第四十一話 代価 Ⅰ
第四十一話 代価
ボーゼアス義勇軍の教祖オズワルド・べレスフォードが駆け付けた時には、自分の陣地内は火の海と変わっていた。
参謀のハンスと共に、ボーゼアス義勇軍陣地内を歩いていた彼は、地獄と化した現場から離れた場所で、突然の落雷を目にした。落雷後、今度は眩い光が出現し、光が収まった後には、赤黒い巨大な影が現れたのである。
二人は周りにいた者達と共に、その巨大な生き物の影を見上げていた。だが次の瞬間、生き物は陣地内に響き渡る程の大きな鳴き声を発し、紫に発光した光線を吐き散らしたのである。光線は周囲を破壊し、瞬く間に周りを炎で埋め尽くしいていった。二人がいた場所にも、燃え盛る炎と衝撃波が襲い掛かった。
幸い離れていた事もあり、オズワルドもハンスも怪我はなく無事だった。やがて、破壊の限りを尽くした怪物が、満足したように飛翔してその場を離れていくと、二人は急いで現場に駆け付けた。
「なんという事だ⋯⋯⋯⋯」
一瞬で何もかもを炎に燃やされ、人の命も物資も焼き尽くされた地獄。さっきまで怪物がいた現場に到着し、酷い惨状を目にしたオズワルドの口からは、その一言を口にするのがやっとだった。
しかし彼は、ボーゼアス教という一大勢力を率いる指導者である。常に気丈に、そして冷静に振舞う事が求められる立場だ。驚愕から立ち直り、頭を切り替えた彼は、すぐさま周りの生き残りや駆け付けた兵士に命令を飛ばす。
「手の空いている者は至急消火を行なえ!怪我をした者で動ける者はこの場を離れよ!動けない者は私が運ぶ!誰か手を貸してくれ!」
炎に呑み込まれた地獄の中にも、僅かだが生き残りがいた。これ以上の被害を防ぐため、大半に消火活動を行なわせ、自らは負傷者への対処を始めたオズワルド。彼の指揮は的確で、何より絶望する兵達の目を覚まさせる叱咤となった。自らが率先して事態の対処に当たる姿に、全ての兵士が彼に負けじと行動した。
「これ以上誰も死なせてはならない!仲間を助ける事だけを考えるのだ!」
誰も死なせてはならない。その命令に応えるため、兵士達は団結して必死に消火活動を行ない、炎の脅威から遠ざけるべく負傷を運び出した。
「ベレスフォード様!」
「ハンスか!丁度いい、手を貸してくれ!」
怪物の光線によって発生した爆発により、片脚を失ってしまって気を失っている負傷兵。この兵士を助けようとしているオズワルドのもとに、情報収集に当たっていたハンスと数人の兵士が駆けつけた。
「出血が酷い!布で脚をきつく縛ったが、このままでは危険だ!」
「わかりました!お前達、すぐにこの負傷兵を運び出して医療部隊のもとに連れていけ!」
オズワルドは自分の服の裾を破き、負傷兵の脚を縛って出血を止めていた。応急処置が行なわれた負傷兵を、ハンスの指示を受けた兵士達が担いで運び出す。
「やれやれ⋯⋯⋯。今の兵で最後のようだな」
「ベレスフォード様の迅速な指揮のおかげです。火の手も弱まりつつあります」
「我が軍の損害は?」
「正確には分かりませんが、およそ千人以上の戦傷者を出したかと。また、破壊された周辺に食糧庫が密集していたため、物資の被害が甚大です」
出現した怪物は、たった十分ほどしかその場にいなかった。その十分の間に、怪物はボーゼアス義勇軍に大きな損害を与えていったのである。
戦傷者の数も多かったが、特に問題なのは破壊された食糧物資だった。この陣地に集まったボーゼアス義勇軍の総兵力は、約十四万である。十四万もの大軍を維持するには、想像もできない量の食糧準備が不可欠だった。
運悪く、破壊された天幕周辺には、全体の三分の一を占める食糧庫が存在していた。怪物の攻撃によって発生した火災は、この食糧庫に被害を与えたのである。現在の状況では、正確な被害は今のハンスにも分からなかった。だが彼は、地獄と化したこの現場の惨状から、三分の一の食糧が完全に失われたと予想している。
「最悪の結果だな。我が軍の弱点は食糧問題だというのに⋯⋯⋯⋯」
「それと、もう一つ問題が。どうやらあの怪物は聖書の勇者の仕業らしいのです」
「なんだと⋯⋯⋯!?」
オズワルドが指揮を執っていた間、ハンスは被害状況などを知るため情報収集を行なっていた、その最中、一部始終を見ていながらも奇跡的に生き残った者から、一体何が起こったのかを聞いていたのである。
