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第二十七話 愛国者 Ⅲ

 ディートリヒの命令で、執務室を退出したヴィヴィアンヌ達は、部屋の前で待機していた。もし、執務室内で問題が発生した場合、突入して即時制圧できるよう構えているのだ。

 

「宜しかったのですか同志大尉。准将閣下とあの男を二人だけにしては-------」

「言うな、これは閣下の命令だ。無視するわけにはいかない」


 部下の一人が意見を口にしようとしたが、彼女はその言葉を遮って答えた。部下に言われずとも、そんな事は言われなくともわかっている。だが、命令を無視する事は彼女にはできない。彼女は国家保安情報局の軍人であり、命令は絶対だからである。

 

「貴様達は戻れ。ここは私一人で問題ない」

「いえ、同志大尉。我々もここで待機致します」


 ディートリヒとリクトビアの話が、一体どれだけかかるのか分からない以上、ここで部下達を待機させるのは酷だと考え、ヴィヴィアンヌは彼らを撤収させようとする。しかし彼らは、国家に忠誠を尽くすと同時に、彼女に忠を尽くす鍛え上げられた兵士達である。彼女一人がここに残るというのであれば、自分達が残らぬわけにはいかないのだ。

 冷酷非情と謳われる彼女だが、意外な事に普段の彼女は、自分の部下達に厳しくも優しい。国家に忠誠を誓い、同じ志を持つ者達を仲間と考える彼女は、自分が同志と定めた者達には、大きな敬意を払う。

 そんな彼女によって鍛えられた兵士達は、徹底的な愛国精神を叩き込まれ、徹底的な戦闘訓練と諜報訓練を受けた、国家のために命を捧げる兵器と化す。兵士達は、自分達を最強の兵器と変えた彼女に感謝し、彼女を愛国者の鏡と讃えて、彼女に忠誠を誓うのである。

 故に彼女の部下達は、彼女の命令であればどんなものでも従う。例えそれが、「死ね」という命令であったとしても、彼らは喜んで従うのだ。


「・・・・・好きにしろ」

「はっ!」


 部下達は敬礼し、ヴィヴィアンヌと同じように部屋の前で待機を始めた。執務室に紅茶を持ってきた女性兵士は、ヴィヴィアンヌ直属ではなかったが、ディートリヒの秘書のようなものであり、彼の身を案じてか、この女性兵士も待機を始めた。


「駄犬如きが・・・・!」

「!」


 執務室を睨み続ける彼女が、低い声でそう呟いた。この場の部下達にではなく、その言葉は間違いなくリクトビアと向けられている。

 ヴィヴィアンヌは祖国のため、自分の直属の上司であるディートリヒの命令を受けて、ヴァスティナ帝国軍参謀長リクトビアの調査を命じられた。それが彼女の、今回の任務の始まりである。

 オーデル王国の侵攻を防ぎ、国力と軍事力を拡大していく帝国の情報を収集し、参謀長リクトビアの正体を探る事を命令された彼女は、彼を拉致したあの日まで、徹底的な調査を行なっていた。リクトビアが調査対象となった理由は、彼が突然帝国に姿を現した瞬間から、帝国の急速な軍備拡張が進行し、小国ヴァスティナ帝国を大きく変化させたからである。

 帝国の変化の原因はリクトビアにある。そう考えた情報局首脳部は、ディートリヒを責任者として帝国とリクトビアの調査を決定した。ヴィヴィアンヌはディートリヒの手駒であり、任務の重要度や難易度を考えると、彼の配下の中では彼女が最も適任だった。何故なら彼女は、ディートリヒ配下の誰よりも優秀な諜報員であり、任務の失敗はあり得ないからだ。

 上手くいけば、帝国軍の正体不明の兵器の情報も得る事ができる。この情報には大きな価値があり、失敗は許されなかった。故に、彼女が任務に選ばれるのは必然であったのだ。

 ヴィヴィアンヌは祖国のため、任務を受けて部下達とアーレンツを出発した。これが、約一年前の出来事である。長くても半年で終わると思われていた彼女の任務は、途中命令された他国への諜報活動や、帝国軍の活発な動き、そして帝国参謀長の情報収集の難航などが重なり、当初の想定以上の時間を費やした。

 結局、リクトビアの正体はわからないまま、ディートリヒの命令で彼を拉致する事となり、現在に至る。任務に関しては完璧主義である彼女は、今回の任務を完遂できたと考えてはいない。部下達も初めて見る程、ヴィヴィアンヌは彼に執着しているのだ。

