第十三話 救世主 Ⅷ
見た事のある部屋。本当に、何年振りかに見た、私の部屋の風景。
「!!」
ベッドから飛び起きる。辺りを見渡す。
最後に見た時からほとんど変わっていない。私の部屋の風景。
「どうして・・・・見えるの・・・・・?」
目はもう見えないはず。では、今見えているこの部屋の風景は?
私の眼は、ずっと光を失ったままのはず。それなのにどうして私は、見えているのだろう・・・・・。
「どうかしましたか、陛下」
「リック様・・・・・・?」
私の寝ていたベッドの傍には、大切なあの人の姿。
顔を見たのはこれが初めて。それでも、声で貴方だとわかります。初めて見る、大切な貴方の姿。想像していた通りの、歳が五つ離れた男の人。
でも、今この人は、帝国を守るために戦地にいるはず。どうしてここに・・・・・・?
「リック様、いつお戻りになったのですか?」
「いつ?何言ってるんですか陛下、俺はずっと傍にいましたよ」
不思議そうな顔をして、私を見つめている。
ずっと傍にいた。そんなはずはない。
「あっ、もしかして寝惚けてますね?」
「・・・・・・寝惚けてなどいません。それよりも、どうして私の目が・・・・・・」
目だけではなく、体の調子もいい。
熱もないし、苦しくもない。一体、どうして・・・・・・?
「陛下。いや、ユリーシア。俺は君との約束を守ったんだ」
「えっ・・・・」
「もう、何も心配する事はない。ユリーシア、君は自由になったんだから」
約束。リック様と交わした、あの約束。
約束を守ったと言う事は、私の願いを、貴方が叶えてくれたと言う事。
「私の体は・・・・・・」
「治療した。腕のいい医者を苦労して探してきたんだ。もうユリーシアは、何の不自由もない」
「本当に・・・・本当に貴方は、私との約束を?」
「ああ本当さ。俺は君との約束を守ったよ」
これは夢?それとも、私の力が見せた未来?
現実であって欲しい。でも、これはきっと・・・・・。
「さあ行こう。君はやっと自由なれたんだから」
私の手を引いていく。
きっと手を引かれたこの先には、悲しい事も苦悩する事もない、安らかな世界が待っているのでしょう。
ですが、私にはまだ、やるべき事が残っています。
「心配ありません、陛下」
「メシア・・・・?」
気が付けば目の前に、私に忠誠を誓った騎士の姿。
最後に彼女を見た時と、同じ姿。違うのは、その表情。
出会った時の寡黙さがなく、微笑みを私に向けている。
「陛下は十分に責務を果たしました。その責務の重みから、ようやく解放される時が来たのです」
「ですが私は、彼を残していくわけにはいきません・・・・・・。私は彼のために、生き続けなければならないのです」
きっと彼は、私がいなければ壊れてしまう。
だから私は、たとえどんなに苦しくとも、生き続けなければならない。メシア、それは貴女もわかっているはずです。
「リックは弱い男です。確かに、私たちが傍にいなくては、容易く壊れてしまう」
「そうです。だからこそ私たちは――――」
「何も心配はありません。リックの傍には、あの者たちが付いています」
「!!」
そうでしたね。私と初めて出会った時とは違う。
私が傍を離れれば、きっと彼は絶望してしまう。私を存在意義として生きている彼は、生きる意味を失う事になる。私と彼が、出会ったばかりの頃はそうでした。
でも今は違う。彼の傍には、彼を想い、彼を支える者たちがいる。
たとえ私がいなくなろうとも、きっと・・・・・・。
「陛下」
「ユリーシア」
私を呼ぶ声。二人は微笑んでいる。
もう自由になってもよいのですか。この呪縛から、解放される時が訪れたのですか。
私は、後を託してもよいのですか・・・・・。
「君は責任を果たした。後の事は、俺たちに任せてくれればいい」
ああ、そう言う事なのですね。
未来を見通す私の魔法。だから私に、あの未来を見せたのですね。
「・・・・・・・・」
女王になる事を選んだあの日から、どんな事に対しても、涙を流すのをやめた。そうしなければならない立場でした。女王として、涙を見せてはならない。常に気高くなければなりませんでした。
