第三十話 嘆きのヴィヴィアンヌ Ⅵ
ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼ。
私をそう名付けた二人の人間は、私がこの手で殺した。それが私に与えられた命令であり、祖国に忠誠を誓う私の責務だったからだ。
「アイゼンリーゼ少尉。貴様の任務は、国家反逆を企てたこの二人の処刑だ」
「はっ!」
「処刑対象は貴様の父親と母親だが、だからと言って躊躇いは許さんぞ?」
「御心配には及びません。例え私の親であろうと、祖国を裏切った罪は万死に値します。躊躇う理由など存在致しません」
あの日の出来事は、今でもよく覚えている。私の前に膝を付かされた両親。右手に持たされたナイフの感触。血の匂いが残る処刑部屋。そして、下卑た眼をして笑みを浮かべる、ルドルフ・グリュンタール。
「素晴らしい心掛けだ。それでこそ、祖国に忠誠を誓う愛国者の鏡と呼べるだろう」
「ありがとう御座います、同志中佐」
「娘は立派な愛国者に育ったというのに、この二人は祖国を裏切った。少尉は何も罪を犯していないが、アイゼンリーゼ家の血を引く以上、貴様にも責任が伴う。それは理解しているな?」
「はい」
当時、情報局中佐であったルドルフは、私に「血染めの夜」の始末を付けさせようとしていた。この男は、私に二人を殺させようと工作し、両親を処刑させる舞台を用意した。これも全て、この男が愉悦を得るための仕込み・・・・・。
私が親を殺す瞬間を、この男は舌なめずりして楽しみにしていた。自分の持つ力と権力を使い、アーレンツという彼の玩具箱の中で、人間が苦しみ壊れていく様を見物するのが、この男にとっての愉悦。私もまた、ルドルフの玩具の一つに過ぎなかった。
「おい、反逆者共。お前達の犯した罪は、お前達の娘が代わりに責任を取ってくれるんだぞ?何か言い残す事はないのか?」
「ルドルフ、貴様・・・・・・!」
「約束は守ってもらうわよ・・・・・。私達はどうなってもいいから、ヴィヴィには手を出さないで」
「娘のために健気なものだな。クーデターなど計画しなければ、この娘を危険に晒す事などなかったというのに。どうしようもなく身勝手な馬鹿共め」
ルドルフの言う通り、二人は身勝手だった。祖国を裏切れば、こうなる事は容易に想像できたはずなのに、私の両親はクーデターを計画していた。結果はこの通り、クーデター計画は未然に阻止され、計画に加わった者達は全員処刑された。そして今、私の手でこの計画の首謀者の始末を付ければ、全て終わりだ。
ルドルフの愉悦のためによる工作が無ければ、今頃私も殺される側だった。運よく私は殺す側となり、命拾いしたと言える。この二人さえいなければよかったのだ。私がこんな目に遭ったのも、全てこの二人のせいだ。
「ヴィヴィ・・・・・、すまなかった」
「ごめんなさいヴィヴィ。私達は、あなたを救う事ができなかった・・・・・」
謝るな!何が救う事ができなかっただ!?身勝手な反逆者共め!!
お前達のせいで全てが狂った。お前達は私を救おうとしたんじゃなく、苦しめようとしていたんだ。だから私は、今もお前達に苦しめられ続けている・・・・・!
お前達は私の何を救うつもりだった!?国家転覆を図る事が、どうして私を救う事に繋がると言うんだ!?どうしてお前達は、これから私の手で殺されるというのに、満足気になって微笑んでいるんだ!?
「別れの言葉はそれだけか?」
「ああ・・・・・」
「ヴィヴィ、愛しているわ・・・・・・」
私を・・・・・、私をヴィヴィと呼ぶな!!そう呼んでいいのは、祖国に忠誠を誓う優秀な情報局員であった、私の父様と母様だけだ!!
