第二十一話 反攻の刃 Ⅱ
「んっ・・・・・・・」
寝室の窓から差し込んだ日の光を受け、彼は目を覚ます。
「もう朝か・・・・・・・・・・・・眠い」
ここは彼の寝室で、彼は今、自分一人では持て余す広さのベッドの上で寝ている。朝日を受けて目を覚ましたが、彼は眠くて仕方がなく、すぐに二度寝を考えた。
不意に、彼は自分の右腕に柔らかな感触を感じた。そして人の気配を感じた彼は、天井を見つめていた視線を右へと移す。
そこには、一人の少女の姿があった。いつもの眼鏡を外し、可愛らしい寝息を立てて寝ている少女が、彼の右腕に抱きついていたのである。
「すう・・・・・・・すう・・・・・・・・」
(普段は寝相悪いって言ってたけど、よく眠ってるな・・・・・・)
彼の右腕を抱き枕にするようにして、少女は熟睡している。
普段は明るく元気で、活発な印象を周りに与える少女だが、今は小動物の様に大人しい。彼の服に甘噛みして、小さな寝言を口にする。
「んっ・・・・・・・リック・・・・・・」
「・・・・・・・なんだこれ超可愛い」
あまりの可愛さ故に、彼、ヴァスティナ帝国軍参謀長リクトビア・フローレンスことリックは、自分の右腕に抱き付く少女に触れようとして、左腕を動かそうとした。
「あれ・・・・・・?」
何故か左腕が動かない。そして気付いた。左腕に感じる温もりと柔らかな感触を・・・・・。
リックは首だけを動かし、左側の状況を確認した。
「すう・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・なんでお前まで」
彼の左腕には、いつの間にか一人の美女が抱き付いていた。豊満な胸と美しい金髪が特徴的の、彼もよく知る美女の姿がそこにあった。
彼女もまた、寝息を立ててよく眠っている。「どうしてお前がここに居るんだ」と聞きたかったが、あまりにも彼女が気持ち良さそうに寝ているため、起こすのをやめた。彼女もまた、連日の仕事で疲れ切っているだろうから、そのまま寝かせておきたかったのである。
(右腕に少女、左腕に美女か・・・・・・・。両手に花とはこの事か)
さらにリックは、両腕に感じた温もり以外に、自分の下半身にも温もりを感じた。
「んっ・・・・・リック君・・・・・・」
下半身に感じた温もりが、毛布の中でもそもそと動き出し、リックの体の上を這う様に動く。
彼の胸の上まで動いたそれは、毛布から顔をのぞかせて、そこで止まった。
「すう・・・・・・・すう・・・・・・・」
「お前もか・・・・・・」
リックは今、全く身動きが出来ない状態にある。彼の仲間達である三人の人物に抱き付かれ、起き上がるのを封じられている。
リックの右腕に抱き付いているのは、帝国一のシャランドラ。左腕に抱き付いているのは、帝国宰相のリリカ。そして、彼の体に抱き付いているのが、帝国一の狙撃手イヴ・ベルトーチカである。
(どうしてこうなった・・・・・・・)
一体何故、自分がこのような状況にあるのか・・・・・・。
彼は記憶を巻き戻し、昨晩の事を思い出し始めた。
「なあ、ほんとにこれがご褒美で良いのか?」
「うちにとっては最高のご褒美や。ずっと楽しみにしてたんやで」
昨晩リックは、前に彼女とした約束を果たす事になった。
寝室で休もうとしていた彼のもとに、ネグリジェ姿のシャランドラが現れて、彼女はこう言った。「今日、うちと一緒に寝てくれんか?」と。
前にリックはシャランドラと約束していた。シャランドラの実験が成功したら、そのご褒美として添い寝すると言う、あの約束。
「えへへ、今日はリックを独り占めや」
寝室のベッドの上で添い寝する事になり、二人は一緒に毛布に入った。彼女はいきなりリックの右腕に抱き付き、体を密着させる。いつもかけている眼鏡を外した彼女は、リックの事を真っ直ぐ見つめていた。
「ありゃ、顔が赤いでリック。もしかして緊張しとるん?」
「当たり前だ。ネグリジェ姿の女の子と添い寝とか、男なら普通緊張するだろ」
