第三十七話 グラーフ同盟軍 Ⅱ
「ふ~む。これはいけませんな」
「僕の作戦は完璧だ。ギルバート、一体何が不満だって言うんだ」
順調に進軍を続けていた王国軍は、日が暮れた事で一旦停止し、夜営のための準備を進めていた。天幕を設営し、食事の用意を始め、夜営陣地の歩哨を立たせるなど、兵士達は着々と準備を行なっている。
そんな中、一つの天幕内に主だった者達が集まり、設置された机の上に広げられている、大陸中央部の地図を見つめ、今後の計画について話し合っていた。集まっている人物達は、王国軍を指揮する将軍や参謀達である。彼らの意見を聞き、最終的な決定を下す人物もまた、その天幕の中にいた。
この王国軍二万を率いる、第一皇子アリオン・オブ・グリフィズは、不快な表情を隠さず、一人の将軍の方へと顔を向けていた。
彼が見ている将軍の名は、ギルバート・チェンバレン。ホーリスローネで最も優秀な軍人と評される、紳士将軍の二つ名を持つ男である。
「不満と言いますか、困った事になったと一人嘆いている次第です」
「困る事など何もない。敵が我々に勝つために戦力を分散したのを、逆に利用しようとしているだけだ」
ホーリスローネ王国から討伐軍として派兵した、この二万の軍勢。この軍の指揮官は、王から命令を受けた将軍たるギルバートだ。しかし、この軍の象徴は王子たるアリオンである。象徴であり王族でもあるアリオンの言葉は、将軍で在ろうと参謀で在ろうと。決して無視できるものではない。
王はギルバートを信頼し、彼に軍の指揮を任せた。それにも関わらず、アリオンは討伐軍を自分が指揮すると宣言し、練り上げた作戦計画を実行した。作戦の実行に関しては、ギルバート達から反対意見が上がったのだが、アリオンはその意見に耳を貸さず、作戦を実行したのだ。
「敵の総兵力がこちらを上回っている以上、分散している今が好機だ。同盟軍から攻撃を仕掛け、緒戦を勝利で飾る事ができれば、味方の士気は上がり、敵の士気を挫ける」
「確かに王子の仰る通り、この状況は寧ろ好機と言えるでしょうな」
「そうだ。敵の士気は異常に高いと聞いてるが、我が国とゼロリアスが参戦し、緒戦から勝利を得れば、必ず敵の士気を奪えるさ」
「王子の狙いは、敵戦力の漸減だけでなく、敵の脅威的な戦意を奪い去る事。それはこの私も理解しておりますとも」
アリオンの作戦は、分散した敵軍を各個撃破し、敵戦力の低下を狙うだけではない。彼はボーゼアス義勇軍最大の武器である、その異常な士気の高さを奪うつもりでいる。
ボーゼアス義勇軍が勝利を重ね続ける事ができたのは、圧倒的な人海戦術と、戦いも死をも恐れぬ士気にある。ボーゼアス教を信じ、宗教によって団結力を得た彼らは、正規軍すら打ち倒す力を発揮している。これを何とかしない限り、同盟軍に勝利はあり得ないのだ。
今、ボーゼアス義勇軍は、戦局を優位に進めているが、逆に窮地にも立たされている。その理由は、ホーリスローネ王国とゼロリアス帝国という、北方の二大国の参戦にある。
二大国の参戦は、大陸最大の国家を敵にまわした事を意味する。しかも、グラーフ教会だけでなく、大陸の秩序と平和を守る勇者連合すらも、ボーゼアス教は敵にまわしてしまった。つまりボーゼアス教に属する者達は、大陸全土を敵にまわしたのである。
この事実に動揺しない者など、存在するはずがない。ボーゼアス教に属する者達は、皆誰もがこの事実を受けて、戦意を揺らがせているに違いないのだ。これを好機と考えたアリオンは、王国軍と帝国軍の二大国で、緒戦を勝利で華々しく飾り、敵軍の大幅な士気低下を狙おうと考えた。
「王子の作戦は悪くない。この私も、他の将軍達や参謀も、同じ作戦を思い付くでしょう」
「だったら何故、お前は僕の作戦に反対しているんだ?」
「この状況、あまりにもよく出来過ぎていると、そう思われませんか?」
作戦自体は悪くない。敵戦力が分散しているなら、その機に乗じて攻撃するのは、決しておかしい事ではない。敵の戦意を挫く目的も理にかなっている。ギルバートはこの作戦に文句があるわけではなく、この状況があまりにも自軍に有利に働いていると、そう警告しているのだ。