「アイゼンリーゼ少尉、刑を執行せよ」
「はっ!!」
あの時に握りしめていたナイフの感触は、今でも忘れられない。振り下ろしたナイフでまずは父親を、次に母親を刺し殺した。
何度も何度も何度も何度も・・・・・・、二人の体中にナイフを突き立て、返り血で自分の手も服も真っ赤に染まるまで、ナイフを刺し続けた。その時鼻の中を通った生臭い鉄の臭いは、どうやっても忘れられなかった。
「死ねっ!!祖国を裏切った反逆者共!!愛すべき我が祖国の制裁を受けるがいい!!!」
激昂しながら叫び続け、夢中になって両親を殺す私の姿を、ルドルフは笑みを浮かべて眺めていた。愉悦に浸ったその邪悪な笑みも、私ははっきりと覚えている。
だが、あの時の私は、ルドルフの事などどうでもよかった。ただ、目の前に血まみれとなって横たわった私の両親だったものを、目の前から消し去ってしまいたかった。自分の両親だったとわからなくなるくらい、滅茶苦茶にしてしまいたかった。
「ふはははははははははっ!!おめでとう、同志少尉!これで君は正真正銘の愛国者だ!!」
私は、反逆者であった両親を殺した。祖国への忠誠を証明する事ができた私は、この後今まで通り情報局局員として祖国のために働いた。私は数々の任務を遂行し、祖国への忠誠を示し続けた。後に番犬という異名が付けられる頃には、私を「裏切り者の娘」と呼ぶ者は誰一人としていなくなっていた。
「死ね死ね死ねっ!!死んでしまえええええええええええっ!!!!」
私は正しかった。何も間違った事はしていない。
親を殺して何が悪い。私の親は間違いを犯した。だから殺した。殺さなければ私も死んでいた。こうなったのも全て、私の両親のせいだ。
いや・・・・・、違う。
何が悪かったのか、何が間違っていたのか、私はもう気付いている。
悪いのは私の両親か?それとも、私に二人を殺させたルドルフか?それとも、愛すべき我が祖国なのか?或いはこの世界そのもの・・・・・?
どれも違う。本当は最初から気付いていたんだ。両親をこの手で殺したあの瞬間も、気付いていながら躊躇いなく命令を遂行した。
私は正しくなどない。何が悪かったのか、何を間違ったのか・・・・・。
わかっていたんだ。全ては、私の存在そのものが原因だったんだと・・・・・・。
「あっははははは!!あははははははははははははっ!!!」
「ぐっ!!」
ぶつかり合う二匹の獣。一方は狂犬、もう一方は番犬である。
「おいおい、戦闘中に考え事か!?随分余裕してんじゃねぇかよ!!」
「駄犬風情が調子に乗るなああああああああっ!!」
狂い笑いながら戦うリックと、激昂しながら戦うヴィヴィアンヌ。
両者の戦いは激しさを増すばかりで、互いに傷付きながら、辺り一面を破壊していた。ヴィヴィアンヌを叩き切ろうと、リックは片手で大剣を振りまわし、周りの家を破壊しながら戦っている。対して彼女は、両手に握る二本のナイフを自在に操り、隙あらば彼の体を斬り裂いていた。
両者とも一歩も譲らないが、最も負傷しているのはリックの方である。薬の力で肉体を限界まで強化していても、ヴィヴィアンヌと互角に戦うには足りないのだ。
決定的な力の差。大振りで大剣を振り回すリックの隙を付き、懐に潜り込んだ彼女のナイフが彼に襲い掛かる。元々の力と、薬で強化された反射神経と動体視力によって、並みの兵士では反応する事すらできない彼女の攻撃を、どうにかリックは躱して見せた。だがそれでも、彼女の斬撃の数々や格闘の数々を全て躱し切れるわけではない。
「遅いっ!!」
一瞬でリックの背後に回り込んだヴィヴィアンヌは、自慢のククリナイフで彼の背中を斬り裂いた。大きな傷と共に出血しながらも、振り返りながら大剣振るうリックだったが、その斬撃は彼女が瞬時に後ろへ跳躍したため、容易く躱されてしまった。
まるで、凶暴な獣をあしらう調教師。相手が狂っていようが、信じられない怪力で暴れまわろうが、彼女には関係ないのである。圧倒的な力で完膚なきまでに叩き潰す。ただそれだけなのだ。
「あはっ!!痛いじゃないかよヴィヴィアンヌ!」
「ちっ・・・・、まだ動けるか」
「そりゃそうだろ!こんなに楽しい戦いを簡単に終わらせるもんか!!」
