第二十四話 謀略の果てに Ⅶ
エステラン国内には、街を見渡すのにうってつけな場所がある。それは、この国の建国時に建てられた、一基の塔である。
この塔が建てられた理由は、内乱が発生した場合に国内の様子を知るための、言わば見張り台を必要としたからであった。建国当時のエステラン国は、現在とは違い、王族に対して武力で反抗しようとする勢力や、王族内の対立構図もあり、まだ不安定な状態であったのだ。そのせいで建てられたのが、この塔である。
塔は国内に六基建てられており、高さは五十メートル程のものである。その塔の一つに、彼はいた。
塔の頂上にいるその人物は、自身が普段使っているものとは違う一丁の銃を構え、銃本体に備え付けられたスコープを覗いている。銃口は塔の頂上から斜め下に向けられ、覗いたスコープには多くの国民の姿が映し出されていた。
数え切れないほどの群衆は無視し、銃を動かして照準を変える。次に移ったのは、帝国軍とエステラン国軍による観兵式の列であった。行進を続ける兵士達を確認し、スコープの照準をゆっくりと上に上げていく。彼の定めた照準の先に映ったのは、一台の馬車であった。
照準の先に映る、馬車に乗っている二人の人物を確認する。一人はこの国の国王であった。もう一人は、彼のよく知っている人物である。その人物は、照準の先で空を見上げていた。青空の先に何かを求めるような目で、その人物は空の先を見つめている。
彼にはすぐに分かった。スコープに映るその人物が、大切でかけがえのなかった少女の事を思い出しているのだと・・・・・。
ようやく、待ちに待った時が来たのである。皆が味わった、あの日の怒りと悲しみを胸に刻み付け、彼は今ここにいる。彼が覗くスコープの先にいるその人物も、彼と同じ思いを抱いている。故にその人物は、エステラン国王の隣に座り、最後の瞬間を待っているのだ。
「・・・・・・・」
奥底から込み上げる様々な感情に抗い、この一瞬だけは心を殺す。深呼吸して気持ちを落ち着け、構えた狙撃銃に初弾を装填する。安全装置は解除されており、彼はいつでも人を狙撃できる状態にあった。
スコープで見つめる先には、一人の男の姿。彼にとってその男は、かけがえのない愛おしい存在。男に絶対の忠誠を誓い、敵として立ちはだかる者あらば、誰であろうと射殺すると決めた。彼にとってこの男は、生きる理由そのものだ。
「・・・・・・!」
彼と男の間にある距離は、およそ千メートル以上。彼の構える狙撃銃の有効射程ぎりぎりの距離である。
それなのに、スコープの先に映るその男は、まるで彼の事が見えているかのように、彼へと微笑んで見せた。
これから何が行なわれるのか、その男は知っている。何故なら男は、この謀略を計画した者達の一人であるからだ。もし彼が失敗すれば、自分の命が失われる事になると知りながらも、男は微笑んでいる。
男は彼を信じているのだ。信じているからこそ、彼にこの役目を任せた。信じているからこそ、彼に己の命を預けているのだ。
後は、銃を構える彼次第。かつて彼が、愛する男に銃を向けてしまった、二つの夜の記憶が蘇る。
一度目は敵同士だった。二度目は大切な親友を守るため。そして今、彼は三度目の銃口を男へ向ける。スコープの先に映る男の微笑みを見て、引き金に指をかけようとしていた彼の動きが止まる。
躊躇いと恐怖が彼の動きを止め、銃を構えた彼の手が震えだす。しかし、彼がやらなければ、自分の主とその仲間達に未来はない。そしていつか、大切な親友である彼女を救うためには、自分がこれをやるしかない。自分にしか、これは出来ない事なのだ。
(もう二度と・・・・・・こんな事しないって決めたのに・・・・・)
次にこんな事をしたならば、自分を殺してしまおうと決めていた。それだけの覚悟を持っていた。
他の誰かにこんな役目を頼まれたならば、彼は必ず激怒して断るだろう。断れなかったのは、この役目を命令したのが、絶対の忠誠を誓ったこの男であったから・・・・・・。
「絶対に・・・・・・外さない」
覚悟を決め、深呼吸してさらに気持ちを落ち着けていく。体の震えは止まり、銃を握る右手の人差し指を引き金へとかける。
絶対に狙いは外さない。狙いを外せば全てを失ってしまうのだから・・・・・。
失敗の許されない異常な作戦。それは、彼の一発の弾丸によって始まりを告げる。
「あの日の空は、本当に綺麗だった。あんな空は二度と見られないと思ってましたよ」
観兵式の列の中。一台の馬車に乗っている、帝国参謀長リクトビアとエステラン国王ジグムント。リクトビアは上を見上げ、優しい微笑みを浮かべていた。
先ほどからのリクトビアの言葉の意味は、ジグムントにはわからない。ただ、リクトビアの言動や態度、その出で立ちから漏れだしている憎悪は、自分の事を完全に敵と見なしていると、ジグムントにはすぐに理解できた。
これからは味方となる相手。だが同盟関係を結ぶといっても、それは国同士が結ぶものであり、リクトビアとジグムントが互いに抱く敵意はそこに関係ない。この関係は仕方のない事だが、リクトビアはここまで隠してきた憎しみの牙を、こんなところで見せてしまっている。
