第三十話 嘆きのヴィヴィアンヌ Ⅳ
彼女は一人、戦場と化した街の中を歩いていた。帝国軍の砲撃が止んだ戦場を、彼女はたった一人で歩き続け、敵も味方もいない街中に訪れていた。
砲撃は、アーレンツの主要施設を中心に行なわれており、市街地へは攻撃目標となっていない。だが、帝国軍の砲撃はまだ完璧なものではないため、市街地に流れ弾が飛来し、家屋を破壊するなどの被害を与えてしまっていた。
戦局が悪化する中、国民の避難が最優先だと考えた国防軍の一部の部隊は、市街地へと急行し、国民の避難活動を行なったのである。そのお陰で国民の被害増加は抑えられ、無事だった多くの国民が市街地より避難した。彼女が今いるのは、避難のお陰で無人となった市街地なのである。
「静かだ・・・・・・」
既に防衛線は崩れ始め、国内にまで戦闘が広がっている状況の中、ここは異様なまでに静かであった。人の気配も声もなく、物音一つ立たない。聞こえるのは彼女の足音と、彼女の息遣いだけだ。
「こんなところで・・・・・・、私は何をしている・・・・」
彼女が与えられた命令は二つ。帝国軍の精鋭を撃破する事と、脱走した帝国軍参謀長の確保である。普段の彼女であれば、祖国のためにと命令に従い、己の命に懸けて全力で任務に当たるが、今の彼女にはその気がまったくなかった。
ただ一人で、市街地を歩き続けた。そして、気が付けば彼女は、自分が生まれ育った我が家に帰ってきてしまっていたのである。
「直撃を受けたか・・・・・・」
しかし、彼女の目の前にあったのは、変わり果てた我が家の姿であった。砲撃による流れ弾の直撃を受け、破壊された彼女の家は、瓦礫の山と化していた。修復不可能なほど破壊された自分の家を見て、彼女の心にほんの僅かな痛みが奔る。
「何だ・・・・この痛みは・・・・・・・?」
心に奔った痛みの正体がわからない。家など壊れても構わないと思っているのに、彼女の心は何かを訴える。
(まさか、悲しんでいるのか・・・・・・私は・・・・・)
ここは、彼女が生まれ、両親と共に暮らした、この国で生きた証。死んだ両親との思い出が残る、唯一の場所だった。
いや、死んだのではない。彼女の両親は、彼女自身がその手で殺した。それが、祖国から下された命令だったからである。
悲しむ理由がどこにあるというのだろうか。自分で殺しておきながら、思い出の家が破壊されて悲しむなど、虫のいい話だ。そう考えている自分がいるのに、彼女の心は微かな痛みを発し続けた。
「こんな事を考えるのも、全て奴のせいだ・・・・・!」
祖国に絶対の忠誠を誓う愛国者。国家保安情報局の鬼才にして、付いた異名が「情報局の番犬」。人の心など持たない国のために戦う道具。そうであったはずの彼女は今、自分の存在が大きく揺らいでしまっていた。
これも全ては、ある男と出会ってしまったのが原因だ。
南ローミリアの盟主ヴァスティナ帝国。急速に軍備を拡大し続け、数々の戦争に勝利し続けるこの国の調査のため、彼女が受けた命令は、帝国軍参謀長の調査であった。
命令を受けた彼女は、帝国軍に感知される事なく調査を続け、その後上官の命令により、帝国参謀長を拉致したのである。そして、帝国参謀長である彼の尋問を担当したのが、他でもない彼女自身だった。
それほど長い時間ではなかったが、尋問の間、彼女は彼から様々な言葉を突き付けられた。それは彼女の心をぐちゃぐちゃに揺り動かし、怒りと殺意を掻き立てた。何度彼を殺したいと思ったかわからない。彼の事を思い出すだけで、怒りで自分がおかしくなってしまいそうになる。
「あの男さえ・・・・・、あの男さえいなければ・・・・・!!」