防具は破壊され、装備していた武器の半分以上を失い、右手には大剣、左手には折れた三本の剣を握りしめ、全身傷だらけとなって出血している。それでも尚、リックは狂ったように笑い続けていた。
すると彼は、左手に握っていた折れた剣を全て投げ捨て、懐から一本の注射器を取り出して見せた。それを見て驚愕するヴィヴィアンヌに構わず、彼はその注射器を首元まで持っていき、躊躇う事無く首の血管に針を突き刺した。
中の薬を残らず注入し、用済みとなった注射器も投げ捨てる。目の前に立つ最強の敵に勝つために、アーレンツ製の薬物を追加投与したのである。
「ぐっ、ぐあああああああああああああっ!?」
「死ぬ気か貴様!?それ以上薬を使えば、肉体も精神も破壊されるぞ!!」
「ぐっうううううううううううう!!かっ、体が・・・・熱いっ・・・・・!」
この薬は言わばドーピングなのである。使えば、一定の時間内肉体が強化され、限界を超えた力を手に入れる事ができる。その代わり、効果が切れた後は薬の副作用に苦しむ事になる。既に薬を大量投与し、この上追加投与まで行えば、体が耐えられるわけがない
薬の副作用によって、言葉にし難い内側からの苦痛と、急激に上昇した体の熱に絶叫し、その場に膝を付くリック。気持ち悪さに眼がまわり、苦しさから血の混じった嘔吐をぶちまける。
「はあ・・・・はあ・・・・はあ・・・・・・・・」
「何をやっても無駄だ!諦めて大人しく降伏しろ!!」
「やなこった・・・・・。そっちこそ、いい加減諦めてぶっ飛ばされろ・・・・・・」
ふらつきながらも立ち上がり、その眼でヴィヴィアンヌの姿を捉えるリック。身を焼かれるような高熱と、頭が割れてしまいそうな頭痛に苦しみながらも、未だ彼の戦意は消えない。倒れないよう、右手に握っていた大剣を地面に突き刺し、満身創痍な様子でありながらも、彼は不敵な笑みを浮かべて見せる。
「帝国軍が現れ、収容所を抜け出せた今、私と戦う意味はないはずだ!!そこまでして私に勝ちたいというのか!?」
「勝ち負けなんてどうでもいい・・・・・。ヴィヴィアンヌ、俺はお前と話をしたかっただけだ・・・・」
「話、だと・・・・・・?」
信じられないものでも目にしたかのように、目を見開いて唖然とするヴィヴィアンヌ。
自分に対して執念を燃やし、ぼろぼろの体を押して、薬まで使って現れたこの男が、どんな理由を持って戦っているのか。その理由がずっとわからなかった。そして今、確かにリックは、話をしたかっただけだと、そう言ったのだ。
ふざけたとしか思えない。信じられるわけがない。尋問で痛めつけられた報復が理由であった方が、まだ理解できる。まったく理解できない彼の考えに、ヴィヴィアンヌは混乱してしまっていた。
「俺はもっと・・・・・、お前の事が知りたかった」
「!?」
「初めてお前を見た時・・・・・、レイナ達には悪いけど、俺はお前の圧倒的な力に魅せられた」
「・・・・・・!」
「あれから俺はアーレンツに連れて来られて、お前と言葉を交わし、色んな事を話した・・・・・」
「それが・・・・、一体どうしたと言うんだ・・・・・・!?」
彼女からすればリックの言動や行動は、非常に理解出来ない狂ったものでしかなかった。薬で理性を失い、おかしな事を喋っているのではとさえ思えた。
しかしリックの眼は、何一つ嘘を吐いておらず、彼の心は壊れてもいなかった。それが余計に、ヴィヴィアンヌを苛立たせる。
「最初は、お前の強さに興味を惹かれていた。でもその内、この国でお前の事をもっと知るようになって、俺は・・・・・・ヴィヴィアンヌを好きになった」
「!!」
拉致され、尋問され、暴行され、今もこうして殺し合っているにも関わらず、彼女の目の前に立つこの男は、彼女の事を好きだと言った。
あり得ない事だ。ヴィヴィアンヌはリックの仲間達を傷付け、リック自身も傷付けた。それなのに好かれるなど、どう考えてもあり得ない。彼女がリックに好かれる要因など、何一つとしてなかった。
「国のために命を捧げた人形って言うわりに、俺に図星突かれた時は感情的になってたよな。年相応の女の子って感じがして・・・・・、不思議と可愛かった」