どんな時であろうと、牙は隠しておかなければならない。しかしリクトビアは、このタイミングで憎悪の牙をジグムントに見せた。何故見せたのか、その理由はわからない。
考えられる理由は二つ。リクトビアが自分の感情を制御できない未熟者なのか。それとも、もう牙を隠す必要がなくなったのか・・・・・・。
「今日は気分がいいから、空も綺麗に見えるのかもしれません。こんなに気分いいのはいつ以来か・・・・・・。いや、最近とっても気分良かった事がありましたよ」
「・・・・・・」
「メロースの処刑。あの屑を八つ裂きに出来た時がすっごく気分良かった。わかりますか?俺はあいつを滅茶苦茶にして殺すのを楽しみにしてたんですよ」
牙は隠さない。これはリクトビアの本心と、ジグムントに対しての挑発だ。
これから軍事同盟を結び、国同士の関係が味方となるこの時に、リクトビアはジグムントを挑発する。リクトビアは不敵な笑みを浮かべ、顔を上げたまま視線だけを動かす。ジグムントを見つめる彼の視線には、猛烈な憎しみと殺意が宿っている。
「貴様、何のつもりだ?」
「はははっ、何のつもりも糞もないですよ。俺がやらなきゃいけないのは、ヴァスティナ帝国女王アンジェリカ・ヴァスティナ陛下の敵を絶滅させる事です。あの糞王子も、幽閉した第一王子も、全て陛下の敵ですから」
「故に、メロースを殺すのは当然だったとでも言いたいのか?」
「その通りです国王陛下。奴は死んで当然の屑でした。他にも、この世界には俺が殺さなきゃいけない存在がたくさんいます。ジエーデル国はまさにその筆頭です」
ジエーデル国への復讐。それは、参謀長リクトビアと女王アンジェリカの悲願だ。
悲願成就のために、リクトビアとアンジェリカは戦争への道を歩み続け、眼前に映った敵を皆殺しにしていく。こんなところで、二人の戦いは終わらない。
狂気。そう、まさに狂気だ。最早、この男は完全に壊れてしまっている。前帝国女王ユリーシア・ヴァスティナを失ったあの日から、彼は人ではなくなった。女王アンジェリカのために、何もかもを殺し、何もかもを壊し、どんな犠牲も払う。その行ないに躊躇いはなく、慈悲もない。冷酷非道を貫き、全部奪う。
全てを奪われたあの日の怒りと悲しみは、殺した者達の鮮血でしか消せはしない。故にリクトビアとアンジェリカは、戦争への道を歩み続ける。二人にはまだ、殺さなければならない者達に流れる、穢れた罪の血が足りない。
「そうやって、敵と見なした者達を殺し尽くし、最終的に貴様は何を得る?」
「得るものなどありません。あるとすれば、多くの人間を手にかけた大罪だけです」
「・・・・・わからんな。そんなものしか得られないとわかっていて、貴様は戦争を求め続けるのか」
「求め続けなければならないんです。俺の犯した罪を償うには、戦争で敵を殺し続けるしかない。たとえそれが、大量虐殺の大罪を背負う事になるとわかっていても、俺の進むべき道はこれなんです」
ジグムントは悟った。この男とこのまま手を組めば、エステランに未来はないと・・・・・。
この選択は自国の未来を得るものだと、彼は今日まで考えていた。しかし今、ジグムントは悟る。この男と手を組んで、この先に待つ戦争へと足を踏み出せば、戦う相手か自分達、そのどちらかが滅びるまで終わらない戦争が続く。
エステラン国の未来には、滅びの運命しかない。ならば今ここで、それを阻止するべきだと、ジグムントの思考は彼に警告を発し始める。
だが彼は、リクトビアの野望に気付くのが遅すぎた・・・・・・。
「貴様の好きにはさせん。この国を滅びの道へ誘うというのであれば、貴様を---------」
「好きにさせてもらいますよ。そのための一手は既に打ってある」
リクトビアはそう言って右手を動かし、自分の左胸へと人差し指を持ってきて、軽く二回、自分の胸を指で叩いた。己の心臓にノックするかのようなその行動の意図に、ジグムントは全く気が付けない。
これは合図だ。リクトビアの用意した切り札が、この国の支配者へと牙を剥く、エステラン国の歴史を変える瞬間となる。
「では、国王陛下。冥土へと至る道中、どうぞお気を付け下さい」
邪悪な笑みを浮かべたリクトビア。その次の瞬間、リクトビアの身体に向けて、目にも止まらぬ速さで迫った何かが、彼の服を貫いた。貫かれたのは左胸。貫いた物体は、彼の心臓の位置へと正確に放たれていた。
彼は狙撃されたのだ。飛び道具に撃たれた彼の身体が、力をなくして馬車から崩れ落ちる。
「ばっ、馬鹿なっ!?」
馬車から落ちて、地面に叩きつけられた彼の身体は、全く動かない。ジグムントは驚いて馬車の席から立ち上がり、一部始終を見ていた兵士達と群衆は、何が起こったのか理解できずに言葉を失う。
一瞬で静まり返ったこの現場の中で、誰よりも思考が働いていたのはジグムントだけだった。リクトビアの言葉の意味と、この状況を理解したジグムントは、自分が罠に嵌まっていた事に気付く。
(どういうつもりだ!ここで私を消せしてしまえば、貴様の野望は潰えてしまうのだぞ!?)