 リクトビアに対し感情的になっているのは、部下達の眼にも明らかであった。だからこそ彼女は、彼に名前を聞かれた際、あの場で本名を答えてしまったのだ。

 諜報員である以上、他国の人間に本名を知られるわけにはいかない。それは彼女もよく理解している。しかしあの時の彼女は、いつもと何かが違った。ほんの一瞬だけ、私情に流されたのである。自分を苦戦させ続ける存在に、自分の名を知らしめるために、彼女はあの場で本名を口にしてしまったのだ。

 

「奴への尋問は全て私が行なう。今度こそ、必ず吐かせてやる」


 任務に執着し続ける彼女を、部下達は止める事は出来ない。ならば、彼女の行ないを祖国のためと信じ、彼女の命令に従うのが正しい行為となる。何故なら彼らは、命令に従い行動する、祖国の忠実な一兵士だからだ。

 執務室の扉へ向けて、決して視線を外さないヴィヴィアンヌ。この状態の彼女なら、入室の許可が下りた瞬間、リクトビアに襲い掛かってもおかしくない。この時彼女の部下達は、冗談と笑えないそんな光景を想像し、そうならない事を静かに祈ったのである。






「君は我が国についてどこまで知っている?」

「大陸最大の中立国で情報大国って話はうちの軍師から聞いてます。あとは、鉄や鉛、火薬の輸出で随分儲けられてるとか。そう言えば護謨の生産も盛んでしたよね?」

「どうやら我が国の表面はご存知の様だ。国家保安情報局については?」

「そちらはさっぱりです。とりあえず、この国自慢の諜報機関というのは身をもって理解しました」


 執務室内では、ディートリヒとリックの会話が始まっている。ディートリヒはいきなり本題に入るような事はせず、葉巻を口に咥え、リックの事を探るように彼に問いかける。

 リックはアーレンツについて、帝国軍師エミリオ・メンフィスより話を聞いていた。ディートリヒへと答えた通り、彼が知っているのはアーレンツの表面だけである。国家保安情報局などの存在は、エミリオに教わってはいなかったのである。彼がそれを教えなかったという事は、これはエミリオ自身も知り得なかった事なのだ。

 中立国アーレンツは、他国の諜報員が容易く情報を得られる国ではない。周りを鉄壁の壁で覆うこの国は、他国の諜報員を潜り込ませないよう、昼夜問わず厳重な警戒が行なわれている。旅人や商人に扮して入国を試みても、門を見張る憲兵の眼を誤魔化す事は出来ない。諜報員だとわかれば忽ち捕らえられ、特別収容所送りとなる。

 この国の情報を得ようとして、これまで数え切れないほどの人間が、自国へ戻る事なく姿を消した。アーレンツの情報を集めようとした者達は、全員捕縛されたか殺されたからである。

 エミリオも他国に漏れず、この国へ何度か諜報員を送っていた。勿論、誰一人帰還した者がいなかったため、彼もこの国についてはあまり情報を掴んでいない。帝国軍師である彼が知り得なかったために、リックはこの国の裏面や事情を何も知らないのだ。

 

「我が国自慢というより、我が国の生命線と言ってもよい組織だ。君はアーレンツの歴史を知っているかね?」

「実はあまり詳しくなくて・・・・・」

「ローミリア大戦は知っているだろう?この国は大戦後にできた国でね。長い戦争が終わり、行き場を失った各国の諜報員達が造り上げたのだよ」


 かつて、大陸全土が戦場となり、終わる事のない戦火が燃え広がった。それがローミリア大戦である。

 この地には元々国は存在していなかった。いや、大戦の最中に滅ぼされてしまったという方が正しい。永遠に続くかと思われた長き大戦も終わり、灰と瓦礫しか残っていなかったこの地に、彼らはやって来た。

 大戦が終結した事で、生き残った国々の多くは、自国の復興活動に全力を注いだ。しかしその中で、不要とされていった者達がいる。それは、大戦中各国が急速に拡大させた諜報戦力である。戦争が終わった事で、彼らの役目は激減し、各国はその大きな力を持て余すようになった。当然、多くの国は自国の諜報組織を大幅に縮小し、そのお陰で多くの諜報員が行き場を失った。

 彼らの多くは、戦いしか知らない、戦争の中でしか生きられない者達である。平和な世界では生きられない彼らに、居場所など何処にもなかった。だから彼らは造り上げるしかなかった。自分達の新しい居場所となる、新しい国を。

