第三十二話 悪夢の終わりと、彼女の望み Ⅶ
生死の境を彷徨い、使った薬の副作用に苦しみながら眠り続けたリックは、ようやく目覚めた。
彼の目覚めを知り、急いで彼の寝室に駆け付けた仲間達が見たものは、まだ残る熱や痛みに苦しみながらも、長き眠りから目を覚ました、愛する男の姿。
イヴも、シャランドラも、アングハルトも、目覚めた彼の傍に駆け寄り、涙を流しながら抱き付いた。レイナとクリスも、彼の目覚めに安堵の息を吐き、目覚めた彼の傍に寄り添った。彼の目覚めを聞き付け、自分の仕事を全て放り出し、寝室に突撃する勢いで駆け付けたリンドウなど、勢い付けて彼のベッドに飛び込み、その体を思いっきり抱きしめて、彼の胸で声も殺さず大泣きした。
誰もが彼の目覚めを喜んだ。嬉しさのあまり、涙が溢れて止まらなかった。リックが目覚めたその日は、暫く寝室から泣き声が止まず、城内の全ての者達も彼の目覚めを知って歓喜し、城中が大騒ぎとなったのである。
それから数日が経ち、どうにか体を起こすまでに回復し、イヴやリンドウの看病を受けながら、リックはノイチゴ特製の薬による治療を受け続けている。目覚める事はできたが、依然彼を苦しめる副作用は消えていない。完全に体が治るまでには、まだまだ時間が必要なのである。
毎日、熱や痛み、寒気や吐き気と戦いながら、リックは体の回復に努めた。そんな彼のもとに、予想ができていた知らせがやってくる。その知らせとは、今も尚牢獄に捕らわれたままの、ヴィヴィアンヌに関する知らせであった。
ヴァスティナ城、謁見の間。
広い空間に置かれた玉座に腰を下ろす、幼き少女の姿。漆黒のドレスに身を包む、長い黒髪のその少女の名は、アンジェリカ・ヴァスティナ。ヴァスティナ帝国を支配する、帝国の現女王である。
女王の傍には、帝国宰相リリカと、帝国メイド部隊フラワー部隊を率いる、メイド長ウルスラの姿があった。さらには、帝国女王を守護する、フラワー部隊最強の五人である、リンドウ、ラフレシア・ノイチゴ・アマリリス・ラベンダーの姿もあった。
メイド部隊の者達だけでなく、帝国軍幹部達の姿もここにある。槍士レイナと剣士クリスに加え、発明家シャランドラと狙撃手イヴだけでなく、女性兵士アングハルトの姿もあった。
メイド部隊の面々も、帝国軍の面々も、全員武装している。謁見の間は、張り詰めた緊張感に支配されていた。緊張状態の中、全員が武装している理由は、アンジェリカが彼女との面会を求めたからである。
「貴様が話に聞く、情報局の番犬か」
「・・・・・・・」
女王アンジェリカが面会を求めた相手。それは、アーレンツ国家保安情報局大尉、ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼであった。帝国軍最強の二人であるレイナとクリスを、同時に相手にして倒してしまえる程の、危険な存在である。そんな彼女と話をするともなれば、全員が完全武装で警戒するのも当然であった。
女王に危害が及ばぬよう、彼女の両手にはやはり手枷が嵌められている。彼女の両側にはレイナとクリスが立ち、万が一が起きないよう警戒していた。
「それで・・・・・、無謀にもこの番犬に貴様は挑み、殺されかけ、救われたというわけか」
「その通りです、女王陛下」
そしてこの場には、ヴィヴィアンヌの身を案じ、自分の体に鞭打って出席したリックの姿がある。彼はまだ、自分で歩く事すら出来ないため、車椅子に座り、ここまで連れてきてもらったのだ。
「アイゼンリーゼと言ったな。リリカから話は聞いている」
「・・・・・・」
「貴様は捕虜として扱っているが、アーレンツへ戻りたいと願うか?」
アーレンツは彼女の祖国であり、彼女の生まれ育った国だ。帰りたいと願っても不思議ではない。
だが彼女は、無言のまま首を横に振った。
「私はあの国が嫌いだ。戻りたいとは思わない」
生まれ育った国で、ヴィヴィアンヌは両親を失い、祖国に忠誠を誓う兵士として生きた。アーレンツは彼女にとって、帰るべき国ではなく、憎むべき国なのである。戻りたいと願うはずもなかった。
「リリカの願いで、貴様を解放すると決めた。貴様は自由の身だ」
「・・・・・!」