「・・・・・!?」
「繊細で真っ直ぐで、馬鹿みたいに真面目で、レイナそっくりだ・・・・・。だからかもしれないな、お前を好きになったのは・・・・・・」
ヴィヴィアンヌの思考は止まり、頭の中は真っ白になった。何も考えられなくなり、戦いの手が止まる。隙だらけであるリックを倒す絶好の機会だったが、今はそんな事どうでもよかったのだ。
戦う事よりも、今は彼の言葉の続きの方が、彼女にとって重要となっていたのだ。
「でもな、お前の事は好きになれたんだけど・・・・・、ずっと言ってやりたかった事があるんだ」
「・・・・まさか貴様、それを言うためだけにここへ・・・・・?」
「ヴィヴィアンヌ・・・・・・。俺は、どうしようもない過去や、くだらない生き方に縛られたお前の事が、滅茶苦茶嫌いだ」
「!!」
好きだと言われた次は、酷く嫌いだと宣言するリック。最早、彼が何を言いたいのかまったく理解できない。
そして、滅茶苦茶な発言を繰り返すリックの言葉は、まだ終わってはいなかった。
「何が愛国者だ!何が番犬だ!ただのキレやすい阿保女じゃねぇかよ!?情報局の鬼才ってより情報局随一の短気馬鹿女だろうが!!」
「・・・・・・!?」
「愛国者気取りの犬っころ風情が調子乗り過ぎなんだよ、この似非愛国者!!この国を愛してるとか、お前頭わいてんじゃねぇのか!?」
突然リックは声を大にしてヴィヴィアンヌを罵り、左手の中指を立てて彼女に向けた。挑発というより、自分が抱いていた不満を全てぶちまけているかのような、そんな様子であった。
この状況でこんな事を言われてしまっては、流石の彼女もどうしていいかわからなくなってしまう。反応に混乱しているのか、俯いてしまった彼女に構わず、リックの言葉は尚も続いた。
「アーレンツはお前から何もかもを奪おうとしてる糞国家だ!!糞に忠誠心向けるなんて馬鹿らしい!」
「・・・・・・」
「中立国アーレンツなんていう守る価値もない国なんてな、民と一緒に全部燃えちまえばいいんだよ!!お前もそう思うだろう、ヴィヴィアンヌ!?」
「・・・・・・黙れ」
「こんな国に生まれて本当に不幸だな!俺だったら生んだ親を一生恨むね!!お前が親を躊躇いなく殺せたのは、やっぱり両親を恨んでたからなんだろ!?」
「黙れっ!!黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れえええええええええええええええっ!!!!」
頂点に達していた怒りが限界を超え、彼女の中で何かが壊れた。その瞬間、彼女は怒りで我を忘れ、怒り狂いながら叫び続けた。
リックは知っていながらもわざと、彼女を最も苦しめる事ができる、禁じられた言葉を口にした。これでもう、彼女の怒りと殺意からは逃れる事は出来ないだろう。理性を失い、命令を忘れ、怒りで我を忘れて暴走するヴィヴィアンヌは、間違いなく本気でリックを殺しにかかる。
「あっははははははははははは!!やっぱりお前、なんだかんだと言いながらも親を殺した事気にしてるんじゃねぇか!!」
「殺す!!貴様はこの手で殺してやる!」
得物であるククリナイフと共に、リックを殺すべく彼女は駆け出した。迎え撃つリックは地面から大剣を引き抜き、大きく振りかぶって、気合と共に振り下ろす。
「チェストオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
振り下ろされた大剣の一撃は、ヴィヴィアンヌを叩き切ろうとしたが、その刃が斬り裂いたのは空気と地面だけだった。叩き割られた地面に、ヴィヴィアンヌの姿はない。彼女の姿はリックの頭上にあった。両手に握ったナイフの刃を輝かせ、怒り狂った彼女の姿が一気に迫り来る。
「その首斬り落としてやる!!」
「簡単にはやらせねぇよ!!」
リック渾身の斬撃を跳躍して躱し、上から襲来するヴィヴィアンヌ。彼女の刃が自分を切り刻む前に、迎撃のため、彼は左腕に装着していたボウガンを構え、矢を放った。
その矢は彼女の左腕に突き刺さり、確かな痛みを与える事は出来た。だが彼女は、わざとこの矢を避けず、そのままの勢いでリックを斬るため、彼の迎撃を強行突破したのだ。それを悟ったリックは、ヴィヴィアンヌの右手のナイフから繰り出された斬撃を、左腕のボウガンで受け止めた。