「そりゃそうや。どうや、うちのネグリジェ姿?この日のために街で買ってきたんよ。可愛くてエロいやろ?」
彼女が着ているネグリジェは、桃色の可愛らしいものである。生地が薄く、少し透けているお陰で素肌が見えるため、シャランドラが言う様に可愛くてエロいと言えるだろう。
この時リックは、ネグリジェ姿のシャランドラに対して、内心とても興奮していた。
眼鏡を外し、ネグリジェ姿で抱き付いてくる彼女のあまりの可愛さにやられ、彼女の事を凝視し続けていたのである。
「・・・・・・一言だけ感想を言わせてくれ」
「なんや?」
「惚れた」
「!?!?!?」
今度はシャランドラが驚く番であった。
この時のリックは冷静さと理性を欠いており、彼女を見て思った事をそのまま口に出したのである。これには流石のシャランドラも、驚かずにはいられない。顔を真っ赤にして、恥ずかしさのあまり、リックから視線を外す。
「その服、滅茶苦茶似合ってる。俺が今疲れ切ってなかったら絶対襲う」
「ちょ、ちょっと待ってや・・・・・、急にそんな事言われたら恥ずかしいで・・・・・・」
「恥ずかしがってるところも可愛いな。お前の美少女っぷりには惚れる」
「いやいや・・・・・・うちが美少女なわけないやろ。だってうち、レイナっちみたいに可愛くないし、イヴっちみたいに女の子らしくないし、姉御みたいに胸も大きくない貧乳やし、寝相だって悪いねん。お世辞言うてくれるんは嬉しいんやけど・・・・・・・」
今、彼女は一人の女の子として、リックを今夜だけ独り占めに出来る事が嬉しくて仕方がなかった。だがシャランドラは、自分の容姿に自信が持てないのである。確かに彼女は、自分で言った通り胸はとても小さく、実は寝相がとても悪い。ちなみに彼女、その寝相の悪さは折り紙付きで、一度ベッドに入ったなら、枕は投げ捨て毛布は蹴飛ばし、ベッドから転げ落ちる事も屡々である。
自分は女の子らしくない。そう言う自覚があるからこそ、彼女はリックの言葉に動揺しているのだ。
「俺はお世辞言うのは苦手だ。だからこうして・・・・・」
「んなっ!?」
シャランドラの体を左腕で抱き寄せ、自分の胸元に彼女の顔を埋める。
突然抱きしめ返された彼女が、顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。恥ずかしがって、リックの体から抜け出そうと少し動いて見せたが、彼女はすぐに動くのをやめた。
リックの与えてくれる温もりが、その優しさと愛情が、彼女の心の奥底まで届いたのである。リックと出会う前の幼い時、シャランドラが心の奥底に封じ込めた、悲しさと苦しさ、そして絶望。それら全てを、彼の優しさと温もりが癒す。
「シャランドラ・・・・・・あったかい・・・・・・・。照れてるところも可愛いな」
「ううっ・・・・・・、こんなんうちのキャラやない・・・・・・」
「良いんじゃないか、今日くらいは。俺以外誰も見てないし」
「今日はうちが主導権握るつもりやったのに・・・・・・」
「伊達に参謀長なんてやってない。今日は、俺がお前を独り占めだ」
相変わらず顔は赤いままだが、彼女は微笑みを浮かべていた。彼にそう言って貰えるのが、嬉しいと感じる気持ちの表れだ。
「ああ、何か勿体無いな」
「?」
「疲れてなかったら絶対襲う。でも駄目だ、眠気が・・・・・・・・」
「リック、ずっと忙しかったもんな。ええよ、襲うのはまた別ん時で。今日はもう寝ようや・・・・・・」
リックの眠気は限界だった。彼女を抱きしめたまま、彼は瞼を閉じる。
抱きしめられているシャランドラは、リックの胸の中で、彼の鼓動と温もりを感じていた。彼と密着しているお陰で、心臓の音が聞こえ、呼吸する音も聞こえる。こんなにも彼を傍で感じるのは、彼女にとって初めての事だった。
「リック・・・・・・うちな・・・・・・・」
抑えられない感情が溢れ出す。
彼に初めて出会い、短い間ではあったが、共にあの里で生活した日々。帝国に来てからは、彼とその仲間達のお陰で、幸福な日々を送る事ができた。時には辛い事も、悲しい事もあった。それでも、リックがいるからこそ、彼女の日々は満ち足りている。
