第十七話 新しい明日へ 後編 Ⅲ
案内されて辿り着いたのは、参謀長の執務室。その男の身分の高さを表すような、立派な作りの扉を前にして、二人は立ち止まる。
「着いたで。ここに居るはずや」
彼女は扉をノックし、中にいるはずの人物へ入室の許可を求める。
ノックしてすぐ、たった一言「入れ」と、中から返事があった。返事の声は、二人が知る人物のものだ。
「入るで」
扉を開き、部屋の中へ躊躇いなく進むシャランドラの後を、恐る恐る付いていくミュセイラ。
室内にいたのは、二人の男。一人はリック、もう一人はエミリオであった。
リックは椅子に腰かけ、執務用の机に積まれた書類に目を通している。軍師エミリオはそんな彼の傍に控え、彼と同じように書類整理を行なっていた。二人とも、事務仕事で忙しい様子である。
「何だシャランドラ、連れて来たのか?」
「会いたかったんやろ、ミュセイラっちに。リックは忙しいと思ってな、うちがここまで案内したんやわ」
「連れて来いと頼んだ覚えはないぞ」
「うちは気が利く女やで。頼まれんでも、リックが望んどる事はわかるわ。だから連れて来たんや」
彼は特に何も言わず、書類整理を再開する。
しかし、連れて来た理由を話した彼女とミュセイラに対し、敵意の視線を向けるエミリオは、明らかに文句を言いたそうであった。
「彼女は敵じゃない」
「リック・・・・・」
「そんな目で二人を睨むな。彼女はシャランドラを救ってくれた恩人だ。わかっているな?」
「君の言う通り、恩人と言う事実は変わらない。彼女には相応の恩賞を用意するよ」
こう見えてシャランドラは、帝国軍新兵器開発の最高責任者である。簡単に言えば、帝国軍の幹部であるから、それを助けたとあれば、かなりの恩賞を期待出来るだろう。
だが彼女は、そんな恩賞など要らない。
「恩賞は遠慮しますわ。それよりも私は-------」
「軍師は間に合ってる」
沈黙。これで話は終わりだった。
「ま、まあそうですわよね。実力も何も分からない人間を簡単に軍師になんて出来ませんわよね。ですけど私、こう見えても軍師としての勉強をずっとしてきましたのよ。独学のところもありますけど、私が女だからと言って軍師が務まるはずないだなんて思わないで欲しいですわ。何なら私の実力を--------」
「性別は関係ない。お前は軍に入れない、以上だ」
きっぱりと言われてしまい、何も言い返せない。心に突き刺さった彼の言葉が、彼女を絶望させる。
大陸中央から旅をし続け、長い苦労の末に、ようやく辿り着いたこの地で、夢に見続けていた願いと目的を果たす事の出来ない、絶望と恐怖。
簡単にはいかないとわかっているつもりだった。断られても、説得出来ると思っていた。
だが、彼女の眼前に映る男は、彼女の願いを叶えようとする隙を全く見せない。彼、リクトビア・フローレンスは、ミュセイラ・ヴァルトハイムを軍師として配下に置くつもりはない。
その理由は、ミュセイラにはわからない。理由を察する事が出来たのは、この場において二人だけ。
「リック、気持ちはわかるんやけど、せめて話だけでも聞いてやったらどうや?ミュセイラっちがこの世の終わりみたいな顔しとるで」
「軍師志望って言われてもエミリオがいる。お前を救ってくれた事には感謝してるが、それとこれとは別問題だ」
シャランドラが助け舟を出すも、無駄に終わる。話すら聞くつもりは無いらしい。
どうしてそこまで、頑なに彼女を拒むのか?シャランドラもエミリオも、よく理解している。
言葉を失い立ち尽くしている彼女を、シャランドラが慰めようとした、その時だ。
「入れ」
扉をノックする音が聞こえた。部屋の外にいる者に入室を許可したリックは、執務室に足を踏み入れた者を見て、書類整理の手を止める。
「御忙しいところ失礼致します、参謀長閣下」
