第四十一話 代価 Ⅵ
当初の作戦とは違う形となったが、レイナ達は敵陣地への襲撃途中で偶然発見した救出対象を保護し、敵の追撃を躱して撤退した。
待機させていた車輌がある地点まで辿り着き、そこからは全員車輛に乗って、安全かつ迅速にグラーフ同盟軍陣地を目指したのである。
華夜が発動した聖書の力を目の当たりにしたオズワルドは、逃げた勇者の追撃命令を発し、急遽集めて出動させた千人以上の兵と、暗殺などに特化した特殊な部隊を投入した。その結果は、どちらの戦力も勇者奪還に失敗し、命を奪う事も出来ず逃げられてしまったのである。
オズワルドは更なる追撃を行なおうと考えたが、そんな彼を妨害したのが、ヴァスティナ帝国国防軍とジエーデル国軍に加え、チャルコ騎士団による陽動作戦であった。
救出作戦の陽動部隊として出撃し、敵陣地に接近して攻撃態勢に入った三国の戦力は、ボーゼアス義勇軍に大きな牽制効果を与えたのである。動けば即座に攻撃する意志を示した彼らの存在が、オズワルドにこれ以上の勇者追撃を断念させた。
帝国国防軍が発動した勇者救出作戦は、負傷者を出したものの、一人の死者も出さず無事に成功したのである。
そして、三人の勇者を乗せた車輛が同盟軍陣地へ到着する頃には、時刻は真夜中になっていた。
グラーフ同盟軍陣地内に構築された、ヴァスティナ帝国国防軍の陣地に勇者を乗せた車輛部隊が到着した。
到着した彼らを待っていたのは、リックら帝国国防軍の幹部と兵士達、それに救出作戦の事を知って駆け付けた、悠紀とアリオン達ホーリスローネ王国軍だった
停車した兵員輸送車の荷台から、烈火騎士団や鉄血部隊が下りてくる中で、悠紀は一早く櫂斗達の姿を見つける。
「櫂斗!!」
「悠紀!?」
幼馴染である櫂斗。先輩の真夜と、彼女の妹である華夜。悠紀にとって、この世界で唯一の仲間。
櫂斗は特に怪我もなく無事であったが、真夜の姿と気を失っている華夜を見て、三人のもとに駆け寄った悠紀は言葉を失った。
櫂斗が無事だった事は嬉しく思っている。だが真夜と華夜の様子を見れば、悠紀自身が最も恐れていた事が現実に起こったのだと、直ぐに察するには十分であった。
「先輩⋯⋯⋯⋯、華夜ちゃん⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
彼女達が受けた苦しみに思い、堪えられなくなった悠紀はその場で泣き出した。泣いてしまった悠紀を櫂斗が慰めようとするも、彼女はそれを拒んで一人涙を流し続ける。
まるでそれは、涙も流れないほどに苦しんで疲れ果てた、そんな彼女達の代わりに泣いているかのようであった。
泣いている悠紀に対して、何もしてやれず立ち尽くすも、救出に成功して生還した喜びに浸る櫂斗。無事に生還できたものの、喜びも安心感も湧いてこず、虚ろな目をして俯く真夜。陣地に到着しても目覚める事はなく、用意された担架に乗せられている華夜。
三人共、命を失う事なくは生還した。ただ、今回の一件は真夜と華夜の心に、決して消える事のない深い傷を与えてしまった。命だけは助ける事が出来ても、心までは救えなかったのである。
悠紀と一緒に兵を連れて駆け付けたアリオンも、真夜と華夜の姿を見てある程度の事は察した。そのため彼は兵に静かに命じ、速やかに四人の勇者を帝国国防軍から引き取ろうと動く。心も体も疲れ切った勇者達を保護し、一刻も早く休ませようと考えたためだ。
アリオンが兵に命令したその時、烈火騎士団と鉄血部隊の帰りを待っていた者達が、皆の出迎えに駆け付ける。駆け付けたのはリックとヴィヴィアンヌだった。
「よくやった。戻ってゆっくり休め」
救出作戦を成功させた自軍の兵を労うリック。しかし、労いを受けた兵達は複雑な顔をしていた。鉄血部隊の男達など、皆の無事を喜んでいるリックを見るなり、不安そうな表情を隠し切れずにいた。
どうして皆の反応が変なのか、リックが首を傾げながら訝しんでいると、直ぐにその答えは彼の瞳に飛び込んできたのである。