「保管してあったはずの二つの秘宝が勝手に飛び出し、聖書の勇者は召喚魔法で龍のような怪物を召喚。怪物の背に乗った二人の勇者は、何もかもを蹂躙して怪物と共に空へ飛んでいったそうです」
「⋯⋯⋯⋯これは私の失態だ。勇者を甘く見過ぎていたばかりに、多くの人間を死なせてしまった」
「秘宝が勝手に動くなど誰にも想像できません。どうか、御自分を御責めになるのはお止め下さい」
オズワルドの脳裏に蘇る、姉妹であった二人の勇者の姿。姉は妹を守ろうと必死で戦い、妹は何もかもに怯えていた。無力で無害な弱き存在だと思っていた、その妹の方がこの地獄を創り上げたという。怪物に命を奪われた者達を殺したのは、秘宝がない勇者はただの人だと油断した自分にある。そう考え、彼が自分を責めるのは無理もない事だった。
「⋯⋯⋯⋯あれほどの力。同盟軍に絶対に渡すわけにはいかない」
「ですが、勇者達は怪物の背に乗って飛び去ったと⋯⋯⋯⋯」
「初めて力を発動した聖書の勇者が、あれだけの強大な力をいきなり制御できるとは思えない。魔力の消耗も想像を絶するものだろう」
「成程。魔力を使い果たし、途中で力を失う可能性は十分にあります」
「直ちに怪物を追撃し、再び勇者を捕らえるのだ。もし捕らえるのが難しければ殺しても構わない」
「はっ!」
この事態が自分の責任であると考えるからこそ、再びこのような事を繰り返さないために、オズワルドは今行なうべき最重要の行動を命令した。
一時間も経たぬ内に、多大な損害を与えた勇者の力。これをボーゼアス義勇軍の敵であるグラーフ同盟軍に渡してしまったら、自分達の勝利は確実に遠退いてしまう。それだけは断固として阻止しなくてはならないのだ。
「今晩は一切休めないと覚悟しよう。君には悪いが付き合って貰う」
「元より覚悟の上です。ではベレスフォード様、私はこれで」
勇者追撃を開始するべく、ハンスは駆け出してこの場を後にした。走り去る彼の姿を見送った後、オズワルドは怪物が飛び去った夜空を見上げた。
「このままで済まさない」と心に誓い、彼もまた急いでこの場を後にする。
「くっそおおおおおおおおおっ!!放せよちくしょおおおおおおおおおっ!!」
グラーフ同盟軍に備える形で造られた、ボーゼアス義勇軍陣地の外れ。そこでは今、一人の勇者が兵士に取り押さえられ、大声を上げて藻掻いていた。
陣地の外れで、二人の兵士に取り押さえられた勇者。彼の名は有馬櫂斗。伝説の秘宝に選ばれし、聖剣の勇者である。
敵に捕まってしまった二人の勇者、九条真夜と九条華夜を救出するため、単身敵の陣地へ潜入しようとした櫂斗だったが、彼の潜入任務は呆気なく失敗した。陣地に構築されていた、防御用の柵を乗り越えようとしていたところを、見張りの兵士に見つかってしまい、抵抗する暇もなく捕まってしまったのである。
陣地内に潜入する前に発見され、何もできずに捕まった櫂斗は、敵である兵士達の大笑いを受けながら連行されようとしていた。何とか逃げ出そうと暴れているが、二人の兵士に両腕を完全に拘束されているため、振り解く事が出来ずにいる。
このままでは真夜と華夜を助けるどころではないと、どうやってこの状況を切り抜けるか考えていたが、それは何の前触れもなく起きたのである。
「空が赤い⋯⋯⋯⋯!陣地の中心が燃えてるのか!?」
「なにが起きたのか急いで確認しろ!あの明るさじゃ同盟軍にも気付かれるぞ!」
ボーゼアス義勇軍陣地の中心部。そこから火の手が上がり、激しい火災が起きている。陣地の外れからでも、炎によって照らされた赤い夜空が目にできた。雲一つなかった夜空からの突然の落雷と、生き物の鳴き声のような大きな声。その後に聞こえた爆発音。それら全てが、この場所からでも見聞きできたのである。
捕まえた勇者を後方へ連行するどころではない。慌しく動き始めた兵士達が、何が起こったのかを確認するため行動する。
(ひょっとして、二人が秘宝の力を使ったんじゃ?火事ってことは先輩がやったのかも)
状況が全く分からないのは櫂斗も同じだったが、騒ぎの原因に心当たりはあった。
もしこの騒ぎが、捕らわれた二人によるものだったとすれば、今が助け出す絶好の機会となる。これを逃す手はないと、ここを突破して二人を助けに行こうと考える櫂斗だったが、突破は必要なくなった。
