第三十六話 衝撃、ウエディング大作戦 Ⅱ
「⋯⋯⋯っで、なんで俺達が様子見に行かなきゃいけないんだよ」
「諦めろ破廉恥剣士。参謀長の命令は絶対だ」
「知るか!戦場ならともかく、こんなのにまで付き合ってられるかよ!」
事件は正午に起こった。
帝国軍最強の盾にして英雄のゴリオンが、なんと結婚する事になったのである。この話は神速の速さで帝国中を駆け巡り、人々を大いに驚かせた。
しかし、この結婚には重大な問題が発生してしまう。なんとゴリオンは、結婚式を明日行ないたいというのである。誕生日パーティーならまだ何とかなるが、結婚式ともなれば相応の準備が必要となってしまう。それを急に、明日式を行ないたいと言われても、無理な話であった。
故にゴリオンはリックに相談し、その訳を話した。訳を聞いたリックは、間に合うかどうかはわからないが、明日の結婚式の準備を進めるべく、早速行動を開始したのである。
まずリックは、ゴリオンの事をよく知っている、信頼できる部下に偵察を命じた。偵察目標は、ゴリオンが結婚する花嫁である。
「レッドフォード隊長、どうか落ち着いて下さい。ミカヅキ隊長の言う通り、参謀長の命令はどんな内容でも絶対です」
「おい恋文女。リックのいつもの無茶振りだからって、諦めるの早すぎだろ」
「⋯⋯⋯考えても見てください。参謀長が命令しなくても、こんな大事件をあの宰相が見逃すはずがありません。どう足掻いたとしても、この結果は避けられませんでした」
「⋯⋯⋯すまねぇ。お前の言う通りだぜ」
「わかっただろ破廉恥剣士。抵抗するだけ無駄だ」
「うるせぇ槍女!お前に言われるのは癪なんだよ!」
偵察を命じられたのは三人だった。
一人は、帝国参謀長の右腕であり、帝国軍の軍神と呼ばれている神速の槍使い。彼女の名は、レイナ・ミカヅキ。燃えるような赤髪が特徴的な、十文字槍の使い手である。
その彼女と互角の力を持つ、帝国参謀長の右腕もまた、花嫁の偵察を命じられた。青年の名は、クリスティアーノ・レッドフォード。親しい者はクリスと呼ぶ。整った顔立ちと金髪が印象的な、神速の剣士である。
レイナとクリスが偵察に選ばれた理由は、ゴリオンが帝国軍にやって来た頃から、彼の事を知っているためだ。しかし二人は、誰もがよく知る犬猿の仲の関係であり、二人だけで行かせるとまた喧嘩を始め、偵察どころではなくなってしまう。
そこでリックは、お目付け役として一人の女性を同行させた。男顔負けの戦闘力を持つ、赤茶色の髪と日に焼けた肌が印象的な女性。彼女の名は、セリーヌ・アングハルト。帝国軍所属の女性兵士である。
「お二人とも、あそこが目的地のようです」
「着いちまったな。聞いてた通り、ガキがいっぱいいやがる」
「この国唯一の孤児院か。こんなところに孤児院があったなんて、今まで知らなかった⋯⋯⋯」
三人がやってきた場所は、ヴァスティナ帝国内に唯一存在する孤児院、「プレシア孤児院」であった。
南ローミリアは大陸全体で見ても、争いの少ない平和な地である。しかし。どんなに平和な国であったとしても、人が死なないわけではない。両親を戦争や病気などで失った、身寄りのない子供達は、この国ではここに預けられる。
三人が辿り着いた孤児院は、例えるなら、二階建ての小さな学校という印象の建物である。子供達が遊べるよう、運動ができる広い庭があり、三人がここへやってくる前から、孤児院の子供達は元気よく遊んでいた。建物と子供達の姿を見て、ここが目的地で間違いないと確信した三人は、ここにいるらしいゴリオンの花嫁を探し始めた。
