第二十六話 狂犬と番犬 Ⅳ
同時刻、サザランドの街。
「はい。予定通り、帝国軍の侵攻が始まりました。こちらは時機に三つ巴の戦場となります」
戦場となっているサザランドの街のとある酒場に、彼女の姿はあった。街に住む人々は、ダミア国軍の到着を知った瞬間に避難しており、今この街には、逃げ遅れた人々以外、残っている人間は極僅かだ。
彼女は決して逃げ遅れたわけではない。彼女はここで、命令を待っていたのである。
「そうです。帝国軍の指揮官は、リクトビア・フローレンスに間違いないと報告がありました。作戦通り、これより調査を----------。今、何と仰いましたか?」
彼女は命令の内容を疑った。
彼女は今、耳に付けたイヤリングの宝石に話しかけている。何故なら、このイヤリングは一種の通信機であり、離れた場所にいる相手と会話ができる、極めて高性能な装備であるからだ。これを使って彼女は、自分の上官から命令を受け取っていたのである。
どんな命令にも従う彼女だが、今回の命令には己の耳を疑わざるを得なかった。理由は簡単である。当初聞いていた作戦の目的とはまったく違う内容を、このタイミングで命令されたからである。
「いえ、不可能ではありません。ですが、作戦の成功率は四割といったところかと・・・・・・。殺すのであれば八割ですが・・・・・・。わかりました、隙を見て奇襲をかけます」
命令を了承した彼女に対し、複数の男達の視線が集まる。酒場には彼女の他に、サザランドの街で手に入れた服を着ている、十人の男達の姿がある。彼女もまた、サザランドの街娘の恰好に身を包んでおり、街の人間が見れば、住人の一人として見る事だろう。勿論これは、彼女達がこの街に潜入するための、一種の変装である。
男達の視線が彼女に集まったのは、当初の作戦が変更になったのを察知したからである。彼らは皆、彼女からの新しい命令を待っているのだ。
「はい、作戦終了後は速やかに本国へ帰還致します。・・・・・・・了解致しました、誰にも気付かれぬよう、地下から戻ります」
命令を受けている彼女は、十七歳くらいの少女であり、前下がりショートの黒い髪と、右目を隠す黒い眼帯が特徴的である。見た目的にはとても若いが、それでも彼女は、この場の誰よりも階級が上である。そんな彼女の命令だけに、部下であるこの男達は従うのだ。たとえそれが、死ねという命令であっても・・・・・。
「命令を遂行します。・・・・・・祖国万歳。通信を終わります」
通信を終えた彼女が、男達に命令を下そうとした瞬間、それはやって来た。酒場の扉を蹴破り入って来た、十数人の兵士達。全員武装しており、その眼は完全に戦闘態勢に入っている。兵士達の恰好から、ダミア国軍の兵士達というのはすぐにわかった。
彼女は突然の来訪者に驚きもせず、酒場のカウンターに腰かけたまま、振り向きもしない。通信を終え、カウンターに置いていたグラスを手に取り、中に注がれている水を飲む。
「貴様らよく聞け!我々はダミア国軍である!街の人間は一人残らず連行せよと命令を受けている。我々の指示に大人しく従って貰おう!」
彼らの目的は、逃げ遅れた街の人間を連行し、マンチリー国軍の情報を集める事である。連行する人々の中には女性の姿もあるだろう。それは彼らの慰みものと変わるだろうが・・・・・・。
故に、カウンターにいる彼女もまた、ダミア国軍の兵士達に狙われている。兵士達の中には舌なめずりしている者もおり、完全に彼女を狙っている事がわかる。しかし彼女は、このような状況でも尚、全く動じない。
「分隊各員、傾注」
彼女は振り向かないまま、言葉だけを発した。彼女が声を発した事で、彼女の言葉を待っていた男達が瞬時に反応し、酒場が一瞬で凍り付くような殺気に支配される。
「狩り尽くせ」
そこからは一瞬の出来事だった。酒場にいた男達が彼女の命令に応え、ダミア国軍の兵士達に襲い掛かったのである。ある者は隠していたナイフを抜き放ち、兵士の心臓を一突きして殺す。ある者は武器を使わず、一瞬で兵士の背後へとまわって、両腕を使い兵士の首の骨を折って殺す。またある者は、相手の剣を奪い取り、兵士の胸に突き刺して殺した。
たった一瞬で、男達は酒場に押し掛けてきた兵士達を、全員殺して見せたのである。鮮やかな技で、無駄のない動きであった。そして、情け容赦は全くない。