ボウガンが盾となった事で、左腕を斬り落とされる事はなかった。しかし、盾として使ったその装備は壊れ、使い物にならなくなる。
今度は、彼女の左手に握られたナイフが、リックの顔の前まで迫る。回避は間に合わず、その刃は彼の顔面を刺し貫こうとしていた。
「があっ!!」
「なっ!?」
ナイフの刃がリックを刺し貫こうとした瞬間、何とリックは、大口を開けてナイフに噛み付き、顎の力だけで刃を止めてしまったのである。彼に噛み付かれてしまったナイフはびくともせず、ヴィヴィアンヌの動きが一瞬空中で止まった。
「おらああああああああああああっ!!!」
大剣から手を離し、ヴィヴィアンヌの左手をしっかりと掴んだリックは、刃を噛むのを止め、手を掴んだまま力任せに彼女の体を振り回し、地面に叩き付けた。
受け身も取れず、激しく地面に体を叩き付けられたヴィヴィアンヌは、頭も強く打っていた。そのせいで一時的に意識を失くし、隙だらけとなった事で、リックの猛攻が続く。左手は掴んだまま、右に左にと彼女の体を振り回し、何度も地面に叩き付ける。容赦のないこの攻撃は、彼女が完全に戦闘不能となるまで終わらないだろう。
一方的な戦いに見えたが、あのヴィヴィアンヌがこれで終わるはずがない。体中に痛みが奔りながらも、途中で彼女は意識を取り戻す。地面から無理やり起こされ、持ち上げられたその瞬間、手放す事のなかった彼女のナイフがリックを襲う。
左手は掴まれているため、空いている右手のナイフが彼の左肩に突き刺さる。鮮血が飛び散り、リックの服が血に染まる中、ヴィヴィアンヌは突き刺したナイフを支えにし、彼の顔面目掛け両膝蹴りを放った。
強烈な膝蹴りを喰らい、掴んでいた彼女の手を放してしまったリックに、今度は彼女の左手に握られたナイフが襲い来る。その刃は彼の右腿に深く突き刺さり、傷口から大量の血が溢れ出た。そして、突き刺した二本のナイフを引き抜き、止めとばかりの回し蹴りをリックの腹部に叩き込み、痛みに呻く彼の体を蹴り飛ばす。
「リクトビアあああああああああああああああっ!!!!」
怒りの咆哮を上げて彼の名前を叫び、追撃を行なうヴィヴィアンヌ。彼女もまたリックと同じように、狂った獣の如し様子で、怒りの炎を燃やして駆けていく。今の彼女の頭の中には、リックに対しての憎悪しかない。生かしたまま捕まえろと命令されているが、今の彼女にそれはできないだろう。
このままではリックが死ぬ。次のヴィヴィアンヌの攻撃は、彼の急所を狙っている。懐に入られたら最後、彼の命はない。
「ぐっ!!こんな傷、痛くも痒くもねぇんだよ!」
薬の影響で痛覚が麻痺している今のリックは、刃物で体に穴が空けられようとも怯みはしない。ヴィヴィアンヌ足技を受け、蹴り飛ばされたリックだったが、彼は膝すら付く事なく耐えきって見せていた。そこへ迫るヴィヴィアンヌだが、猛然と迫る彼女に恐怖すら抱く事なく、彼は右の腰に装着していたホルスターから、瞬時に一丁の武器を取り出し構えた。
「逝っちまいな!!」
「!!」
リックが取り出して構えたのは、一丁の自動拳銃であった。ヴィヴィアンヌはそれが銃火器であるとすぐに理解し、脚を止め、両手のナイフを自分の前で交差させ、後方に跳躍を始める。
その瞬間、リックは自動拳銃の引き金を引き、発砲を始めた。ヴィヴィアンヌに向けて拳銃を乱射し、放たれた弾丸は全て彼女に向かっていく。後方に跳躍して回避行動を取りながら、ナイフを盾にして弾丸を防ごうとしている彼女に、放たれた全ての弾丸が襲い掛かった。
放たれた弾丸の数は六発。二発は躱され、四発は命中する。当たった四発の内の三発はナイフに命中し、ヴィヴィアンヌに重い一撃を与える。そして最後の一発は、まぐれ当たりで彼女の左腿を撃ち貫いた。
「ナイフのお返しだ!かなり効いただろ!!」
「いつの間に銃を・・・・・。助け出された時に手に入れたのか・・・・・」
「ああ、そうだ!シャランドラが俺のために作ってくれた最新式だってさ!!威力重視の四十五口径はやっぱ最高だな!!」