「参謀長のお話では、孤児院を一人で管理している女性が、ゴリオン隊長の結婚相手だとか⋯⋯⋯」
「ってことは、ガキ以外でここのどっかにいる女が花嫁ってわけか」
「孤児達の世話をたった一人でなんて⋯⋯⋯。一体どんな女性なのか⋯⋯⋯」
プレシア孤児院という名のこの場所は、女性が一人で管理しており、子供達の世話もその女性が一人で行なっている。孤児院には子供が三十人ほどいるのに対し、大人は一人だけなのだ。クリスが言ったように、孤児院の子供以外の大人が花嫁なのは間違いない。
三人は、遊んでいる子供達の周りなどに女性がいないか、辺りを見回して探し始めた。すると、クリスの足下に、子供が遊びに使っていた、布と綿で作られたボールが転がってくる。手作りの子供の玩具だと思い、クリスはそのボールを鷲掴みにした。そこへ、ボールを使っていた子供達が集まってくる。
「ああん?お前らのボールか?」
「「「!」」」
クリスとしては、普通に話しかけたつもりであった。だが彼は、普段から目付きと口が悪い。レイナやアングハルトはともかく、初めて彼に出会う子供達が、その事を知っているはずもない。子供達からすれば、怖いチンピラの目の前に、ボールを転がしてしまったに等しい状況である。やはりと言うべきか、普通に接したつもりのクリスを恐がった子供達は、彼の前で泣き出してしまった。
「うわああん!!」
「あっ、おいコラ!泣くんじゃねぇよガキ共!」
「うわあああん!わああああああああん!!」
「なんで泣き喚きやがる!?畜生、だからガキは苦手なんだよ!」
集まった子供達を泣かせてしまい、どうしていいかわからず慌てるクリス。そんな彼を冷ややかな目で見つめる、レイナとアングハルト。
「レッドフォード隊長⋯⋯⋯」
「それ見た事か。普段の態度を改めないからこういう事になる」
「お前ら、そんな目で俺を見るんじゃねぇ!見てねぇでなんとかしろよ!」
泣いてしまった子供達のお陰で、花嫁を探すどころではなくなった。泣き止まない子供達相手に、クリスは頭を抱えていた。帝国軍最強の剣士も、子供の前では形無しである。
「あらあら、まあまあ⋯⋯⋯」
子供を苦手とするクリスの窮地を救うべく、泣いている子供達のもとに、彼女はやって来た。三人のもとに近付いてきたのは、一人の大人の女性である。その女性は微笑みながら子供達の傍に寄り、ハンカチで涙を優しく拭いてあげたり、頭を撫でてあげたりして、子供達をあやし始めた。
すると、さっきまで泣き喚いていた子供達が、立ち所に泣き止んで、彼女に向けて笑顔を浮かべる。窮地を脱したクリスと、その様子を見ていたレイナとアングハルトが目にしたのは、聖女のような微笑みと、優しさに満ち溢れた母性を感じさせる、美しい女性であった。
「子供達が御迷惑をおかけいたしましたね。あら?貴方方はもしかして⋯⋯⋯」
「おい槍女、まさかこの女が⋯⋯⋯」
「子供達の様子を見るに、間違いないな⋯⋯⋯」
三人が探していた人物は、彼女で間違いない。
ゴリオンの花嫁は、信じられないくらいの美女であった。一体どうやって、女性に全く興味を持っていないだろうゴリオンが、彼女の心を射止めたのか?いや寧ろ、本当に彼女で間違いないのかと、再度疑ってしまう程の相手であった。
「まあまあ、ゴリオン様のお仲間様方ではありませんか。一体どうなされたのですか?」
やはり、間違いではないのだろう。
彼女こそが、ゴリオンが結婚する花嫁なのだ。
軽く事情を話した三人は、「ここで立ち話もなんですから」という厚意を受け、孤児院の中に通された。