彼さえいなければ、彼女はただの道具でいられた。祖国のために戦う、何も考えない、何も感じない、愛国心ある番犬でいられた。だが彼が、彼女をそうさせなかった。
人形であったはずの彼女の心を動かし、怒りと殺意の炎を燃やさせる。その男の名は・・・・・。
「・・・・・!」
突然、背後に強烈な殺気が突き刺さり、危険を感じた彼女はすぐに振り向いた。そこで彼女が見たものは、自分目掛けて真っ直ぐ襲い掛かる、一本の大斧であった。両手で扱う事を想定された巨大な斧が、彼女を真っ二つにしようと向かってくる。
彼女はその大斧を最小限の動きで躱して見せる。空を切った大斧は、家の残骸に勢いよく突き刺さった。一体何事かと、彼女が確認しようとしたその瞬間、今度は彼女の頭上に巨大な刃が出現したのである。
その刃は彼女を頭から叩き切ろうと、風を切り裂きながら落下した。直撃すれば間違いなく死ぬ。それがわかっているため、すぐさま彼女は右に跳躍し、落下してきた刃も躱した。
大斧もこの刃も、彼女の命を奪うために繰り出された、大胆な攻撃だったのである。刃の正体は、人間を簡単に叩き切れるであろう大剣であった。何者の仕業かと相手を確認するため、彼女はすぐさま落下した巨大な刃を確認するが、そこに刃の持ち主の姿はなかった。
姿がないのも当然である。何故なら、大斧も、彼女を襲った巨大な大剣も、人の手によって投げ込まれたものであるからだ。
「あはっ!あっははははははははは!!!」
「!?」
異様な高笑いが聞こえ、声のした方へと彼女は視線を向ける。
聞き覚えがある声。その眼が見たものは、信じられない人物の姿であった。
「見つけた!!見つけたぞ、ヴィヴィアンヌ!!!」
「どっ、どうして貴様が・・・・・・・こんな場所に・・・・!?」
「どうしてだって?そんなの、お前に会い来たからに決まってるだろ!?あっはははははははははっ!!」
見間違いでもなければ錯覚でもない。探し求めていた相手が、まさか自分から現れるなど、一体誰に予想できただろう。
「どういうつもりだ!何が狙いで私の前に姿を見せた!?」
「ははっ、狙いなんかねぇよ!この国を出る前にお前を滅茶苦茶にしてやりたかっただけだ!!」
「リクトビア・フローレンス!!貴様・・・・・!」
「どうしたヴィヴィアンヌ?俺を殺したいのか?ならさっさと殺しに来いよ!あははっ、あっははははははははははははっ!!!」
彼女は彼を再び捕らえろと命令され、たった一人で任務に当たっていた。逆に彼は、追われる身でありながら姿を現し、彼女に敵意を向けている。
彼女の名は、ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼ。彼の名は、リクトビア・フローレンス。
互いの眼があった瞬間、両者は同時に駆け出した。
「この駄犬がああああああああああああああああっ!!!」
「あはっ、あっははははははははははははははっ!!!」
怒りに満ちた叫び声を上げるヴィヴィアンヌと、狂った笑い声を上げるリクトビア。
ヴィヴィアンヌは自身の得物であるククリナイフを両手に構え、リクトビアは両の腰に差していた三本の剣を全て握り、両手で抜いて見せた。両手の指と指の間に握られた、六本の剣。彼は六本の剣を鉤爪のように持ち、彼女を切り刻もうと襲い掛かった。
現れたリクトビアの姿は、完全なる重武装状態である。腰には持てるだけの剣。背中には長剣と槍。両脚には短剣。両腕には小型のボウガンを装着。胸や肩などには鉄製の防具を付けている。身軽さなどを無視した、決戦仕様と呼ぶに相応しい姿だった。
