第二十六話 狂犬と番犬 Ⅶ
大陸中央で帝国軍が戦闘を行なっている、同時刻。
「メイド長!メイド長メイド長メイド長メイド長っ!!」
「何です、騒々しい」
ヴァスティナ帝国女王の執務室。執務室の席に付き、政務を行なっている女王アンジェリカ・ヴァスティナと、彼女を補佐しているメイド長ウルスラの姿がここにある。
ペンを走らせる音しか聞こえなかった静寂を壊したのは、執務室の扉を乱暴に開き、ウルスラを呼び続ける一人のメイドであった。
帝国女王最後の砦、武装メイド隊フラワー部隊の所属のラフレシアが、指揮官であるウルスラのもとへと駆け込んできたのである。
「ちょっとメイド長!リンがあの国絡みでお使いに行ったって本当ですか!?どうして私に黙ってたんですか!?」
「・・・・・貴女の言う通り、リンドウには情報を届けさせるためお使いに出しました。貴女に言わなかったのは、絶対に反対して彼女のお使いの妨害をするとわかっていたからです」
「しますよ!するに決まってるじゃないですか!だって、あの国はリンにとって・・・・・」
ラフレシアが彼女を・・・・・、同じフラワー部隊所属のリンドウを心配する理由は、ウルスラにもわかている。わかっていたが、彼女に任せるのが最善の選択だと考え、彼女を行かせたのだ。
「はわわわわ!ラフレシア、落ち着いて・・・・・!」
「もう、この子はリンの事になるといつもこうなんだから。陛下のお仕事の邪魔だから、ほら行くわよ」
「ラフレシア・・・・・、面倒くさい・・・・」
執務室に駆け込んだラフレシアを確保するために、フラワー部隊の他のメイド達が集まった。彼女を追い、慌てて執務室に入って来たのは、メイドのアマリリス、ノイチゴ、ラベンダーである。
女王アンジェリカのいる執務室に、まさかの突入を行なった彼女を止めなければ、後でアンジェリカとウルスラにどんなお説教をされるかわからない。冷静さを欠いたラフレシアを早く連れ出さなければ、怒られるのは彼女だけでは済まないのだ。ウルスラ指揮下の部隊は、連帯責任が当たり前なのである。
「お前達、騒がしい」
「「「「!!」」」」
書類に文章を書きながら、アンジェリカは視線を彼女達へと向ける事なく、静かな声で文句を口にした。アンジェリカの怒りを買ったと思い、一瞬で緊張状態に突入するラフレシア達。年齢で言えば、アンジェリカは彼女達より年下であるのだが、女王の威厳とその性格のせいで、怒らせると異様に怖いのである。
「ウルスラ、リンドウは任務でエステランに向かったと聞いた。何故、ラフレシアがここまで取り乱す?」
「任務の内容に少々問題がありまして。それで私を問い詰めに来たのでしょう」
「確かその任務、情報を届けるだけだったはずだ。一体何の問題がある?」
「情報の内容に、リンドウの過去が関わっております。ラフレシアはそれを心配しているのです」
帝国参謀長リクトビアへと急ぎの情報を伝える。それがリンドウの任務であり、その話はアンジェリカも知っている。任務の内容も聞かされているのだが、リンドウの過去に関わるなど初耳だった。
「聞いて下さい陛下!メイド長、リンはチャルコまで紅茶の葉を買いに行ったって私に言ったんです!本当は任務で出たなんて私聞いてなかったんですよ!?」
「落ち着け。それで、お前はどうやってリンドウの任務を知った?」
「ノイチゴから聞きました!」
「ごめんなさ~い陛下、ちょっと口滑らせちゃいました~♡」
まったく反省の色が見えないノイチゴに、アンジェリカは溜息を吐くしかなかった。偶々ノイチゴが口を滑らせたために、ラフレシアはリンの任務に気付き、彼女を問い詰めて全て聞き出したのである。
「ノイチゴ、後で裏に来なさい」
「あら~・・・・・、今日が命日かしら・・・・」
「私以外皆知ってたんですよ!酷くないですか!?陛下、私にリンの後を追わせて下さい!!」
「・・・・・追ってどうする?」
「リンと任務を代わります!もうエステランに着いた後なら、これからあの国に乗り込んで、あの国の人間皆殺しにしてきます!!」