三人が通されたのは、孤児院内にあるリビングのような場所であり、ここにも子供達の姿がある。絵を描いたり本を読んだりと、大人しい子供達がここで遊んでいた。子供達から少し離れて、三人はテーブルのある椅子に腰を下ろす。
椅子に座りながら子供達を眺め、女性の事を待っていると、まもなくしてお茶を淹れてきた彼女が現れ、三人の前に紅茶が淹れられたカップを置く。
「どうぞ、ご遠慮なく」
三人と同じように、彼女も椅子に腰を下ろし、自分の紅茶のカップを手に取り、ゆっくりと口を付ける。三人が遠慮しないよう、彼女は自分が最初に紅茶を飲んで見せたのだ。いい香りであるため、三人も出された紅茶に口を付ける。
「美味しい⋯⋯⋯」
「美味いな⋯⋯⋯」
「なんだか、とても落ち着きますね⋯⋯⋯」
「皆さま緊張なさっているようでしたので、香りの落ち着くハーブティーにしてみました。お口に合って何よりです」
取り敢えずお茶を飲み、落ち着いた状況になったため、三人は目的を果たすべく行動を始める。先陣を切ったのはレイナであった。
「単刀直入にお聞きしますが、貴女がゴリオンの結婚相手というのは本当ですか?」
「はい、もちろん本当です。申し遅れましたが、私の名前はユン・シャオです。この孤児院の院長をしています。お気軽にユンとお呼びください」
ユンと名乗ったその女性は、レイナの口から、ここに三人がやって来た経緯の説明を受けた。一通り詳しい説明を受けたユンは、憂いの表情を浮かべて下を向く。説明を聞いた彼女は、全て察したのである。
「すみません、私がゴリオン様にあんな事を言わなければ⋯⋯⋯」
「あんな事⋯⋯⋯?」
「どういう事だよ。ゴリオンの奴が明日式挙げたいって言ってるのは、あんたが関係してるのか?」
「⋯⋯⋯そうですね。貴方方には、私とゴリオン様の関係をお話ししなくてはいけませんね」
今度はユンが順を追って、三人に自分とゴリオンの関係を説明し始めた。
彼女がゴリオンと始めて出会ったのは、旧ラムサスの街での魔物討伐の時である。旧ラムサスの街で大量発生した魔物を掃討するべく、帝国軍は出撃した。この戦いにはゴリオンも従軍しており、大きな戦果を挙げていたのである。
その戦いに、ユンは巻き込まれた。帝国軍が討伐作戦を展開していた丁度その頃、物の買い出しで帝国の外に出ていた彼女は、帰る途中で沢山の魔物に遭遇し、襲われかけた。魔物に襲われそうになっていた彼女を救ったのが、偶然その場に駆け付けたゴリオンだったのである。魔物を全て排除し、ユンの命を救ったゴリオン。その日が、二人の初めての出会いとなった。
戦いの後、ゴリオンはユンと共に帝国に帰還した。ユンを孤児院まで送り、ゴリオンは城へと戻っていった。孤児院まで送り届ける間、ゴリオンはユンの事を色々と知った。彼女が孤児院の院長であり、沢山の子供達の世話をたった一人で行なっている事も、この時知ったのだ。
以来彼は、ほぼ毎日、このプレシア孤児院に足を運ぶようになった。一人、毎日忙しくしているユンのために、子供達の世話を手伝ったのである。ゴリオンは子供達にとても優しかった。子供達は彼の事を大好きになり、家族のようによく懐いたのである。
体が大きく、圧倒的な怪力を持つゴリオンは、戦場で敵兵を恐怖させ、敵の軍勢を薙ぎ倒す怪物のような存在である。だが、敵として戦った兵士達は、本当のゴリオンの姿を知らない。本当の彼は、とても心優しく、誠実な男だ。戦場で戦う時以外は、虫も殺さない。
優しい心を持つゴリオンは、ユンを放ってはおけなかった。優しい彼は、少しでも彼女の助けになれればと、自分が大変な時でさえ、孤児院で彼女を手伝い続けた。
