第三十六話 衝撃、ウエディング大作戦 Ⅲ
ヴァスティナ帝国城、帝国参謀長の執務室。
ここには今、射撃訓練場から戻ったリックとヴィヴィアンヌの姿がある。執務室の席に腰を下ろすリックは、机に両肘を立てて寄りかかり、両手を口元に持ってくるポーズをとっている。ヴィヴィアンヌはそんな彼の前に立ち、自分の主の言葉を待っていた。
「既に聞いていると思うが、状況は最悪だ」
独特のポーズのまま、真剣な表情で話し始めるリック。言葉の続きを、ヴィヴィアンヌも真剣な表情で、静かに待っていた。
「レイナ達の偵察で相手の情報は手に入れた。制限時間は明日まで。それまでに、全ての準備を完了しなくてはならない」
「閣下、本当に宜しいのですか?我々だけでは、明日までにとても間に合いません」
「城にいる帝国軍兵士はこの事態に全投入する。戦力面の心配は必要ないだろう」
「戦力は用意できたとしても、有効な作戦はなく、厳しい状況に変わりはありません」
深く息を吐いたリックは、ポーズを解いて席から立ち上がり、後ろの窓へと体を向けて、ヴィヴィアンヌに背を見せる。二人は口を閉ざし、五つ数えるくらいの沈黙が流れた。
「⋯⋯⋯やっぱ、無理じゃね?明日結婚式とか準備間に合わないだろ」
「花嫁であるユン・シャオの願いを叶えるためには、まず女王陛下に多くの許可を頂き、式場の準備及び当日の手配と段取りの用意、更には式に使う衣装作成が必要になります」
「だよな⋯⋯⋯。どうやって陛下に許可貰うかな⋯⋯⋯」
「例え許可を得られたとしても、状況は変わりません。式を成功させるためには、相応の時間が必要です」
リックにとっても、そして皆にとっても大切な仲間の、大切な結婚式。盛大に祝いたいという気持ちはあれど、ヴィヴィアンヌの言うように、準備までの時間が足りない。ゴリオンの結婚を祝うため、絶対に式は行なう予定でも、難しいものは難しいのである。
ユンの願った、豪華で盛大な結婚式。今まで決して裕福でなかった彼女は、せめて自分の結婚の時だけでも、物語のお姫様のような式を挙げてみたいと、そう夢見ていた。その夢をゴリオンの前で口にしたが為に、彼はユンの夢を叶えようとしている。
ならば、花嫁のために頑張ろうとする彼を、少しでも助けたい。二人の愛を応援しているリック達からすれば、助けたい気持ちはもちろんあった。
「状況は絶望的だけど、式は予定通り明日挙げる。この予定は変わらない」
「はっ」
「そこでだ、予定通り式を挙げるためにも、俺はこれから陛下のところに行って許可を貰ってくる」
「御供致します、閣下」
「いや、それはいい。お前には他にやって貰うことがある」
今度は窓に背を向け、リックは彼女の方に向き直る。悪い状況にもかかわらず、彼の顔には、何故か笑みが浮かんでいた。
「ヴィヴィアンヌ、今回の作戦指揮は全部お前に一任する」
「!?」
「責任は俺が取る。だからお前の好きにやっていい」
「⋯⋯⋯私が、ですか?」
「どんな困難な任務も必ず成功させるって評判だろ?完璧超人のお前が指揮を執るなら、俺も安心だ」
ヴィヴィアンヌはまだ知らなかった。彼の悪い癖と、彼の職権乱用癖を⋯⋯⋯。
とんでもない無茶振りに、普段表情鉄仮面の彼女も、流石に驚いて目をぱちぱちさせていた。
「いいかヴィヴィアンヌ、みんなと仲良く結婚式の準備を進めるんだぞ。これ、参謀長閣下様の命令だから」
「⋯⋯⋯⋯了解しました」
リックの口元に邪悪な笑みが浮かぶ。この笑みは、悪い事を企んでいる時の笑みである。
この時の彼女はまだそれを知らず、帝国軍式のノリについていけなかった⋯⋯⋯⋯⋯。
それから少し時間が経ち⋯⋯⋯。
結婚式の用意を任されたヴィヴィアンヌは、命令通り行動を開始するべく、リックのいる執務室を後にした。想定していなかった突然の無茶振りを受けながらも、任務遂行のための作戦計画を練りながら、彼女は一人、城の通路を歩いていた。