「レイナ⋯⋯⋯⋯!?」
リックが見たのは、ヘルベルトに肩を貸されながら歩く、負傷したレイナの姿だった。比較的軽傷ではあるものの、肩と脚を負傷して衣服を血で染めた彼女の姿は、リックに呼吸が止まる程の衝撃を与えてしまう。
レイナの負傷には、リックに同行していたヴィヴィアンヌも目を見開いて驚いていた。二人は慌ててレイナのもとに駆け寄り、彼女の負傷の具合を確かめようとする。
「誰にやられたレイナ!?直ぐに医療部隊のところに連れてってやる!」
「ヘルベルト!貴様が付いていながら同志に怪我をさせたのか!?」
リックとヴィヴィアンヌの反応は、帝国国防軍の者達からすれば予想通りの反応だった。この状況が予測できていたからこそ、複雑な表情を浮かべてしまったのだ。兵達は皆、この状況が更に悪化しないよう、なるべく平和に解決するよう祈っていた。
ただし、彼らは大きな過ちを犯していた。この二人から説明を求められるのが、救出部隊のもう一人の指揮官であるヘルベルトになるであろう事を、すっかり忘れてしまっていたのである。
「おっ、俺のせいじゃねえ!あの勇者の坊主が、レイナの言う事聞かずに勝手をやらかしたから敵に不意を突かれて―――――――」
「止せ!言うな⋯⋯⋯!」
「勇者、だと⋯⋯⋯⋯⋯?」
慌ててレイナが止めに入り、口が滑ったとヘルベルトが気付いた時には、最早手遅れであった。平和的解決を祈っていた全員が、ヘルベルトの口の軽さに呆れてしまう。
傷付いたレイナの姿を見て驚愕していた顔が、ヘルベルトの弁解を聞いてしまったが為に、憤怒に歪む。次の瞬間には、その身に怒気を纏わせたリックが、早足で勇者達のもとへと向かって行く。
「不味い!おいお前ら、隊長を止めろ!」
そうヘルベルトが叫んだ時には、憤怒の炎を瞳に宿したリックが、喜びに浸っている櫂斗の胸倉を乱暴に掴み上げ、彼の頬を殴りつけていたのである。
力の込められた容赦ない拳の一撃。それを頬に受け、衝撃で殴り飛ばされ、地面に叩き付けられる櫂斗。
場の空気が凍り付いた。今リックは、グラーフ同盟軍の象徴のあの勇者を、怒りに身を任せてぶん殴ってしまった。アリオンを始め、この場のほとんどの者達の視線が、殺気立っているリックに集中する。
「ううっ⋯⋯⋯!」
殴られたために口内を切った櫂斗は、苦しそうに呻いて口から血反吐を吐いた。血と一緒に、殴られた衝撃で折れた歯が吐き出される。
やり過ぎだと誰もが思った。殴って血反吐を吐かせ、おまけに歯まで折って、それでもリックの怒りが収まる事はない。リックは倒れている櫂斗の胸倉を再び掴み上げ、彼の身体を乱暴に引き寄せて睨み付けた。
「あれを見ろ」
視線をレイナ達のいる方向へ向け、リックは低い声で一言そう口にした。怒りを抑えられない彼の言葉に逆らえず、訳が分からないまま櫂斗は顔を動かして、リックが見つめる先の光景を目にする。
櫂斗が見たものは、自分を助けるために負傷したレイナの姿と、救出作戦に参加して怪我をした兵達の姿だった。撤退中、謎の敵集団の奇襲を受けた烈火騎士団は、勇者達を守るために手強い敵と戦った。激闘の末に敵は退けたが、怪我を負った者は少なくない。幸い戦死者は出ていないが、中には重傷を負ってしまった者もいた。
「あれが、お前達を助けるために払った代価だ」
「⋯⋯⋯⋯!」
ヴァスティナ帝国にとって櫂斗達は、グラーフ同盟軍に参加している仲間であっても、本来であれば助ける義理などない存在である。彼らを助けたのは、レイナの願いと、助ける事によって生じる利益のためだった。
作戦に参加した兵士達も、当然リックも、犠牲は覚悟の上だった。但しレイナの負った怪我は、櫂斗が彼女の命令を無視して勝手な行動を取った結果である。
自分達を救うために、一体どれだけの人間が戦場に向かい、どれだけの代価を支払ったのか。それを理解していない櫂斗に、リックの怒りが爆発する。