 彼らと同じように、滅亡した国の諜報組織の生き残りや、様々な事情から、祖国に命を狙われている諜報員まで、自分達の国を造るべく集まった。

 建国後、すぐに中立を宣言したこの国はアーレンツと名付けられ、この国の歴史は始まったのである。

 

「建国当初から、この国は情報を駆使して国家を繁栄させていった。諜報員が集まった国だからね。彼らは周辺諸国の軍人や貴族の情報を持っていた。当然その情報の中には、彼らの弱みも含まれていたのだよ」

「なるほど、建国当初は弱みを使って周りを脅したんですね。それで力を付けていったと」

「その通りだ。情報というのはね、剣や魔法などよりよっぽど価値がある武器なのだよ。それを理解できぬ愚か者達は、滅びる運命にある」

「情報の価値を理解している大国。つまり、ゼロリアスやホーリースローネ、そしてジエーデルなんかは、この国から情報を買い続ける限り滅びないわけですか」

「君が持っている情報など、その三国には一層高く売れるだろう。特にジエーデルは、喉から手が出る程欲しいだろうからね」


 ディートリヒが話すように、リックも情報の価値は十分理解している。これまでも情報戦で勝利を収めたお陰で、帝国は勝利を重ねてきたのである。帝国が勝利を重ねた最大の要因は、敵の詳しい情報を早急に得ていたからに他ならない。

 

「上層部は帝国軍の戦力の秘密を欲している。それを握っている帝国参謀長から、どんな手段を使ってでも情報を得よというのが私に下された命令だ」

「それで俺を誘拐したと?」

「少し違う。君を捕縛した場合は、すぐに上層部へ届けるよう厳命されていてね。だが君は今、こうして私と会話を楽しんでいる。何故だかわかるかな?」

「・・・・・・誘拐は准将の独断で、准将は俺が持つ情報ではなく、別の何かが欲しいとか?」

「そうだ。私は君が握っている帝国軍製兵器の情報よりも、君の力そのものが欲しいのだよ」


 愉快な話でもするようにご機嫌なディートリヒとは対照的に、リックは警戒の色を示した。交渉と言われた時点で、彼が自分を利用しようとしている事を察していたリックだが、わかっていても不快感を完全に隠し切る事は出来ない。

 交渉の内容次第では、リックの仲間達が危険に晒される可能性は、十分あるのだ。しかも、他国の軍人に利用されてという形である。仲間を大切に扱う彼が、不快に思うのも無理はない。


「今、大陸全土のほとんどの国家が問題を抱えている。問題の多くは、内部分裂だ」

「内部分裂?」

「君がエステラン国を倒した時と同じだよ。今や多くの国は、様々な対立構図を国内に作り、民の反発まで買っている始末だ。一枚岩の国などほとんどない。我が国もそうだ」

「この国にも対立があるんですか?」

「中立をやめ、今こそ我が国長年の悲願である大陸全土統一に乗り出すべきだと主張する、強硬派。中立を崩さず、今まで通りの国家運営を続けようという、穏健派。この二つに分けられている。ちなみに私は穏健派だ」


 アーレンツ建国の歴史には、偉大な建国者達の悲願がある。

 建国者達は誓ったのだ。戦争が終わったからと、自分達の存在を捨てた者達を、決して許してはならないと。いつの日か必ず、自分達を捨てた祖国を後悔させ、支配するのだと誓った。

 その誓いのもとに掲げられた悲願こそ、ローミリア大陸全土の統一である。この悲願は建国者達の復讐であり、アーレンツの歴史と共に受け継がれてきた。


「強硬派の勢力は増える一方でね。原因は、我が国の行き詰まりとジエーデルの脅威だ」

「行き詰まりというのは?」

「簡単な事だよ。他国の例に漏れず、我が国も経済状況がいいわけではない。我が国最大の商品である情報が、近年売れなくなってきている。どうやら各国は我が国を疎ましく思っているらしく、自国の諜報組織を強化し、情報戦に力を入れるようになった」

「自前で他国の情報を仕入れるから売れなくなったと。それはわかりますが、ジエーデルの脅威というのがわかりません。ジエーデルはここを襲わないはずでは?」

「今はそうだ。しかし、あの男は必ず我が国を滅ぼそうと考える。あの男にとって我が国は、最大の弱点だからね」


 ディートリヒが言うあの男というのは、ジエーデル国総統バルザック・ギム・ハインツベントである。ジエーデルの絶対的支配者は、中立であるこの国を必ず攻めると彼は語る。しかも、バルザックにとってアーレンツは弱点だと語るのだ。