「状況終了です、同志大尉」
「大尉」という階級で呼ばれたのは、やはり彼女であった。男の一人が彼女を階級で呼び、彼女はようやく振り向いた。酒場に横たわる、ダミア国軍兵士達の死体。死体は全てダミア国軍兵士であり、男達に損害はなかった。掠り傷一つすら負ってはいない。
彼女はカウンターから席を外し、酒場の出口へと歩を進める。兵士達の始末を終えた男達も、彼女の後に続いた。
「分隊各員、傾注。作戦内容を計画三号へ変更し、極秘作戦一号を発動する。各部隊に伝達せよ」
「「「「「「はっ!」」」」」」
命令は告げられた。後は、行動を開始するのみとなる。
影として生きる彼女達の戦いが、今始まる。
マンチリー国軍とダミア国軍による戦闘状況に武力介入を開始した、暴竜師団第一軍。彼らの介入行動は、まさに力技であった。両軍入り乱れる街中の戦場に、突如奇襲攻撃をかけた第一軍主力は、マンチリーだろうがダミアだろうが関係なく、徹底的な攻撃を加えたのである。
第一軍の目的は、両軍を撃破し、サザランドの街を占拠する事にある。この街を奪取する事により、マンチリー国軍の最重要戦略拠点を潰し、尚且つ総力を結集しているダミア国軍をここで撃破する事で、両国軍に決定的な一撃を与えるのが狙いだ。
だが、この戦場にいる両国軍の数は決して少なくない。街を防衛しているマンチリー国軍の兵力は、約千五百人。攻撃を行なっているダミア国軍は、約三千人。そして第一軍は、約三千人の兵力規模なのである。両国同時に相手にするには、第一軍の戦力は不足していると言える。
しかし、兵の練度と戦力内容では、第一軍に分がある。帝国とエステラン国の混成軍である暴竜師団。その第一軍には、帝国の二枚看板と、無慈悲な狙撃手の姿がある。また、エステラン国軍の兵士達に関しては、実戦慣れした兵士達を加えているため、兵力数は不足していても、戦力内容は充実しているのだ。
戦いの決着を待たずして奇襲攻撃をかけたのは、短期決着を望んでいるからである。そもそも、大陸中央への侵攻作戦というだけで、軍費は大幅にかかってしまう。三千もの兵士達に対しての装備の支給、給料の用意、食糧の確保だけでも、相当な額の費用が発生する。まだまだ資金が潤沢とは言えない帝国とエステラン国にとって、長期戦を行なう資金的余裕はあまりない。
マンチリー国軍とダミア国軍の戦闘は、一進一退の状況を繰り返している。どちらが勝利するかは未だ読めず、このまま膠着状態が続けばいずれ、マンチリー国軍の増援が到着し、戦局が泥沼化する恐れもある。時間をかければ、ジエーデル国軍の侵攻もあり得る状況なのだ。
これらの理由により第一軍は、短期決戦で両国軍に決定的な一撃を与え、一気に両国を降伏に持ち込むべく、三つ巴となる戦闘を開始したのである。一見無茶と思える戦闘状態に突入したのは、帝国の未だ苦しい財政事情と、強大な国力を有するジエーデル国の存在が原因なのだ。
両国軍を壊滅させるべく、参謀長リクトビアの計画した作戦は、奇襲攻撃からの敵指揮官暗殺である。まず、リクトビア率いる奇襲攻撃部隊二千人が、両国軍が戦闘行なっている最前線に攻撃を行ない、敵を混乱させる。突然の奇襲攻撃に驚き、大混乱に陥るであろう両国軍に対して、更なる混乱を与えるべく、少数精鋭の暗殺部隊に攻撃を行なわせるのだ。
リクトビア指揮下の部隊による攻撃は、暗殺部隊のための陽動である。市街地に拠点を置くマンチリー国軍に対して、リクトビアの放った暗殺部隊は、狙撃手イヴ・ベルトーチカ指揮下の狙撃部隊である。
市街地の建物を利用し、敵軍の最高司令官の狙撃及び、敵部隊の指揮官を可能な限り狙撃するのが、彼らに与えられた任務である。イヴ・ベルトーチカ指揮下の部隊は、市街地における敵重要人物排除の作戦展開も想定されており、イヴの指揮のもとよく訓練を受けていた。帝国の城下を利用して、何度も市街地での狙撃訓練を行なっており、彼らの練度は高い。
少数精鋭による暗殺任務など、このような状況下で本当に成功するのかと、誰もが疑問に思った。しかし、リクトビアとイヴは銃火器による狙撃の恐ろしさを、よく理解している。剣や槍、飛び道具は弓か弩が主力装備である敵軍に対し、銃火器は相手の攻撃が届かない距離から、一方的な攻撃を加えられるのである。イヴ指揮下の暗殺部隊が、敵指揮官の位置を把握し、敵の目視困難な距離から銃撃を行なえば、暗殺部隊は安全に目標を排除し、突然の攻撃に大混乱に陥っているであろう敵軍内から、無事に脱出できるのだ。