言った事を本当に実行してしまいそうな勢いであったため、困り果てたアンジェリカはまたも溜息を吐いて、ウルスラへと視線を移す。ラフレシアが何故、ここまでの行動に出ようとしているのか、その理由を知りたかったからだ。
「ウルスラ。私に何を隠している?」
「・・・・・申し訳ありません。陛下にお伝えする必要はないと考え、リンドウと任務の関係性を伏せておりました」
「あの国・・・・・。中立国アーレンツはリンドウとどんな関係にある?」
中立国家アーレンツ。それが、リンドウと関わりのある国の名前だ。大陸中の国家が決して手を出す事のない、大陸最大の中立国である。
「それから、ラフレシアがリンドウの事でここまで取り乱す理由がわからん。ウルスラ、説明しろ」
「理由は二つあります。一つは、彼女はこう見えてとても仲間思いなのです。二つ目は、ラフレシアはリンドウの事が好きで好きで仕方がなく、リンドウの事になるといつも--------」
「わっわっわっ、わああああああああーーっ!!かっ、勘違いしないで下さい陛下!メイド長の言ってる事は全部嘘っぱちです!!」
「以前、リンドウが城下で旅人に口説かれていた事がありまして、その時も大分錯乱していました。口説いた旅人を殺しに行くと言って、完全武装で城下に向かった事も-------」
「ぎゃあああああああっ!それ私の黒歴史いいいいいいいいいっ!!」
「あの時は止めるの大変だったんですよ~。私とアマリリスとラベンダーの三人がかりでも手が付けられなくて、メイド長が本気で殴り飛ばして止めたくらいですから」
どうやら、本人にとっては思い出したくない記憶らしく、ウルスラとノイチゴの暴露によって悶えるラフレシア。衝撃の暴露話に、アンジェリカも耳を疑ったほどだ。
彼女が本当に知りたい内容から、大分話はずれてしまった。話を戻そうと思うアンジェリカだったが、気になる事ばかりであったため、我慢できずに気になる事の一つをウルスラへと尋ねる。
「ウルスラ、ラフレシアは腐っている女のはずだ。こいつは百合なのか?」
「それは--------」
「陛下あああああああああっ!!そこ気にしないで下さい!」
本人が全力で嫌がっているため、この話を掘り進めるのはやめる事にしたアンジェリカ。勿論、後で必ず詳しい話を聞くつもりである。ラフレシアがいなくなった後に、紅茶を飲みながらゆっくりと・・・・。
「まあいい・・・・・、今知りたいのは中立国アーレンツとリンドウについてだ。ウルスラ」
「はい、女王陛下」
「今回の事について、知っている事を全て話せ。何一つ隠す事は許さん。我が命は絶対だ」
「はっ。では、ご説明致します・・・・・」
この場ではアンジェリカだけが知らない、帝国メイド部隊の過去に関わる話。前女王は知っていて、現女王である彼女は知らない、メイド達の過去。
その一部を話すべく、部隊の創設者であるメイド長ウルスラは、一瞬話すのを躊躇いつつも、アンジェリカに聞かせるために口を開いた。
「こいつの命が惜しければ、大人しく指示に従って貰おう」
「だっ・・・・駄目だよリック君・・・・・、僕を撃って・・・・・っ!」
帝国参謀長であるリックは今、重大な決断を迫られていた。大切な仲間の命を救うため、降伏を選ぶか。それとも、仲間の命を見捨てて戦うか。そのどちらかだ。
リックの眼前に映るのは、今まで遭遇した事のない圧倒的な実力を持った敵と、人質にされた大切な仲間の姿である。正体不明の眼帯少女は、その気になれば人質の首の骨を折り、一瞬で死に至らしめる事ができる。それを行なわないのは、何か別の目的があるからだ。
人質にされている彼の仲間、狙撃手イヴは首を絞められ苦しさに呻く中、必死に彼へと訴える。自分事、この少女を撃てと・・・・・。二人へと向けている拳銃の引き金をひき、自分を殺せと訴えているのだ。
「撃ちたければ撃て。但しその時は、こいつには私の盾になって貰う。盾が死ねば、次はそこの赤髪の槍使いに盾になって貰うがな」
「ぐっ・・・・・、悪趣味な奴・・・・・っ!」
ここでイヴを撃ったとしても、彼女の周りにはまだ、リックの仲間達の姿がある。先ほどの戦闘で彼女に痛め付けられ、そのせいで未だ地面に倒れたままの二人。槍士レイナと剣士クリスは、彼女の手中にあると言っても過言ではない。
