第四十八話 鴉の名 Ⅳ
結果だけ言えば、ホーリスローネ王国による反攻作戦の緒戦は、王国軍の勝利に終わった。
数で劣っていたジエーデル軍は、構築した防御陣地を活かして懸命に戦い、大軍を相手にしながらも善戦した。数々の戦争を経験してきた国の軍隊だけあり、ジエーデルの兵士達は頑強な防御戦術で対抗し、王国軍に被害を与えていきながら、一週間の防衛に成功した後に撤退したのである。
両軍とも少なくない損害を被りながら、ジエーデル軍が陣地より撤退した事で、反攻作戦の第一段階は成功した。この先、王国軍は退却するジエーデル軍に追撃をかけながら、敵戦力を国境線より押し戻す事を目的に進軍を続ける。
今頃はジエーデル側も慌てふためき、直ちに名将ドレビンを前線に向かわせようとしているだろう。敵国の状況を予想するグローブスの計画通り、王国軍の作戦は順調に進行している。このまま進めば、前線に帰還した名将との決戦の日は近い。
その決戦の瞬間までに、グローブスは侵攻軍の戦力を各個撃破し、敵戦力を低下させなければならない。各地に展開している三万もの侵攻軍戦力を、ドレビン率いる主力と合流させないためだ。
王国軍は追撃戦を続けながら、同盟国の戦力と連携を行ない、各地でジエーデル軍の撃退に成功した。大規模な反撃を受けたジエーデル軍は後退を余儀なくされ、残存戦力は王国領内より撤退し、戦力の集結を行なっていた。
王国領内より撤退したジエーデル軍が撤退した地点には、同盟国の一国が治める大きな町が存在した。侵攻の際に町を占領していたジエーデル軍は、この地を補給線の中間地点となる拠点にしていたのである。
町の名は「キーファード」と言い、この辺りでは一番大きな町で、王国にとっては交通の要所にもなっている大都市だった。今やこの町は、戦力を集結させたジエーデル軍の手によって、軍事拠点と変えられてしまっていた。
この町を拠点としたジエーデル軍は、援軍が到着するまでの間ここを死守する構えを見せた。援軍到着までの間の時間稼ぎを行ない、精強なる兵を連れて現れる名将と共に、反撃を開始するためである。
逆に言えば、敵の援軍が到着する前にキーファードを奪還できれば、グローブスの作戦は成功する。名将との決戦前に敵戦力を減らす目的もあるが、王国軍にとってもこの町は、決戦に備えるために必要不可欠な重要拠点である。王国軍がキーファードを素通りする事は、勿論あり得なかった。
命令を下したグローブスは、軍をキーファードへと向けて進軍させた。後に、「キーファードの戦い」と呼ばれる事になるこの戦いは、この瞬間幕を開けたのである。
ホーリスローネ王国軍とジエーデル軍による、キーファードの戦いは始まった。
展開している両軍が激しい戦闘を繰り広げる中、王国軍の後方部隊に守られるようにして、勇者連合の勇者達の姿がある。その中の一人である勇者櫂斗が、聖剣を握ったまま一人天を仰いでいた。
「櫂斗、集中しなさいよ。ぼけっと空なんて見てる場合じゃないでしょ」
空を見上げている櫂斗の隣には悠紀がいて、戦いに集中していない彼に注意する。彼女に注意された事で空から視線を外して前を向くが、その目と顔に集中力は皆無だった。
「暇だ⋯⋯⋯」
「いやまあ、気持ちは分かるけど⋯⋯⋯」
王国を出てから櫂斗達は、これまで一度も戦闘に参加していない。異教徒討伐の時と同じように、相変わらず彼らは切り札として温存されていた。
櫂斗の聖剣が放つ大技や、発動さえすれば全てを破壊し尽くす華夜の聖書は、たった一撃で戦局を覆す事の出来る強力な兵器である。彼らの力は切り札と呼ぶに相応しい力であり、一種の戦略兵器と言える。後方に配置して温存するのは、当然の判断だった。
そのお陰でこの瞬間まで、勇者一同は一度もジエーデル軍と戦う事はなかった。戦闘時は常に後方に置かれていたため、敵の姿を見る事すらできなかったのである。今日もそれが変わらない状態であるからこそ、暇だと感じてしまう櫂斗の気持ちも悠紀には分かる。
勿論、戦闘に飢えているわけでも、人を殺したいわけでもない。どちらかと言えば、このまま戦いには参加せずに終わる方がいい。自分達の手で誰かの命を奪い、これ以上人殺しになどなりたくないからだ。