これは、参謀長リクトビアの構想にある、帝国軍の新しい戦術構想の一環である。この作戦が成功すれば、帝国軍の戦術の幅が広がり、より多くの作戦展開が可能となる。この作戦は、新戦術の実験運用であり、イヴ達にはその実験データの収集も求められているのだ。
そして、ダミア国軍指揮官を暗殺する役目は、剣士クリスティアーノ・レッドフォード率いる部隊に任せられた。総力を結集し、敵最重要拠点に攻撃を行なっているダミア国軍は、後方からの襲撃をまったく想定していない。そのため彼の部隊は、ダミア国軍の背後へと奇襲攻撃をかけ、敵最高指揮官の暗殺を行なうよう命令されたのである。
奇襲さえ成功すれば、クリスの部隊の練度と突破力を駆使しての暗殺は、決して不可能ではない。彼らの練度の高さは、先の戦争でも十分証明されているため、このような作戦が計画されたのである。
どちらの部隊の暗殺任務も、最悪暗殺自体は成功しなくてもいい。両国軍を混乱に陥れれば、それだけで戦況は帝国軍有利に傾くのである。勿論、暗殺が成功するに越した事はない。しかしリクトビアは、無理に暗殺を実行して、味方に損害が出る事を良しとしない。作戦のために多大な犠牲が出るのであれば、作戦を中止してしまう、そういう男なのである。
第一軍の戦闘は始まっている。二つの暗殺部隊も、既に行動を起こしていた。現在第一軍は、参謀長リクトビアに率いられ、両国軍の兵士達を薙ぎ倒し続けている。その最前線には、槍士レイナ・ミカヅキと彼女が率いる部隊の姿もあった。
帝国の狂犬と帝国の新たな軍神は、勝利のために最前線を駆けていく。その手を鮮血で染め抜いていきながら・・・・・・。
「・・・・・ホーキンス君、その話は本当かね?」
「はい。帝国の動きに呼応するかのように、あの国の部隊の一部が行動を開始したと情報が入りました」
ジエーデル国。この国は、一人の絶対的支配者によって統治されている、独裁国家である。
ジエーデル国内に建てられている、この国の支配者が君臨する城とも呼ぶべき、ジエーデル国総統府。この総統府内にある、総統専用の執務室には今、ジエーデル国総統バルザック・ギム・ハインツベントの姿があった。
彼は自分の執務用の席に腰を掛け、自身が最も信頼を寄せている外交官の報告に、熱心に耳を傾けたいた。バルザックの目の前に立ち、報告を行なった外交官の名はセドリック・ホーキンス。総統の信頼厚い、優秀な若き外交官である。
「情報によりますと、マンチリー国の拠点となっているサザランドの街に潜伏しているとの事です。帝国の動きを考えますと、今頃街は三つ巴の混戦状態となっていると思われます」
「なるほど。それを狙って潜入したというわけか」
「あの国の目的は不明ですが、この動きは帝国に狙いを定めた動きと見て間違いないかと」
「戦闘状況を利用して、帝国に対し何かしらの行動を起こすか・・・・・。彼らの狙い、君はどう見る?」
「狙いは恐らく、帝国参謀長ではないかと私は思います」
セドリックの回答を受けて、バルザックは笑みを浮かべる。セドリックの出した回答は、彼の考えと同じだったからである。
「彼らは秘密を知りたいのだろう。帝国の力の秘密。そして、帝国参謀長の目的を」
「私は帝国参謀長に直接会った事はありませんが、総統もご存知の通り、帝国女王とは面識があります」
「君はどう見た?帝国の幼き女王を」
「正直・・・・・恐ろしいと感じました。彼女はその眼に復讐の炎を燃やし続けています。復讐の炎が我が国を焼き尽くすまで、彼女は戦いをやめないでしょう」
「彼女がそうである限り、参謀長も同じだと?」
「私はそう考えます」
今や、ジエーデル国の脅威となりつつある、南ローミリアの盟主ヴァスティナ帝国。帝国とジエーデル国は現在、秘密の同盟を結んでおり、それはまだ継続中であった。だがそれは、エステラン国を討ち果たすまでの間と決まっており、帝国がエステラン国を倒せば解消されるはずであった。
しかし帝国は、エステラン国を滅ぼす事はなく、それどころか軍事同盟を締結したのである。しかもその同盟は、ジエーデル国に対抗するための同盟であった。
