第三十一話 幕を引く銃声 Ⅶ
日は沈んでいき、時刻は夕暮れとなった。
戦闘の音は少なくなり、戦争は着実に終結へと向かっていく。多くの血が流され、かつてない激戦が行なわれたこの戦いを、両軍の兵士達は死ぬまで忘れないだろう。彼らの頭と体に記憶として刻み付けられた、激しい戦争であった。
アーレンツの兵士達の多くは、政治総本部の命令を受けて、帝国軍に降伏していった。降伏を拒否し、徹底抗戦の構えを見せた部隊もいたが、それらは確実に駆逐されていった。降伏を拒否した部隊の中には、国外へと逃亡した者達もいたが、それらの追撃は後回しとなり、手の空いている兵士は全員、帝国参謀長捜索を命じられたのである。
捕らえられていたはずの特別収容所は、蛻の殻であった。多くの帝国軍兵士がアーレンツ国内を捜索したが、彼を発見できなかった。誰もが最悪の事態を想像し、誰もが焦っていた。何としてでも彼を見つけ出そうと、皆が血眼になっていた中、ようやく彼は発見された。
ただ、それは発見されたというよりも、運ばれてきたと言う方が正しかったかもしれない。
「・・・・・・」
ぼろぼろになった黒軍服を身に纏い、右眼を黒い眼帯で隠す、黒髪の少女。その特徴的な容姿を、見間違うはずがない。帝国参謀長を攫った張本人が、彼を抱きかかえ、帝国軍の陣地を目指して向かっていく。その少女は間違いなく、帝国軍の宿敵ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼであった。
彼女は両腕でリックを抱きかかえ、帝国軍の陣地を目指し、無言で歩いていた。兵士達は彼女を警戒し、一定の距離を取りながら彼女の周りを取り囲むが、何も手を出せずにいる。彼女がリックを抱きかかえている以上、彼の命はヴィヴィアンヌが握っているからだ。
「参謀長!!」
真っ直ぐ帝国軍陣地へ向かっていた彼女の前に、二人の人物が現れる。彼を参謀長と呼んだのは、帝国軍師ミュセイラ・ヴァルトハイムであった。そしてもう一人の人物は、気絶させられ後方陣地に運ばれていた、槍士レイナ・ミカヅキである。
彼女達は兵士からの報告を聞き、慌ててヴィヴィアンヌの前にやって来た。全ては、急いでリックの無事を確かめるための行動である。そして、ヴィヴィアンヌに抱きかかえられたままの彼の姿に、二人は言葉を失った。死んでいてもおかしくはない、重傷を負った酷い姿であったからだ。
「リクトビアは・・・・・、まだ生きている」
「!!」
二人に出会った事で、彼女はやっと口を開いた。その言葉に嘘はなく、確かにリックは小さな呼吸を行なっている。しかし、直ぐに治療が必要なのは、誰の眼から見ても明らかであった。放っておけば、辛うじて行なっているその呼吸すら、いずれ止まってしまう。
「ミュセイラ・ヴァルトハイムだな。貴様の魔法を使えば、この男を助けられる・・・・・・」
「貴女、私の魔法を知って・・・・・!?ですけど、私の回復魔法は・・・・・!」
「代償の事は知っている。だが放っておけば、この男は死ぬ」
手に入れた薬を自分に使う事で、出血を止め、無理やり体を動かして、彼女はリックをここまで運んできた。彼女の目的は、ミュセイラの使う回復魔法である。回復の代償として、相手の寿命を奪ってしまう、使用を控えるべき魔法ではあるが、今はこれしか救う手立てがない。
「頼む・・・・・、リクトビアを救ってくれ」
ただ純粋に、彼を助けたいと願うその言葉。予想外の事態の数々に、思考が追い付いていないミュセイラだったが、ヴィヴィアンヌの願いと言葉を信じて、彼女は決心した。
「わかりましたの。参謀長は、私が治療致しますわ」
彼女は兵を数人呼び、彼らと一緒にヴィヴィアンヌからリックを受け取って、大急ぎで後方陣地へと彼を運んでいった。ミュセイラも兵士達も、一刻も早く彼を助けたいと願っている。運ばれていくリックを心配し、彼女達の後を追っていく兵士達は大勢いた。
そして、再びこの場には静寂が訪れる。リックを手放し、警戒する兵士達に囲まれたままのヴィヴィアンヌ。力なく立ち尽くす彼女の眼前には、レイナの姿がった。
