第十七話 新しい明日へ 後編 Ⅰ
第十七話 新しい明日へ 後編
彼女は後悔していた。
どうして自分はあの時、己の生まれ育った国を、正直に答えてしまったのだろうと・・・・・・。
今までの自分の人生において、これほどまでに後悔した事はない。これに近い後悔があるとするならば、子供の頃、ショートケーキを食べていた時に、最後までとっておいた大好物の苺を、急に現れた野良猫に奪われてしまった時の後悔か・・・・・・。
どうでもいい、懐かしい話だ。
だがしかし、今は懐かしさに耽っている場合ではない。
ヴァスティナ帝国軍兵舎、地下牢獄。
ベッドと椅子しかない、暗い牢獄の中に彼女はいる。とりあえず椅子に座り、天井を見つめ続けていた。現在の彼女の心境を言葉にすると、「お日様の光を浴びたい・・・・・・」である。
「はあ・・・・・・・・・・」
溜息しか出ない。
(私・・・・・・何も悪い事していませんのに・・・・・・)
確かに彼女は、何も悪い事などしていない。寧ろ良い事をしたと言える。
それなのに、自分の出身国を尋ねられ、正直に答えた途端、兵士達に拘束された。捕らえられた彼女は、一度尋問を受けた後、この牢獄に放り込まれてしまった。
牢獄に入れられ、丸一日経過したが、ここから出られそうな気配はない。新たに尋問される事はなく、見張りの兵士が巡回する以外、誰もここへは訪れない。しかも、食事すら運ばれないのだ。お手洗いは頼めば行かせて貰えるが・・・・・・。
牢獄という環境下では中々眠る事が出来ず、睡眠不足でかなり眠い。お腹も空いている。ストレスも溜まっている。「早くここから出しなさい!私が何をしたって言いますの!?」と、何度この牢獄で叫んだ事か・・・・・・。
狭くて暗い。目の前には鉄格子。窓が無いため、陽の光は差し込まない。最悪の環境である。
「はあ・・・・・・・・」
「これで何度目の溜息だろう」と考えるが、回数など忘れた。
「えっと、ミュセイラ・ヴァルトハイムやっけ?ミュセイラっち、迎えに来たで」
「ミュセイラっち!?」
変化が訪れた。見張りの兵士以外の人物が、ようやくここに現れた。
「なんや、牢獄に入れられとったのに、随分と元気そうやんか」
鉄格子の向こう側に現れたのは、身体中に包帯が巻かれ、明らかに怪我人である事がわかる姿の、眼鏡をかけた少女だった。
牢獄に入れられた彼女、ミュセイラはその少女を知っている。何故なら、この少女の命を救った事があるからだ。
「貴女は確か・・・・・、シャランドラさんでしたわね」
「如何にも!うちが帝国一の天才と名高い発明家、シャランドラや!!」
「天才?初めて聞きましたわ」
「嘘やろ!?うちの事知らんのかいな!」
がっくりと肩を落とし、項垂れるシャランドラを見て、本当に聞いた事がないか思い返してみる。
ヴァスティナ帝国と言えば、善政を敷く女王陛下と狂犬参謀長以外に、有名な噂があったような気がする。炎を操る槍士と雷を操る剣士が帝国にいて、この二人は戦場で一騎当千の活躍を見せる、という話ならば聞いた事があった。
他には・・・・・・。
「あっ、思い出しましたわ」
「ほんまか!?」
「確か・・・・・、帝国には眼鏡をかけた少女がいて」
「うんうん」
「発明と研究に命を懸ける」
「それやそれや」
「失敗ばかりの自称天才発明家(笑)の少女がいるとか-------」
「なんやてっ!!!どこの馬鹿やそんな事ほざいとるんは!?」
口は災いの元とも言うが、ミュセイラにはこの言葉がぴったり当てはまる。
ついつい彼女は、言わなくてもいい事を正直に答えてしまう。それで何度、後悔する羽目になった事か。
話を聞き、鉄格子の向こう側で暴れるシャランドラ。またやってしまったと、後悔するミュセイラ。
どこの誰が自分の悪い噂を広めているんだと、暴れながら叫ぶ彼女であったが、怪我の痛みが電流のように奔り、痛みのせいで暴れるのを止めた。
「あいたたたた・・・・・・、体中が悲鳴あげとるわ」
「だっ、大丈夫ですの?」
「平気へっちゃらや。うちがこうしてふざけていられるのも、ミュセイラっちのおかげやわ。ありがとうな」