「敵が戦力を各地に散らせたのには、戦力の調達という確かな理由がある。これが敵の策略だと、そう言いたいのか?」
「ええ勿論、その通りですとも。敵軍の動きは、明らかに我々を誘う作戦です」
「考え過ぎだギルバート。各地でジエーデル軍を蹴散らしたと言っても、相手はまともな訓練すら受けていない民達だ。そんな事出来るはずがない」
アリオンの考えは、何も間違っているわけではない。この好機を逃せば、総力戦となった時の勝算が失われてしまう。警戒する事も重要だが、警戒し過ぎてせっかくの好機を逃しては、勝利が遠退いてしまうのだ。
同盟軍が勝利を得るために、アリオンは反対を押し切って、自らの作戦を実行に移した。もう二度と、自分の無力さで、多くの犠牲を出さないために⋯⋯⋯。
「やはり、王子はあの負け戦から何も学んでおりませんな」
「なに!?」
ギルバートの一言は、一瞬でアリオンの怒りを買った。天幕内にいた参謀達は、無礼が過ぎるギルバートの発言に驚愕し、怒りを露わにする王子を見て、どうする事も出来ず緊張していた。
アリオンも参謀達もその場に残し、ギルバートは振り返って天幕の出入り口へと向かう。天幕を出る直前、彼は振り返る事なく立ち止まり、アリオンの方を向かず口を開く。
「民兵とは言え正規軍を撃破した時点で、彼らは立派な軍隊です。街のごろつきや賊とは違う」
「⋯⋯⋯!」
「王子は自身に与えられている、真の役目を果たされればよいのです。それ以外の事は、我々に任せて頂きたい」
そう言い残し、ギルバートは天幕から去っていった。
彼の残した言葉の意味を、この時のアリオンは、何も理解する事が出来ずにいた。
明日は敵との会敵が予想されている。夜営している王国軍は、明日の戦いに備えて食事を取り、夜営陣地周辺と陣地内に見張りを立たせ、多くの兵士が眠りについていた。
夜営陣地内の天幕の一つに、勇者たる櫂斗達五人の姿がある。彼らもまた、他の兵士達同様に、明日の戦いに備えて眠りにつこうとしていた。しかし櫂斗達は、明日の戦いに緊張し、眠れない夜を過ごしていたのである。ただ一人を除いて⋯⋯⋯。
「ぐお~⋯⋯⋯⋯⋯、があ~⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「いびきがうるせえ⋯⋯⋯⋯」
「明日は戦いだっていうのに、よくもまあこんな堂々と眠れるわ⋯⋯⋯⋯」
櫂斗達より経験豊富な勇者たるルークは、寝床に入るなり一瞬で眠ってしまい、大きないびきまでかいている。明日の戦いに、緊張など全くしていない様子だ。
ルークと同じように寝床に入っている四人は、瞬時に眠っていびきまでかく彼の姿に、呆れつつも感心していた。
「私達とそう変わらない歳のはずなのにね。私達と彼は、育った環境がまるで違うのよ」
「戦いに身を置く環境で生きてきた。だからこういうのには慣れっ子って事ですよね」
「その通りよ。私や貴女が、試合前の緊張にいつの間にか慣れてしまったのと同じ。戦いと試合は違うけど、つまりはそう言う事よ」
眠っているルークと、戦いの前に眠れずにいる自分達は、生まれた世界が違うのだと、悠紀や真夜は改めて知る。それと同時に、彼女達はルークの事を頼もしく思い、恐ろしさも抱いた。
例えば、目の前に自分を殺そうとする人間が現れたとしたら、彼は当たり前のように武器を手に取り、躊躇なく人間と殺し合えるだろう。そうしなければ生きてはいけない世界で、彼は今日まで生きてきたのだ。躊躇わず人を殺せる人間が、自分達と共に行動している。人を殺した事などない彼女達からすれば、恐ろしさを覚えずにはいられない。
「先輩⋯⋯⋯。私達、明日本当に戦争に行くんですね」
「早水さん⋯⋯⋯」
「正直言って、やっぱり恐いです⋯⋯⋯。ユーリ教官のお陰で大分鍛えられましたけど、いざ敵を目の前にしたら、震えて何も出来ないかも⋯⋯⋯」
彼女達は戦争を知らない。人から殺意を向けられる感覚も、人を殺す感覚も、彼女達はまだ知らない。