入室したのは、メイド服を着こなす一人の女性だった。
寡黙で鋭い眼差しの長髪の女性。背はミュセイラよりも高く、年齢も明らかに上であろう、年上の女性。入室したこの女性はその目つきまま、素早く部屋の中の人物達を確認すると、リックへと視線を移し、口を開いた。
「メイド長、俺に何用ですか?」
「謁見の間にて、女王陛下が御待ちしております。参謀長閣下と、ミュセイラ・ヴァルトハイムと言う名の女性を連れて来るよう、仰せ付かりました」
執務室に現れたのは、帝国メイド長ウルスラである。
ヴァスティナ帝国城メイド一同の最高責任者であり、女王陛下に絶対の忠誠を誓う女性だ。そんな立場の彼女が、女王の命で二人を謁見の間まで連れて行こうとしている。メイド長が、直々にである。
女王の命となれば逆らう事は許されないため、リックは椅子より立ち上がり、手に持っていた書類をエミリオに渡し、残りの仕事を彼に預けた。
「後を頼む」
エミリオは一礼して答え、彼の仕事を引き継いだ。
そしてリックは、呆然としているミュセイラに近付き、言葉を放つ。
「付いて来い」
たった一言、そう命令されてしまった。
潰えた願いと、突然の女王の呼び出しに、もう何が何だか分からず、自棄になったミュセイラ。どうにでもなってしまえと思い、彼女はリックに付いて行くのだった。
謁見の間と呼ばれる場所が、この城にはある。
国を治める、帝国王族の玉座があるこの部屋は、主に、他国からの貴族や使者と顔を会わせる場所として使用される事が多い。他には、成果を上げた文官や騎士に、勲章や恩賞を与える場としても使われる。
つまりここは、普段女王の傍に控える者達以外の様々な人間が、女王と話す事を許される場なのである。
「遅い」
「申し訳ありません、陛下」
段差の上にある玉座に腰を下ろし、二人を見下ろす少女を前にして、謝罪の言葉を述べ、膝をついて臣下の礼を取るリック。そんな彼の行動を見て、自分を見下ろす相手に、彼女は驚愕した。
帝国軍参謀長であるこの男が、臣下の礼を取る。それは、玉座に座るこの少女が、彼が忠誠を誓う絶対的な存在である事を意味する。
(そんな・・・・・・、この少女が・・・・・?)
若いとは聞いていた。しかし、目の前の少女はどう見ても、自分より年下に見える。恐らく、歳は十四か十五と言ったところか。一国の支配者と呼ぶには、余りにも若過ぎる。
「ご苦労だったウルスラ。それで、あれがジエーデルの娘か?」
「はい。ジエーデル国出身、ミュセイラ・ヴァルトハイムと言う者です」
権力者特有の、上から目線の言葉遣い。
態度は権力者のそれであるが、余りにも女王が若いために、違和感を覚えてしまう。国を統べる支配者と言えば、如何に若くとも二十代後半であり、多くの支配者は三十代から五十代と言ったところだ。これ以上に高齢な者達もいるが、ローミリア大陸広しと言えども、十代の少女が一国を治めるという例は存在しない。この国を除けば・・・・・・。
「大義である」
「わっ、私は何も-------」
「貴様は我が軍の技術者の命を救ったと聞く。礼を言う」
少女だと侮っていた。どうせ、御飾りの女王なのだと思っていた。
違う。今彼女には、確かな威厳を感じた。人の上に立つ者が纏う威厳を、この少女はその若さで具えている。
御飾りではない。恐らく彼女は、傀儡ではないのだろう。
纏うその威厳だけで、この国の支配者は彼女なのだと確信した。
「ウルスラ、その娘に褒美を与える」
「はい。後ほど用意致します」
そう言うと女王は、玉座から立ち上がった。
玉座を離れ、二人へと近付いた彼女は、膝をつくリックの前で歩みを止める。
「参謀長」
「はっ」
リックの前に立った少女は、彼を参謀長と呼び、顔を上げさせる。
「愚か者っ!!」
「っ!」