バルザックとセドリックの計画では、裏で帝国に協力し、エステラン国へ侵攻を行なわせ、長年の宿敵を倒させるのが目的であった。そのために、帝国がエステラン国へ侵攻を開始したと同時に、エステランとの国境線付近で軍団を動かし、エステラン国軍の注意を引いていたのである。
後は、帝国かエステラン国、どちらかが勝利を収めた後に、消耗し切った両者を攻めるだけで、労せず二国を手に入れられた。だが実際は、二人の思惑通りにはまるでいかなかったのである。
帝国軍は短期決戦によってエステラン国軍を降し、謀略によってエステラン王族を手にかけ、若き姫を新たな支配者として、傀儡政権を手に入れた。ジエーデル国が介入する隙を全く与えず、両者は最低限の損害を出しただけで、戦争を終結させてしまったのである。
帝国軍は当然の事ながら、ジエーデル国の企みを知っていた。だからこそ、短期決戦によって戦争を終結させ、エステラン国を滅ぼさず同盟を関係を築いたのである。そうすれば、エステラン国軍の対ジエーデル防衛線は維持されたままとなり、ジエーデル国軍の侵攻作戦を阻止できるからだ。
「帝国の軍隊にはしてやられた。まさかあんなにも早く決着をつけるなど、一体誰に想像できただろう」
「ルヒテンドルク将軍であれば予想できたのかもしれません。帝国と戦った経験を持つ将軍の意見を求めるべきでした」
「吾輩もそう考えている。吾輩も君も、あの国を過小評価し過ぎていたという事だ」
帝国とは未だ、協力関係を継続している。しかし、エステラン国を降した今、帝国と約束を交わしていた、軍事資金の援助は行なっていない。
バルザックは今、選択を迫られている。帝国との協力関係を続け、互いに不可侵の状態を継続するか。もしくは、協力関係を一方的に破棄し、すぐさま南ローミリアへ侵攻を開始するかだ。
どちらを選んでも、帝国にとっては望んでいる選択となるだろう。エステラン国の軍事力を手に入れた今、帝国からすれば侵攻は臨むところだ。逆に、侵攻が行なわれないのであれば、帝国は対ジエーデル戦のための戦力増強に力を入れる事ができる。
「さて、どうしたものか。やはり侵攻を行なうべきかね、ホーキンス君」
「帝国の将来的脅威度を考えれば、そうすべきだと私は考えます。ですが、今の我が国の状況では、南侵は非常に難しいでしょう」
ジエーデル国は現在、急速な戦線拡大による問題の解消に全力を注いでいる。前線の軍団に対しての補給線の構築が、未だ不十分なのである。更に、度重なる侵攻作戦は国家の財政を圧迫し、多くの国家を敵にまわす事にもなった。
今やジエーデル国は、大陸の二強とも言える、ゼロリアス帝国とホーリスローネ王国への備えも考えなくてはならず、戦力的余裕はほとんどない。もしここで、再度の南侵のための戦力を各地から集めてしまうと、折角維持されている各前線のバランスが崩れてしまう。それは確実に、拡大された前線の崩壊に繋がってしまうため、新たな戦線拡大は現時点では不可能なのである。
「そうなるとやはり、現状維持が最も妥当という事か」
「残念ですが、そうせざる負えないかと」
「仕方がない。これは吾輩が相手を軽く見ていた罰だ」
「総統閣下・・・・・」
「それに、今は帝国に関わるのは得策ではない。あの国が帝国に狙いを定めた以上、下手に動けば我らが危うくなるだろう」
大陸全土を敵にまわしたとしても、決して恐れず侵略を繰り返すのが、バルザック・ギム・ハインツベントという男である。彼の恐ろしさを知っている者達からは、バルザックは神も悪魔も恐れない、人ではない化け物だと思われている。
そんな彼が、ある一国だけは恐れていた。中立を掲げるこの国だけは、まったく手を出さず、これまで一度も侵攻対象に定めた事がない。今やジエーデル国は、その国を超える軍事力を手にしているが、それでも尚バルザックは、決してこの国へ手を出そうとはしないのだ。
その理由は、誰も知らない。総統の信頼厚いセドリックも、その理由はまったくわからないのである。
「暫くは静観しようじゃないか。ホーキンス君、君もそう考えているのだろう?」
「もちろんです、総統閣下」
同じ考えであると、この場はそう答えなければならない。
もしも違うと答えたならば、明日の我が身は冷たい土の中だろう。この時セドリックはそう思い、バルザックへの恐怖心を必死に隠しながら、彼に望まれているであろう回答をしたのだった。