ただ、そうは言っても戦う戦士としてここにいて、戦うために教官のユーリに訓練で扱かれてきた。鍛えた技を試してみたいと思うのは、戦士としては当然の気持ちである。王国の命運を懸けた戦いと、勇んで出てきたにも関わず、今日もこうして留守番のような扱いをされれば、拍子抜けと思うのも無理はない。
櫂斗と悠紀と同じ気持ちを、真夜やルークも感じている。戦慣れしているユーリに至っては、退屈そうに欠伸をかいている始末だ。但し華夜だけは、最初の頃から変わらず戦いに怯え、真夜の背に隠れ続けている。
結局、華夜の聖書は訓練では力を発動しなかった。未だ聖書の力を使いこなせずにはいたが、選ばれし勇者の一人として従軍している彼女にとって、武器が使えない事は無防備であるに等しい。自分で身を守る術がないのだから、怯えてしまうのも当然だった。
「集中しろって言われてもさあ⋯⋯⋯。こんなところにいちゃ矢の一本だって飛んで来ないんだ。戦ってるって感覚がないから暇でしょうがない」
「そうね⋯⋯⋯。櫂斗の聖剣を温存したい気持ちは分かるけど、私や真夜先輩が戦闘に加われば味方の助けになると思うんだけど⋯⋯⋯」
「あのグローブスっていう将軍、ギルバートさんと違ってなんかこう――――」
「いけ好かない?」
「そこまでは言わないけどさ⋯⋯⋯」
将軍グローブスの指揮下に加わるのはこれが初めてで、顔を合わせて話をしたのはまだ数回ほどだ。しかも話と言っても、挨拶や命令に関する話のみで、互いの人柄などを知るような会話は一切していない。
だが櫂斗も悠紀、たった数回しか話す機会がなかったにも関わらず、グローブスという男をもう理解し始めていた。傲慢で性格の悪い、権力に固執する自分勝手な人間だと、勇者達全員が気付いていた。
ただ、グローブスがどういう人間であるかを察する事はできても、勇者達を投入しない本当の理由には気付けなかった。
グローブスにとってこの戦いは、自分とバートン家の力を世に知らしめるためのものである。決戦に備えて勇者達を従軍させているが、彼らの力に頼って勝利を得れば、救国の英雄と讃えられるのは勇者達になるだろう。
自身の力を誇示するためには、勇者に頼るのではなく、自分の力でジエーデル軍と名将ドレビンを倒し、民衆に見せつけなくてはならないのだ。故にグローブスは、前線への勇者投入を極力避けるつもりである。グローブスにとって彼ら選ばれし勇者は、飽くまで敗北を回避するための保険なのだ。
そんな事情など露知らず、緊張感が湧かない後方で彼らは、それぞれの武器を顕現させる事もなく、ただ時間が流れていくのを待つだけだった。大剣の勇者であるルークも、自身の得物は背中に収めたままだ。遠くから微かに聞こえてくる戦いの喧騒を聞きながら、勇者達は自分達の出番を待ち続けていた。
すると櫂斗が、何かを思い出したような顔をして悠紀を見ると、退屈凌ぎになるかと思って口を開いた。
「そう言えば、アリオンにお宝が貰えるって聞いた途端、勇者になるって決めたよな?」
「⋯⋯⋯それがどうかした?」
「別にお前の家、金に困ってるほど貧乏じゃなかっただろ。悠紀のおじさんって確か会社の社長だし」
櫂斗と悠紀は幼馴染であるから、互いの家族の事もよく知っていた。櫂斗は所謂極普通の家庭の生まれだが、悠紀の父は小さな会社を立ち上げた社長なのである。
櫂斗が言う通り、悠紀の家は何不自由ない暮らしをしてきたはずだった。それなのに彼女は最初、あれ程までに嫌がっていた勇者を、アリオンが出すと約束した恩賞で引き受けたのである。この世界を楽しんでいる櫂斗は兎も角、真夜と華夜は元の世界へ帰るために勇者となったが、悠紀だけは金のために勇者となったのだ。
「⋯⋯⋯そうね。私だけお金目的って言うのは周りに印象悪いし、話しといた方が良いかもね」
話すのを躊躇おうとした悠紀だったが、これまでの戦いを経て皆に気を許した彼女は、胸の内に秘めた理由を初めて口にする。
「櫂斗が言う通り、私のパパは小さい会社の社長だった。でも不況のせいで経営が悪化して、この世界に来る二週間前に倒産したの」
「うっ、嘘だろ⋯⋯⋯!? だってお前、そんな大事なこと一言も――――」
「言えるわけないじゃない⋯⋯⋯! 会社が倒産して多額の借金を作って、このままじゃ学校も辞めてあの家からも引っ越さなくちゃならないなんて、言えると思う⋯⋯⋯!?」
「!!」
言葉にした事で気持ちが抑えられなくなり、苦しさを吐き出すように声を荒げた悠紀の頬を、一筋の涙が流れていく。話を聞いた櫂斗は驚愕し、かける言葉を見つけられず困惑していた。