「選べ、リクトビア・フローレンス。武器を捨て、大人しく私の指示に従うか、人質を殺すか。このどちらかしか、貴様に選択肢はない」
「お願い・・・・・っ!逃げてリック君・・・・・・っ!」
「暴れるな、死にたくなければ大人しく・・・・・・・・。貴様まさか、行方不明となっていた五十三号か?」
「!!」
リックを守るため、彼に逃げるよう必死に訴えかけるイヴ。拘束から抜け出そうと、体を激しく動かすイヴに対し、彼女は一層拘束を強めようとしたのだが、不意に彼女は、記憶の中にこの容姿と声に該当する人物の事を思い出す。
「雰囲気が変わったせいで気付けなかった。その反応を見るに、五十三号で間違いないようだな」
「・・・・・そんな人、僕は知らない」
「五十三号・・・・?イヴの事を言ってるのか?」
「そうか・・・・。五十三号、貴様自分の新しい主人に何も話していないようだな」
正体不明の少女が、イヴの事を五十三号と呼ぶ。彼女はイヴが自分の予想通りの人物と分かり、一瞬で憤怒の表情を露わにした。
二人の話の意味が分からず、様子を見ているリック。このまま彼女が話に没頭してくれれば、時期に、異変に気付いた部隊がこの場に駆け付けるだろうと考え、彼女の言葉を黙って聞いていた。
「貴様は私を裏切り、帝国の人間となったわけか。我が祖国を裏切ったその罪、楽な死で贖わさせはしない。貴様のような男娘を好む者達を集め、死ぬまで変態共の玩具にしてやる」
「・・・・・・よく聞いたらその声、聞き覚えがある。僕が下っ端の諜報員やってた頃、僕に命令してた人だよね・・・・?」
「覚えていたか、裏切り者の劣等人種。言ったはずだ五十三号、裏切りは万死に値するとな」
これはイヴが、まだ帝国に来る前の話だ。そういう話であると気付き、リックはイヴに初めて殺されかけた夜の事を思い出す。その時のイヴは、他国の組織の命令を受けて動く、末端の諜報員であった。
イヴの雇い主は、この眼帯少女で間違いない。五十三号というのは、この時のイヴのコードネームだったのだろう。どうやら彼女は、イヴが自分を裏切って帝国の人間になった事を知らなかったようで、それに激怒しているようであった。
「丁度いい、貴様のご主人様のいる前だ」
「!?」
「五十三号。貴様のご主人様は昔の貴様を何も知らない。いい機会だ、私が代わりに話してやろう」
眼帯少女の怒りの表情が変わり、今度は彼女の口元に笑みが浮かぶ。何か良からぬ事を企む、そんな笑みだった。彼女が何をしようとしているのか、すぐに理解できたのはイヴだけだ。イヴは血相を変えて暴れだし、彼女の拘束を振り解こうとする。
「やめて!それだけは・・・・・・!!」
「やはり抵抗するか。これは貴様への罰の一環だ。たっぷりと味わうがいい」
「言ったらお前を殺す!!リック君にそれを聞かれたら、僕は・・・・・・!」
「少し黙っていろ」
イヴの首を左腕で締め上げ、彼の呼吸を奪った彼女は、彼の意識が朦朧とする迄締めるのを緩めなかった。息ができなくなり、意識を失いそうになったイヴ。無理やり彼を大人しくさせ、話の邪魔にならないと判断した彼女は、首絞めを止めて話を始めた。
「リクトビア・フローレンス。貴様は、この男が私に拾われる前、どんな方法で生きてきたのか知っているか?」
「・・・・・・いや、知らない」
「それはいい、ならば教えてやろう。この男は自分の容姿を活かし、娼婦の真似事をして金を稼いでいた。とは言っても、本当に体は売らず、男を誑かして金を奪い逃げ去る、ただの泥棒だったがな」
彼女の話で、リックはイヴと初めて出会った時の事を思い出す。薄着で肌の露出が多い、痴女かと思わせる服装だった彼の事を、当然リックは娼婦か何かだと思った。体を擦り寄わせ、リックに自分の体を売り込んでいたあの頃のイヴは、彼女の言う通り娼婦だったのは間違いない。・・・・・まあ服装に関しては、今でも薄着で露出は多い、男を誘うような恰好ではある。
「体を売らない泥棒娼婦だったが、面白い事にこの男の体は、汚れを知らぬ体ではない。何故だかわかるか?」
「・・・・・・・」
