が少なからずいたが、陣地に近付いた瞬間、ジエーデル兵が放つ矢に残らず射殺されてしまう。
炸裂する砲弾など、グローブスはおろか配下の将や兵に至るまで、今まで見た事はない。驚愕するグローブスが思わず口にしてしまう程、存在が信じられない兵器が自分達に猛威を振るったのだ。
戦況は王国軍が優勢から一転し、流れはジエーデル軍に傾きつつあった。砲撃の威力は王国軍に損害を与えるだけでなく、兵の士気を大きく低下させていた。砲撃の威力を目の当たりにした兵からすれば、進めば何もできず死ぬと分かる光景であるため、戦意を失うのは無理もない。
士気の低下は前線で戦う兵士だけではない。全軍を動かすグローブスも、配下の将兵もまた、砲撃の威力に動揺を隠せなかった。この動揺が周囲の兵に伝わると、これはやがて全体へと波及していき、兵の士気は更に低下する。
弾幕によって前進を封じられた王国軍は、この新型砲による砲撃の対処を迫られた。砲撃が続けられる限り、王国軍の総攻撃は中止するしかない。しかし王国軍側には、この砲撃に反撃できる術は存在しなかった。
ジエーデル側の砲は、弓兵や魔法兵の有効射程外から攻撃できる。ならば接近戦と行きたいところだが、近付けば砲撃に晒され、何とか接近できたとしても、待ち構えている敵に襲われて終わる。対応策が出ない中、こうしてる間にも損害は増す一方だった。
「ええい! あの砲さえなければ⋯⋯⋯!」
好機だと思われた敵の動きは、自軍を誘い出す罠だったと悟ったグローブスが、鳴り止まぬ砲撃と爆発音に激しい怒りを露わにしている。但し、怒りに自分を完全に支配される事はなく、頭の方はまだ冷静さを保っていた。
こうなっては、これ以上の戦闘は損害を増すばかりで、自軍に勝機はない。相手の砲に対抗する手段が無いならば、ここは撤退する他ないだろう。
キーファードを目指した別動隊が勝利し、敵軍の包囲に成功すれば問題はない。挟み撃ちにして数で押し込めば、幾ら強力な砲を有していようと突破は容易である。今は被害を抑える事を優先し、撤退する事が最善の選択なのだ。
本心では敗北など受け入れたくないが、壊滅的な損害を受けてしまっては元も子もない。怒りに沸騰する己の感情を抑えたグローブスが、全軍に撤退命令を下そうと口を開きかける。
「ほっ、報告します!! 我が軍側面より敵の騎兵が突撃を⋯⋯⋯!」
それは、負傷しながらも急ぎ駆け込んできた、一人の伝令兵の報告だった。兵は背中に四本もの矢を受けており、報告を終えた瞬間力尽き、地面に倒れ伏した。
またも驚くべき報告に全員が言葉を失っていると、左翼前線の方向から雄叫びや怒号、悲鳴や絶叫が聞こえ始める。地を駆ける馬の地響きと、甲高いを音を鳴り響かせる剣戟の音が、グローブス達のもとへと確実に近付いていた。
「まっ、まさか伏兵だとでも言うのか!? 何処にそんな兵を隠していた!?」
敵戦力の総数は約一万五千。五千は町に残り、一万が正面に展開している。敵援軍はまだ到着していない。ならば一体何処から戦力が現れ、王国軍に奇襲を行なったというのか。
混乱を極めるこの状況下では、何も分かるわけがない。分かっているのは、総大将であるグローブスの首を狙って、敵の騎兵が直ぐ其処まで迫っている事実だけである。
「くっ⋯⋯⋯!! 敵の奇襲戦力に兵をまわせ! 私が撤退できるまで死守させろ!」
自分の命を最優先にしたグローブスは、兵の肉壁で敵を防ぎ、自分が逃げ切るまでの時間稼ぎを命じた。そんな命令に兵が従いたいと思うはずはないが、指揮者である将軍を失っては全軍が瓦解する。兵は皆この命令に従って、自分勝手な将軍の盾となるべく動き始めたが、一足遅かった。
「グローブス・フェン・バートン!!! その首貰い受ける!!」
先陣を切る少数の騎兵が王国兵の中を突破し、向かってくる兵を蹴散らして突き進んできた。彼らが求めているものは、総指揮官グローブスの首である。ジエーデル軍の騎兵はグローブスの顔を知らなかったが、事前に聞いていた特徴を頼りに、自分達が討つべき相手へと矛先を向けた。
「奴だ、見つけた!! あれがグローブスだ!」
特徴と一致する男を見つけた騎兵の一人が、仲間へと伝えるために得物の切っ先を向け、喧騒に負けぬよう声を張り上げる。グローブスを守ろうと、王国兵が盾となるべく騎兵の前にであるが、騎兵隊は馬の突進力に頼って兵を蹴散らす。
逃げなければと走り出したグローブスだが、よく肥えてしまった己の肉体に足が付いていかず、地面に向かって顔面から転倒してしまう。命惜しさに大慌てで地面を這って逃げようとするが、グローブスの目の前に馬の足が現れた。
恐怖に顔を歪めたグローブスが見上げた先には、自分を真っ先に見つけた敵兵の姿がある。その兵が馬上から槍を構えると、切っ先の狙いをグローブスへと定めた。
「王国の豚め! 潔く死ね!」
「ひいいっ!?」
構えられた槍の切っ先が、真っ直ぐにグローブスの瞳へと放たれる。それがグローブスの見る、この世で最後の光景となった。
この日、ホーリスローネ王国軍は大敗北を期す事となり、ジエーデル軍の勝利によって戦いは終わる。