自分が戦場で死にかけ、重傷を負い、何とか帝国に帰還できた時も、怪我をした体を押して手伝いに現れたくらいだ。それがエステラン国との戦いと、ジエーデル国との戦いで、合計二回もあった。体中に包帯を巻いて、明らかに重傷の姿で彼が現れた時は、毎回彼女は驚きのあまり卒倒しかけたのである。
そんなゴリオンの純情で優しい心が、ユンの心を大きく揺り動かした。気が付けば彼女は、彼を心から愛し、傍にいたいと願うようになった。
この時ゴリオンの心にも、特別な感情が芽生え始めていたのである。その感情の正体が「愛」である事に気付いたのは、ユンが彼に告白した時であった。
いつもの様に孤児院へやって来たゴリオンに、自分の気持ちを伝えたユン。気持ちを告げられた時、どうしていいかわからず困惑したゴリオンだったが、自分も彼女を愛しているのだと気付き、告白を受け入れた。こうして、二人は結ばれたのである。それがつい昨日の出来事だった。
問題が起きる原因はここからだ。
昨日の告白の後、お互いの愛を確かめ合ったゴリオンとユン。ユンはゴリオンとの結婚を望み、彼もそれを望んだ。その夜、彼女はゴリオンに対して、ある願いを口にした。彼女の願いとは、結婚式は二日後に挙げたいと言う内容であった。
彼女の言った二日後とは、ゴリオンがリックに相談した次の日の事を指す。彼女がその日に式を挙げたいと願う理由には、ヴァスティナ帝国の前女王が関係している。
「⋯⋯⋯この孤児院は、私と祖母が身寄りのない子供達を救うために造ったものです。孤児院を建てたいと願い出た時、私達に力を貸して下さったのが、前女王ユリーシア様です」
「ユリーシア陛下が、ここを⋯⋯⋯?」
「孤児院を建てるお金も何もなかった私達に、ユリーシア様は救いの手を差し伸べて下さいました。無償で資金を用意して下さり、大工を呼んですぐに孤児院を建てて下さったのです」
「⋯⋯⋯」
「孤児院を建てて下さった後も、ユリーシア様は定期的に寄付をして下さり、困った時は助けてくださいました。明日は、ユリーシア様が孤児院を建てて下さった、忘れられない大切な日なんです」
ユリーシア・ヴァスティナ。
ヴァスティナ帝国を治め、善政を敷いた心優しき女王。誰かが救いを求めれば、必ず手を差し伸べる、女神のような少女。今は亡き、帝国の前女王である。
ユンはゴリオンに、式を挙げるならば、彼女にとって忘れられない大切な日に挙げたいという、その想いをゴリオンに口にした。勿論、無理も無茶も承知であったため、願うだけに止めていた。だから彼女はゴリオンにも、「もし、その日に挙げられるなら嬉しい⋯⋯⋯」と、それ位の願いのつもりで口にしただけである。
だがしかし、ゴリオンは心優しい真面目な男であった。ユンが本気でなかったとしても、その願いを絶対に叶えなければと、全力を尽くそうとする男である。
彼は一晩考え、どうすべきか自分なりに考え尽くした。それでも良い案が浮かばなかったため、リックに相談したのである。
「でもまさか、ゴリオン様が私の我儘な願いを叶えようとしているなんて⋯⋯⋯。皆様には、何と御詫びしてよいのか⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯ったく、馬鹿真面目なんだよなあいつ。どっかの脳筋槍使いといい勝負だぜ」
「おい破廉恥剣士。貴様、誰の事を言っている?」
「お二人共、喧嘩はやめて下さい。孤児院に迷惑がかかってしまいます」
事の経緯を知った三人。今回の騒動は、愛する者の願いを叶えたいという、ゴリオンの優しさと真面目さが原因だった。そしてこれは、ゴリオンがユンの事を、本気で愛している証でもある。