(一体、閣下は何をお考えなのだろう⋯⋯⋯)
リックの真意を読めずにいる彼女は、作戦を考えながら不安を覚えていた。
これまで彼女は、不可能と言われたどんな任務でさえも、完璧に遂行してきた。命令とあらばそれを遂行し、必ず成功させる、諜報員の鏡のような人間である。ただ、これまでの任務は全て、諜報や暗殺などの内容であった。明日までに、豪華で盛大な結婚式の準備をする任務など、今まで経験した事すらない。
一体彼が自分に何をさせたいのか?何が目的なのか?彼女にはそれがわからなかった。今わかっているのは、リックがゴリオンの結婚を、必ず叶えようとしている事と、その理由だけ⋯⋯⋯。
「⋯⋯⋯!」
考えながら歩き、ふと気が付けば、目の前に赤髪の少女の姿。彼女の前に立っていたのは、偶然ここを通りかかったレイナであった。
「レイナ・ミカヅキ⋯⋯⋯」
「アイゼンリーゼ⋯⋯⋯」
お互いその場で立ち止まり、互いの名を呼んだかと思えば、口を閉ざして沈黙してしまう。七つ数えるくらいの時間が流れ、沈黙に堪えかねたレイナが再び口を開いた。
「⋯⋯⋯こんなところで何を?」
「⋯⋯⋯先ほど閣下から直々に、明日の準備の全指揮権を委譲されたところだ」
「あなたが、結婚式の準備を⋯⋯⋯?」
「やはりおかしいか⋯⋯⋯?」
「そんなことは⋯⋯⋯」
「誤魔化す必要はない。私には似合わない任務だ⋯⋯⋯」
レイナが驚くのも無理はない。諜報や暗殺を得意とし、圧倒的な戦闘能力を持つヴィヴィアンヌが、ゴリオンの結婚式を担当する事になったというのだ。彼女の事を知っている者からすれば、信じられない話だろう。
「ところで、貴官は私に対しての態度が随分変わったな」
「⋯⋯⋯!」
「私は新参者の身だ。態度を改める必要はない」
「しかし⋯⋯⋯」
「それとも、態度を変えたい特別な理由でもあるのか?」
ヴィヴィアンヌと敵同士であった頃と違い、今のレイナは彼女に対して、礼を尽くす態度を見せている。ヴィヴィアンヌがリックに忠誠を誓い、彼の傍に仕えるようになってからは、以前と違う態度で彼女と話すのだ。
「破廉恥剣士達は、まだあなたを信用していないかもしれない。それでも私は、あなたの忠誠を信じている」
「⋯⋯⋯」
「初めて戦った頃とは違う。今のあなたは、参謀長のことを理解し、自分の命を捧げて守ろうとしている」
「⋯⋯⋯それは貴官も同じだ。貴官もまた、閣下に忠誠を尽くし、その命を捧げている」
「同じではない。あなたは私と違って、純粋な心であの方を支えてくれている⋯⋯⋯」
そう言ったレイナの表情は曇り、彼女は俯いた。俯いたが、すぐに彼女はヴィヴィアンヌへと視線を戻し、言葉を続ける。
「私とあなたは、少し似ている」
「似ているだと⋯⋯⋯?」
「だからあの時、似ているとわかったから、あなたを信じられた」
レイナが言葉にした「あの時」とは、彼女とヴィヴィアンヌが、戦場で再び相見えた瞬間である。その時ヴィヴィアンヌは、その腕の中に、死にかけていたリックを抱きかかえていた。彼女自身が殺しかけ、救ってくれと願った。あの時レイナは、その場で彼女を殺さなかった。
殺してやりたいほど憎んでいた。それでもレイナが彼女を生かしたのは、リックを殺さないと知ったからだ。そして、リックが命を懸けて、彼女を救おうとしたのだと察したからである。
あの時のレイナの眼に映ったのは、自分の姿と重なったヴィヴィアンヌの姿だった。レイナ同様に、彼女もまたリックに救われ、その眼に生きる希望を宿していたのである。故に殺せなかった。あの時のヴィヴィアンヌを理解できたのは、レイナしかいなかった。あの時の彼女を守れるのも、レイナだけだった。
「⋯⋯⋯あの時、貴官がいなければ私の命はなかった。私は、貴官にこの身を救われた」
「⋯⋯⋯」
「今の私が在るのは貴官のお陰だ。この恩は生涯忘れない」