この銃はリックが救出された時、自衛用として渡されていた、シャランドラ特製の自動拳銃である。扱いやすさより威力を重視し、一発で敵兵士を撃ち殺す事の出来る性能を追求し、リック専用として生まれた拳銃であった。
初めて使った新しい拳銃の性能に満足し、狂った笑みを浮かべるリック。彼はそれを腰のホルスターに収め、両脚に装備していた二本の短剣を抜き放って、両手に装備した。
「それじゃあ・・・・・、お互いそろそろ本気で決着つけようぜ」
「決着など見えている。勝つのは私で、死ぬのは貴様だ」
「捕まえて人質にするんじゃなかったのか?」
「人質など必要ない。貴様を殺し、帝国軍も皆殺しにし、私一人で全て終わらせてやる・・・・・!」
互角に戦っているように見えるが、勝算のない戦いを続けるリック。本来の目的を忘れ、ただリックを殺す事だけを考えるヴィヴィアンヌ。
互いの向けた刃は両者の戦う意思を纏い、相手の血を求める。二人の殺し合いは、これからが本番だ。
「大分自棄になってるみたいだな。お前がいくら強くっても、そりゃあ無理があるだろ」
「・・・・・・ああ、確かに貴様の言う通りだ」
ナイフの構えを解き、俯く彼女は無言のまま、左腕に突き刺さっていた矢を引き抜く。痛みに一瞬顔を歪めたが、痛みに呻く事も悲鳴を上げる事もない。その姿を見たリックは、彼女はこの国で兵士として作り上げられた存在なのだと、改めて思う。
「どうせこの国は終わる。帝国軍にここまで攻め込まれ、ジエーデルまで現れたとあっては、滅亡は時間の問題だ・・・・・。私と貴様の戦いは、最早何の意味もない」
「・・・・・わかってるくせに、お前は俺と戦うのか・・・・・?」
「私は、貴様が憎い。この国と運命を共にする前に、私は貴様を殺したい」
それは、彼女がリックに始めて見せた、純粋な意志だった。今の彼女はアーレンツに命を捧げた人形ではなく、確かな心を持った一人の人間である。リックへの怒りと共に心を呼び覚まし、その胸の内を語り出す。
「やはり、貴様の言う通りだ・・・・・」
「何がだ・・・・・?」
「私は愛国者などではない。貴様の言う通り、私はこの国が嫌いだ。こんな糞国家、早くこの世界から消滅すればいい」
「やっと認めたか。やっぱりお前、この国が嫌いだったんだな・・・・・」
「だが、この世で私が一番嫌いなのは・・・・・・・私自身だ」
俯いたままのヴィヴィアンヌ。そんな彼女の口から語られた、彼女の本心。
アーレンツという国は、彼女が生まれたその瞬間から、彼女を心を殺した兵士へと変えていった。この国の存在そのものが、彼女をここまで狂わせたのだ。
怒りと悲しみに暮れるヴィヴィアンヌの姿に、リックの心は怒りで煮え滾っていく。これは彼女に対しての怒りではなく、アーレンツという存在に対しての怒りであった。
何故、彼女がここまで苦しまなければならない。何故、純粋な彼女の心を利用し、国のために命を捧げさせようとするのか。アーレンツという国の全てが、彼女を人間ではなく化け物と変え、ここまで追い詰めてしまったのだ。
今のリックには、最早どうしようもないヴィヴィアンヌの苦しみが、痛いほど理解できる。何としてでも彼女を救いたいと、そう思わずにはいられない。そのために、彼はここへやって来た。
「私はこの手で罪を犯した。何をしても償いきれない、大きな罪だ・・・・・・」
「両親を処刑した事だろ。でもそれは------」
「例え処刑執行人が私でなかったとしても、私があの二人を殺したに等しい・・・・・」
リックにはわかっている。一体何故、ヴィヴィアンヌの両親が危険を冒してまで、愛すべき祖国への反逆を企てたのか。その理由は、彼女にあるのだと・・・・・。
「ヴィヴィアンヌ。お前の両親は、お前の未来を守るためにクーデターを計画したはずだ。お前が普通の女の子として生きていけるように、危険を承知でこの国と戦おうとしたんだ」
本当にそうなのかはわからない。真実を知る者達は、既にこの世を去っている。
だがリックは、自分が導き出したこの結論に確信があった。確信というよりも、信じていると言った方が正しいかもしれない。もしそうでなければ、ヴィヴィアンヌは一生救われないからだ。