「こいつの体は疾うに汚れ切っている。金を騙し取っていたせいで、こいつは多くの男達から恨みを買っていた。男達の中には、商人や傭兵、騎士や貴族までいたそうだ。それら全員が集まって、この男を襲った」
「復讐のためにか・・・・・・」
「その通りだ。男達の中には、こういう男娘を好む変態連中もたくさんいた。襲われて捕まったこいつは、三日三晩男達に暴行され、凌辱され続けた。自業自得の地獄を見たわけだ」
最初は、イヴの娼婦時代の話を聞かせるだけだと思っていた。話初めからそういう内容を覚悟していたリックだったが、彼女の語った内容は、彼の想像していた話を遥かに超えていたのである。
ようやくリックは、イヴがこの話を自分に聞かせたくない理由が分かった。今までこの事を黙っていた理由も、全て察したのである。
語られた話に、静かな怒りを体から放ち始めるリックを見て、彼女は尚も笑みを浮かべ続ける。こうしてリックの冷静さを奪うのも、彼女の策略の内なのだ。
「男達のもとから自力で逃げ出したこの男は、金も服も失い、生きるためにまた同じ方法を行なった。そうして金を稼いでは、男達に復讐され、その体を滅茶苦茶に弄ばれる繰り返し・・・・・・。滑稽だとは思わないか?」
イヴはリックの事を愛している。自分が好意を持たれている事は、リック自身も承知の事だ。どこまで本気なのか彼にはわからないが、お嫁さんになるとまで言っているような子である。
それなのに、愛する者の目の前で、自分の絶対に知られたくない黒い過去を暴露されるなど、堪えられない事だ。しかも、自分の体は男達に凌辱の限りを尽くされた、汚れ切った体という事実も知られた。イヴの心を壊すには、十分過ぎるほどの話だろう。
「この男の生き方は非常に愚かだ。何度も何度も同じ失敗を繰り返し、その度に体を売って生きていく。いっそ自ら命を絶ってしまえば楽だというのに、卑しく生にしがみ付く、本当に滑稽で哀れな男だ」
「やめてえええええええええええええっ!!!」
朦朧としていた意識が回復し、俯き泣き叫ぶイヴ。彼女によって、リックに忌まわしき過去の全てを知られた事のショックは大きい。イヴの心は、いつ壊れても不思議ではなかった。
「お願い・・・・・。もう・・・・・それ以上・・・何も言わないで・・・・・・・」
「これは貴様が招いた自業自得の結果だ。我が祖国を裏切った罪は、この程度で終わりにはしない」
イヴの精神は限界であった。ただでさえ人質にされ、リックの身を危険に晒してしまっているというのに、知られたくなかった過去まで暴露されてしまったのである。このままではイヴは、確実に心が壊れる。それを阻止できるのは、リックしかいない。
彼は銃を構えたまま、イヴを見つめ続けている。脳裏に蘇る、イヴに命を狙われた夜、彼がリックへと放った言葉。それは、「生きてるのが楽しいって思いたいんだ。じゃないと僕、生きてる意味がわからないから」、であった。
今リックは、ようやくこの言葉の意味を理解する。理解するのが遅すぎたと、自分自身を憎悪した。自分がこの言葉の意味に気が付いていれば、イヴを苦しめる事はなかったと、そう思わずにはいられなかったのである。
「・・・・・・それがどうした」
「何だと?」
リックの反応は、彼女が求めていたものではなかった。彼が怒りに燃えて、自分を殺しに来るのを狙っていた彼女だったが、リックの反応は驚くほど静かなものである。
人質を取ってリックに降伏を促している彼女には、あまり時間がない。ここで膠着状態を続けていると、いずれは異変を察知した第一軍の部隊が集まり、自分達は包囲されてしまう。目的を果たし、撤退まで成功させるには、時間との勝負なのだ。
彼女の目的は、リクトビア・フレーレンスの拉致である。暗殺ではなく、生きたまま彼を連れ去る事が、彼女の部隊に与えられた命令であった。だからこそ、イヴ達を生かしておいて、人質として利用したのである。
彼女はリックについて、様々な情報を収集していた。彼の戦闘力や性格、弱点に至るまで、得られる情報は全て彼女の頭の中に記憶されている。仲間のためならば、自分を犠牲にしても構わないという、その弱点も知っているのだ。