この言葉にはヴィヴィアンヌだけでなく、謁見の間にいるアンジェリカとリリカ以外の全員を驚愕させた。この場には、ヴィヴィアンヌを殺したいほど憎んでいる者もいる。処刑するでもなく、捕らえたままにするわけでもなく、このまま解放しようというのだ。驚くのも当然だった。
「何故だ・・・・?戦争の原因を生み出したこの私を、何故生かす・・・・・?」
「戦いは帝国の勝利で終わっている。最早貴様には何の価値もない」
「私が憎くはないのか・・・・・?」
「私を他の者達と一緒にするな。その男が死にかけたのは自業自得だ。憎しみなど抱くものか」
今回の戦争の始まりと終わり。リリカは自分の知り得る事を全て、女王であるアンジェリカに話した後、ヴィヴィアンヌの処遇について、寛大な措置を求めた。ヴィヴィアンヌがどういう人物かを教え、彼女がもう危険ではない事も伝え、牢獄に捕らえ続けるのも不要だと話したのである。
リリカがアンジェリカに対し、真面目な話で、このような我儘な願いを口にする事はなかった。これは珍しい事であり、だからこそアンジェリカは、ヴィヴィアンヌに興味を持ち、彼女と直接会うのを望んだ。
実際に会ってみて、少し話をしてみて、アンジェリカは気付く。祖国のためにその身を捧げ続けたという、目の前の眼帯の少女は、不器用な生き方しか選べない、自分と似た存在なのだと・・・・・・。
「ミカヅキ、レッドフォード。アイゼンリーゼの手枷を外せ」
「おい不機嫌女王!!こいつがどんだけ危険かわかってんのか!?」
「反論は許さん。早く外してやれ」
「ちっ!どうなっても知らねぇぞ!」
命令のままに、レイナとクリスは彼女の手枷を外した。最早彼女に手枷など不要だと考えるレイナはいいが、女王の命令を受けて、一気に不機嫌になったクリスは、手枷からも解放されたヴィヴィアンヌを一層強く警戒する。少しでも彼女が不穏な動きを見せれば、即座に剣で首を刎ねる構えだ。
「それより貴様。普段私を不機嫌女王などと呼んでいるのか?」
「!!」
「後で私の執務室に来い。じっくり話を聞かせて貰う」
少女のものとは思えない、人を殺せそうなほどの鋭い視線が、クリス一人に突き刺さる。勢い余って、余計な事を口走ってしまったために、彼はお説教確定となった。アンジェリカの前では、口は災いの元である。
地雷を踏んだクリスはともかく、手枷を外して彼女を自由にした事で、一層警戒と殺気を強めた者達がいた。彼女達もまた、ヴィヴィアンヌが誰かに襲い掛かろうとした瞬間、彼女を殺す構えである。場の空気は殺気に満ち、緊張感は極限まで高まった。この状況を作り出した張本人アンジェリカは、皆に構わずヴィヴィアンヌへと口を開く。
「これで貴様は自由だ。好きなようにするがいい」
「・・・・・・」
突然の解放に困惑し、自由を手に入れたにも関わらず、ヴィヴィアンヌは立ち尽くしたままだった。そんな彼女に、車椅子を押したリックが近付いていく。彼女の目の前で車椅子を止め、微笑みを浮かべて彼は口を開いた。
「良かったな、ヴィヴィアンヌ。もうお前は自由なんだ」
「リクトビア・・・・・」
「自分の過去にも、アーレンツにも囚われる事はない。これからのお前には、自由な生き方が広がってる」
まるで自分の事のように、心から彼女の自由を祝福するリック。戦場で殺し合ったのが嘘のように、ヴィヴィアンヌを憎みもせず、温かな笑顔で祝福する。
あの時リックは、ヴィヴィアンヌを救えなかった。彼女を救いたいと願ったが、最後の最後で引き金を引くのを躊躇ったからである。だからこそ、自由となった彼女を祝福している。
これから先、過去を背負いながら生きるのは辛いだろう。だが、これから先を自由に生き、争いや血を見る事のない世界で生きて行ければ、きっと彼女は救われる。そう信じて、リックは彼女を自由な世界を送り出そうとしていた。
「アーレンツには戻らないんだろう?帝国には居ずらいだろうから、帝国の周辺諸国で平和に暮らしたらいい」
「・・・・・」
「ネルス国とかハーロン国もいいかもしれない。チャルコ国で暮らしたいって言うなら、俺からシルフィ姫に頼んでやる。どこか行きたい国はあるか?」