「情報国家アーレンツという国が滅びれば、もう国に縛られる事はなくなる。誰もが解放されて自由になれる世界が待っていた。その世界のために、お前の両親は命懸けで戦ったんだ」
「・・・・・・」
「だけど計画は失敗に終わった。捕まった二人は、せめてお前だけでも救おうとして、自分達の命を犠牲にした。二人はお前の事を一番に考えていたんだ!だから--------」
「そんな事、言われなくてもわかっている・・・・・・!」
怒りの叫びの後、突然ヴィヴィアンヌは駆け出し、両手に握ったククリナイフを構え、リックへと襲い掛かった。一瞬で距離を詰めてきた彼女の動きに、反応が遅れてしまったリックではあったが、彼女の放つ斬撃に何とか対応し、両手に握る二本の短剣の刃で、彼女の斬撃を受け止める。
どこにそんな力があるというのか、少女とは思えない腕力が、ナイフを通して短剣を抑え込もうとする。薬を使って肉体を強化しているにもかかわらず、リックの方が力負けしているのだ。やはり彼女は、アーレンツが生み出した化け物と言えるだろう。
「いっ、いきなりかよ・・・・・!?」
「わかっている・・・・・、言われなくともわかっているんだ!!」
「全部わかってて二人を憎むのか!?わかってるんだったら、二人を憎む理由なんてないはずだ!!」
「父様も母様も自分勝手だった!私を助けた気になって殺されて、それで私が救われると思っていたんだ!!私に殺されるあの瞬間もな!!」
「・・・・・!!」
「父様も母様も、私に呪いをかけた・・・・・!私のせいで捕まり、私の手で殺される事になったんだぞ!?あの二人はそれで本望だったかもしれないが、私はどうなる!!」
これはヴィヴィアンヌの心の叫び。心の奥底に眠っていた、彼女の悲鳴だった。
大人の身勝手さに振り回された少女の叫びが、戦場に響き渡る。その悲痛な叫びが、リックの心を抉っていく。
「私の身の危険も顧みず、愛していた両親は国を裏切り、自由という幻想を追い求めた・・・・・。私さえいなければ国を裏切りはしなかった!私さえいなければ死なずに済んだんだ!!」
「ヴィヴィアンヌ・・・・!!」
「私は・・・・・、愛していた親をこの手にかけた。その時の感触はこの手に今も残っている。殺した瞬間の記憶と感触は、ずっと残ったままだ・・・・・!!」
両親を処刑した後、彼女は今まで以上に自分を追い込むようになった。どんな過酷な任務であろうと遂行し、休む事なく情報局の任務に没頭していった。そうすれば、余計な事を考える必要がない。
そしてこれは、彼女が自分自身を殺すための行為でもあった。祖国への忠誠のためと自分に言い聞かせ、心を殺した人形となるための、自暴自棄。彼女は一人嘆き悲しみ、自らを憎悪し続けてきた。
「全部貴様のせいだ・・・・・!貴様が私を搔き乱した!!貴様さえいなければ・・・・・、私は愛国者のままでいられた!!」
「心を失った人形になってどうする!!そんな生き方の何が楽しいんだよ!?」
「五月蠅い!!貴様の言葉は耳障りだ!」
「俺から逃げるな!俺の言葉を受け止めろ、ヴィヴィアンヌ!!」
「やめろ・・・・!!もうこれ以上、私の心に入ってくるなあああああああああっ!!!」
絶叫したヴィヴィアンヌがナイフを操り、リックの短剣を大きく弾いて防御を抉じ開けた。危険を感じたリックが回避を行なうよりも早く、ヴィヴィアンの神速の一撃が彼を襲う。右手のナイフは、下から彼の体を深く斬り裂き、左手のナイフの刃は、彼の下腹部に突き刺さる。
口から大量の血を吐き、意識を失いかけたリックだったが、このままでは終われないと、右腕をヴィヴィアンヌの顔に向ける。その腕には、矢が装填された状態のボウガンがあった。ほとんど至近距離と呼べる距離から、彼はボウガンの矢を彼女目掛けて発射する。
しかし、その矢は彼女には命中しなかった。至近距離から発射されたにもかかわらず、ヴィヴィアンヌはその矢を躱して見せたのだ。明らかにそれは、人間の動体視力では不可能な芸当であった。