顔を上げたその瞬間、女王は右手を握り締め、振り上げた拳で彼の頬を殴りつけた。
相手が自分より年上の男であるのも関係なく、突然怒鳴って殴ったのである。女王と呼ばれている、こんな少女がだ。
謁見の間にて、女王は人目を憚らず、自分の配下の一人である男に、手加減無しで手を挙げた。
目の前で起こった突然の暴力に、ミュセイラの思考が追い付かない。何故突然急に、この少女が彼を殴ったのか、全く理解出来ないでいた。
「貴様は我が帝国国民の命を救った娘を、あろう事か牢獄に監禁したそうだな!?この娘に非礼を働いただけでなく、国と私の顔に泥を塗った。どう責任を取るつもりだ!」
激しい怒りを見せる女王。その怒号に容赦は感じられず、リックがここで、どんな言い訳を口にしようとも、決して許さないと思わせる、烈火の如き怒りであった。
自分が叱責されているわけではないのに、ミュセイラの体からは、緊張の汗が止まらない。緊張の余り、蛇に睨まれた蛙の様になってしまい、身動き一つ出来ないのである。
少女が恐ろしい。自分よりも年下であるはずの彼女が、とても恐ろしい。
女王の威厳。それを備える彼女の怒りは、例えるならば嵐だ。自分達ではどうにも出来ず、ただ、過ぎ去るのを待つしかない、大きな嵐。
叱責を受けているリックは、この嵐の様な怒りに何も答えず、頭を下げて、彼女に謝罪の意を示すのみだった。
「謝罪する相手を間違えるな!貴様が頭を下げるべきは、この娘であるはずだ」
「はい・・・・・、女王陛下」
立ち上がり、ミュセイラの方を向いたリックは、謝罪のために深く頭を下げる。
殴られた時に口の中を切ったのか、口元から血が流れていた。殴られ怒鳴られた、そんな彼の痛々しい姿に、ミュセイラは文句一つ言う事が出来ない。
実は彼女、「よくも私を牢獄送りにしてくれましたわね!この責任は必ず取って貰いますわよ」と、女王の前でリックに対し、そう言ってやろうと思っていたのだが、目の前で起こった一連の出来事のせいで、完全にその気が失せてしまった。
「ミュセイラと言ったな?」
「はっ、はい!?」
「我が軍の参謀長の無礼。許して欲しい」
女王である故に、頭を下げる事はなかったが、彼女からは、確かな謝罪の気持ちを感じ取る事が出来た。
こうなるともう、何も文句は言えない。これでも尚、この場で文句を言う事の出来る人間がいるとすれば、それはよっぽどの馬鹿か、頭のおかしい人間だけだろう。
「それで、貴様は我が帝国軍の軍師となるため、遥々ジエーデルからやって来たのだったな」
女王はミュセイラの目的も知っている。彼女がどうして、この国に訪れたのかを。
ミュセイラは思う。今ならば、断られた帝国参謀長にではなく、帝国女王陛下相手に直談判出来るのではと。ここで自分を上手く売り込めば、いきなり軍師とまではいかなくとも、帝国軍に加えて貰えるかも知れない。女王と顔を会わせたと言う、このまたと無い機会を逃す手はない。
「はい。私、ミュセイラ・ヴァルトハイムは、ヴァスティナ帝国軍に加えて頂くためこの地へやって参りました」
「私に忠誠を誓い、国と民のためその命を捧げると言うのか。敵国である、ジエーデル出身の貴様が」
ジエーデル国の生まれであったために、こんな事になってしまった。
女王の指摘は尤もだ。しかし彼女にとって、そんな事は些細な問題だった。
「私は帝国の敵、ジエーデル国の生まれです。あの国で生まれ育ち、軍学校に通ってもいました」
「ほう・・・・・」
「ですが私は、あの国に対し愛国心を持ち合わせてはおりません。何故なら私は、生まれ育ったあの国より、逃げ出して来たと言えるのですから」
女王を前にしているこの状況で、彼女は堂々と正直に話した。
自分の生まれと、軍学校に通っていたと言う過去。そして、愛国心を持っていないと言う宣言。