何故なら、彼が救出しようとしていた二人は、向こうからやって来たからである。
「なっ、なんだあれ!?」
何かの気配を感じ、夜空を見上げた櫂斗は、星々の光を隠す巨大な影を見た。櫂斗だけでなく周りにいた兵士達も、この場所に接近してくる影を発見し、驚愕して立ち尽くす。
そう、接近してきているのだ。巨大な生き物の影が、まるで墜落するように⋯⋯⋯⋯⋯。
「にっ、逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
そう叫んだの櫂斗だった。彼の叫びで我に返った兵士達が、地面に激突しようとしている巨大な影から逃げる為、全速力で駆け出した。櫂斗を拘束していた兵士も、命惜しさに彼の腕を離して逃げ出してしまった。
「うわああああああっ!!」
夜空を飛んでいたはずの巨大な生き物は、突然力を失って墜落を始め、櫂斗のいる場所に落下した。地上に激突し、天幕や柵を薙ぎ倒しながら地面を滑る巨大生物。まるで胴体着陸の様に、数十メートルも地面を滑ってようやく止まったその生物は、そこから動き出す事はなかった。
「すっ、すげえ⋯⋯⋯⋯⋯」
墜落間際にどうにか回避できた櫂斗は、目の前で起こった信じられない出来事に、驚愕と興奮を覚えていた。一体何事かと、墜落した巨大生物を見ていた櫂斗は、生物の傍に倒れる二人の人影を目にした。
夜の闇で何も見えないはずなのだが、人影が持つ発光する本のおかげで、人の存在を確認できた櫂斗は、まさかと思い二人のもとへと駆け出した。彼の予想通り、発光していたのは勇者の魔導書だったのである。
「先輩!!華夜ちゃん!!」
赤黒い体表の巨大な怪物の傍に、墜落した衝撃で放り出された真夜と華夜がいる。櫂斗は急いで二人のもとに駆け寄り、彼女達の無事を確かめようとした。
「うっ⋯⋯⋯、こんな⋯⋯⋯ところで⋯⋯⋯!」
投げ出されたために地面で身体を打ち、痛む我が身を起こしながら、華夜は墜落した怪物の傍に近付こうとする。名を呼んだ櫂斗の存在に気付かず、彼女は自分の召還した怪物だけに意識を集中させていた。
怪物に向かってふらつきながら歩く華夜。そんな彼女に、痛む身体を押して立ち上がった真夜が駆け寄った。
「華夜!!もういいの!もう十分だから!」
「だめ⋯⋯⋯。華夜は⋯⋯⋯、お姉ちゃんと一緒に家に帰るの⋯⋯⋯」
華夜の背中に抱き付いて、必死に彼女を止めようとしている真夜。今の華夜には、泣き叫ぶ姉の言葉は全く届かない。今の彼女を駆り立てているのは、幸せだった日々に帰ろうとする願いだけだった。
自身が召喚した怪獣、完全暗黒破壊神。華夜にとってこの怪獣は、自分を苦しみから解放してくれる最後の希望である。希望にすがりつこうとする彼女は、ふらつく足取りで怪獣へと歩みを進め、手を伸ばした。
だが、魔導書の力で召喚した怪獣は、墜落後再び立ち上がる事はなく、力なく両翼を地面につけて動かない。やがて怪獣は、自身の身体の至るところから蒸気を噴出させた。噴出する蒸気と同時に、怪獣の身体が小さくなっていく。どんな原理なのかは不明だが、怪獣の身体は蒸気と共に消滅していき、一分も経たない内に影も形も失われた。
「そっ⋯⋯⋯⋯、そんな⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯!」
ボーゼアス義勇軍の陣地で猛威を振るった巨大な怪獣は、完全にその姿を消滅させた。唯一の希望が失われた事で、力を失くした華夜がその場に膝を付く。
絶望した華夜は俯き、地面を見つめたまま動かない。すると彼女は、突然の嘔吐感に襲われてしまい、口から赤い液を吐き出した。吐き出されたのは彼女の血であり、それと同時に、先程まで発光していた彼女の魔導書が、力を失くしたように光を弱めていく。
「ごほっ⋯⋯⋯!ごほっごほっ⋯⋯⋯⋯!?」
『出力低下、形状維持機能損傷。これ以上の戦闘運用は困難です。戦闘機能を緊急停止します』
「そんな⋯⋯⋯⋯、だめ⋯⋯⋯⋯!」
『所有者の身体限界及び、出力不足です。緊急防衛機能を強制停止しました』
彼女の頭にだけ響く声。声の主は、彼女が持つ魔導書である。