最初から、今日この日を迎えるまで、全てはジエーデル軍の作戦通りだった。この作戦はグローブスが始めた緒戦からではなく、王国への侵攻作戦時から盛り込まれた計画だったのである。
ジエーデル国総統バルザックは、名将ドレビンに全ての作戦指揮を任せ、何もかも好きにやらせた。その結果作成されたドレビンの作戦計画は、非常に大胆なものであった。
まずは王国への侵攻作戦に於いて、連戦連勝を重ねて国境線を突破し、膠着状態になったと見せかけた。その後ドレビンは主力と共に国へと帰還し、わざと隙を作り出したのである。敢えて王国軍側が反撃し易い状況を生み出し、相手の攻撃を誘ったのだ。
この誘いに釣られたグローブスは、ドレビンがいない今が好機と息巻いて、国家の存亡を懸けた一大反攻作戦を実行した。ここから、ドレビンの作戦は次の段階へと駒を進める。
ドレビンは予め、王国側の反攻作戦が開始された場合の作戦計画を、王国国境に残る自軍に伝えていた。彼ら三万のジエーデル軍はその計画に従い、王国軍の反撃が開始されると、敗走する軍隊を演じてキーファードまで後退したのである。
彼らが後退したこの地こそ、獲物を仕留める罠が用意されていた、絶好の狩場であった。ジエーデル軍はこの地に、緒戦でも運用していた新型大砲を配備していた。
この大砲は、従来のものとは構造も砲弾も異なる最新式で、まだドレビン指揮の侵攻軍にしか配備されていない。組み立て式の小型軽量な砲で、攻撃にも防衛にも運用し易く設計されており、安価に生産できるため大量配備も可能となっている。
砲の威力や射程はそれ程ではないが、小型軽量な点がドレビンには評価が高かった。彼は進軍速度を重視した電撃的作戦を得意としているため、運用の難しい大型砲は求めていなかったからである。ドレビンは実戦による試験も兼ね、緒戦でこの砲を運用して性能を確かめ、使えると判断してこの作戦にも運用したのだ。
配備された新型砲は王国軍に猛威を振るい、三万の軍勢による総攻撃を食い止めてしまうだけでなく、大きな損害を与える事に成功した。だが、これだけがジエーデル軍の作戦ではなかった。ジエーデル軍は敗走と見せかけ、総戦力の半数の兵をこの瞬間まで隠していたのだ。
三万いた軍勢の内の半分は、反撃に怯んで逃亡してしまった兵という情報だった。これが偽情報であり、実際は少数に分かれて各地に散った兵が、奇襲攻撃の瞬間まで脱走兵を演じていただけなのである。これに騙された王国軍は、気付かれぬよう再度集結した一万の戦力に、無警戒だった側面を突かれる形となった。
戦意高揚のため、自らも前線に姿を見せたが運の尽きとなる。奇襲攻撃部隊の目標は最初から、敵の指揮命令系統の破壊だったのだ。味方の犠牲を払いつつ、自らの命を惜しまず突っ込んできたジエーデル兵達は、作戦通りグローブスを討つ事に見事成功したのである。
常に敵の側面や背後を狙い、相手の指揮系統の頂点を討つべし。それがドレビンの教える戦術であり、兵達はその教えに従い勝利を収めたのだ。
この戦いでグローブスが討たれ、王国軍本隊の敗北が決したその頃、王国軍別動隊もジエーデル軍の罠にかかっていた。キーファードへの進軍中、潜んでいた残り五千のジエーデル軍による奇襲と、早過ぎる敵援軍の到着によって、別動隊も大混乱に陥っていたのだ。
初めからドレビンは、王国軍の反攻作戦が予想よりも早まる事を予測していた。早期決着を目指したグローブスのように、ドレビンの不在を好機とするであろう者の考えを、最初から予想して作戦を計画したのである。
王国軍の反攻作戦の時期と、作戦の進行速度を予測し、ドレビンは王国軍の想定よりも早く援軍を送り出した。王国側の動きを事前に察知していた援軍は、町に向かい進軍中だった王国軍の迎撃に向かった。想定外の伏兵と敵援軍の攻撃に晒された別動隊は、混乱に陥って満足に戦う事もできず、大損害を受けて撤退したのである。
敵援軍の数は約一万。ドレビンと共に国へと帰還した主戦力が、援軍という形で戻ってきたのである。名将と共に戦った精鋭が相手では、混乱した王国兵など物の数ではなかった。別動隊は半日と持たず、ジエーデル兵の猛攻の前に敗れたのだ。
名将が不在であったにもかかわらず、ジエーデル軍は数で勝る王国軍を圧倒して見せた。ドレビンが残した作戦があったとは言っても、作戦の立案者無しで計画通り命令を躊躇わず実行し、正確に作戦を遂行するなど簡単にできる事ではないだろう。
王国軍の敗因は、名将不在による油断でも、策を看破できなかった事でも、新型砲の存在でもない。総指揮官無しでも完全に機能する、完成された軍隊の力であった。
ここまでは、順調過ぎる程にジエーデル軍の作戦は進行している。後は、残り三千の兵と共にドレビンがこの戦場に舞い戻り、王国侵攻の最終作戦を発動するのを待つのみである。いよいよジエーデル国は、ホーリスローネ王国を攻略するべく、総力をかけた最後の戦いを始めようとしていた。
だがここで、ジエーデル側に予想外の事態が発生した。ドレビンと共に合流する予定の三千の戦力は、まだ本国に残ったままであったのだ。
残っている理由は、名将ドレビンが病に倒れ、前線への帰還が不可能になったというものであった。