互いに殺気を放ち、それぞれの得物を抜き放ち、駆け出した二匹の獣。番犬の異名を持つヴィヴィアンヌと、狂犬の異名を持つリクトビア。出会ってしまった以上、二人の戦いは誰にも止められない。
「はあああああああああああああっ!!」
「くたばれええええええええええっ!!」
リクトビアの右手に握られた三本の剣が、ヴィヴィアンヌを切り刻もうと横薙ぎに振られた。彼女はそれを高く跳躍して躱し、リクトビアの頭上を飛び越え、彼の背後に回り込んだ。背中を取られるわけにはいかないと、振り向きながら左手の剣を振るい、今度こそ彼女を斬ろうと襲い掛かる。だがその斬撃は、二本のククリナイフの刃によって受け止められた。
斬撃を防がれてしまったリクトビアの腹部目掛け、ヴィヴィアンヌの強烈な足技が炸裂する。少女のものとは思えない重い一撃が、彼の体を蹴り飛ばす。
「見た目は派手だが、この程度かっ!!」
彼女の言う通り、見た目も攻撃も派手ではあるが、彼女相手にそれは有効とは言い難い。ヴィヴィアンヌはリクトビアより遥かに強く、彼の動きや攻撃を全て見切るなど造作もないのである。そんな相手に重装備で挑んだとしても、自身の機動力を殺す重りにしかならない。
「そう焦るなよヴィヴィアンヌ!まだ始まったばかりだろうが!!」
「!!」
実力で劣っていようと、動きを見切られようと、自分が重武装であろうが関係ない。足技による重い一撃を喰らっても、まったく平気な様子であるリクトビアは、左手に持っていた三本の剣を振りかぶり、勢いをつけて放り投げた。
投げられた三本の剣の刃が彼女の体を刺し貫くべく、空気を切り裂きながら進んでいく。だが、彼女にとってこの程度の反撃を躱すのは造作もなく、最小限の体の動きだけで全て躱して見せた。
当然これで終わりではない。剣を躱し切ったヴィヴィアンヌの目の前に、彼女との距離を一気に詰めたリクトビアの姿が現れた。重武装とは思えない尋常ではない素早さに、彼女はほんの一瞬反応が遅れてしまう。
右手に持った三本の剣を大きく振りかぶり、頭から叩き切ろうと振られた斬撃。反応が遅れはしたが、その斬撃を防ぐため、彼女自慢のククリナイフが、彼女の頭と剣の間に割って入り、ナイフの刃が盾となって斬撃を防ぐ。
その隙を付き、斬撃を防ぐために防御が空いた腹部目掛け、リクトビアの左の拳がヴィヴィアンヌの体を殴り飛ばす。情け容赦のない重い一撃で、彼よりも小さな少女の体が宙を舞う。
「かはっ!!?」
「お返しだ!!どうだ、俺の拳はかなり効くだろ!?」
宙を舞い、痛みに呻いたものの、空中で体勢を立て直して地面に着地する。一撃を喰らわせ、苦痛に顔を歪めた彼女の顔を見て、邪悪な笑みを浮かべるリクトビア。その笑みには、彼女を自分の手で苦しめられた事への愉悦があった。
「拘束されてた時からずっと想像してたんだよ!こうやってお前をぶん殴ってやる瞬間をな!!」
「貴様・・・・・!」
「散々俺を痛めつけた礼をたっぷりさせて貰うぜ!ぼっこぼこにしてその服引ん剥いて、二度と嫁にいけない体にしてやる!!あっははははははははははっ!!!」
戦闘中、邪悪な笑みを浮かべ、狂った笑い声を上げながら、目に付いた敵を皆殺しにしていく。故にリクトビアの異名は、「帝国の狂犬」なのである。
だが今日の彼は、いつも以上に狂っていた。いや、壊れていると言ってもいい。乱暴で凶暴で、己が敵と定めた対象を倒す事以外、眼中にないのである。ここまで狂った状態のリクトビアは、今までに例を見ない。
「大佐の拷問を受けた貴様が何故戦える。まさか貴様・・・・・!?」