 つまりアーレンツは、バルザックの弱点となる情報を握っているという事になる。その弱点を持っているが故に、アーレンツは彼に狙われているのだと、ディートリヒは言いたいのだ。

 

「強硬派が力を増している理由はわかりました。もしかして准将、俺と交渉したいっていうのは、穏健派に力を貸して欲しいとかって話では?」

「はっはっはっ!話が早くて助かるよ。君が帝国の力を率いて私達に力を貸してくれれば、強硬派を抑え付ける事が可能だろう。穏健派が彼らに対抗するには、それ以外道はないと私は考えている」

「・・・・・その見返りは?」

「君の命の保証だよ。私に力を貸してくれるなら、君に危害が及ばなくなるよう工作しよう」


 ディートリヒの目的は、帝国参謀長であるリックと手を結び、穏健派の勢力拡大に利用する事にある。

 彼が支持する穏健派には、日々勢力を拡大する強硬派を抑える力が不足していた。今はまだ互角の勢力図だが、このままアーレンツが抱える問題を放置すれば、強硬派の力は増すばかりである。強硬派の主張が認められれば、アーレンツは中立を捨て、大陸全土へ宣戦を布告する事となるのだ。

 強硬派は戦争に勝利する絶対的自信を持っているが、穏健派はそう思っていない。現在のアーレンツの軍事力では、どの大国と戦争を行なっても、勝利は難しいと考えているからだ。強硬派の主張で国を滅ぼす前に、穏健派は何かしらの手を打たなくてはならない。祖国の滅亡を回避する手段は、これ以上勢力を拡大しないよう、強硬派を抑える事なのである。

 ディートリヒは穏健派の代表格の一人である。リックが彼に協力し、帝国の軍事力を味方に付ければ、穏健派は大きな戦力を有する勢力となる。勢力が大きくなるという事は、発言力も大きくなるため、強硬派に正面から対抗可能となるだろう。

 ディートリヒの狙いは、穏健派の力を増大させ、強硬派に正面から対抗し、その勢力を削ぎ落としていく事にある。穏健派には勝てないと悟らせ、強硬派を少しずつこちらに寝返らせる事により、勝利を収める事が狙いなのである。

 

「俺の身の保証をしてくれるというのわかります。ですが、俺が手を貸すだけで本当に強硬派に対抗できるんですか?そんなに上手くいくとは思えませんが・・・・・・」

「上手くいかせるとも。強硬派は私を快く思っていないのでね。彼らが実権を握れば、私は殺されてしまうだろう。これには祖国の未来と私の自身の命がかかっているのだ」

「このままでは自分の命はない。だから帝国の力を利用して、この状況を打破したいと、そういう事ですね」

「どうだね、協力して貰えないだろうか?君が首を縦に振らなければ、私は君を守る事が不可能になる」


 これは脅しだ。ディートリヒはリックが断る事の出来ない、この状況を作り出すために彼を拉致したのである。

 ディートリヒの命令で、彼の指揮下であるヴィヴィアンヌの部隊は、戦場となっていた街からリックを拉致した。これは当初の作戦計画に則ったものではなく、ディートリヒの独断である。上層部の決定ではなく、彼個人の計画のためにヴィヴィアンヌに命令を下したため、これが情報局上層部に知れると、ディートリヒは独断専行の責任を問われる事になるだろう。

 その危険を冒してまで、彼がリックの拉致を命令したのは、交渉という名の脅迫を行なうために他ならない。リックをアーレンツに連行し、彼を手中に収める事ができれば、アーレンツ国内での彼の身の安全を保障する代わりに、どんな要求も呑ませる事ができる。彼を人質にして、帝国軍を利用する事も可能なのだ。

 リックが要求を呑まなければ、アーレンツの上層部に彼を連行し、際限のない尋問を行なう事もできると、そう言って脅す事ができる。この国でリックがディートリヒの手元を離れれば最後、彼に待っているのは地獄のような尋問と拷問だ。帝国と自分の情報を全て吐かされた後は、確実に殺される。それはリックにも容易に想像がつく事である。