これからの人生に幸福があるよう、リックはアーレンツ以外の国で暮らすよう勧める。アーレンツに戻るのは辛いだろうし、あの国は今後の帝国軍の重要拠点となる、平和とは程遠い場所だ。愛国者としての自分。兵士としての自分。人殺しとしての自分。それらを忘れ、幸福な人生を歩んでいくためには、彼女の傍に戦争があってはいけない。
「平和な国に住んで、いい男と結婚して、子供を作って、幸せな家庭を築け。そしたらきっと、お前の人生はこの先ずっと明るくなるさ」
「・・・・・・」
「もしかして、いい男と結婚できるか不安なのか?大丈夫だって!誰が見たってお前は美少女なんだから、絶対モテる!帝国一の変態と呼ばれた俺を信じろ!」
何もかもを忘れて、人生をやり直す。自分を人ではなく化け物と変え、失ってしまった時間はもう戻っては来ない。この世で生きる事に、十分過ぎるほど苦しんだのだから、せめて残りの人生だけは幸福であって欲しい。
自分が幸福でなくても、彼女が幸福であればそれでいい。そう考えているリックの優しい願いは、ヴィヴィアンヌにも伝わっている。死闘を演じて傷付き、体中に包帯を巻かれ、車椅子に腰を下ろしている彼は、こんな体になってまで、彼女の事を優先しようとしていた。
だが彼女は、そんな幸せなど望んではいない。
「リクトビア・・・・・、私は貴方に救われた」
沈黙を続けていた彼女は、目の前にいるリックを真っ直ぐ見つめ、ようやく口を開いた。
彼女の言葉に驚き、言葉が止まってしまうリック。驚きのあまり口が開いたままとなっているが、ヴィヴィアンヌは構わず言葉を続ける。
「あの戦いで、貴方は私を殺そうとした。それは全部、私を生という地獄から解放するためだった」
「・・・・・・」
「今もそうだ。貴方は私を救おうとしてくれている。これまで救ってきた者達と同じように」
「違う。俺は誰も救えてなんかいない・・・・・」
「貴方がそう思っていても、私は違う。だからこそ教えて欲しい」
例えリクトビアがそう思わなくとも、彼との戦いと、彼の言葉は、ヴィヴィアンヌに救いをもたらした。もう十分救われているのだ。これ以上の救いは必要ない。
だからこそ、彼女はこう問わずにはいられない。
「リクトビア・・・・・、貴方は誰が救う?」
「!!」
自分を傷付け命を削り、大切な存在を守り救ってきた。そんな彼を、救えるのは一体誰か?
かけがえのなかった愛する者達を失い、一度は絶望の底に沈んだリックの心。彼の心を癒し、救える存在はもうこの世にはいない。それなのにリックは、自ら犠牲にし続け、自分ではなく他者を救おうとし続けている。
ならば、そんな彼を誰が救う?己の手を血に染める事を厭わず、自分を殺していく彼には救いが必要だ。でなければ彼も、いずれは心を失い人ではなくなってしまう。心を失った化け物となれば、それは以前の彼女と同じだ。
それならば、この男が心を失いそうになった時、彼の救いとなればいい。
「今度は私が、貴方を救う番だ」
言葉を終え、突然その場で片膝を付いたヴィヴィアンヌは、リックの目の前で頭を下げ、騎士が行なう臣下の礼をやって見せた。リックを含む、多くの者達が驚愕する中、彼女は片膝を付いたままの姿勢で、真剣な眼光とともに頭を上げる。
頭を上げた彼女からは、真っ直ぐで純粋な心が表れていた。野心や企みのない、曇りなき眼でリックを見つめるヴィヴィアンヌは、自由で幸福な未来を捨て、決意と共に自分の願いを口にする。
アーレンツが生み出した化け物。情報局の番犬ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼは、今この瞬間より生まれ変わり、新たな人生を歩んでいくのである。
「リクトビア・フローレンス参謀長閣下。貴方に救われたこの命は、貴方のために使いたい」
リックを想う、多くの者達を苦しめた悪夢は、彼の目覚めと共に終わりを迎えた。悪夢から覚め、彼の目覚めに涙した者達には、彼と共に生きる、いつもの幸福な時間が還ってくるだろう。
そして、リックが救った少女ヴィヴィアンヌは、彼と共に生きる事を望んだ。彼の歩む道を共に歩き、彼の傍に寄り添い続け、彼を救い守り続けるために・・・・・・。
そのために、人生をこの男へと捧げる。帝国が目指す大きな戦争に、彼女もまたその身を投じると決めたのだった。