何も知らなかった。悠紀の家がそんな事情を抱えていたなんて、櫂斗も初耳だったのである。幼い頃から悠紀とその家族の事を知る櫂斗にとって、この話から受ける衝撃は想像を絶するものだった。そして何より、元の世界に戻れば彼女と離れ離れになるかもしれないなんて、考えられなかった。
「言えなくて、だから誰にも言わずに隠してて、何とかならないかって頑張ってみたけど無力で、一人でずっと悩んでた⋯⋯⋯。そんな時この世界に飛ばされて、アリオンから恩賞の話を聞いて、これが最後のチャンスだって思ったの」
「⋯⋯⋯恩賞で貰った金で借金を返して、家族を守ろうとしたんだな」
「そうよ。だから私は、この戦いに絶対に負けるわけにはいかない。ジエーデル国を倒せば王国から恩賞が出て、魔法石が手に入って元の世界にも帰れるんだから⋯⋯⋯!」
悠紀は勇者となってから、勇者の誰よりも己を鍛え、誰よりも秘宝の力を使いこなそうと訓練し、誰よりも勇ましく戦ってきた。突然知らない異世界に飛ばされ、生死を懸けた戦いに身を投じる事になって絶望した彼女が、己を奮い立たせて戦ってこれた理由。それが家族を救うためだったと、誰にも想像できなかった事だ。
「⋯⋯⋯やっぱり、言うの止めとけばよかったかな。空気悪くしちゃったし、こんなところで話すことじゃなかった」
「悠紀⋯⋯⋯」
どうにか気持ちを落ち着けた悠紀が、指で涙を拭いながら無理に笑おうとする。自分の知らない間に、大切な幼馴染が一人苦しんでいた事実を知り、櫂斗は鈍感な自分に怒りを覚えていた。
過ぎてしまった事は仕方がない。ならば、今も一人苦しんでいる彼女のために、自分は一体何ができるのか。新たな覚悟を決めた櫂斗が悠紀を見つめ、安心させようと笑って見せながら口を開いた。
「だったら、悠紀のおじさんとおばさんのためにも、絶対に勝たなくっちゃな」
「!」
「幼馴染なんだからかっこつけさせろよ。ジエーデルなんかさっさとやっつけて、たんまりお宝担いで家に帰ろうぜ」
やっぱり単純な奴と思った。昔から変わらない、単純で馬鹿で、そして優しい幼馴染の姿が、悠紀の心を光で照らす。
櫂斗だけではない。悠紀の話を聞いていた真夜や華夜も、彼と同じ思いを抱いていた。
「悠紀。私も櫂斗と同じ気持ちよ。大切な仲間として、私も貴女のために戦うわ」
「華夜も、悠紀さんのために頑張ります⋯⋯⋯⋯⋯」
真夜だけでなく華夜も、悠紀の望みを叶えるために戦う意思を示す。今も戦いには怯えているが、悠紀が出会った頃の彼女とは少し変わった。自分のためでも、姉の真夜のためでもなく、誰かのために戦おうとする意志は、以前の彼女にはなかったからだ。
力を貸そうと考えているのは彼女達だけではない。悠紀の話を聞いていたルークも、同じ勇者仲間として彼女のためにも戦おうとしてくれている。
「お前らの世界の話だから詳しくは分かんなかったが、要は金に困ってるって話だろ? どうせジエーデルは倒すつもりなんだからな。俺にできることなら協力するぜ」
仲間達は悠紀のため、この戦いに必ず勝利すると決意した。命を預け合う仲間達の思いを受け取った悠紀は、嬉しさでまた涙を浮かべそうになるが、慌てて涙を拭いて微笑んだ。
「真夜先輩、華夜ちゃん、それにルークも⋯⋯⋯。みんな、ありがとう」
「おい悠紀。俺に感謝の言葉はないのかよ」
「櫂斗にはこれまで助けてあげた借りが沢山あるんだから、私を助けるのは当然でしょ?」
「折角かっこつけたのに台無しかよ!」
やはり櫂斗に対してはいつも通りの扱いで、皆が笑い声を上げた。沈んでしまった空気を笑い飛ばし、悠紀達は明るさを取り戻していく。
そんな中、未だ真夜の後ろに隠れる華夜の視線が、何故か櫂斗を見つめて離れない。
「櫂斗さん、優しい⋯⋯⋯⋯」
無意識に声に出てしまった華夜の呟きが、笑っていた櫂斗の耳に入る。驚いた櫂斗が華夜と目を合わすと、慌てた彼女が真夜の背に完全に隠れてしまった。
「真夜せんぱーい! 櫂斗がまた華夜ちゃんを恐がらせましたー!」
「ごっ、誤解だ悠紀! お前が余計なこと言うから先輩が滅茶苦茶睨んでるんだけど!」
息の合った漫才のようなものを披露する二人の姿に、真夜達だけでなく周囲の兵からも笑いが上がる。
その様子を、真夜の背に隠れてこっそり覗く華夜の目は、またも櫂斗の姿を映し出していた。