ですが、もういいのですね。頬を伝う雫。今まで抑えてきた感情が溢れて、涙がとまらない。
私の人生。後悔もあれば、思い残す事もありました。
それでも私は、精一杯生きました。辛く苦しい人生でしたが、不幸などではなかった。
そう思えるのは、貴方のおかげです。リック様・・・・・・。
「リック様。いえ、宗一郎様」
「はい」
私は貴方を利用しました。許されるべき事でありません。
そして貴方もまた、私を生きる目的とした。私たちは同じでした。
貴方の生きる意味になれて、本当に良かった。他者に迷惑をかけるだけの私が、誰かの助けになれた事。生きていて良かったと、心からそう思えます。
「ありがとう・・・・・・」
宗一郎様。私の救世主。
どうか貴方の未来に、光があらん事を・・・・・・。
この戦争に名前はない。
しかしこの戦いは、生き残った敵味方双方によって、長く語り継がれる事になるだろう。
豊かな土地、南ローミリアを巡る四度目の戦いは終結した。ヴァスティナ帝国、へスカル国、チャルコ国、エステラン国、ジエーデル国の戦力は、それぞれの戻るべき国へと帰還した。
戦争の結果、侵攻したエステランとジエーデルの軍隊は、南ローミリア侵略に失敗。両国は多大な損害を出し、目的を達成する事は叶わなかった。
エステラン軍は帝国軍に蹴散らされ、ジエーデル軍は戦力の三分の二を、帝国騎士団の決死の突撃によって失う。特にジエーデル軍は、たった二百人の騎士団に、二千もの兵力を壊滅させられた。
戦いに命を燃やした騎士たちは、一人一人が信じられない力を戦場で発揮し、ジエーデル兵を圧倒した。帝国最強の騎士メシアは、命を懸けた兵士と共に、敵軍の中を無双していったのである。
戦闘民族アビスの力、命を懸けた人間の力、守りたいと言う想いの力。騎士団はジエーデル兵を覚悟で上回り、この三つの力を結集して戦った。そして騎士たちは、僅か二百人の戦力で、二千の敵と互角以上に戦い、相打ちとなったのである。
残存戦力を引き連れ、退却したジエーデル軍。この戦闘の結果は、すぐさまジエーデル本国に伝えられた。二百の帝国騎士に、三千のジエーデル侵攻軍が敗北したという報告は、総統バルザックを震撼させた。
彼は報告に耳を疑い、腰を掛けていた椅子から立ち上がり、何かを言いかけようとして口を噤み、立ち尽くしていたと言う。
帝国騎士団の多くの騎士と、帝国最強の騎士メシアの戦死。
守るべきものを守り抜いた、帝国の戦士たち。だが、その代償はあまりに大きかった。
戦いは確かに終わった。しかしこの先、彼女の力なしで国を守り続ける事など出来るのだろうか。
失われた者たちへの悲しさと、明日への不安を抱えながら、帝国の戦士たちは帰還への道を歩んでいた・・・・・。
帝国へと先に帰還したのは、へスカル国から出発した、リック率いる帝国騎士団だった。
ヴァスティナ帝国城に到着した騎士たち。生き残り、帰還したと言うのにも係わらず、皆の表情は影を落としている。彼らは生き残った。いや、彼らは生き残らされた。戦場で散ったメシアたちによって・・・・・。
自分たちの無力さが、彼女たちを殺してしまった。そう思えてならない。彼らの心は、皆一様に絶望へと沈んでいる。
だが騎士たちは、自分たち以上に心へと傷を負い、メシアたちの死を悲しんでいる者を知っている。
そんな彼を見ると、心を裂かれる思いを覚える。
「・・・・・・・」
「リック様、城に到着いたしました」
それぞれ別の馬に跨っていた、リックとレイナ。城の門へと到着したため、レイナは馬を降り、リックを馬から降ろす手助けをする。
へスカル国にて、メシアの戦死を知ったリック。彼はその日から、まるで抜け殻のようになってしまった。心を失った人形とでも、例えればいいのかも知れない。何を話しかけても口を開かず、反応すら示さない。目からは気力が失われ、このところまともに食事も睡眠もとっていない。
傍で彼の看病に努めたレイナは、毎日心が裂ける痛みを感じながらも、彼のために尽くした。