 今はまだ、ディートリヒが彼を拉致した事実を隠し、自分の手元に匿っているからこそ、彼の身の安全は保障されている。ディートリヒはヴィヴィアンヌ達に、リックを拉致した事実を秘匿するよう厳命しており、彼をこの国へ連行する時も、情報局に知られるのを防ぐため、秘密の地下通路から帰還させた。徹底した情報封鎖の甲斐あって、リックを捕縛した事実は、まだ国内には知られていないのである。

 

「俺に選択肢はありません。詳しい話を聞かせて貰えませんか?具体的に何をすればいいのか。准将閣下の真の目的は何なのか。それを聞いてみたいです」

「真の目的?私は純粋に祖国の平和を願っているだけだよ」

「御冗談を。純粋に祖国の未来を憂う人間が、他国の参謀長誘拐して脅してまでその軍事力を手に入れようとするなんて、大胆過ぎる計画です。よっぽどの野心を抱いてなきゃここまでしないでしょう」

「・・・・・勘のいい事だ。その勘の良さを生かせば、優秀な諜報員になれるだろう」

「日頃からうちの軍師とかにその辺は鍛えられてるので、そこまで褒められるような事ではありません」


 リックの勘は正しい。ディートリヒは己の立場を危険に晒してまで、敢えて彼を捕縛させた。ただ純粋に国を憂えての行動であるならば、リックの捕縛を独断で行なう必要はない。穏健派内で話し合い、彼を利用して強硬派に対抗する事を決め、それから行動を起こせばいいのだ。

 ディートリヒがそうしなかった理由は、更なる権力を得るためだ。

 このままリック捕縛の事実を隠し、彼を利用し帝国の力を得たとして、強硬派に勝利を収めたと仮定しよう。ディートリヒが自分の手札の切り札となる、帝国軍というカードを切るタイミングは、他の穏健派の主だった者達が、全ての手札を使い果たした時である。

 その時彼が切り札を出せば、穏健派に属する全ての人間は、彼に祖国の未来を委ねるしかなくなる。忽ちディートリヒは穏健派の実質的指導者となり、大きな発言力を得るだろう。彼の主導で強硬派を抑え込めば、彼は祖国の英雄となり、その成功から得られる権力は非常に大きいだろう。次期国家保安情報局局長の座は確実となり、この国で最も力を持っていると言われる、情報局のトップに君臨する事ができるのだ。

 その野心を叶えるためには、様々な危険を冒す必要があった。しかし、犯したリスクの分、得るものは非常に大きい。穏健派であるが故に、彼は窮地に立たされていたが、彼はこの窮地をチャンスと変えた。

 もう後戻りはできないのだ。平静を装っていても、ディートリヒもまた必死なのである。人生を懸けた大博打に勝利できるかどうかの瀬戸際で、彼はポーカーフェイスを貫き、勝利の鍵となるリックに要求を突き付けている。

 その覚悟を感じ取り、リックもまた話し合いという勝負を仕掛けている。彼との話し合いを、脅迫ではなく交渉とするために・・・・・。


「准将閣下。貴方が我が国の敵とならないのであれば、味方する事は可能だと思います。アーレンツが強硬派を抑え、中立の立場を貫くのであれば、アーレンツと帝国が争う理由はない」

「君の・・・・、いや、帝国の目的はジエーデルを滅ぼす事にある。その邪魔さえしなければ、協力はできるというのかね?」

「はい。我が国の女王陛下は、中立国まで攻め滅ぼせと命令するような暴君ではありません。逆に、准将閣下に協力してアーレンツを救った後、帝国の対ジエーデル戦でアーレンツが協力してくれるのならば、帝国は閣下に協力を惜しまないでしょう」


 リックは自分の手札を最大限に生かし、この場で彼に交渉を持ちかけている。ただ利用されるのではなく、こちらも彼を利用しなくては、帝国はディートリヒの脅迫に屈した事になってしまう。軍の全責任を預かる帝国参謀長として、それは許されないのだ。

 

「准将閣下、俺が貴方の要求を断る事は不可能です。しかし、見返りが俺の命の保証だけというのは厳しい。閣下は既に帝国の協力を得たに等しいのですよ?閣下の筋書き通り、順調に事が運んでいるのですから、もう少し見返りがあってもいいのではないですか?」

「もしも私が駄目だと言ったら?」

「その時はこの場で大暴れします。この手錠引き千切って外にいるヴィヴィアンヌちゃんと一戦交えてぼこぼこにしてやりますよ。俺がここで騒ぎを起こすのは、閣下にとって死ぬほど不味いのでは?」