「さっきまで体中痛くて怠くて最悪だったが、今は凄く良い気分だ!!アーレンツ製のドーピングは最高だぜ、ヴィヴィアンヌ!!」
彼の首筋には、いくつもの注射痕があった。これは、薬物を使用した拷問時のものではなく、彼が自分の手で新たに注射したものである。
「相当の量の薬を使ったか・・・・・」
「あはははっ!!お陰で体中から力が溢れ出しそうだ!何せ、お前をぶっ飛ばすにはこれくらいは必要だもんな!」
「わかっているのか・・・・・?その薬を大量に使えば、いずれ貴様は------」
「御心配どうも!!俺の体の事よりも、自分の身でも心配しとけ!」
拷問を受けていた最中、ようやく救出されたリクトビアが願ったのは、ヴィヴィアンヌと戦う事であった。
彼は仲間の制止も聞かず、彼女と戦うために、己のぼろぼろの体を無理やり動かし、特別収容所の武器庫から、大量の武器と薬を強奪したのである。人造魔人研究の過程で生み出された、肉体強化の薬物。常人なら注射器一本分で、短時間ながら十分な効果を発揮するこの薬物を、既に彼は六本以上も摂取していた。
これだけの量を一度に注射した場合、常人であれば確実に死ぬ。一本だけ使ったとしても、強烈な副作用が待っているのである。そんな劇薬とも言える薬を使ってまで、リクトビアは彼女のとの戦いを望んだのだ。
「薬のせいで壊れたか・・・・・・。そうまでしても、私に勝つ事はできないぞ」
「そういうのはな、やって見なきゃわからないって相場が決まってるんだよ!!」
「貴様は再度拘束する。帝国軍に対する切り札になって貰う」
「やっとシャバに出れたってのにまた捕まって堪るかよ!!今度は俺がお前を捕まえる番だ!何でも言う事聞く俺専用の玩具にしてやるから覚悟しとくんだな!!」
背中に装備していた槍を左手で掴み、右手に持った三本の剣と共に、再びリクトビアはヴィヴィアンヌへと襲い掛かる。槍を片手に、もう片方では三本の剣を振り回し、敵を倒すべく突撃する彼の姿は、理性を失った凶暴な獣であった。
狂った獣を討つべく、ククリナイフを構え、真正面から迎え撃つ姿勢を取るヴィヴィアンヌ。小細工など使うつもりはない。正面から向かってくるこの獣が、二度と余計な口を聞けないよう、完膚なきまでに叩き潰したいのである。
「あっはははははははははははははっ!!!」
三本の剣と二本のナイフによる激しい剣戟。鉄同士がぶつかり合う甲高い音と、壊れた男の狂った笑い声が、二人だけの戦場に鳴り響く。乱暴な斬撃が容赦なく彼女を襲うも、その斬撃はナイフによって弾かれ、今度は槍の切っ先が向けられるも、それは容易く躱される。
逆に今度は、彼女のククリナイフが彼を襲う。鋭く速い彼女の斬撃に、持ち前の反射神経で技を捉え、剣と槍で斬撃を弾き返して見せるリクトビア。しかし彼女の技は、彼の反射神経と動体視力の先を行く。振られた斬撃の一つを躱しきれず、胸の鎧に傷を付けられたのである。もし直撃していれば、鎧事胸を斬り裂かれていただろう。
そんな恐怖を覚えさせられても尚、リクトビアの狂った笑い声は止まず、邪悪な笑みを浮かべた口元は一層吊り上がる。
その時ヴィヴィアンヌは理解した。今のこの男に、恐れるものなど何もない。恐怖という感覚すら、薬によって壊れてしまったのだ。いや、薬など使わなくとも、最初から彼は・・・・・。
「楽しくなってきたな!!もっと楽しそうな顔しろよ、ヴィヴィアンヌ!!」
「馴れ馴れしく私の名を呼ぶな!!その四肢全て斬り落とし、二度と口が聞けぬよう舌を引き抜いてやる!!」
笑い狂うリクトビア。怒り狂うヴィヴィアンヌ。
二人だけの戦場。二人だけの戦い。
狂犬と番犬。二匹が決着をつける、舞台の幕が上がった。




