第十六話 新しい明日へ 前編 Ⅱ
「止まれ」
「はい?」
城を目指し、歩き続ける事数十分。彼女は突然現れた。
「貴様は何処の所属だ?」
「しょ、所属ですの・・・・・?」
ただ道を歩いていただけのミュセイラを、突然呼び止めた一人の女性。
軍用と思われる制服に身を包み、先程のヘルベルトと同じように、鋭い視線をミュセイラに向けるこの女性。鍛えられた身体と、ミュセイラよりも高い身長。日に焼けた肌と、ショートカットにしてある赤茶色の髪が、とても印象的だ。
「所属なんてありませんわ。この国にはまだ来たばかりですもの」
「外から来た人間か。どこへ向かっている?」
「軍の責任者に会うために、城を目指していますの。ヘルベルトさんという方から道を教えて貰いましたわ」
「なに、ヘルベルト殿が道を教えたのか?」
「そうですわ。これなら問題ありませんわよね?」
ヘルベルトの名前に殿を付けるという事は、彼女が軍人であるのは間違いない。ヘルベルト達の部下なのかは不明だが、彼らと同じように彼女もまた、ミュセイラの事を警戒したのだろう。
「ヘルベルト殿が道を教えたのならば、問題はないか・・・・・。呼び止めてすまなかった」
「いいんですのよ、気にしてませんから」
気にしてないと言いつつ、実はとても文句を言いたいミュセイラ。
「所属とかいきなり聞かれても困りますわ。これだから頭のお堅い軍人は嫌ですの」とか、言ってやりたかった。
しかし、見るからに真面目そうな女性であるから、彼女の立場からすれば、正しい職務を全うしただけなのだろう。これは仕方のない事だ。
「城に向かうのならば、そこの道を左に曲がるといい。その方が近道だ」
「そうなんですの?感謝しますわ、女軍人さん」
親切に道を教えて貰い、感謝の言葉を述べたミュセイラは、城へ向かう歩みを再開する。近道と言われた道を歩み、名前も知らない女軍人とそこで別れる。
ミュセイラの姿が見えなくなって、その直後。
「お待たせ、セリーヌちゃん♪♪」
「私も今来たところです。待ってなどいません」
「相変わらず真面目だね♪もっと肩の力抜いてもいいんだよ?」
「イヴ殿、そう言われましても・・・・・」
「せっかく二人だけでデートに行くんだから、今日は僕の事呼び捨てにしていいんだよ?っていうか、セリーヌちゃんの方が年上なんだし」
そう、この女軍人はここで待ち合わせをしていた。見かけない顔だと思い、ミュセイラを呼び止めたのは偶然である。
待ち合わせの相手は、ミュセイラがいなくなってすぐに現れた、桃色の髪をショートでまとめる、星形の髪飾りを付けた人物。彼女よりも年下で、人懐っこさを感じさせる子だ。
「デートでありますか?買い物に付き合って欲しいと頼まれただけですが・・・・・・」
「僕とデートは嫌なの?」
「いえ、そういう事を言っているのではなく・・・・・。それと私の事は、どうかアングハルトとお呼び下さい」
「そうだよね。僕なんかより、セリーヌちゃんは一緒にデートしたい相手がいるもんね♪」
「あの、私の話・・・・・聞いておられますか?」
可愛らしく首を傾げる、小悪魔的な少女・・・・・・もとい少年のペースに、彼女は全く付いて行けない。
(一度、強くお願いした方がいいのかも知れない)
恥ずかしいから名前で呼ばないで欲しいと、強く頼んでみるべきか悩む。だが諦めた。
何故かと問われたら、彼女はこう答える。「どうお願いしても、小悪魔的な笑顔を返されるだけだ」と。
「じゃあいこっか、セリちゃん♪♪」
「・・・・・・せめてセリーヌと呼んで下さい」
城まで、もう一息のところまで近付いた。
胸を躍らせ、旅の疲れを忘れて歩き続けた彼女は、街の子供達が戯れる広場に辿り着く。六歳か七歳くらいの子供達が走りまわり、無邪気な笑い声が広場に響いている。とても微笑ましい光景だ。
広場で立ち止まり、無邪気な子供達を眺めていたミュセイラ。子供達が争いとは無関係で、こうして遊びまわっている光景こそ、平和の象徴と言えるのかも知れない。
未だ争いの多いこの大陸では、広がる戦火に巻き込まれ、両親を失った子供や、奴隷商人に捕まって売り捌かれる子供もいる。中には武器を持たされ、軍隊の少年兵として生かされる子供もいるのが、ローミリア大陸の現状である。
旅の途中、ミュセイラはそんな子供達を、立ち寄った地で何度も目にした。
全てに絶望し、瞳の死んだ子供達。何度もそんな子供達を目にしたからこそ、帝国の子供達が眩しく見えてしまう。
心の中でそう思いながら、無邪気な子供達を眺めていると・・・・・・。
「ねぇねぇ、あれやってよ」
「たかいたかーいやって!」
子供達が何かを強請っている。ミュセイラにではない。
広場には子供達の他に、一人の男と巨人が一人。
(ひっ・・・・・・人なんですの・・・・・・?)
