第十三話 救世主 Ⅶ
ヴァスティナ帝国城の、とある一室。
部屋に座り込み、俯いている一人の少女がいる。メイド服を着たその少女の名は、メイファ。しかしこれは、彼女の本当の名前ではない。帝国に来て、この城のメイド長に付けられた、仮の名前だ。
この部屋は、メイファにとって特別な場所。記憶の中に残る、優しい思い出の場所だ。悲しみや不安を抱えた時は、決まってここへと足を運んでしまう。
今は亡き、帝国宰相マストールが病死した時も、彼女はこの部屋にいた。そして、人知れず彼の死に涙を流した。
(ご主人様たちは・・・・この国と女王のために今も戦っている・・・・・)
自分自身の無力さ。守りたいものを救う事のできない苦悩。
彼らに託す事しかできず、自分には祈る事しかできない。本当は、今も苦しみ続けている彼女のための、力になりたいと思っている。
傍に付いていてあげたい。その苦しみから解放したい。
彼女を救う事が出来るのならば、悪魔にだって魂を売り払ってもいい。
(私に出来る事は・・・・何もない)
彼女を救う術も持たず、彼女を守るための戦う力も持たない。
傍に付いていてあげる事もできない。何故なら、メイファが隠し続けている真実は、この国の誰にも知られてはならない事なのだ。無論、彼女にも。
だからメイファは、この部屋を飛び出し、彼女の傍へと行く事が出来ない。もし行けば、彼女とこの国を危険に晒してしまう。
(リクトビア・フローレンス、私は貴方に託すしかない。貴方を信じるしかない・・・・・・)
女王を守り抜くと言った、自分の主人の言葉。
今は信じるしかない。彼が帝国の敵を倒し、いつの日にか、彼女を救ってくれると・・・・・・。
「私は、人として最低だ・・・・・・っ!」
将来、この国と彼女に災いをもたらすだろうと、一度は殺意を抱いた相手に、願いを託す。
それは、とても自分勝手な事だ。
だから思った。こんな私は、いつか地獄に堕ちればいいと。
南ローミリアを巡る争い。
ヴァスティナ帝国を中心に、二つの戦争が始まった。エステラン国とジエーデル国。二つの国家は、それぞれの企みのもと、南ローミリアへと侵攻を開始した。
この二国を迎え撃った、帝国の戦士たち。命を懸けて、それぞれの守りたいもののために戦った。
戦士たちの活躍により、エステラン国との戦いは終わった。帝国軍は勝利を収め、エステラン軍は自国へと退却したのである。
南ローミリアを巡るこの戦争は、終わりを迎えようとしている。
帝国を守り抜くために戦場で散っていった、戦士たちの命を代償にして・・・・・・。
何も感じない。動く事すら出来ない。
痛みと苦しさをずっと感じていた。でも今は、もう何も感じない。
体に力が入らない。首だけをどうにか動かし、周りを見まわす。どうやら私は、地面に仰向けで倒れているらしい。周りには、共に戦った仲間たちの姿がある。最後まで私と共に戦ってくれた、名前を付けてやらなかった愛馬の姿も。
だが、皆は私と同じように倒れていて、全く動かない。傷つき血を流して倒れている。私のように。
(私たちは・・・・・勝ったのか・・・・?)
私たちは戦った。絶望的な戦力差の中、一歩も退かずに戦った。
共に戦ってくれた仲間たちは、全員息絶えている。戦場で暴れまわった、私の愛馬も同様に。
周りには、仲間の騎士たちの骸の他に、沢山の敵兵の死体も見える。数え切れない。これは全部、私たちがやった事なのか?