人質を使う方が拉致の成功率は高くなると、そう判断した彼女は、イヴ達と戦闘を行ない、三人の命を奪わぬよう戦った。他の兵士達より、普段からリックの身近にいるこの三人を使う方が、彼に強い精神的揺さぶりをかけられるとわかっていたのだ。後は、人質の命を優先させ、大人しく従わせれば、彼女達の任務は達成される。
しかし、イヴ達を人質に取られても、彼は予想していたよりも冷静であり、現場は膠着状態へと突入した。リックは彼女の目的をすぐに理解し、イヴ達を簡単には殺さないと、そう判断したのである。
このまま膠着状態を続け、状況を打開する手立てを考えつつ、救援の到着を待っているのだ。救援が到着すれば、彼女達は包囲され、人質を取っているとは言っても、袋の鼠にされてしまう。そうなっては、一方的な要求を突き付ける事ができた彼女の立場は一変し、お互い交渉を余儀なくされてしまう。
それを防ぐべく、彼女はイヴの過去を話し、リックの怒りを誘ったのである。彼から冷静さを奪い、自分へと仕掛けてくるよう仕向ければ、この膠着状態を打開できる。仲間を救うべく焦ったリックを、彼女自身が返り討ちにして拘束してしまえば、作戦は成功だった。
だがこの策も、リックには通用しなかった。彼は取り乱す事なく冷静なまま、彼女へと銃口を向け続けている。
「どんな過去があったとしても、イヴが俺の大切な仲間である事に変わりはない」
「リック君・・・・・・」
命の遣り取りが行なわれている緊張状態の中、真剣な表情を見せていたリックだが、次の瞬間彼は、イヴへと優しく微笑んで見せた。そして彼は、構えていた銃口を下ろし、その場にしゃがみ込んで、自分の拳銃を地面へ置いた。
「駄目!リック君、お願いだから逃げて!!」
「いっ、いけません・・・・・参謀長・・・っ!」
「リック・・・・早まるんじゃねぇ・・・・・っ!」
この場の兵士達も、彼女に倒されたレイナとクリスも、拘束されたイヴも、彼の行動に衝撃を受けた。リックは今、自分が装備していた唯一の武器を捨てたのである。これは彼が、彼女の要求に屈した事を意味している。
「お前の狙いは俺の命じゃない。暗殺が目的なら、俺はとっくの昔に殺されてる」
「理解が早くて助かる。貴様には私達に同行して貰う」
「俺が大人しく従えば、人質の命はちゃんと保証してくれるんだろうな?」
「勿論だ」
「こういう取引は保証されないって相場が決まってる。絶対約束守れよ?さもないと、人質見捨てて全力で逃げるからな」
この男ならばそれはない。そう彼女は確信しているものの、リックはヴァスティナ帝国軍の最高指揮者であり、国の英雄である。簡単に失っていい命ではない。帝国の未来を考えるのであれば、大切な仲間を見捨てでも、自分の命を守らなくてはならない立場だ。
確かに彼女は、リックの弱点を突いて降伏を要求している。しかし、彼が仲間の命よりも、国を優先する可能性も捨てきれない。何故なら彼は、帝国女王に絶対の忠誠を誓う、「帝国の狂犬」なのだから・・・・・。
「今からお前の傍まで近付く。そしたらイヴを解放しろ。わかったな?」
「・・・・・いいだろう」
帝国参謀長を拉致できる絶好の機会。これを逃せば、次はいつチャンスがあるかわからない。下手をして彼に逃げられでもすれば、彼女はともかく、彼女の上官が大いに頭を抱える事になる。それだけは阻止しなくてはならない。
「よーし、もう大丈夫だぞイヴ。今助けてやるからな」
「・・・・・ごめんね・・・・・リック君・・・・・」
「謝るなって。お前が無事なら、それでいい」
彼女のもとへと歩みを進めたリック。宣言通り一歩一歩、ゆっくりと彼女へと近付いて行った。武器も持たない丸腰の状態で、彼はイヴへと優しい微笑みを見せながら、確実に二人との距離を縮めていく。
しかし、イヴと彼女のもとまで、あと十歩のところでリックの足が止まる。何かの作戦かと思い、彼女は一瞬身構えた。
「俺がそっちに行く前に、一つ条件を出していいか?大した事じゃない、ちょっと質問したいだけだ」
「・・・・・・・条件を聞こう」
「俺はお前に興味が湧いてる。だから色々教えて欲しいんだ。まず、お前の名前は?」