だが、眠っているルークも、夜営陣地内で眠っている兵士達も、見張りをしている歩哨も、作戦指揮を行なう将軍や参謀達も、彼女達がまだ知らない感覚を、よく知っている。それを知らないのが自分達だけだと考えると、途端に彼らが恐ろしくなる。
自分は彼らと違い、勝利のために人間を殺せる、彼らのようには戦えない。自分達とは違う異質な存在と、身に迫る戦いの瞬間に怯える悠紀は、心に抱く恐怖を口に出した。
怯える彼女の気持ちを、真夜は理解している。何故なら、彼女も悠紀と同じ気持ちであるからだ。
お互いに戦いに怯え、眠れぬまま夜の時間が流れていく。人を殺すかもしれない恐怖と、自分が殺されるかもしれないという恐怖が、彼女達を眠らせようとしない。
「心配するなって悠紀。俺達は選ばれた勇者なんだぜ?」
「櫂斗⋯⋯⋯?」
緊張しているのは櫂斗も同じ。しかし彼は、恐怖を感じている彼女達と違って、明日の戦いに一人興奮していた。
選ばれた勇者として召喚され、誰にも使えなかった伝説の武器を手に入れ、大陸の平和のために戦う。彼にとってそれは、憧れ続けていた最高のシチュエーションである。故に、異世界の勇者となって初めての実戦に、緊張しながらも興奮しているのだ。
「秘宝の力があれば負けやしないし、俺達は誰も殺さない。そう王子と約束したろ?」
勇者連合の決定によって、櫂斗達は強制的に異教徒討伐に派遣された。その際、ここで抵抗したところで、命令には逆らえないと悟った真夜は、アリオン達にある条件を出した。それは、相手が人間である限り、決して殺さないというものである。
彼らの身勝手によって、自分も大切な妹も、後輩である二人も、人殺しにさせるわけにはいかない。殺し合いなら、自分達を巻き込まず、この世界の者達同士で勝手にやればいい。誰も人殺しにさせるわけにはいかないと、そう言い放った真夜の意志を、アリオン達は変えられなかった。
戦いには参加する。但し、秘宝の武器の力を使って、人を殺さないよう加減して戦う。それがアリオン達に出した、真夜の条件であった。
「てきとーに魔法ぶっ放して、死なない程度に相手をぶっ倒せば、俺達の役目は終わりだ」
「櫂斗⋯⋯⋯」
「なっ、簡単だろ?だから大丈夫だって」
楽観的な考えを口にする櫂斗だが、これでも彼は悠紀を心配して、こうして励まそうとしているのだ。ただ彼は、悠紀や真夜と違い、自分が置かれている立場や状況が、まるで分かっていなかった。
悠紀も真夜も、彼の言葉で気持ちが晴れる事はない。寧ろ、何も理解できていない彼に対して、幼馴染で付き合いの長い悠紀はともかく、真夜は苛立ちを覚えていたのである。
(お姉ちゃん⋯⋯⋯、やっぱり怒ってる⋯⋯⋯⋯⋯)
真夜の妹である華夜もまた、明日の戦いへの緊張や不安で、皆と同じように眠れぬ夜を過ごしている。彼女も皆と同様に寝床に入り、悠紀達の会話に入る事なく、真夜の隣で話を聞いていた。真夜が櫂斗の発言で苛立っているのも、華夜には直ぐに分かっていた。
彼女は自分の姉の事をよく理解している。姉は、無知で楽観的な愚かな人間を嫌う。それを知っている彼女は、姉の怒りの感情を敏感に感じ取っていた。
(この人、何も分かってない⋯⋯⋯。この世界を、きっとゲームか何かだと勘違いしてる⋯⋯⋯⋯)
だからこそ櫂斗は、明日の戦いの前に興奮しているのだと、真夜にも華夜にも分かっていた。伝説の秘宝などと呼ばれている、選ばれた者だけが使える力など手に入れてしまったが為に、自分が物語の主人公になれたのだと、そう錯覚している。目を覚まさなくてはならないが、悠紀も真夜も、そして華夜もまた、それをしなかった。
悠紀も真夜も、明日の戦いで現実を見せるしかないと、そう思っている。理由は、口で言って分かる相手ではないからだ。華夜の場合は、教える勇気がないために、一人口を閉ざして沈黙していたのである。
それに華夜は、他人の事を考えている心の余裕がない。まだ彼女は、重大な問題が解決されていないのだ。