戦いの途中から記憶が曖昧だ。何人討ち取ったのかも、覚えていない。
わかるのは、今この戦場が静寂を迎えているという事だけだ。
「静かだな・・・・・・・」
どれ程の時間戦っていたのだろう。上を見れば、曇天の空。そして、雲の隙間から、光が差し込む。
眩しい光だ。だが、とても綺麗な光だ。こんな綺麗な光を見たのは、いつ以来だろう。
空は私たちの勝利を祝福しているのか?いや、そもそも私たちは敵軍を壊滅させ、侵攻を喰い止める事が出来たのだろうか?まあ、この静寂は戦いの終わりを教えてくれている。私たちの戦いは、もう終わったんだ。勝利できたかなど、最早気にするこ事ではない。
どうせ、敵の指揮官は討ったのだし、残りの敵兵にも、大きな損害を与えたはずだ。
私たちは、役目を十分に果たしたはずだ。
「リック・・・・・ユリーシア・・・・・」
私は、お前たちを守り抜く事が出来た。
ユリーシア。貴女は私に生きる理由をくれた。私を、家族同然のようにも扱ってくれていた。
リックと家族になると話に言った時、貴女は喜んでくれた。貴女は私とリックを受け入れ、祝福してくれた。それがどれ程嬉しかったか、あの時言葉にして御礼を言いたかったよ。
貴女には優しさと温もりを貰うばかりで、何も返せなかった。許して欲しい。私に出来たのは、戦って貴女を守る事だけだった。それしかできなかった。
でも最後に、貴女のかけがえのない、大切な人を守る事が出来た。これが私の、最後の忠義だ。
「もう一度だけ・・・・・・」
そしてリック。私は、もう一度だけでいいから、お前に会いたい。
お前が微笑んでいる顔が見たい。もう一度だけ、お前を抱きしめたい。
私がいなくなったら、もう稽古をつけてやる事が出来ないな。一緒に戦う事も、執務をこなす事も、食事をする事も、愛し合う事もできない。
そして、お前を支えてやる事が出来ないのが、私の一番の心残りだ。
ふふふ、思い残す事などないと思っていたが、・・・・・心残りだらけだな。
「リリカ・・・・リックを頼む・・・・・・」
リリカ。私の愛する男の事は、貴女に託す。
貴女がリックを、何かに利用しようとしている事はわかっている。それでも貴女が、誰よりもリックを理解し、想い続けているのを知っている。
貴女にしか、リックは支えられない。
私の我儘な最後の頼みを、どうか聞き届けて欲しい。
「直に私も、弟の元へと逝く・・・・・・」
もしも天国と言うものがあって、弟に再会できたならどうするか。
そうだ、私の話をしよう。大陸を旅し、帝国に訪れ、女王陛下の騎士となった話。異世界から迷い込んだ男と共に、女王と国のために戦った話。個性豊かな仲間たちと過ごした日々。愛する男と過ごした、忘れられない思い出。話したい事は沢山ある。
あの子は楽しんでくれるだろうか。いや、きっと喜んでくれる。リックとの思い出話は、面白いものばかりなのだから。
「・・・・・泣いているのか・・・・私は・・・・?」
熱を帯びた雫が、目から流れ落ちていく。
蘇る幸福な思い出。短い時ではあったが、リックと共に過ごした時間は、人生の中で最も充実していたと思う。
だからだな。お前との別れが、こんなにも悲しい。
私の心が泣いている。別れの悲しみに暮れて、泣いている。こんな風に涙を流すのは、生まれて初めてだ。
「私の愛は・・・・・・本物だった」
ありがとうリック。私を愛してくれて。私に愛を教えてくれて。
何も知らなかった私に、お前は私の名前の意味を教えてくれた。メシアと言う名前は、救世主。私はそんな大層なものじゃない。救世主と言うのは、お前の事だ。
「私の、救世主・・・・・・」
こんな事を言うと、お前はとても嫌がるだろうな。
でもお前は、誰が何と言おうとも、皆の救世主だ。お前は戦う事しか知らなかった、こんな私でさえも救って見せた。お前は私の命と心を何度も救った。他の者にこの気持ちはわからないだろうが、それでもいい。
リック。私はお前にもう一度会いたい。会って、今まで言葉に出来なかったこの気持ちを、伝えたい。
勝手な私を許して欲しい。私の想いの全てを告げぬまま、お前の元を離れるしかないこんな私を。
本当にすまない。
「陛下を・・・・頼むぞ。私の・・・・たった・・ひと・・・・り・・・の・・・・・」
体は動かない。とても眠い。
ああ、もう休む時が来たんだな。声も出す事が出来ない。言葉にしたい事はいくらでもあるが、終わりがきたようだ。
今までで一番激しい戦いだった。今回ばかりは、疲れ切ってしまった。
視界が消えていく。意識が遠退いていくのがわかる。もう休もう・・・・・。