リックの心は死んだ。メシアを失った彼はもう、二度と立ち直る事が出来ないかも知れない。それでもレイナは信じている。帝国に戻れば、女王陛下が彼を救ってくれると。
そう信じているレイナは決断し、へスカル国にて帝国騎士団を指揮し、国へと急いで帰還したのである。動けない重傷者はへスカルに残し、動ける者だけを帝国へと連れ帰った。
エステラン軍と戦ったクリスたちは、戦後処理を済ませた後、帝国への帰還を目指したため、レイナたちが先に帝国へと帰還できたのである。帝国の外で別任務に就いていた、ゴリオンやイヴの部隊はすでに帰還している。
リックに忠誠を誓う仲間たちに、彼の今の姿を見せたくはない。見ればきっと、仲間たちも彼の痛みを感じてしまう。彼が立ち直るまで、誰にも会わせたくない。しかし、レイナの願いは届かなかった。
「リック・・・・・・」
「エミリオ・・・・・・」
彼の帰りを待っていた、軍師エミリオ・メンフィス。
彼の傍にはもう一人、眼鏡をかけた少女の姿。帝国一の発明家シャランドラもまた、彼の帰りを待っていた。
ジエーデルとの戦闘と、メシアの戦死については、帝国にも伝わっている。リックがどんな心境であるのかも、エミリオとシャランドラには容易に想像がついているだろう。
二人の表情も影を落としている。エミリオはリックから目を逸らし、シャランドラは涙を必死に堪えている。この二人でも、リックを救う事は出来ない。
そうとわかっていても、この二人ならば彼を助けたいと思い、メシアの死の悲しみを堪え、リックを慰めようと行動するはずだ。いやそもそも、彼の仲間でそうしない者はいない。
リックは大切な存在で、この世でたった一人のかけがえのない男。皆にとって、それだけが共通している想いだ。レイナも含めて、彼が苦しんでいるのならば、どんな事をしてでも救いたい。エミリオもシャランドラも、レイナと同じ気持ちのはずだ。
だからレイナは、二人の違和感に気付く事ができた。
何故エミリオは何も話さない。どうしてシャランドラは、涙を必死に堪えているのか。
「・・・・・・っ!!」
絶望しているリックへと、耐えかねたかのようにシャランドラが駆け出し、彼の胸の中へと飛び込んだ。
そして、彼女はリックへと抱きつき、突然大声で泣き出してしまう。堪えていた感情を溢れさせ、止まる事のない涙を流し続ける。
「シャランドラ・・・・・」
「リック・・・・・!ごめんリック・・・・っ!うち・・・・・なんもできへんかった・・・・っ!!」
泣き出し、必死に彼へと許しを請う。
己の無力さを呪い、何もできなかった自分に怒りを覚えて・・・・・・。
「メシアが戦死したのは・・・・・お前のせいじゃない・・・・・・」
心が死んでいても、絶望の中にいても、仲間の事を救おうとする。
メシアの死は自分のせいだと、彼女に言い聞かせようとしている。仲間の一人であるシャランドラに、これ以上苦しんで欲しくない。悲しみに暮れる彼女の心を、解放してやりたい。自分の心の痛みよりも、彼女を先に救おうとする。
「全部・・・・・俺が・・・・・・」
「違うんや・・・・っ!違うんやリック・・・・・・っ!!」
シャランドラが許しを請うているのは、メシアの死ではない。
次に彼女が口にする名前。それは、この男の希望だ。
「ユリユリが・・・・・!ユリユリが・・・・・・・っ!!!」
泣き叫び、必死に叫んだ少女の名前。その名前は、シャランドラが彼女を呼ぶ時の愛称。
「うち・・・うちは・・・・・ユリユリを・・・・・っ!!」
「ユリーシア・・・・・・・」
儚く、美しき少女の姿。脳裏に映し出された、最後に見た彼女の顔。思い出す、最後の言葉。
リックは駆け出した。少女が待つ、あの場所へ。
「ユリーシア!!」
全力で城の中を走り、真っ直ぐに向かったその部屋は、彼の全てが始まった場所。
扉を乱暴に開け放ち、少女の名を叫ぶ。
辿り着いたのは少女の寝室。そこに居たのは、数人のメイドたちとメイド長ウルスラ、そして宰相のリリカ。