(華夜はみんなの足手まとい⋯⋯⋯。ドラゴンとの戦いの後も、華夜の本は真っ白なままだった)
選ばれし勇者だけが使う事の出来る、伝説の秘宝の力。櫂斗達はその秘宝の力を解き放ち、勇者の試練で火龍を倒す事に成功した。だが華夜だけは、未だに秘宝の真の力の解放を果たせずにいる。彼女だけが使う事が出来る、秘宝の武器たる魔導書。手にしたその魔導書は、全ての頁が空白であった。
何も書かれていない、空白の魔導書。一文字も記されていないその魔導書に、戦う力は存在しなかった。空白の魔導書のまま、彼女は異教徒討伐に従軍したのである。
(でも、本が白いままなら⋯⋯⋯。華夜は戦わなくていい)
秘宝の力を解放できない彼女は、ここにいる誰よりも無力な存在。それでも、選ばれし勇者の一人して、討伐軍に従軍しなければならなかった。例え戦えなくとも、討伐軍の象徴となる必要があるのだ。
しかし、魔導書が力を発揮しない以上は、前線で戦う事は出来ない。討伐軍の象徴として、後方で待機する事になるだろう。足手まといの無力な存在となってしまったが、戦わなくて済む事に、彼女は一人安心感を得ていた。
(華夜は卑怯者⋯⋯⋯。戦う事をお姉ちゃん達に任せた、使えない卑怯者⋯⋯⋯)
異世界に召喚される前も、勇者となった今も、彼女は何も変わっていない。
臆病で、人見知りで、一人では何もできない。そんな彼女を守ってくれるのは、たった一人の姉のみ。召喚される前も今も、彼女は姉に守られてばかりであった。
それはいつもの事で、彼女が何も言わなくとも、姉である真夜は彼女を守り続けている。何も変わらない彼女は真夜に甘え、恐ろしい事や辛い事から逃げているままだ。いけない事だと、悪い事だと分かっていても、それを正す勇気を彼女は持っていなかった。
(華夜がこんなだから、本は華夜に応えてくれないんだ⋯⋯⋯⋯)
自分の弱さを嫌い、自分の卑怯な心も嫌いながら、勇気のない彼女は、思うだけで何も行動しない。それが、九条華夜という十六歳の少女である。
華夜が一人、魔導書が使えないのは自分のせいだと思っていた最中、彼女は天幕の外が、何やら騒がしくなっているのを感じた。
「お姉ちゃん⋯⋯⋯、外が変だよ⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯!」
華夜の言葉を聞き、彼女も外の異変を察した。天幕の外から聞こえてくる、男達の騒がしい声。その声は遠くから聞こえてきており、言葉の内容はよく聞き取れない。やがて、天幕周辺も騒がしくなり始め、慌てて走り出す兵士達の足音も聞こえ始める。
「なに⋯⋯⋯?急に騒がしくなって⋯⋯⋯」
「喧嘩でも始まったんじゃないのか?」
「それにしちゃ変よ。なんだか胸騒ぎがする⋯⋯⋯⋯」
悠紀も櫂斗も異変に気が付き、天幕の外へと耳を傾ける。騒ぎは段々大きくなり始め、声もはっきりと聞こえてくる。聞こえてきた声は、男達の怒号と絶叫だった。
「敵襲だあああああああああああああああああああああっ!!!」
天幕の外で、誰かがそう叫んだ。一瞬で外はより一層慌しくなり、兵士達が集まり始める。
そしてさらに、敵襲の声が響き渡った瞬間、天幕の寝床からルークが飛び起きた。
「敵襲か!?おい櫂斗、それにお前達も全員起きろ!」
一瞬で飛び起きたルークは、慌てた様子で装備を手にし、戦いの準備を始めていく。驚愕している櫂斗達は、何もできずにルークを見ているだけだった。
「おいおいおい!!あの声が聞こえなかったのかよ!?敵襲だって言ってんだろ、敵襲って!」
「えっ⋯⋯⋯、ってことはつまり⋯⋯⋯⋯」
「お前の想像通りだ!死にたくなきゃ、さっさと準備しろ!」
これが、戦いに慣れている者と、そうでない者の差だった。気が付けばルークの準備は終わっており、装備を身に着け、手には得物である大剣を握っていた。
櫂斗達は状況が理解できず、ただ混乱しているばかりである。混乱する頭でどうにか分かるのは、明日のはずだった開戦が、今この瞬間から始まってしまったという事だけだ。
「行くぞ、新米勇者共!異教徒退治の始まりだ!!」