ミュセイラは彼を巨人だと思った。
二メートルを軽く超える巨体が、子供達と戯れているのだ。驚くのも無理はない。
(まさかオーク!?でも、魔物であるオークがこんなところにいるはずありませんわ・・・・・)
オークとは魔物の一種で、人型の獣人である。大型オークは身長が二メートルを超え、その腕力は人間を遥かに凌駕する。
大陸中央や北に生息し、普段は森などで静かに暮らす魔物であるが、時には様々な理由で人間と衝突する。その場合は主に、人間側がオークたちの生活圏を奪い、争いが発生する事が多い。
そんなオークが、こんなところで子供達と戯れているなど、ありえない事である。つまり、ミュセイラが見ている目の前の巨体は、人間であるはずなのだ。
(人であってますわよね・・・・?オークでもオーガでもなく・・・・・・)
ちなみにオーガとは、大陸に生息する人型の魔物である。所謂、鬼と呼ばれる存在で、大型のオーガは身長が三メートルは超える。
「じゃあやるんだな。たかい、たかーいなんだな」
巨体の男が言葉を発し、その大きな手で子供の身体を掴み上げ、空に向かって掲げる。片手で子供を軽々掴み上げる様は、小さな子供を今まさに食べてしまおうとしている怪物の図。
ミュセイラがはらはらと見守る中、高く掲げられた子供は楽しそうに、ずっと無邪気笑っている。巨体の男の「たかい、たかーい」に、とてもご満悦のようだ。
心配するまでもなかった。
(縦にも横にも、本当に大きな人ですわね。それにしても、この大きさにぴったり合う服は、一体どこで入手したのでしょう・・・・・・・)
その疑問は、この男の最大の謎と言っても過言ではない。
どう考えても特注品としか思えない、常人を遥かに超えた大きさの男にぴったりと合う上着とズボン。こんな物が、街の服屋で手に入るはずがない。明らかに特注品だ。
「リックもいっしょに遊ぶんだな。オラ、リックとも遊びたいだよ」
巨体の男は、もう一人の男に声をかける。
広場には一本の大きな木が立っている。その木陰の中に、一人の男が地面に腰を下ろし、子供達を見守っていた。
年齢は二十歳位の若い男で、その表情は憂いに満ちている。広場と子供達を見ているようだが、心は別の何かを見ている。そんな印象を受けた。
「俺はいい。気にしないでくれ」
「でもオラは、リックの悲しい顔をみたくないだよ。いっしょに遊べば、きっと楽しくなるだよ」
リックと呼ばれたその男の表情は、影を落としたままである。
巨体の男は、ずっと憂い続けている彼を元気付けるために、彼を外へと連れ出した。外に出て、無邪気に笑う子供達を見れば、気持ちが少しは晴れるだろうと、そう思ったのである。
「心配かけて悪かったな、ゴリオン」
「リック・・・・・・」
ゴリオンと呼ばれた巨体の男。心優しい彼は、この男を心配し続けている。
男も、ゴリオンの気持ちや考えは理解している。それでも今の彼は、心が晴れる事はない。心の底から、子供達と共に楽しく笑う事もできない。
「で、さっきからこっちを見てるそこのお前。俺たちに何か用か?」
「!!」
ずっと二人と子供達を見ていたミュセイラに、鋭い視線と声が放たれる。
今日三度目となる、警戒の視線。巨体の男は全く警戒していないが、木陰で腰を下ろしている、この男は違う。
「あっ、あの・・・・」
「旅人か。それとも、何処かの国の諜報員か?」
「違いますわ!この国の人達は、どうしてそう私をそんな目で見るのかしら。失礼ですわよ!」
いい加減、警戒ばかりされるのがうんざりになり、流石にキレるミュセイラ。
しかしリックと呼ばれている男は、キレた彼女に全く動じず、ミュセイラの事をじっと見つめた。爪先から頭の上まで観察し、最後に彼女の目を真っ直ぐ捉える。
「嘘は言っていないようだな」
「だからそう言っていますわ!疑うのもいい加減にして下さいな」
「悪かった。お前の眼は嘘を言っていないようだ。だから信じる」
この男はミュセイラの全てを観察し、彼女が嘘を言っていないと見抜いて見せた。
勿論嘘など付いていないミュセイラだが、男の見せた観察眼に、純粋な興味を覚える。
「私は嘘など言っておりませんけど、どうして怪しくないと決めつける事が出来たんですの?」
「どんな人間も、眼だけは嘘を付けない。相手の眼と挙動を観察して、直感で心を読んでるだけだ」
「直感・・・・・ですの?」
「ああ。前に、俺の師と言える存在に教えられた」
彼がそう言うと、巨体の男ゴリオンの表情が曇る。そして、リックと呼ばれているこの男もまた、己の口にした言葉で、閉じ込めておきたかった自分の記憶を呼び覚ます。
男はより一層愁いの表情を見せたが、すぐにそれを振り払い、表情を変えて立ち上がる。
「ゴリオン、俺は城に戻る」
「ま、待つんだなリック。今日は-------」
「非番は返上する。片付けたい仕事が山積みだからな」
木陰から離れようとする男。
彼がミュセイラに背中を見せて、城に向かおうとしたその時。
「お待ちになって」
彼女は男を呼び止めた。
呼び止められて振り向いた男に、ミュセイラは口を開いて言葉を続ける。
「城に向かうと仰いましたわね。私もご一緒して宜しいかしら?」
「城に何の用だ?」
「正確には、帝国軍に用がありますわ。あなたとご一緒すれば確実に目的の場所へ着けそうですから、ご一緒したいんですの」
「・・・・・・・好きにしろ」
理由は言葉にした通りだが、それだけが、一緒に付いて行きたい理由ではない。
興味を持ったのだ。直感で人の心を読み取ろうとする、失礼極まりないこの男に。
「私はミュセイラ・ヴァルトハイム。あなたはリックさんで宜しいかしら?」
自分の名前を名乗った彼女に、男は頷いて答える。
ミュセイラとリックは二人で並んで歩き、城への道を歩いて行く。
広場に残されたゴリオンは、彼の背中を心配そうに見つめ続け、子供達と共に、二人を見送る事しかできなかった。