ヴィヴィアンヌの言葉に嘘はない。真っ直ぐな眼差しのまま、生涯を懸けてこの恩を返そうとしている、確かな決意が彼女にあった。
「私なんかに、恩を感じる必要なんてない」
「なに⋯⋯⋯?」
「あなたはただ、参謀長を傍で支え続けてくれればいい。救われたその命で、私の代わりに参謀長を救って欲しい」
「⋯⋯⋯!」
レイナにとって彼女は、新たな希望だった。
ヴィヴィアンヌがリックに忠誠を誓った、運命の日。あの日彼女は彼に向かって、「貴方は誰が救う」と問うた。あの時既に、ヴィヴィアンヌは気付いていたのである。地獄の中を彷徨い続け、もがき苦しみ続ける彼を、誰も救う事ができないと⋯⋯⋯。
だからヴィヴィアンヌは、彼を救うと宣言し、絶対の忠誠を誓った。彼を救いたくとも、それができないレイナにとって、彼女は新たな希望だったのである。
嘆き悲しみ、苦しみ絶望するリックを救う事は、レイナにはできなかった。彼女にできたのは、その身を彼のための槍と変え、彼が敵と定めたものを討つ事のみ。だが、人を殺す事しかできない槍では、彼を救えない。しかし、ヴィヴィアンヌならば、彼を救えるかもしれない。
「⋯⋯⋯貴官は、私と同じ志なのだな」
「守りたい思いは同じでも、あなたと違って私は醜い」
「醜いものか。参謀長の御傍には、貴官のような者が相応しい」
そう言ってヴィヴィアンヌは、レイナの前に歩み寄り、彼女との距離を縮めた。お互いの距離が一気に縮まり、容易に手で触れられる近さになる。距離を近付けたヴィヴィアンヌの左眼が、レイナを捉えて離そうとしない。突然近付かれ、真剣な眼差しで見つめられたせいで、恥ずかしさのあまりレイナの頬が少し朱に染まり、彼女は顔を背けようとする。
するとヴィヴィアンヌは、顔を背けようとしたレイナの頬に、両手で優しく触れて、再び自分の方へと顔を向かせた。
「私は閣下を救いたい。貴官もその想いは同じはずだ」
「かっ、顔が近い⋯⋯⋯!」
「私と貴官は、志を同じくする同志だ。これからは、貴官だけがその重荷を背負う必要はない」
「アイゼンリーゼ⋯⋯⋯」
「同志、私のことは名前で呼んで構わない」
「それはいいんだが⋯⋯⋯、少し離れてくれ⋯⋯⋯⋯⋯」
今レイナが陥っている状況は、第三者が見れば間違いなく勘違いされる。突然のヴィヴィアンヌの行動は、とんでもない誤解を生みかねない。ヴィヴィアンヌの顔が近付くだけで、レイナの頬は益々朱に染まっていき、恥ずかしさを隠し切れずにいた。
そんなレイナを間近で見て、ヴィヴィアンヌが少し笑った。
「貴官のことを閣下が大切にする気持ちが、今わかった」
「⋯⋯⋯!?」
「手を貸して欲しい。閣下の命令を実行するには、貴官の力が必要だ」
頬から手を離し、一歩離れたヴィヴィアンヌが、結婚式の準備に協力して欲しいと頼む。気持ちを切り替えるため、軽く咳払いしたレイナは、胸に手をそっと当てて口を開く。
「頼まれなくともそのつもりだった。微力ながら、手伝わさせて欲しい」
「感謝する。それにしても、閣下は何故私にこんな役目を⋯⋯⋯」
「理由を考えてる暇はない。それより今は、式の準備を進めるのが先だ」
「⋯⋯⋯貴官の言う通りだな。早速行動を開始するとしよう」
気持ちを切り替えたヴィヴィアンヌが、結婚式の準備のために動き出す。レイナの横を通り過ぎ、彼女来た道を進んでいく。しかしその途中、彼女は立ち止まり、レイナの方へと振り返った。
「ところでもう一つ、貴官に尋ねたいことがある」
「?」
「貴官を愛でる裏組織があると耳にしたのだが、レイナちゃんファンクラブとは一体なんだ?」
「!!!!」
この瞬間、レイナの顔が苫のように真っ赤に染まった事など、語るまでもない話である。
結婚式まで残された時間は、既に二十四時間を切っていた。だが、絶望的な状況下でも、頼もしき同志を得たヴィヴィアンヌの瞳には、任務遂行への闘志が燃えていたのである。