自分に愛情を向けてくれるリックが、愛おしくて仕方がない。自分の人生に光を与えてくれた彼を、彼女は心の底から愛している。
この想いは、胸の内に隠し続けている。彼女は普段から彼に好意を向けているが、揶揄うような、冗談のような好意を見せ、胸の内は決して明かさない。仲間の愛ではなく、彼女はリックに、男と女の愛を求めているのだ。
しかし、今までシャランドラは、その想いを一度も明かさなかった。それはリックが、彼女自身よりも、心に深く想い続けた存在がいたから・・・・・・。
(二人の事・・・・・好きで好きで仕方なかったんやろ・・・・・・。だからうちな・・・・・)
ずっと我慢していたと言うべきか。いや、諦めていたと言う方が正しいのかも知れない。
「こんな事・・・・・・今言うたら迷惑やろうけど・・・・・、聞いて欲しいんや」
抑えきれない感情。溢れ出した、彼への想い。
彼にこの想いを届けるために、彼女はずっと伝えたかった言葉を口に出す。
「愛してるで、リック・・・・・・・」
リックの事だ。こんな事を言われたら、きっと慌てふためく事だろうと、そう思っていた。
だが、彼からは何の返事もない。
「リック・・・・・・?」
「・・・・・・・・」
「もしかして・・・・・・寝ちゃったんか?」
彼女の言う通り、リックは寝息を立てて、気持ち良さそうに眠りについていた。
どうやらシャランドラの愛の言葉は、彼に届かなかったらしい。
(・・・・・・・うち、なに言うてるんやろ。別にうちの想いなんか、伝えんでもええやないか)
今の関係で十分だ。これ以上望み欲するのは、貪欲すぎる。
(そうや、リックの傍にはうちなんかより・・・・・・)
シャランドラはリックの顔に視線を向ける。気持ち良さそうに、寝息を立てて眠っている彼の顔が、自分の目の前にあった。
「可愛い・・・・・・」
その寝顔を見て、彼女は改めて思った。彼は、守ってあげたくなる存在だと。
強く在ろうとするが、彼は弱く危うい存在だ。故に守りたくなる。そう思うのは、彼女だけではない。彼の仲間達も皆、そう思っている。
「うちが絶対守ったる。リックの事も・・・・・・皆の事も・・・・・・」
もう二度と、無力な存在にはならない。もう二度と、彼を悲しませない。
そのための力を、ようやく彼女は完成させた。
「おやすみリック・・・・・・・」
彼女もまた目を閉じ、程なくして眠りについた。
偶には、こうして彼を独り占めにしてもいいだろうと、そう思いながら・・・・・・・。
そして現在。
自分が眠りにつく直前の事まで思い出したリックは、改めて現状を確認する。自分の右腕にはシャランドラ、左腕にはリリカ、胸の上にイヴがいる。どう見ても、二人多い。
(俺が覚えてる限りだと、シャランドラだけしかいなかった。じゃあ何で、この二人がここに居る?)
疑問は消えないが、一先ずこの状況は悪くない。寧ろご褒美と言える。
自分を独り占めに出来ると喜んでいた彼女には悪いが、これは彼にとってご褒美以外の何物でもない。
「・・・・・・起きたのかい、リック」
左腕に抱き付くリリカが声を発した。彼女の方へ首を動かし、その顔を見ると、先程まで眠っていたはずの彼女が目を覚ましていた。
「なあ、一体この状況はどうなってんだ?」
「知っていたら教えたいけど、生憎私は三人目でね」
「三人目?」
「シャランドラは最初からいたようだけど、イヴは私が来た時にはもういたのさ」
どうやらこの二人、揃ってベッドに潜り込んだのではないらしい。
「軍事について少し相談したくてね、リックを起こしに来たのさ。そしたらどうだい、シャランドラとイヴが抱き付いて寝ているじゃないか。リックも気持ち良さそうに眠っていたから、流石の私も気が引けてね」
「で、起こすのを躊躇ったと。それでお前は?」
「君達を見ていたら、私も眠くなってきた」
「だから、ベッドに入って眠ってしまったと。そう言う事か?」