(愛しているぞ・・・・・リック・・・・・・)
強く、美しかった帝国最強の騎士は、雲の隙間から差し込んだ光に照らされていた。
周りには共に戦った仲間たち。敵味方を含む、多くの亡骸。
その中心にて倒れている彼女は、右手の剣が折れ、左手の盾は砕け散り、その身体は無数の傷跡を帯びていた。最強の軍神と呼ばれた彼女のその姿は、この戦いの激しさを語っている。
そんな彼女の表情は、苦痛に歪んではいなかった。
瞼を閉じ、聖女のように優しく微笑んでいる。
そして彼女は、永久の眠りへとつく・・・・・・・・・。
ヴァスティナ帝国にとって、四度目の危機は去った。
侵攻を開始したエステラン国とジエーデル国は、帝国の必死の抵抗により撤退したのである。激戦となった今回の戦争。双方ともに、犠牲は大きかった。
「んっ・・・・・・・ここは・・・・・?」
戦いは終わった。そして、ベッドの上でようやく目を覚ました一人の男。
「リック様、気が付かれましたか?」
「あれ・・・・・・・レイナ?」
目を覚ましたのは、麻酔により眠らされていた、帝国軍参謀長のリック。
彼の傍には、槍士レイナの姿があった。
「ここはどこだ・・・・・・?どうしてお前がここにいる・・・・・?」
「ここはへスカル国の医務室です。私はエステランとの戦闘の後、先行して騎士団に合流したのです」
帝国への退却を目指した騎士団は、一先ずへスカル国に入った。
戦いで負傷した騎士たちの中には、一刻を争う重傷者も多かったため、一度へスカル国へ向かい、重傷者を治療する事にしたのである。
へスカル国の騎士団と戦闘し、国を裏切った副団長を討った帝国騎士団。自国の騎士たちが、友好国の盟主である騎士団を襲ったと言う事実。その償いをするために、へスカル国王は惜しみない支援を約束した。
国中から医者をかき集め、負傷した帝国騎士たちを治療した。さらに、帝国へ向けて使者を放ち、現在の状況とジエーデル軍との戦いの結果を、早馬を出して報告させに向かっている。
そして王は、帝国騎士団団長指揮下の者たちと、侵略者ジエーデル軍が戦った、決戦の地へとへスカル騎士団を向かわせた。帝国騎士団の救援と、侵略者を再び討ち払うのが目的である。
レイナがこの国にいるのは、エステラン軍をクリスたちと共に退け、リックの身を案じて単身馬に乗り、全速力で帝国騎士団と合流を計ったためである。
彼女はへスカル国に向かい、後から騎士団の援軍に駆け付けようとしている、クリス指揮下の帝国軍のために、へスカルの受け入れ態勢を整えさせようとした。その後彼女は、自分一人でもリックのもとへ駆け付けようとしたのだが、国に到着してすぐに、彼女は半数のへスカル騎士団の離脱と、ジエーデル軍侵攻を知る。
驚愕したレイナは、急いで騎士団に合流しようとした。だが、時は既に遅かった。
彼女がへスカルを出ようとした時、帝国騎士団がこの国に到着したのである。
「俺は・・・・どうしてこんなところに・・・・・・」
「リック様は薬で眠っておられました。眠っていたリック様を騎士たちが運び、この国の医者が解毒と手当を施して、今に至ります」
無事に到着した騎士たちから事情を聞き、麻酔で眠らせれていたリックを見つけ、彼の無事に安堵したレイナは、急いで彼を医務室に運び、ずっと看病を続けていた。看病を受けていたリックは、三日間も眠り続けていたのである。
三日間、リックは強力な毒の影響のせいで、高熱に魘され続けた。死ぬほどのものではないが、厄介な種類の毒であり、医者が薬でどうにか解毒したものの、彼は薬の副作用で眠り続けていたのである。
ようやくリックは目覚めたが、レイナは彼が目を覚まさないよう祈り続けていた。目を覚ましてしまえば、残酷な事実を伝えなければならない。この事実は、彼の心を殺す。
「そうだ・・・・・・俺は・・・・・っ!」
目覚めたばかりの頭で、自分が眠りにつく前の記憶を呼び覚ます。
彼の脳裏に呼び起こされた、最愛の女性の言葉。薄れゆく意識の中で、確かに聞いた言葉。
「愛しているよ、リック」。それが、リックの聞いた最後の言葉。
「教えてくれ!!メシアはどこにいる!?」
医務室のベッドから起き上がり、怪我の痛みを忘れて叫ぶ。
レイナの服を掴み、愛する彼女の名を叫んで、助けに行くためにレイナに問う。騎士団長メシアは、リックたちを守るために、ジエーデルとの戦いに向かったのだと、すぐさまリックは気が付いた。
今すぐ彼女の元へと駆けつけ、彼女を救い出す。今のリックには、メシアのことしか頭にはない。
だから彼は気が付かなかった。自分がどれ程の時間、眠りについていたのかを・・・・・・。