あり得ない事であったからこそ、ジグムントはこの状況を想定していなかった。これは、彼の油断が招いてしまった、取り返しのつかない結果なのである。
「何故だ!リクト------------」
ジグムントが言い終わる前に、リクトビアを襲った飛び道具の凶弾が、彼をも襲う。馬車の上で立ち上がったジグムントの額を、リクトビアの身体を貫いたのと同じ物が貫いた。彼の額を貫通し、頭蓋を貫いて、彼の後頭部から抜けていく。
その一撃を受け、彼の身体は力を失い、馬車の座席に崩れ落ちる。額を貫かれ、目を見開き、口を開いたまま、動かない。誰が見ても明らかだった。ジグムントは既に、死んでいる。
「隊長おおおおおおおおおおおおっ!!」
「国王陛下!!陛下あああああああああああああっ!!!」
ほぼ同時に、帝国とエステラン両軍の護衛部隊の指揮官達が絶叫を上げる。帝国軍の精鋭部隊を率いるヘルベルトと、エステラン国王直属の武装警護隊指揮官が、それぞれの主のもとへと急いで駆けていく。彼らの行動に両軍の兵士達も続き、現場は騒然となった。
悲鳴を上げ、大混乱に陥る群衆。両軍の兵士達の多くも、何が起きてしまったのか理解できず、混乱を極めていた。すぐに状況を理解し、事態に対応できたのは、馬車の周りを警護していた部隊だけであり、群衆と兵士達の混乱は増すばかりであった。
放たれた凶弾は、一瞬で大混乱を生み出して見せた。二人を襲ったのは、狙撃銃から放たれた、たった二発のライフル弾。弾丸は二人を貫き、特にジグムントは即死であった。リクトビアの生死はまだ不明であり、彼のもとに駆け寄った兵士達が、彼の安否を慌てて確かめようとする。
「参謀長!!参謀長おおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
「おっ、落ち着いて下さいまし!!アングハルトさん!どうか落ち着いて下さいまし!!」
この現場で一番パニックに陥っているのは、馬車から少し離れたところにいた、女性兵士セリーヌ・アングハルトであった。彼女の慌てようは尋常ではなく、完全に冷静さを失い、腰に差していた剣を抜き放って、今にも誰かを殺してしまいそうな剣幕である。
このままでは、リクトビアを襲ったのはエステラン国の兵士だと決めつけ、周りの兵士達を襲いかねない。ミュセイラやアングハルトの部下達が、必死に彼女に張り付いて、暴れる彼女の動きを封じようとするが、暴走した彼女を止めるのは難しく、ミュセイラと部下達は彼女の身体を掴んで張り付いたまま、少しずつ引きずられていく。十人以上の人間が彼女を取り押さえようとするものの、彼女の動きを完全に封じる事は出来なかったのである。
アングハルトが暴走するのも当然だ。今、彼女の視線の先で倒れている人間は、彼女がこの世で最も愛する存在なのだから・・・・・・。
「畜生っ!うちの隊長が狙撃された!!どこのどいつがやりやがった!?」
銃器による狙撃。その弾丸はリクトビアを襲い、ジグムントを即死させ、観兵式をぶち壊した。混乱して叫ぶ兵士達と群衆の声は、観兵式全体の列に伝わっていき、街中に響き渡っていく。
事態は深刻であった。両国の代表者が襲われたという現実は、両国間の築いた関係全てを振り出しに戻す、最悪のシナリオを生み出したのである。
「探せ!隊長を狙撃しやがった奴を見つけ出してぶっ殺せっ!!」
観兵式で起こった、この大事件。
両国の代表者が凶弾に倒れた、この一大事による大混乱の収拾は、最早不可能であった。