レイナとクリスを圧倒したその戦闘力。優秀な兵士達を束ねる統率力。そして、他を震え上がらせるオーラ。リックが興味を示すには、十分過ぎる要素ばかりであった。
今までリックが、いや帝国軍が遭遇した敵の中で、彼女ほど強い敵はいなかった。ジエーデル国やエステラン国の特殊魔法兵部隊や、クリスが戦ったエステラン国の黄金十字騎士など、彼女の足元にも及ばないだろう。恐らく彼女は、レイナとクリスが一度も勝利する事の出来なかった戦士、帝国最強の軍神にして帝国騎士団団長であった、騎士団長メシアと互角かそれ以上の実力を持つ、凶悪な敵である事は間違いない。
これはリックの悪い癖だ。現れた彼女は、レイナとクリス、イヴまでもを瞬時に無力化し、自分をここまで追い込んだ、自分達を超える強者。レイナ達に興味を持ち、彼女達を仲間に迎え入れた時と同じ悪い癖が、彼女に対しても出てしまったのである。
「・・・・・・・」
「駄目か?せっかくなんだし、名前くらい教えてくれてもいいだろ?」
「・・・・・・ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼ。それが私の名だ」
眼帯の少女は、ヴィヴィアンヌと名乗った。名前を知れた事が嬉しかったリックは、笑みを浮かべて彼女を見つめ、次の質問をしようと口を開くが・・・・・・。
「質問に答えるのは名前だけだ」
「えっ!?出身とか趣味とか好き嫌いとかさ、そういうの知りたいんだけど!」
「貴様・・・・・、私を揶揄っているのか?」
「揶揄ってない!大真面目だ!!」
どう考えてもふざけている様にしか見えない、リックがこれから行なおうとした質問の数々に、ヴィヴィアンヌの表情に苛立ちが浮かぶ。彼女からすれば、これから拉致されるとわかっていながら、余裕な様子を見せている彼の正気を疑いたくもなるだろう。
彼女がこれ以上質問に答えないとわかり、リックは渋々歩みを再開する。ヴィヴィアンヌとの距離があと五歩というところで、彼女はイヴをリック目掛けて突き飛ばした。突き飛ばされたイヴを受け止め、彼の頭を優しく撫でる。
「約束通り人質は解放した。次は貴様の番だ」
「わかってる」
「行かないで・・・・・リック君・・・・・!」
「大丈夫だ、心配するな。すぐ帰ってくるから、エミリオ達にも心配いらないって伝えておいてくれ。まあ・・・・・、何と言おうと後で絶対怒られるけど」
そう言って、リックはイヴを優しく抱きしめた。リックの体で涙を流し続けるイヴ。彼が泣き止むまで傍に居たいと思いながらも、抱擁を解き、彼の体を自分から離すリック。
立ち尽くして涙を流し続けるイヴをそのままに、リックはヴィヴィアンヌの傍まで近付き、その歩みを止めた。
「帰ったら・・・・・、あの約束ちゃんと守るから」
「・・・・・!?」
振り返ったイヴの眼に映ったのは、愛するリックの後ろ姿と、ヴィヴィアンヌの姿だった。リックはイヴの方へと振り返らず、言葉を続ける。
「忘れたのか?エステランで、お前に脅迫されて約束させられたやつだよ」
「・・・・・忘れて・・・ないよ」
イヴの逆鱗に触れたリックが、彼に約束させられた事がある。自分を抱いて欲しいと、そう約束させられた。その約束は、未だ果たされてはいない。
「お前がどんなに汚されてようが構わない。俺の大好きなイヴは、いつだって可愛くて綺麗だ」
「!!」
「お前の過去に何があったって、俺はお前を嫌いになったりしない。だから帰ったら、またいっぱいイチャイチャしような」
その言葉は、イヴにとっての救いだ。我慢できずに泣き崩れ、その場に膝をつくイヴ。
ヴィヴィアンヌに倒され、リックを易々と彼女の手に渡してしまったレイナとクリスは、その光景を見ている事しかできなかった。
「レイナ、クリス。後の事は頼んだ」
それがリックの、この場での最後の言葉となった。
ヴィヴィアンヌは懐から鉄製の手錠を取り出し、リックの両手に嵌める。任務が成功した彼女は、彼の腕をがっしりと掴み、逃がさないよう自分のもとへ引き寄せた。
そして彼女は、自分の部下達に号令を下す。
「総員傾注。作戦終了、これより撤退する」