「国を逃げ出したのか、貴様は?」
「はい陛下。私の父は軍人でしたが、ジエーデル総統の植民地政策に反対しておりました。そのせいで父は軍警察に検挙され、身に覚えのない罪を着せられて、拷問の末に処刑されたのです」
帝国にやっとの思いで辿り着く前の、ジエーデル国での記憶。
家でいつも通りの生活を送っていたら、突然軍警察の者達が家に踏み込み、父親を拘束した。何が起こっているのか理解できず、その時彼女は、連行される父親の背中を、呆然と立ち尽くし見ている事しか出来なかった。
父親が連行された後、軍警察の将校から、父が国家反逆を企てたと言う情報を得て、取り調べのために拘束したのだと聞かされた。
勿論、反逆を企てたなど嘘である。軍警察は虚偽の罪で、総統の政策に反対する彼女の父を始末するために捕まえた。
いつかは、こんな日が来てしまうかも知れない。彼女の父は、こんな日が来る事を想定して、妻と娘であるミュセイラのために、いざという時のための用意をしていた。旅の用具一式と、国を脱出するための逃走経路の地図。その先の行動が記されたメモなど、用意は万全だった。
ミュセイラと彼女の母親は、父親が処刑されたのを知ると、彼の死を悲しむ暇もなく、国からの脱出に取り掛かった。そうしなければ、次は自分たちの身に危険が及ぶと理解していたからである。
生き残るため、ミュセイラと母親は、お互いに分かれて別々のところからジエーデルを脱出した。二人よりも一人の方が、生き残る確率が高いだろうと言う、彼女の母親の判断である。別々に脱出した後は、予め決めておいた合流地点で落ち合うつもりだった。
だが、合流地点に到着したのは、結局ミュセイラだけだった。
「母も行方知れずとなってしまい、私にはもう、帰るべき場所も家族もおりません。ここで雇って頂けないのであれば、私は野垂れ死ぬだけですの」
「貴様、この私を脅しているつもりか?」
脅していると言うより、彼女の良心に訴えていると言う方が正しい。
彼女が本当に、善政を敷く、民に愛された女王であるのならば、自分の事を放っておけないはずだ。
帝国軍に加えて貰えなければ、自分はこの先生きてはいけない。これは事実であり、嘘ではない。この女王は良き支配者であり、国内外でも有名な話となっている。その女王が、無実の罪で捕まえられ、行き場を失くした娘を無下に扱ったとなれば、女王の評判に悪影響をもたらしてしまう。
女王の鋭い視線が、ミュセイラに突き刺さる。さらに、女王を守るメイド長からも、殺気を帯びた視線が向けられた。
無礼は承知の上だった。メイド長の視線も当然である。
余りにもミュセイラは、大胆な無礼を働いた。女王を脅し、自分の目的を、無理やりにでも叶えようとしている。しかし、彼女も必死なのだ。彼女にはもう、これ以上切れる手札が無い。
女王とメイド長の怒りを買っている。それは百も承知で、ミュセイラは賭けに出ている。
「ふん、良い度胸だ」
怒りを買っていると思っていた。しかし女王は、ミュセイラの発言と態度に、全く苛立ちを覚えてはいない。
「もう少し話を聞こう。場所を変える」
苛立つどころか、彼女に興味を示した。だからこそ女王は、場所を変えると言ってきたのである。
「そこまで言うのならば、貴様の覚悟を見せて貰う」
ミュセイラに命令し、女王は謁見の間を後にするため、扉に向かって歩き出す。
まさかの女王の行動に、驚くリックとウルスラ。異を唱えようとした二人だったが、諦める。彼女がこう言った以上、二人の意見は聞いて貰えないと、わかっているからだ。
(ヴァスティナ帝国女王、アンジェリカ・ヴァスティナ。噂以上の人物ですわね・・・・・・)
今の帝国を治める、漆黒のドレスを身に纏う、黒髪の少女。
彼女の名はアンジェリカ。彼女こそ、帝国王族の血を継ぐ最後の人間である。