「メシアを助けに行かないと!でないと彼女は・・・・っ!!」
「リック様・・・・・・」
わかっていた事だ。彼ならば、必ず助けに行くと言うだろう。
止めようとしても無駄である。現実を告げる事こそが、彼を止める手段だ。
その役目を・・・・・・、誰もが躊躇うその辛い役目を、レイナは自ら望んだ。
「助けに行く必要は、もうありません」
「まだ間に合うはずだ!俺は一人でだって彼女の元に向かう!!」
彼が目覚める少し前、帝国騎士団救援に向かったへスカル騎士団からの、急ぎの伝令が到着した。
伝令の報告の内容は、へスカル国王だけでなく、帝国軍所属のレイナにも告げられたのである。
戦いの結果。それが報告の内容だった。
「俺の装備はどこだ!?怪我で寝てなんていられない、今すぐに―――――」
「騎士団は全滅しました!!」
その叫びは、リックの言葉を止めた。
リックの目を真っ直ぐ見つめ、彼女は告げる。彼が目を背けようとしている、認めたくない現実を。
「騎士団はジエーデル軍と相打ちになったそうです。そして、メシア団長は・・・・・」
話すのを躊躇うレイナ。
それが、主の心を殺す事であろうと、話さなければならない。震える声で、彼女は言葉を続けた。
「・・・・・・メシア団長は、戦死なされました」
頭が真っ白になる感覚。何も考えられない。
そして、真っ白になったリックの脳裏に映し出された、メシアの微笑み。溢れ出る、メシアと過ごした日々の記憶と、最後の瞬間に見た、彼女の姿。
「うそ・・・・・だろ・・・・?なあレイナ・・・・戦死ってお前・・・・・メシアだぞ」
「・・・・・・」
「帝国最強なんだぞ・・・・・。はは、彼女が戦いで死ぬなんて、ありえないだろ・・・・・・」
認めたくない。認めるわけにもいかない。
悪い冗談だと、そう思いたい。いや、そう願いたい。
懇願するように、そして逃げるように、メシアの戦死を否定させようとしている。
しかし現実は変わらない。この行為は無意味だ。たとえレイナが否定したとしても、メシアが戦死した事実は変わらない。
一瞬で絶望の底へと叩き落され、這い上がる事もできない彼の姿に、レイナの心は張り裂ける寸前だ。耐えられない。彼女だって、この現実から逃げ出したかった。
それでも彼女は逃げない。忠誠を誓う主のために、告げるのだ。
そしてこれは、彼女の贖罪。
「私が言った事は、全部本当です。騎士団長の率いた騎士団はジエーデル軍との戦闘で全滅し、メシア団長は騎士団と共に―――――」
「嘘だっ!!!」
メシアと言う存在。レイナにとって彼女は、尊敬する武人であり、大切な主を支えてくれる存在だ。
だがリックにとっては、自分の命よりも大切な、愛する存在。
愛している、命よりも大切な彼女が、ジエーデルとの戦いで奪われた。もう二度と、彼女と言葉を交わし、愛し合う事は叶わない。
彼女の優しい微笑みと、安らぎを与えてくれる温もりは、永久に失われた。
「嘘だって・・・・、そう言ってくれよ・・・・・っ!」
「・・・・・・事実は変わりません。リック様、メシア団長は戦死したんです」
己の心を殺し、如何にかレイナは、全てを告げる事が出来た。
彼女はそれ以上、何も言わなかった。
「・・・・・・守るって・・・・約束したんだ」
「・・・・・・」
「何があっても離れないって・・・・、守るって約束したんだよ・・・・・!それなのに、俺は・・・・彼女に助けられた・・・・・!」
目から溢れ出る、悲しみの涙。
彼女の死を悼み、彼女の死に絶望し、彼女の命を奪った者たちを憎み、そしてリックは己自身を責めた。
守ると約束した。離れないと言った。だと言うのに、リックは彼女を死なせてしまった。
溢れ出た全ての感情が涙となって、彼の目から零れ落ち続ける。その涙はとまらない。
「メシア・・・・っ!メシアああああああああああっ!!!」
愛する者の名を叫び、彼は大声を上げて泣き続けた。
メシアの死は、彼の心に一生消えない傷を生み出す。この傷を癒す事のできる者は、ここにはいない。
彼の心の支えも、傷ついた彼の心を癒す事も、傍にいるレイナにはできない事だ。それが彼女は、どうしようもなく苦しかった。
彼女は何もできない。彼女に出来るのは、リックのために戦う事だけだ。
今の彼を救える人間を、彼女は一人しか知らない。
(助けてください・・・・!リック様を救えるのは、もう貴女しかいない・・・・・!!)
泣き叫ぶリックを抱きしめ、少しでも、傷ついた彼の心を落ち着かせようとするレイナ。
だが彼の涙と叫びは、永遠に続くかに思えるほど、終わる事がなかった。