「ああ、女神ジャンヌ様。罪深き我が身をお許し下さい⋯⋯⋯」
胸元で十字を切ったユンは、手を合わせて祈りを始めた。自分の不用意な発言で、大勢を巻き込む騒ぎが起きてしまった事への、許しを求めているのだ。
「グラーフ教の祈り⋯⋯⋯」
「お前、グラーフ教の信者なのかよ?」
「⋯⋯⋯はい。この地方では珍しいと思いますが、私の家は代々グラーフ教を信奉してきました。この孤児院では、子供達が平和を愛する心優しき大人になれるよう、グラーフ教の教えを学ばせています」
レイナ達三人は、ユンの祈りがグラーフ教のものであると知っている。三人はグラーフ教の信者ではないが、街などで信者の姿を見た事があった。ローミリア大陸内の絶対的宗教であるため、信者を見かける機会は多いのである。
「まったく⋯⋯⋯、シャオの姓のくせに平和主義者だとはな」
「えっ?」
「惚けんな。ユン・シャオって言ったよな?シャオって言ったらお前、伝説の六剣の一人だろうが」
千年前、ローミリア大陸を魔物から救ったという、伝説の六剣士。大陸最強の剣士を目指しているクリスは、六剣士達の姓を知っている。六剣士の姓を名乗る彼女が、本当にそれなのか確認しようとしているのだ。
「破廉恥剣士、それは本当なのか?」
「しかしレッドフォード隊長、彼女は⋯⋯⋯」
「わかってる、この女からは強さを感じねぇ。剣なんか持ったこともなさそうだ」
自分の姓についてを問われたユンは、祈りを解き、クリスへと視線を向ける。嘘をつく気のない真っ直ぐな瞳で、彼女は口を開いた。
「間違いありません。私は伝説の六剣、風の剣士ジン・シャオの血を引いています」
「やっぱりな。それで、剣は使えねぇのか?」
「お察しの通りです。風属性の魔法が少し使える程度で、剣は使った事もありません。あっ、でも私、包丁の扱いは得意です」
「⋯⋯⋯そうか」
ユンは伝説の六剣の末裔の一人。だが彼女は、風の剣士の血を引いてはいても、剣士ではなかった。
その事実はクリスを落胆させる。彼はそれ以上何も言わず、頬杖をついて黙ってしまった。レイナとアングハルトは、望みを叶えられなかったクリスの気持ちを察し、彼に声をかけようとしない。
「「えい!」」
「んなっ!?」
誰も彼に声をかけなかったが、ちょっかいをかける者は二人いた。椅子に座ったクリスに突然飛びかかる、二人の子供。四歳か五歳くらいの男の子が、いきなりクリスに襲い掛かり、椅子ごと彼を床に倒したのである。
「っ⋯⋯⋯!いきなりなにすんだこの野郎!?」
「うっさい!お母さんをいじめるな!」
「そうだそうだ!お母さんをいじめるなら、オレたちがこらしめてやる!」
「はあ!?俺がいつこの女を虐めたってんだ!調子乗るんじゃねぇぞガキ共!!」
「破廉恥剣士、子供相手にムキになるな。すぐ怒り出すのがお前の悪い癖だぞ」
「うっせえ!酒癖の悪い脳筋白下着なんかに悪い癖とか言われたくねぇんだよ!!」
「!!」
瞬間、目にも止まらぬ速さで動いたレイナは、神速の速さでクリスのもとに急接近し、怒鳴りながら立ち上がっていた彼の懐に飛び込む。言ってはならない禁句を口にしてしまったと、気付いた時には全てが手遅れである。レイナの必殺の神速の拳が、クリスの顔面に直撃した。
一発だけでは終わらない。追加でボディに三発叩き込み、強烈なアッパーカットまでお見舞いし、地面に倒れた彼の体を、容赦なく蹴り続けたのである。情けのない冷酷なる暴力が振るわれ、これでもかというくらいぼこぼこにされたクリス。ユンもアングハルトも、子供達も、ブチ切れ状態のレイナに恐怖していた。
「破廉恥がっ!!」