「お前一人で助けに行って、一体何ができた?手間を一つ増やすだけじゃなく、レイナを怪我させやがって何様だ」
「だっ、だって王子達が先輩と華夜ちゃんを助けないって、そう言ったから⋯⋯⋯⋯!」
「一人で助けられるなら誰も苦労しないんだよ!馬鹿なお前一人の身勝手でどれだけの人間が犠牲になるのか、ちゃんと考えた事ないだろ!」
胸倉を掴み上げているリックは、今にも櫂斗を殴り殺してしまいそうな剣幕である。唖然としていた周りの者達がようやく我に返り、リックを落ち着かせて櫂斗を助けようとするが、それを阻んだのは殺気を纏うヴィヴィアンヌだった。
「閣下に近付く事は許さん。そこで大人しく見ていろ」
止めに入れば殺す。ヴィヴィアンヌの言葉、そして彼女の纏う殺気が皆にそう告げた。
帝国国防軍の兵達も、アリオンと王国軍兵士達も、全員が彼女を恐れて動けなくなる。緊迫した状況の中、リックの怒りは収まらず、何も分かっていない櫂斗に言葉を叩き付ける。
「お前が死ぬのは自由だ!だがな、お前の自殺願望に付き合わされて死ぬのは御免だ!」
「死にたいわけじゃない⋯⋯⋯⋯!俺はただ、二人を助けたかった。それに聖剣さあれば、勇者の力でどんな事だって―――――――」
「思い上がるな糞餓鬼!!」
「⋯⋯⋯⋯!」
「遊びじゃない、俺達は戦争をしてるんだぞ!物語の英雄にでもなりたいなら戦いの邪魔だ、さっさと死ね!」
そう吐き捨て、またもリックは櫂斗を殴りつけた。
地面に叩き付けられた櫂斗は、痛みと衝撃で立ち上がる事が出来なかった。立ち上がれない彼の姿を一瞥したリックは、無言で彼のもとから離れていく。殺気を纏うヴィヴィアンヌもまた、櫂斗を一瞥してリックの後に続いた。
場に流れる沈黙と、重苦しい空気。櫂斗の身を案じた悠紀が、急いで彼のもとに駆け寄っていく。ヴィヴィアンヌが離れた事で、動けずにいたアリオン達もすぐさま櫂斗に駆け寄った。
怒りに任せ、櫂斗を二度も殴ったリックは、無言のままレイナ達のもとに戻っていく。その途中、レイナ達の帰還の報を聞いたアングハルトが、数人の兵と共に遅れてやって来た。
駆け付けたアングハルトは、怒りに震えるリックと倒れた勇者の姿を目にして驚いた。驚いている彼女に、気持ちを切り替え、どうにか怒りを鎮めつつあるリックが声をかけた。
「アングハルト。丁度いい、あの勇者の手当てをしてやってくれ」
リックが手当てを頼んだ勇者は櫂斗ではなく、同じく救出された真夜だった。
何故自分が勇者の手当てなのかと、最初は彼の言葉に困惑したアングハルトだったが、真夜の姿をしっかりと確認した事で全てを察した。
「⋯⋯⋯⋯⋯了解しました。ですが、王国軍が黙っていないかと」
「連中はヴィヴィアンヌに黙らせる。頼めるか?」
「了解致しました。同志アングハルト、連中への対応は私に任せろ」
真夜の事をアングハルトとヴィヴィアンヌに任せると、リックは怪我をしたレイナの目の前にやって来た。レイナが見上げた彼は、怒りが消え、とても辛く苦しそうな表情を浮かべていた。
リックはヘルベルトからレイナの身体を預かると、有無を言わせず彼女を抱きかかえて運んでいく。リックは彼女を横抱き、所謂お姫様抱っこをして、顔を真っ赤にして恥ずかしがるレイナを連れて行った。
「かっ、閣下⋯⋯⋯⋯!こんな事をされなくても、一人で歩けます⋯⋯⋯⋯⋯!」
「暴れるな。大人しくしてろ」
「でも、こんな⋯⋯⋯⋯⋯」
殴りつけた事への謝罪はなく、負傷したレイナを優先したリックがこの場を後にする。
まるで嵐のような存在だったと、アリオン達はリックの存在に驚愕し、いつもの事なのだが「あーあ、やっちまった⋯⋯⋯」と、彼の行動に頭を抱える帝国の兵士一同。
レイナの身を心配して、自ら彼女を運んでいくリックの後ろ姿に、口の軽さを全く反省していないヘルベルトが呆れたように口を開く。
「やれやれ、勇者よりもレイナが優先かよ。大した怪我じゃねえのに」
「それとヘルベルト、お前減給」
「なんで!?」