ウルスラは立ち尽くし、メイドたちは床に膝をつき、声も殺さず泣いている。彼女たちの視線の先には、寝室のベッド。その上には、一人の少女が眠っていた。
「リック・・・・・」
「リリカ・・・・・」
彼のいない間、少女を傍で支え続けたのはリリカだった。
リックが帰るまで、彼女が少女を守り続けていた。
リリカはベッドの上の少女を見つめ、視線を離さない。部屋に入ったリックへ振り返らず、彼女は少女を見つめ続ける。
「ユリーシア・・・・は・・・・・?」
「・・・・・・」
「なんとか、言ってくれよ・・・・・・っ!」
何も答えようとはしない。
ベッドの上で眠りについているはずの少女は、微笑みを浮かべている。楽しい夢を見ているのだろうかと思うほど、それは幸せそうな微笑みだった。彼女のそんな微笑みは、リックでさえも初めて見る。
別れた時は、苦しい体調を表に出さず、優しく微笑みを浮かべて送り出してくれた。ずっと彼女は、心も体も苦しめられ続けていた。
今の彼女は違う。眠っている彼女からは、苦しみ堪えているのを感じない。全てから解放されたような、穏やかな表情を浮かべている。
「参謀長・・・・・」
「メイド長・・・・・。ユリーシアは・・・・寝てるだけなんですよね・・・・・?」
ウルスラに救いを求めてしまう。
リックはユリーシアを見て、全てを悟った。何が起こったのか、悟ったからこそ救いを求める。
「陛下は・・・・・、もう二度と、御目覚めになる事はありません」
「やめて・・・・・くれ・・・・・」
「女王陛下は、卒去なされました・・・・・」
ヴァスティナ帝国女王、ユリーシア・ヴァスティナ。
帝国を統べ、その若さで国と民を守り続けた少女は、全てから解放された。
これでユリーシアは、自分の身を削る事も、重すぎる責任に苦しむ事もない。やっと彼女は、己を苦しめる何もかもから解放されたのだ。
微笑みを浮かべて、永遠の眠りについた少女。
解放された彼女の事想うと、これで良かったのだと思える。だが彼女は、死ぬにはまだ早過ぎた。
何もしてあげられなかった。彼女にしてあげられたのは、彼女のために戦う事だけ。彼女を幸せにする事はできなかった。
そしてリックは、自分を置いて逝ってしまった少女の事を・・・・・・。
「なんでだよ・・・・・。君はどうして・・・・・」
力なく、彼女が眠るベッドに近付いていく。
永遠の眠りについた少女の傍で、膝をついてその手を取った。
冷たくなった少女の手。白く長い髪と、美しい姿。透き通るような白い肌からは、温かさが失われ、息をする音は聞こえない。
信じたくない。
メシアもユリーシアも、彼をおいて死んでしまった。
「俺を・・・・おいて逝かないでくれよ・・・・」
少女の手を握りしめ、少女との約束の全てを思い出す。
この部屋で交わした、大切な二人の約束。最後に言葉を交わした時にした、必ずここへまた戻ってくるという、最後の約束。あの時彼女は言った、「待っています」とそう言った。
「俺は・・・・ちゃんと戻って来た・・・・・」
少女は何も答えない。
「だから・・・・。だから目を覚ましてくれよ・・・・・・っ!!」
残酷だ。
彼は、この世で最も愛する、かけがえのない存在を二人とも失った。
誰も彼を救えない。彼、長門宗一郎には最早救いはない。
宗一郎は、何もかもを失った。生きる意味すら、失われてしまった。
「助けられなかった・・・・・。・・・・・・ごめん、ユリーシア」
これ以上は、何も言葉が出てこない。
ただ彼は、彼女の傍で泣いた。傍に寄り添い、失われた少女の命を想い、傍を離れず涙を流し続けたのである。少女の若過ぎる死を悼み、彼女を救う事のできなかった自分を呪う。
長門宗一郎の希望と光は、永遠に失われてしまった。
この世界に迷い込み、人生に絶望していた彼を救った、女王ユリーシアと騎士団長メシア。
二人は宗一郎にとっての救世主だった。そして二人は彼を愛し、死を迎えるその時まで、彼に感謝し続けた。
死の直前も、二人は彼を恨む事はなかった。
何故なら彼女たちにとって、宗一郎は希望の光を与えてくれた、最愛の救世主だったのだから・・・・・・。