クリスをぼろ雑巾になるまでぼこぼこにした事で、レイナの怒りはどうにか収まった。レイナへの恐怖で緊張が流れるこの空気を変えるため、アングハルトがユンへと話題を振った。
「とっ、ところでユンさん。子供達はあなたをお母さんと呼んでいるようですが⋯⋯⋯」
「えっ⋯⋯⋯、ええそうです。強制しているわけではないのですが、子供達は私を母と思い、そう呼んでくれています」
「これだけの子供達の母役を、たった一人でなんて⋯⋯⋯。そう言えば先ほど、祖母と一緒にここを造ったと言っておりましたが⋯⋯⋯」
「祖母は去年天に召されました。祖母が亡くなってからは、孤児院は私一人で管理しています」
元々、プレシア孤児院はユンと祖母の二人で管理し、初めは子供達も十人くらいしかいなかった。しかし、彼女の祖母がこの世を去った事で、ユンは一人になってしまい、その頃には子供達も人数が増えていた。
それでも彼女は、今日まで子供達を大切に育てた。子供達を愛し、子供達を守り、子供達のために尽くし続けた。そんな女性だからこそ、子供達はユンを母と呼ぶ。
「ユンさん、あなたは素晴らしい女性です。子供達があなたを母と呼ぶ気持ち、私にもわかります」
「アングハルトさん⋯⋯⋯」
「あなたは幸せになるべきです。明日の結婚式は、私達が全て間に合わせます」
「でもそんな、皆様にご迷惑が⋯⋯⋯」
「帝国参謀長はゴリオン隊長の願いを聞き届け、明日式が挙げられるよう行動を開始しています。大切な日に式が挙げられるよう、全力を尽くしましょう」
ゴリオンの願い通り、明日結婚式は挙げられる。そのための準備は、既に始まっているのだ。三人がここへ偵察に来たのも、準備の一環である。彼女がどんな人物で、どんな式を望んでいるのか、それを確かめようとやってきたのである。
「それでユンさん。聞けば、ゴリオン隊長に結婚式の相談をしたそうですね」
「ええ。もし叶うならば、こんな式を挙げてみたいと⋯⋯⋯」
「私達はまだどんな内容か知らされていませんが、どうやらゴリオン隊長はあなたの願いを絶対に叶えるつもりのようです」
「どうしましょう⋯⋯⋯。私はまた、余計なことを願ってしまいました⋯⋯⋯」
「?」
てっきり、ユンが嬉しがると思っていたアングハルトだが、彼女の反応は、嬉しがるどころか困り果てていた。理由がわからないアングハルト向かって、困惑しているユンはその理由を語り始めた。
「私は、豪華で盛大な結婚式を挙げるのが夢なんです」
「豪華で盛大というと?」
「場所はお城で――――――――」
「お城⋯⋯⋯」
「美しい純白のドレスを着て――――――」
「純白のドレス⋯⋯⋯」
「愛する人と永遠の愛を誓い―――――――――」
「永遠の愛⋯⋯⋯」
「大きなケーキと、子供達がお腹いっぱい食べられる豪華な料理があって―――――――」
「ケーキと料理⋯⋯⋯」
「歌や踊りや芸で盛り上がって、たくさんの人達に祝福されて――――――――」
「⋯⋯⋯」
「そんな、一生の思い出になる夢のような結婚式を挙げたいと、ゴリオン様に言ってしまいました⋯⋯⋯」
理由を全て理解したアングハルトは、ユンから視線を外し、レイナの方へ視線を移す。見れば彼女は、今のアングハルトと同じ表情をしていた。例えるならばそれは、敵の圧倒的大軍の前に絶望する兵士と同じ表情⋯⋯⋯。
タイムリミットは二十四時間を切っている。残された時間内で、ユンが望んだ、豪華で盛大な結婚式を用意しなくてはならない。
激戦を潜り抜けてきた彼女達が、これまで経験した事のない、「不可能任務」。既に、勝算無き戦いは始まっている。