先ほどまでは烈火の如く怒り、冷静さを失っていたレイナだが、気絶から目覚めた事で落ち着きを取り戻し、今に至る。この場に残った兵士達は、二人の対峙を固唾を呑んで見守っていた。レイナからすれば彼女は、絶対に討つと誓っていた宿敵なのである。
だがその宿敵は、リックを助けようとした。次に出会うのは戦場で、自分の命を懸けて戦う事になると、そう思っていた相手は今、無防備な状態で立ち尽くしている。武器を持たず、リック同様に傷付き、その眼からは完全に戦意を失っていた。
「どういうつもりだ・・・・・」
彼女の言葉には、憤怒と殺意があった。怒りの炎を燃え上がらせ、レイナは彼女に問う。
レイナが纏う空気を感じ取りつつも、ヴィヴィアンヌは一切動じない。構える事も逃げる事もなく、ただ彼女は答えた。
「わからない・・・・・。どうしてあの男を助けたのか、私にもわからない・・・・・」
ヴィヴィアンヌの眼からは戦意も殺意も消えていた。代わりにその眼にあったのは、迷いと不安。そして、希望を得た微かな光だった。
「貴様もまた、参謀長に救われたのだな・・・・・・・」
「・・・・・・」
「ならば、参謀長が瀕死の重傷を負ってしまったのは、貴様のためか」
「・・・・・・その通りだ」
その問いに彼女が答えた瞬間、レイナはヴィヴィアンヌの頬を拳で殴った。その拳には、レイナの抱く全ての感情が込められていた。怒り、殺意、悲しみ、憎しみなど、言葉では語り尽くせない。彼女の全ての想いがのった、ヴィヴィアンヌの心に響く拳であった。
「どんな理由であれ、参謀長を傷付けた事を許しはしない・・・・・」
「・・・・・・殺さないのか」
「貴様にはもう、殺す価値がない」
「そうか・・・・・・」
レイナが初めて遭遇したヴィヴィアンヌとは、最早別人であった。激しく燃え上がる炎のような存在であった彼女の姿は、何処かに失われてしまった。今の彼女は、自分の生き方を忘れてしまったような、そんな様子である。ヴィヴィアンヌはもう、レイナの倒すべき敵ではない。
憤怒していたレイナが、ここまで落ち着いていられたのは、今の彼女の姿が自分自身と重なったからだ。迷いと不安を抱き、深い悲しみと絶望の中でもがき苦しむ、弱い己の姿と似ていたのである。
だからこそレイナは、この場の誰よりも、今のヴィヴィアンヌを理解する事ができた。
「真の意味で、この戦争は終わった。貴様の怪我も手当てしよう」
「・・・・・・!?」
「あの方を傷付けた罪は生きて償え。ここで死ぬ事は、私が許さない」
「・・・・・・わかった」
ヴィヴィアンヌに背を向けたレイナもまた、後方陣地を目指して歩いていく。大人しく従ったヴィヴィアンヌは、彼女の背中に続いていった。
驚愕し、どうしていいか分からなくなっている兵士達を残し、彼女達はこの場を後にした。兵士達が動揺するのも無理はない話だが、既にヴィヴィアンヌは戦う理由も気力も失っている。番犬と呼ばれていた彼女の姿は今はなく、そこにいたのは、何もかもに疲れ果てた、悲しき少女だけだった。
彼女の戦いは終わった。大丈夫であるとわかっているからこそ、レイナは彼女を拘束すらしない。ヴィヴィアンヌを憎んでいるはずのレイナが、宿敵であった彼女の面倒を見ようとしているのは、どうしても放っておけなかったからだ。
「リクトビア・・・・・・」
レイナの背中に続いていくヴィヴィアンヌは、小さな声で彼の名を口にした。
その声を聞いたレイナは、彼女もまた自分と同じように、彼に救われた存在なのだと改めて知る。だが同時に、彼がその優しさで、誰かを救おうと己を傷付けてしまう事が、これ以上堪えられない。だからこれ以上、自分を傷付けないで・・・・・・。
そう願わずにはいられなかった。
後に、「アーレンツ攻防戦」と呼ばれ語り継がれる事になる、帝国の命運を懸けた戦いは、こうして終結した。この瞬間、また一つローミリア大陸の地図は書き換えられ、南ローミリアの盟主ヴァスティナ帝国は、大陸全土の武力統一に、新たな一歩踏み出そうとしていたのである。
しかし、その一歩を踏み出す事は、「帝国の狂犬」なくして不可能であった・・・・・・。