「ふふ、別に良いじゃないか。私と一緒に寝れるなんて、リックにとってはご褒美だろう?」
リックは否定できなかった。何故ならば、彼女の言う通りであるからだ。
彼はそういう男だ。彼は己の欲に、とても忠実なのである。
「それにしても、どうしてイヴは・・・・・」
「ふふふ、多分寂しかったんだろう。この子は陛下との事があるからね、リックに慰めて貰いたかったんだろうさ」
「そうか・・・・・・。ごめんなイヴ、お前には苦しい思いばっかりさせてる・・・・・・」
「ふふ、二人とも可愛い子達だよ。なんだか娘を持った気分だね」
「娘って・・・・・・、お前が妻で俺が夫ってわけか?」
「嫌かい?」
「全然嫌じゃない」
そう、彼は己の欲に本当に忠実なのである。
右腕にはネグリジェ姿の少女、左腕には豊満な胸を押し付けてくる美女、胸の上には可愛い男の娘ときて、しかも三人ともいい匂いがする。嫌がる理由などどこにもない。
(これはあれだな・・・・・・・・、このご褒美をもっと堪能しよう。二度寝決定だ)
彼は起きるのをやめた。今日も軍務はあるが、この誘惑には勝てなかった。
(ああ・・・・・・幸せすぎる。そうだ、今日は皆休日と言う事にしよう。皆疲れてるしそれがいい。寝てしまおう、何もかも忘れて寝てしまおう・・・・・・・)
至福の時間を堪能するべく、彼は再び眠りに入るため瞼を閉じ・・・・・・・・。
「失礼しますわよ参謀長!私が態々貴方を起こしに・・・・・・、何やってますのよ!?」
至福の時間をぶち壊す邪魔者が現れた。現れたのは、自分のまとめた書類を早く見て貰うため、リックを起こしにやって来たミュセイラであった。
彼女は部屋に入り、ベッドを見て驚愕していた。ベッドの上でリックは、二人の女性と一人の男の娘に抱き付かれていたのだから、驚くのも無理ないかも知れない。何故なら彼女、この状況を見て事後だと思ったのだ。
「うるさいのが来た・・・・・・・・」
「私は五月蠅くありませんわ!!それより貴方、とうとう皆さんを毒牙にかけたんですの!!しかも男であるイヴさんまで襲うなんて、破廉恥ですわ!!」
「うるさいし何か勘違いしてるし、こいつほんとにめんどくさいな・・・・・・・」
リックは今、大変ご立腹である。当然だろう、至福の時間を突然ぶち壊されたのだから、無理もない。
「ほら、皆さんも起きて下さいまし!!」
「ふふ、残念だったねリック、夫婦の営みを邪魔されてしまったよ」
「夫婦の営み!?」
「おい、誤解を招く事を言うな」
ミュセイラの声によって、未だ夢の中にいた二人もようやく目覚める。
眠そうな目をして起き上がった二人は、リックの顔を見て微笑んだ。
「ふわぁ~・・・・・、おはようやリック」
「リック君・・・・・・おはよう♪」
「二人とも起こしてごめんな。あいつが空気を読まなかったせいで・・・・・・」
「私は何も悪い事をしていませんわ!!」
騒音レベルで叫ぶミュセイラを鬱陶しいと思いつつ、体を起こす。愛でるようにシャランドラとイヴの頭を撫でながら、ミュセイラの方を向いた彼の表情は、明らかに不満そうであった。
「俺の最高の時間を邪魔しやがって・・・・・・、後で絶対泣かす」
「逆ギレしないで下さいまし!!この淫乱破廉恥男!」
睨み合い、火花を散らすリックとミュセイラ。
二人のこんな喧嘩は日常茶飯事で、ミュセイラがリックに嚙み付いて言い争いになるのである。口喧嘩の回数など二桁を超えている。リックとミュセイラの喧嘩は、帝国内でも有名な犬猿の仲の二人にも、勝るとも劣らない。
「はあ・・・・・・せっかくの幸福なひと時が・・・・・・・」
「元気出してリック君。僕はいつでも添い寝してあげるよ♪♪」
「うちもやで。うちを抱いて寝たい時は、いつでも言ってくれや」
「二人とも・・・・・・・・天使だな」
小悪魔的に笑う二人の笑顔。リックはこの二人の笑顔に敵わない、絶対に。そんな彼を見てさらにキレるミュセイラと、妖艶に笑うばかりのリリカの声。
リック達の朝は、こうして始まったのである。