これほどまでに容易く躱されるとは思わず、驚愕を隠せないリックに、ヴィヴィアンヌの右の拳が炸裂する。ナイフを握ったまま拳を作り、彼の頬目掛け渾身の一撃を放ち、力の限り殴り飛ばす。殴られたリックの体は背中から地面に叩き付けられ、傷口から溢れ出た血で地面を赤く染めていく。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・・・・・・」
あれだけの攻撃を受け、激しく出血もしている。痛覚が麻痺しているとはいえ、傷は深い。重傷まで追い込まれたリックの姿は、見るも痛々しく無残であった。その姿を見て、息を切らしながらもヴィヴィアンヌは勝利を確信する。
「まっ・・・まだだ・・・・!」
「・・・・・!」
いくつもの傷口から血を流し、吐血も止まらない。地面を血に染めながらも、リックは再び立ち上がった。その眼はまだ敗北を認めておらず、彼女との戦いを止める気が微塵も感じられなった。しかも彼は、この状態まで追い込まれながらも、まだ笑っていたのである。血を吐きながらも邪悪な狂った笑みを浮かべ、ヴィヴィアンヌの姿から眼を逸らさない。
「もうやめろ・・・・・、立ち上がるな・・・・・・!」
「何度だって・・・・立ってやるよ。まだ・・・・・戦いは終わってねぇだろ・・・・・」
「何故だリクトビア!?これ以上戦えば、・・・・本当に死ぬぞ!!」
「こんなところで・・・・・死ぬのは困るな・・・・。だけど、このままじゃ終われないだろ・・・・」
戦いを続ければ、これ以上ヴィヴィアンヌが手を下さなくとも、リックは死ぬ。薬に体を蝕まれ、全身を傷付けられ、大量の血を流し、体は限界を超えている。立ち上がらず、地面に倒れたままであっても、いずれは死を迎えるだろう。
どう考えても彼の行動は、命を捨てた行動だった。彼女と戦うためだけに、この死闘に命を捨てる覚悟を彼は持っている。
「終わりだ!!何もかも、もう終わっているんだ!」
「終わってなんかいない・・・・!何があっても、俺はヴィヴィアンヌを救いたいんだ!!」
「!!」
リックが戦い続ける真の目的。それは、彼女を地獄から解放する事だった。
自分の生き方や、自分の仲間達の生き方と重なる、哀れな姿のヴィヴィアンヌ。彼女の悲しみと憎悪は、リックだからこそ理解できる。
大切な存在を失い、自分自身を憎む気持ち。それが全て、自分のせいであったと知った時の絶望は、言葉では言い表せない。その絶望はやがて、自分自身へと向けられる殺意と変わる。リックもまた、ヴィヴィアンヌと同じように、それを味わった。
どこか似ていると感じた。だからこそ放ってはおけなかった。このままにしてはいけないと思った。その想いが、リックを死闘へと駆り立てた。戦えば死ぬとわかっていながら、自分の命よりも、彼女の心を優先したのだ。
「貴様の・・・・・、貴様のその優しさが一番嫌いだっ!!!」
「・・・・・!!」
狂い叫ぶヴィヴィアンヌの頬を、一粒の雫が伝う。
番犬と呼ばれ、心を失くした愛国者とまで言われていた彼女の眼から、涙が溢れ出た。心を取り戻し、感情を爆発させた彼女の涙が、頬を伝い流れ落ちていく。
「お願いだ・・・・・、私を救おうとしないでくれ・・・・・・」
「ヴィヴィアンヌ、お前・・・・・・」
「もうたくさんだ・・・・・。誰か・・・・私を終わらせて・・・・・」
涙を流し、彼女は静かに泣いていた。
穢れ切った自分の体を憎み、壊れてしまった自分の心を抱いて、彼女は涙を流し続ける。「もう戻れない」と悟った、彼女の悲しみに暮れた想いが、涙と共に流れ落ちていく。彼女は人に戻ったが、壊れた心までは元に戻らなかった。
嘆きのヴィヴィアンヌ。想いや言葉だけでは救えない、嘆き悲しむ少女の姿がそこにあった。
「そうか・・・・・・。俺がやるべき事は決まったな・・・・・・」
「・・・・・!?」
この先、自分がすべき決断に後悔しないために、リックは目を伏せて覚悟を決める。
再び目を見開いた先には、涙で顔をくしゃくしゃにして、少し放心した様子のヴィヴィアンヌの姿があった。そんな彼女を見て、微笑みを浮かべて見せるリック。
ほんの一瞬だけ訪れた、憎悪も殺意もない優しい時間。それを破壊したのは、決意と共に言い放たれたリックの言葉であった・・・・・・。
「ヴィヴィアンヌ、お前を殺す」