「・・・・・面白い。いや、実に面白い」


 その瞬間、ディートリヒの眼に殺気が宿り、部屋に冷たい緊張感が流れた。鋭い視線でリックを見つめるその眼は、彼をこれ以上調子に乗らせはしないという、殺気が込められていたのである。

 これが諜報機関で准将の地位に就く男の強さかと、リックは彼に内心恐怖を覚える。ただ彼は、椅子に座って視線を突き付けているだけなのにもかかわらず、この場で圧倒的なまでの存在感を放っていた。

 だが、そんな相手に対しても、リックは一歩も引く気はない。相手を脅す発言を口にし、ディートリヒと一触即発の状況を生み出しても尚、リックは力強く彼の眼を見続け、決してその眼を逸らさなかった。


「残念ながら、私は君を信用する事ができない。エステラン国で帝国がどんな謀略を使ったのか、私が知らないとでも思っているのかね?」

「・・・・・・なるほど、それもよく御存知でしたか」

「対ジエーデル戦に力を貸してくれるのであれば、私に力を貸すと言うが、君が私を裏切らないという保証がない以上、その条件は受け入れ難い」


 ヴァスティナ帝国軍はエステラン国と軍事同盟を締結しているが、その実態は、エステラン国が帝国の傀儡となっており、その関係は対等なものではない。そうなった最大の要因は、帝国軍の謀略に他ならない。

 帝国軍がエステラン国でどんな謀略を使ったか、ディートリヒは知っている。故に彼は、リックが自分を裏切る可能性を訴え、彼の条件を躱そうとしている。


「・・・・・では、閣下の予想通り、将来的にジエーデルがアーレンツに侵攻を開始したとして、閣下は対ジエーデル戦においての勝算をお持ちなのですか?」

「難しいところだな。ジエーデルの国力は我が国を上回っている。単純に数の差で言えば、我が国に勝機はない」

「そうですよね。ジエーデルとの戦争に勝算がないからこそ、閣下は強硬派を止めようとしているわけですから。閣下がこちらの条件を受け入れて下されば、我が国はアーレンツの将来的脅威を排除するべく動けるんです」


 保証を提示する代わりに、条件を受け入れた場合に得るものをリックは提示した。確かにリックが言ったように、ジエーデルが将来的にアーレンツの脅威となるならば、何かしらの対策を練る必要がある。もしも、ジエーデルに対して帝国が戦闘を行なうというのであれば、アーレンツは直接的な戦火に晒される事はなくなり、自分達の戦力を使用する事なく、脅威の排除を行なう事も可能だろう。

 

「閣下が帝国を利用してジエーデルを討ったとなれば、閣下は救国の英雄となり、国民に益々支持されるでしょう。こちらの条件さえ受け入れてくれれば、閣下の得るものは非常に大きいはずです」


 ここで彼の信用を疑い、条件を受け入れなかった場合、ディートリヒは必ず後悔する事になる。リックはそこに揺さ振りをかけ、条件を受け入れさせようとしていた。

 この場でリックは、彼を信用させる保証を用意できない。保証を用意できないのであれば、別の手を打つしかなくなる。リックが出したこの一手は、ディートリヒの口元に笑みを浮かばせた。


「この状況下で果敢に立ち向かうとは面白い。流石は帝国軍の最高司令官と言ったところかな」

「准将閣下が必死なように、自分もまた必死なんです。閣下がこっちの条件を呑んでくれるまで、俺は徹底抗戦の構えですから」

「・・・・・・信用は出来ないが、互いの利害は一致している。その条件を受け入れよう」

「ありがとう御座います、准将閣下」


 どうにかリックは、ディートリヒと交渉を行なう事に成功した。しかしリックは、これを勝利とは考えていない。

 ディートリヒ程の男であれば、この展開を予想できなかったわけがない。彼の頭の中にあった数ある展開の内、互いの利害が一致したものを、ディートリヒ自身が選び取ったに過ぎないのである。


「これで、君がアイゼンリーゼ大尉と一戦交える必要はなくなったわけだ。情報局自慢の番犬と帝国の狂犬の対戦カードは見てみたかったがね」

「勘弁してください。うちの精鋭三人を簡単に倒しちゃうような子ですよ?俺なんか瞬殺されちゃいます」


 冗談交じりのリックの言葉に、ディートリヒは大声で笑った。彼に釣られたように、リックもまた笑う。

 国家保安情報局准将ディートリヒ・ファルケンバインと、帝国参謀長リクトビア・フローレンスによる交渉は、こうして幕を下ろしたのである。

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