第三十八話 帝国の狂犬 Ⅶ
左翼側の前線に近い位置で、勇者櫂斗の部隊は待機していた。
待機を続けていた彼らのもとに、息を切らしながら急ぎやって来た伝令は、敵伏兵部隊の出現と、勇者櫂斗への出撃要請を伝えた。
既に左翼側前線には、勇者悠紀と彼女が率いる部隊に加え、迎撃のための部隊が送り込まれているという。少し出遅れる形で、櫂斗達の部隊も急ぎ出撃する事になった。
「みっ、みんな⋯⋯⋯!俺に付いて来いよな!」
急いで迎撃に向かわなくてはならない。そんな状況の中、ただ一人ガチガチに緊張してしまっているのは、部隊の指揮官である櫂斗本人であった。
初めての部隊指揮。今までの人生で、これだけの人間を指揮した経験など、当然あるはずがない。しかも、初めての部隊指揮は訓練ではなく実戦である。こんな状況下での初経験で、彼が緊張しないはずがなかった。
「そう気を張らなくてもいいですよ、勇者様」
「!?」
緊張して上手く指示を与えられない櫂斗。そんな彼の心を察し、安心させようと兵士の一人が声をかけた。櫂斗の肩に軽く手を置き、笑って声をかけたその兵士は、三十代くらいの歳の男であった。戦場の空気に慣れているのか、非常に落ち着いた様子のこの男は、笑いながら言葉を続ける。
「勇者様の指揮下にいるのは実戦慣れした連中ばかりです。もちろん、俺も含めてね」
「少なくとも⋯⋯⋯⋯、みんな俺よりは戦い慣れてるよな」
「だからまあ、何をどうすべきかは大体わかってるんですよ。とりあえず指揮官っぽく振舞ってくれてれば、後は自分達で適当にやります」
男の言葉は、初の指揮官を経験する櫂斗を馬鹿にしてのものではない。右も左も分からない彼の心中を察し、不安から解放するためのものであった。
「しかしまあ、アリオン王子も無茶を言う。遊撃隊の指揮官に勇者様達を任命して、一万の軍勢相手に戦えって言うんだから」
「やっぱさあ⋯⋯⋯⋯、向かっても勝てる気しないんだけど」
「常識的に考えるなら、一万の軍勢に千人ちょっとで挑んで勝てるはずはないでしょう。俺達の命運は勇者様の力次第です」
男はそう言ってまた笑う。まるで冗談でも言うように話したが、男の言葉は全て事実であった。
左翼に現れた一万の軍勢を迎撃し、同盟軍が前線正面の敵を撃破するまでの時間を稼ぐには、櫂斗達だけが持つ勇者の力だけが頼りである。
伝説の秘宝に選ばれし勇者の力。一人で百を超える敵を相手にできるだろう、その力を上手く操る事さえ出来れば、少ない戦力でも大軍相手に渡り合える。逆に言えば、櫂斗が上手く力を震えなければ、相手と勝負にすらならないのだ。
今、櫂斗はこれまでの人生で経験した事のない、大きな責任を背負っている。彼の活躍次第で、同盟軍の勝利だけでなく、多くの味方の生死を分けるのだ。
緊張もすれば不安にもなる。部隊指揮をアリオンに頼まれた時は、平気な様子で引き受けて見せたが、内心は平常を保つ事ができていない。初陣で経験した恐怖が、またこの戦場でも繰り返されるのではと、そう考えてしまっている。
「まあとりあえずやってみて、負けそうだったら逃げちまえばいいんですよ」
「!!」
「勇者様達が勝てないんなら、誰がやっても勝てない相手って事です。逃げても誰も文句は言えません」
「そっ、そう言われたって⋯⋯⋯⋯」
「無駄死にするより生き残る方が大事ってもんです。そんな感じでやりましょうや」
大きな責任を背負う櫂斗が、責任の重さに押し潰されてしまわないよう、男は気が楽になる言葉をかける。失敗する事など考えなくていい。行ってみて、戦ってみて、駄目だったら逃げてしまえばいい。重責を気にし過ぎる事はないと、笑ってそう言った男からかけられた言葉が、櫂斗の心中にあった緊張と不安を軽くする。
自分の気持ちが幾分か晴れた事で、周りが見えるようになった櫂斗は気付く。周りで自分の命令を待つ兵士達も、目の前にいるこの男も、戦場で死ぬ恐怖を抱きながら、戦う覚悟を持ってこの場に立っていると⋯⋯⋯。
彼らもまた櫂斗と同じであり、同盟軍の勝利のために戦わなければならない、大きな責務を背負っている。敵が大軍であろうと、こちらが数で負けていようと、味方の盾として戦う責務があるのだ。
櫂斗の目の前にいる、この男も同様である。緊張や不安を覚え、同盟軍のために戦う責務を、櫂斗と同じように背負っている。男が彼と違うのは、初指揮官である櫂斗より戦場慣れしている事だ。慣れているからこそ、彼にこうして気を遣ってやれた。
「⋯⋯⋯⋯そんな風に言われたら、なんだかやれる気がしてきた」
「そいつは良かった。俺としちゃあ、大軍相手にびびって小便漏らす勇者様の姿とか見たかったんですがね」
「おいこら!そんな事したらルークの奴に素人勇者じゃなくて小便勇者って呼ばれるだろうが!」
「素人が初陣で小便漏らすのは恒例行事みたいなもんですよ。びびり過ぎてでかい方をひり出さないで下さいよ。明日から大便勇者って呼ばれたくなきゃね」