シャランドラは、心の底からミュセイラに感謝している。
昨日、帝国軍実験場にて、シャランドラの発明品が爆発し、そのせいで彼女は生死の境を彷徨った。彼女の命を救ったのは、ミュセイラの治癒魔法である。
治癒魔法で治療された後、シャランドラは兵士達に担架で運ばれ、魔法で治療されなかった、外側の怪我の手当てを受けた。手当を受けた際、自分に何があったのかを聞かされ、自分の命の恩人がミュセイラだと知ったのである。
だから彼女は、どうしても自分の口からお礼を言いたかった。怪我の痛みに耐え、ここまで態々足を運んだ理由は、彼女に直接、命を救われた礼を言うためである。
「感謝なんて、私には勿体無いですわ。それに------」
「人の寿命を勝手に奪った。って、言いたいんかいな?」
その通りだった。ミュセイラは治癒魔法を使い、シャランドラの命を救う代わりに、彼女の寿命を奪った。それしか、彼女を救う方法がなかったのである。
「別にええよ、気にせんでも。だってミュセイラっちがおらんかったら、うちは今頃墓の下やったわ。うちにはまだ、やる事が沢山あってな、死ねないんよ。それにな・・・・・」
「?」
「うちが死んだら、きっとリックを苦しめてまう。だから死ねないや」
リック。その名前は、この国に訪れて何度も聞いた名前だ。
この名前はある男の・・・・・、ミュセイラが出会いたかった、この国の軍事を支配する男の愛称。
「うちの命はどうでもええんや。ただな、あそこでうちが死んだら、絶対リックは・・・・・・。それに、うちがここで死んだら、せっかく作っとる武器が完成せんのや」
「もしかして、貴女は・・・・・・」
「そうや。うちの命はリックのもんで、リックの目指す力のためにあるんや。寿命が削られても、今を生きられるなら、それで十分やわ」
恐ろしい。ミュセイラは、彼女が恐ろしくなった。
自分の全ては他人のものであり、自分の命は、兵器作りの人材という価値しかない。このシャランドラという少女は、自分はそういう人間であると言った。
彼女は自分の命よりも、リックが大事なのだ。自分の死が、リックに都合の悪い事ならば、彼女は死ねない。逆に言えば、彼に必要とされなくなった、その時は・・・・・・。
「ほんまありがとうな、一生感謝するで」
彼女は異常だ。
いや、異常なのは、彼女だけではないのかも知れない。
「んで、助けてくれたお礼なんやけどな」
シャランドラの右手には、一本の鍵が握られていた。その鍵を、ミュセイラにも見えるよう、手に握ったまま前に出す。
そして彼女は、ミュセイラが待ち焦がれていた言葉を口に出す。
「釈放や」
実験場での出来事から拘束され、丸一日牢獄で過ごした後、ミュセイラは解放された。
地下の牢獄から外に出て、シャランドラに案内されながら、帝国軍の兵舎を見てまわる。兵舎を見てまわりながら、彼女はシャランドラに「付いて来てや」と言われて、とりあえず後に続いていた。
「やっぱり、外は気持ちがいいですわ」
「あんな地下に閉じ込められとったら、そう思うんは無理ないで」
「本当に助かりましたわ。あのままあんなところに居たら、頭が変になっていましたもの」
陽の光の当たらない薄暗い地下の牢獄に、たった一人でいるという最悪の環境は、人間の精神に害をもたらす。長期間そんなところで過ごせば、身体や精神に支障をきたし、下手をすればまともな生活を送る事も出来なくなる。
軍師としてこの軍に入隊したい彼女としては、あんなところで長い時間過ごし、大切な頭脳をやられるわけにはいかなかった。
「お礼なんて別にええで。釈放するんはリックの命令やし」
「えっ?だってさっき・・・・・・」
「あれは冗談や。うちがお礼したいって言うんは本当やけどな。ミュセイラっちの釈放は参謀長命令なんやで」
帝国軍参謀長命令。これはシャランドラ達にとって、絶対に遂行しなければならない、最重要命令である。
「大変やったんやで。この命令が出んかったら、ミュセイラっちはあの地下牢獄にずっと閉じ込められとったわ」
「冗談ですわよね?」
「残念ながら本当や。釈放するかどうかで滅茶苦茶揉めたんよ」
話は二時間ほど前に遡る。