魔導書の発した言葉通り、華夜と真夜を守るため現れた怪獣は消滅した。しかも魔導書は、これ以上の使用はできないと言っている。つまり華夜は、未だ敵地にも関わらず戦う力を失ったのだ。
「うっ⋯⋯⋯!」
「華夜!?」
強大な力を使った反動なのか、身体が重くなり、酷い頭痛と吐き気に襲われた華夜は、その場から一歩も動けなくなった。立ち上がる事さえ出来ず、気が遠くなった彼女は真夜のもとに倒れてしまう。倒れる華夜を慌てて抱いた真夜は、泣きながら彼女を抱きしめた。
「ごめんなさい華夜⋯⋯⋯⋯!私⋯⋯⋯、あなたを守れなかった⋯⋯⋯⋯!」
「お姉⋯⋯⋯ちゃん⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
倒れた華夜を抱き、一人涙を流し続ける真夜。身体が動かない華夜は、遠退いていく意識の中で、泣いている姉の顔を見ているだけだった。
悲しみに暮れた姉妹の姿。そこへ慎重に近付いていく、武装した兵士達の姿がある。
未だここは敵地なのである。陣地の外れとは言え、兵の数は少なくない。最初は突然の事態に混乱し、恐る恐る見ているだけだった兵士達が、怪獣が消滅した事で二人に接近する。正確な事態が分からなくとも、陣地の中心から飛んでやって来た二人が、陣地内に火を放った犯人であろう事は彼らにも察しが付く。あの怪獣も、それに乗っていたこの二人も、自分達の敵であると判断したボーゼアス義勇軍の兵士達が、二人を捕らえようと取り囲む。
華夜も真夜も、今の二人は全くの無防備な状態であり、敵である兵士達と戦う事は疎か、抵抗する事さえできない。味方がいるグラーフ同盟軍の陣地まで逃げる力も、今の彼女達には無かった。
逃げ延びる最後の希望は失われ、再び敵に捕らえられるのを待つばかり。敵陣地を破壊し、多くの兵士を死に追いやった以上、再び捕まれば何をされるか想像もできない。今度はその場で殺される可能性もある。何れにせよ、二人が待つ未来には絶望と悲劇しかない。
「待てよ!」
それは彼女達に残された、たった一人の僅かな希望だった。
捕らわれた彼女達を助けるために、たった一人で敵地に乗り込んできた勇者。自分が助け出す予定だった二人を守るべく、取り囲む兵士達の前に立ちはだかり、彼女達の盾になろうとする。
「起動!」
ペンダントに嵌め込まれた伝説の秘宝。選ばれし勇者たる者の声に応え、黄金に光り輝いた秘宝がその真の姿を露わにする。姿形を一振りの剣に変え、勇者の両手に握られたそれは、金色の光を放って夜の闇を眩く照らす。
「お前ら、俺が誰だか知ってるか!?この俺こそ、あの火龍を倒した異世界の勇者、有馬櫂斗様だ!お前らなんかに先輩と華夜ちゃんは渡さない!」
たった一人で彼女達を助けようとしているのは、先程まで敵に捕まっていた櫂斗である。高らかに名乗り上げてカッコつけた彼は、自らの聖剣を敵に向けて構える。
「あっ、有馬君⋯⋯⋯⋯!?」
「助けに来ましたよ先輩!俺が突破口を開くので、華夜ちゃんは任せます!」
まさかな人物の登場で驚く真夜に、彼女に背を向けたまま櫂斗は言葉をかける。
豹変して倒れた華夜と、まともな衣服を着れていない真夜。今の彼女達の姿を見た櫂斗は、二人に何があったのかを想像し、歯を食いしばっていた。もっと早く助けに来れていればと、後悔に苦しみ自分を責める。
二度と彼女達を敵に渡したりはしない。ここで二人を助け出し、一緒に同盟軍の陣地へ帰る。陣地では二人の身を誰よりも案じている、彼にとって大切な幼馴染が帰りを待っているのだ。決意を込めた彼の光り輝く切っ先は、絶望の闇を照らす新たな希望の光に見えた。
「有馬⋯⋯⋯さん⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯?」
薄れゆく意識の中で、真夜に抱かれている華夜は見た。
自分達を救おうと戦う櫂斗の背中と、絶望を跳ね除けようとする、神々しい光を放つ聖剣を⋯⋯⋯⋯。
「綺麗⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
美しいと感じた金色の光。それが彼女が見た最後の光景となった。
やがて彼女は真夜に抱かれたまま、深い眠りの闇の中へと意識を失っていったのである。