「馬鹿にすんな!!見てろお前ら!たかが一万の軍勢なんか俺が一撃でぶっ飛ばしてやる!」
男の冗談を聞いていた周りの兵士達が、腹を抱えて大笑いを始める。皆の前で大恥をかいた櫂斗は、自分の力で大軍を倒すと宣言して見せた。半分自棄になった櫂斗の言葉に、彼を笑っていた兵士達から感嘆の声が上がる。
「そうと決まれば急いで出陣だ!ぐずぐずしてると悠紀の奴においしいところ全部持ってかれる!」
「はいよ、待ってました!いくぞ野郎共、勇者様に続けえ!!」
「その言葉を待っていた」とでも言うように、櫂斗指揮下の兵士達が大地を震わそうとする程の、とても大きな雄叫びを上げる。咆哮し、十分に士気を高めた彼らは、弾かれたように出陣のための行動を始めた。
力強く、そして頼もしい兵士達。そんな彼らと共に戦場へ向かう。櫂斗は今、これまで戦場で感じた事のない安心感と、溢れ出しそうな興奮を覚えていた。
「この人達がいれば必ず勝てる」と、そう信じられたのだ。
そして同時に、戦いに赴こうとしている櫂斗は心に決めた。
自分に付き従っている彼らのために、敵に必ず勝利して、全員生還させるのだと⋯⋯⋯⋯⋯。
それから時間が少しだけ流れ、話は櫂斗達の窮地を救った爆発の瞬間まで進む。
左翼の敵軍団迎撃を行なっていた櫂斗達の前に、彼らはその姿を現わした。
言葉にして彼らを表すならば、鋼鉄の軍団。鉄の馬とも呼べる巨体が、砲を突き出し何十両も現れた。その鉄の馬達の後ろから、軍服を身に纏い、装備を持つためのベストを身に着けた、この世界に相応しくない武器で武装した兵士達が続く。
「戦車⋯⋯⋯⋯」
突如現れた鉄の馬を櫂斗は知っている。紛れもなく、現れた鉄の馬は「戦車」であった。
驚くべきはそれだけではない。戦車の後ろから続いてきた兵士達は、剣や槍ではなく「銃火器」で武装していたのである。
明らかにこれは、この世界に相応しくない兵器である。
同時に、この世界に存在してはならない兵器でもある。
この瞬間、櫂斗はギルバートとアリオンとの会話を思い出した。「見た事もない兵器を用いて、敵対する国々を蹂躙していった」という国家の話。
その国の名は、ヴァスティナ帝国。
「⋯⋯⋯⋯!」
あまりの事に呆然としていると、一台の乗り物が彼の前を通り過ぎていった。
現れた乗り物は、馬車や荷車ではなく「車」だった。屋根のないその車には、運転手の他に助手席に男が一人乗っていた。後部にはもう一人、十文字の槍を握る少女が乗っていたのである。
互いにすれ違う瞬間、櫂斗はその男と目があった。男が自分に向けて見せた笑みも、はっきり見ていた。
直感で彼は理解した。あの男こそが、アリオンの語った帝国の参謀長なのだと⋯⋯⋯⋯。
「あれが、帝国の狂犬か⋯⋯⋯⋯⋯」
全ての準備は整った。
祖国を守り、侵攻し、征服した先で得た国力は、南ローミリアに大きな力をもたらした。強大な軍事力を得た南ローミリアの盟主ヴァスティナ帝国は、遂に理想を実現したのである。
「見たか?あの勇者の顔」
「はい。将軍閣下の力に恐れおののいていました」
「そうか?呆気にとられてただけだろ」
選ばれし勇者の前を、止まりもせず通り過ぎた車両に乗っている、黒を基調とした軍服を身に纏い、黒い制帽を被った、ヴァスティナ帝国の軍隊を率いる男。
彼の名は、リクトビア・フローレンス。ヴァスティナ帝国国防軍の最高司令官である。
「剣と魔法の時代はじきに終わる。これからは銃と機械化装甲部隊の時代だ」
「これからそれが、全ての国家に証明されるのですね」
彼の言葉に答えているのは、十文字槍を得物とする赤髪の少女である。
彼の右腕であり、絶対の忠誠を誓う、烈火の様な赤い軍服を身に纏う少女の名は、レイナ・ミカヅキ。帝国の者達は敬意を込めて、彼女の事を軍神と呼んでいる。
彼が創り上げた最強の軍隊に、見かけは平常を保っているレイナ自身、内心では非常に興奮している。これまでの苦難の道は、今日この瞬間を迎えるためにあったのだと、感動すらも覚えている。
だが、彼女以上に興奮し、感動を覚えているのは、やはり彼だった。
大切な少女と交わしたあの約束を果たすために、ずっと思い描き続けてきた最強無敵の軍団が、今まさにこの戦場を容赦なく支配しようとしている。
この軍団を創り出すために、今までどれだけの犠牲を払ってきたか。犠牲となった者達の強い想いが、彼の眼前で最強の軍団として形を成している。犠牲となった者達の想いのためにも、敗北は決して許されない。
彼が望んでいた、本当の戦争が始まった。
大陸全土の武力統一を目指す、最大規模の戦争。これはその序曲なのである。
そして彼は、最強の軍隊を創り上げた暁には、この世界に向けて言ってやりたかった言葉を、邪悪な笑みを浮かべて口にするのだった。
「ファンタジー世界の住民に教えてやる。これが現代戦だ!!」
帝国の狂犬が待ち望んだ戦争が、激しい砲声と共に幕を開ける。




