第二十四話 謀略の果てに Ⅵ
忘れない。忘れられない。忘れたくない。大切な彼女を思い出す、幸福だった日々の記憶。
「花達の様子は如何ですか?」
「とても綺麗です。立派に花を咲かせて、いい匂いがします・・・・・・」
初めてヴァスティナ帝国がジエーデル国と戦い、勝利を収めたあの戦いの後。様々な戦後処理を終え、休息の時間を得た二人は、束の間の平和な時を過ごしていた。
花が咲き誇る城の庭園。彼の記憶に残る、あの日の少女の姿。透き通るような白い肌に純白のドレスを纏い、長く美しい白い髪が風になびく。瞼を閉じているが、少女は彼の方を向いて、優しい微笑みを浮かべていた。
「よかった・・・・・。ウルスラ達がよく手入れをしてくれているお陰ですね」
「それだけじゃないですよ。陛下の愛情があるからこそ、ここの花は綺麗に咲き続けるんです」
膝を付き 花を愛でている少女。少女の儚き美しさが花々の美しさと調和し、少女と花々の空間だけ幻想的な空間を生み出していた。
もう、記憶の中にしか残っていない少女の姿。記憶の中に生きる少女が、優しい微笑みを浮かべて彼の方へと向き直る。
「ここの花々は私にとって宝物なんです。辛い時も苦しい時も私を励ましてくれる。だから、大切に育てたいのです」
「陛下の愛情をいっぱい貰えるなんて・・・・・・。超嫉妬します」
「えっ!?」
「花が羨ましいです。こんなに大切にしてもらって、愛でてもらえて、超羨ましいですよ。陛下は俺みたいな忠犬より花の方が好きなんだ・・・・・・、はあ・・・・・・」
彼女には見えないが、彼は肩をがっくり落とし、溜息をつきながら花を見ていた。勿論、彼は少女をからかうためにこんな冗談を言っているのだが、少女は根が真面目なせいか、彼の言葉を真に受けてしまった。
「わっ、私は・・・・・、リック様の事も大切です・・・・・・」
「ほんとですか?じゃあ、その証拠を下さい」
「証拠ですか・・・・・?」
「例えばそうですね・・・・・・・、膝枕とかどうですか?」
彼の言葉で少女の頬が朱に染まり、恥ずかしさのあまり赤面する。彼にとって少女は絶対の忠誠を誓う存在なのだが、公の場以外ではこのように冗談を言って揶揄う事もあるのだ。その理由は、自らが忠誠を誓う主に笑っていて欲しいから・・・・・・。
「私に膝枕を要求する方は、国中探しても貴方だけですよ」
「そりゃあそうです。俺は陛下の忠実なる犬ですから、偶にはご褒美くらいあってもいいんじゃないですか?」
「ふふふっ・・・・・、そう言う事でしたら-------」
膝をついたまま、少女は自分の足に手を置いて、彼を誘う。彼は躊躇う事無く少女に近付き、彼女の膝に頭を置いた。
「陛下の膝枕・・・・・・最高です。帝国一の高級で高価な枕だ・・・・・」
「こんなところをマストールに見られたら、きっと怒られてしまいますよ」
「心配しなくても大丈夫ですよ。その時は全力で逃げますから」
そう言って笑った彼につられ、少女も笑う。その身には大き過ぎる責務を背負い、暗い表情を浮かべる事の多い彼女には、笑顔の方がよく似合う。
彼女には笑っていて欲しいと、彼はずっと願っていた。彼女の微笑みを守るために、彼は数々の戦場を駆け抜け、彼女に仇名す者達を殺し続けてきた。全ては、彼女と交わした約束を果たし、彼女を苦しめる呪縛から解き放つために・・・・・・。
「ふわぁ~・・・・・・眠い・・・・・・」
「お疲れのようですね」
「それもありますけど、陛下の膝枕が気持ちよくて・・・・・・・、花のいい匂いがします・・・・・」
うとうとして眠そうな彼を見て、少女は微笑みを浮かべながら彼の頭を撫でる。聖女のような彼女の優しさに抱かれ、彼は自分の心が救われていくような感覚を得た。
少女は知っている。彼は少女を救うために、己の心を殺した。戦場では情け容赦なく敵を殺し、その手を真っ赤な血で染め上げ、敵味方の死を背負っていく。
そんな彼を、たったひと時でも救えるならば、少女はどんな事でもする。
「・・・・・・貴方には、辛い役目を押し付けてばかりです」
「・・・・・・・」
「私の代わりに戦って、傷ついて、疲れ果てて・・・・・・。私と交わした約束は、貴方を苦しめ続ける呪縛になっている。でも貴方は、私のために戦場へと向かっていく・・・・・・」
少女は表情に影を落とし、彼の事を見つめ続ける。少女と歳が五つしか違わない彼は、この国の全軍を率いる軍の支配者である。少女はこの国の女王だが、他国との戦争になれば、彼に頼るしかない。
人を殺す苦しみも、人を殺される苦しみも、少女の代わりに彼が背をってくれている。それを思うと、何もできない自分が嫌になる。
「・・・・・・」
「眠ってしまわれたのですね・・・・・」
眠りについた彼を見て、少女は先ほどまでの言葉を反省した。今更言っても仕方のない事なのだ。決断した以上、前を向いて歩み続けるしかない。
時には後ろを振り返り、苦悩する事もあるだろう。その時は、少しでも彼の助けになれればと、少女は思い続けた。
「おやすみなさい、リック様・・・・・」
少女はそれ以上言葉をかけず、彼の寝顔を見つめ続けた。せめて今だけは、戦いの苦しみを忘れて欲しいと願って・・・・・・。
(必ず君との約束は果たす。だからそれまでは・・・・・・)
本当はまだ眠りについてなどいなかった。少女がかけた言葉を聞いていた彼は、自分が彼女と交わした約束を思い出す。自分と少女が交わした、誰にも語っていない秘密の約束。約束を果たせる時は遠いが、必ず果たして見せると誓っている。
(おやすみ、ユリーシア・・・・・・)
あの日の空も、今日と同じ色をしていた。
大切でかけがえのない少女と過ごした、幸福な記憶の一部。交わした約束を果たすために戦い続けていたあの日々の、ほんの僅かな安らぎの時間。
だが、彼にとってかけがえのなかったあの少女は、今はもういない・・・・・・。